4−2−4 甲子園・急 習志野学園戦

 五回の表。帝王はこの回クリーンナップの三番葉山から打席が始まる。二点くらい奪えそうな打順だ。先ほどの回は刺殺もあったために得点も重ならなかったが、この回は帝王が誇る最強の打者たち。しかも相手は一年生バッテリー。


 急なシフトの変更もあって、帝王からすれば攻め入る隙だった。ここで最低でも同点、もしくはそれ以上に引き離したかった。ライトとファーストは経験の少ない人間が就いている。そんな人物を使わざるを得ないチーム事情を攻めなくては勝ちは転がってこない。


 そんな状況だからこそ、涼介は守備に就く前に柳田にこのイニングのスタンスを伝えていた。


「一点は仕方がない。逆に言えば一点で抑えることができるって信じてる」


「あの帝王打線のクリーンナップに?オレの女房はかなりの自信家らしい」


「それがお前の力だって言ってるんだよ。いいか?三番・四番は仕方がない。だがそれ以降は抑えられる。お前はそれだけのサウスポーだよ」


 そんな短い言葉に乗せられてしまう柳田も大概だったが、それで実際に実力が発揮できるんだから困ったものだ。


 三番の葉山に対して、ストライクとボールを織り交ぜて追い込む。そして必殺のフォークがアウトコースの良いところに落ちたが、これを追っつけて軽打。打球は一・二塁間を抜けていき、ライト前ヒットとなった。


 甲子園で初めて投げたフォークに対応されたのなら仕方がないとバッテリーは割り切っていた。体勢は完全に崩していたのに、手だけのバッティングでヒットにされたら相手を褒めるしかない。この対応力こそがプロからも注目される葉山の持ち味だ。


 葉山自身も紅白戦で大久保相手に同じようにSFFを隠されて三振を喫したことがあった。それと同じように隠し球があるということを念頭に置いて打席に立つようにしている。それだけ注目されて警戒される打者なのだと、今一度認識していたからこその意識だ。


 柳田のフォークは回転が明らかに少なかったので見分けが付きやすかったということもある。落差は一年生が投げるにしてはしっかりとあったが、だからと言って対応できないほどではなかった。フォークの専門家である大久保のボールと比べたら落ちなかったからだ。


 ノーアウトでランナーを出してしまい、続く打者は四番の倉敷。ホームランはもちