4−2−6 甲子園・急 習志野学園戦

 グラウンド整備が終わって五回の裏。綺麗になったグラウンドで守備に就く帝王。その帝王へ牙を剥くように打席に立ったのは一年生ながら既に今大会最多本塁打を記録している羽村涼介。


 涼介は甲子園が始まる前に親友の市原が高校野球に復帰すると姉から聞いた。その時嬉しくなかったかと言われたら、当然嬉しかった。


 市原は三兄弟で長男だ。彼がプロ野球選手を目指すことを両親は応援していたが、本人が肩を負傷してその夢の一切を諦めた。下に二人もいるために治るかもわからない夢を追いかけるのをやめた市原。投げられない選手が野球を続ける意味もない、そう考えて市原は才能溢れる弟を鍛えることに注力し始めた。


 肩のリハビリはあくまで日常生活の改善と、仲間と時折キャッチボールをしたかったため。高校野球は諦めていたはずだった。


 それなのに姉が無理矢理その気にさせて、高校野球に復帰させた。その一連の流れの発端である野球勝負に涼介も関わっていたので復帰することになろうと、まあそういう流れだったのだろうと納得した。市原の打撃能力は疑いようもなく、高校野球でも十分通用する。


 市原を求めた菊原のマネージャーの目は間違っていない。これで菊原高校は強くなる。


 だが、涼介が許せなかったことはただ一つ。


 姉の横暴な振る舞いだ。


(ヒロと姉貴の「約束」。俺と一緒に習志野学園に入って甲子園優勝する。その夢が叶わなくなったからってヒロの方から言い出した、姉貴のお願いを何でも聞くっていうとんでもないもんだ。それを使って姉貴はヒロを誘い出して、野球の楽しさを思い出させた。その手腕は認めるけど、恋心を利用するってどうよ?)


 市原と涼介の姉の由紀は好き合っている。そんなものは周りから見れば一発でわかり、いつ付き合うのかと中学の野球部で賭けをしていたほどだ。だというのにどちらも踏み出さず、変な「約束」までしてお互いを縛り合っている。


 市原は由紀への贖罪で「約束」をして、由紀は野球を辞めざるを得なかった市原が自殺をしないように自分を利用して「約束」を肯定した。「約束」を持ち出したのは市原の方だが、そうなるように泣き付いたのは由紀の方だ。


 ある意味依存系カップルとも言える。お互いがお互いを思って行動をして相手を喜ばせようとしている。それがお互いの心に寄り添っていることと、お互いのやりたいことに合致しているために破綻しない特殊な愛の在り方だった。


 付き合っていないのでカップルではないのだが、そんなことは些細なことだと思えるほどの共依存関係である。


 そんな二人の関係が怖くもあり、微笑ましくもあった。そういう愛の形もあるのだろうと涼介は理解してさっさと付き合えと怨嗟の声を押し殺している。


 親友と実の姉の恋愛模様に巻き込まれて辟易しているのだ。


 恋愛事情には口を突っ込むことはせずとも、涼介は市原との対戦を心待ちにしていた。市原が入った菊原高校も最近では強くなってきたが名門の習志野学園と比べてしまっては数段劣る。そのために戦えるとしたら予選の早い内に対戦カードが組まれるしかない。


 公式戦の数も限られていて、練習試合は習志野学園の方針であまり県内とはしない。そのために戦えるとしたら公式戦くらいのもの。しかも市原は肩が悪いので次の秋大会でレギュラーになれるのかも怪しい。せっかく対戦があっても市原が出ていないのならあまり嬉しくはない。


 そんな屈折した市原への思いを姉弟問わず抱えている羽村の性を持つ人間は、色々と考えてようやく試合へ意識を戻す。


 中学の時に語り合った、なんて事のない夢。その舞台に立っているにしては緊張も高揚もせず、淡々と試合に臨んで結果を叩き出していた。


 別に投手として組んでいる柳田に不満があるわけではない。ただ三年以上語り合った夢の舞台に、その相手がいないだけ。


 もう片方の姉は今もスタンドの上でフルートを吹いている。姉が学校に在籍したまま迎える最後の甲子園だ。だからこそ一年の内からレギュラーになると市原と誓い合った。


 涼介は約束を守り、市原はそもそも「約束」を叶えるための舞台に立てず。それでも涼介は市原への復帰祝いに何ができるだろうかと考えて。


 親友の代わりに姉の学生としての最後の願いを叶えてあげることだけだった。


 せっかく甲子園でキャッチャーデビューをしたのだ。ここでも爪痕を残したかった。


 一球目のストレートがアウトコースに決まる。相手の真淵もエースとしての実力はある、良い投手だ。だが、そこ止まり。完璧無敵の、甲子園の顔となるような圧倒的な実力も圧もカリスマも感じなかった。


 そして良い投手くらいでは、運が相当良くなければ涼介を止められない。


 世界を経験し、日本でも最高峰の環境で高校野球をして、チームにドラフトでも注目される高校球児最高峰の投手もいて、輝ける同年代の星ともバッテリーを組んできた。


 そんな涼介からすれば、真淵はただの・・・良い投手だ。たとえ落差のあるフォークがインローへ良い感じに決まろうとしても、それを掬い上げて快音を響かせるのはわけなかった。


 ライトへ高く上がる打球。それをライトの霧島が必死に追うが、打った本人の涼介はフォロースローの後に静かにバットを投げてゆっくりと一塁へ歩き出して打球も見ずにそこから小走りくらいに速度を上げた。


 霧島は角度と飛距離から追うのを諦めて足を止めた。それが示すように打球はフェンスなんて悠々と超えていき、ライトスタンドの中段に叩き込んでいた。推定120mオーバーの特大弾に甲子園は爆発した。


 習志野学園は待望の追加点に。帝王からすれば悪魔の失点に。観客からすれば生で見られた化け物の本塁打に。そして甲子園での本塁打記録を四本に伸ばした恐るべき怪物に、甲子園が喝采を挙げた。


 ゆっくりとダイヤモンドを走る涼介を、誰も咎めない。これはホームランを打った人間だけに許された特別な時間であり、試合からも球場からも、全ての人から祝福される至高の時間。涼介がホームに着いた瞬間歓声はもう一度爆発し、涼介は次の打者である大石とハイタッチをしてベンチに戻ってきた。


 四番に起用されて、その監督の起用に応えた最高の一打。これにはベンチの人間全員からハイタッチを求められて、清田監督にも背中を叩かれた。


 柳田とハイタッチをした時には、したり顔でこう言った。


「ほら。お前の失点はこれで帳消しだぞ」


「先頭打者で点を取ってくるとしたらホームランしかないよな……。いや、本当に打つバカがいるか」


「ホームラン打って味方からバカって言われたのは初めてだな」


「ああ、クソ。最高の相棒だよ。心からお前が敵じゃなくて良かったって思った」


「それは褒め言葉だな」


 これはもちろん柳田のための援護弾ではあるのだが。


 涼介からすれば市原への復帰祝いの一打でもあった。


 この甲子園大会で一番の強敵になりそうなのは智紀の属する帝王だと涼介は前々から思っていたのだ。そんな帝王との試合で打つことを決めていた。いくら前の試合で打っていようと、強敵からしっかりと打たなければ祝砲の価値が落ちてしまう。


 祝砲に相応しい相手は帝王だった。できれば智紀から打ちたかったが、登板していないので仕方がないだろう。


(今日智紀は投げないのかもな。今準備をしているのは二年生の大久保さん。真淵さんが降りたらあの大久保さんが登板するとして。智紀は前の試合で完投したから温存か?野手としても出てこなかったからな。それはキャッチャーとしてもバッターとしてもありがたい。アイツのここぞって時の打率はおかしいし、投手としてもストレートが脅威だ。……俺らが一番データを持ってない投手は大久保さんだけど、智紀はデータがあっても打てるかわからない。あのストレートは野球歴が長いほど打ち損じる代物だ。相手の監督、選択をミスったんじゃないか?)


 ベンチに腰をかけた涼介はそうとしか思えない。智紀の凄さを知っているからこそ自分たちの打線でも打てると断言できなかった。実際にキャッチャーとして受けて知っている頃から更にパワーアップした智紀を相手に何点奪えるかの予測はできなかった。


 出てこないのなら、このまま得点を重ねるだけだ。


 涼介はもっと点が取れるだろうと思っていたが、相手の好守に阻まれてこの回の得点は涼介のホームランだけだった。5-7にスコアが変わって六回の守備のためにグラウンドへ出ていく。


 ランナーは出るのに得点できない。嫌な流れだ。そして相手の本領は打撃。


 このまま流れを相手に渡さないために涼介はかなり警戒してサインを出すことにした。

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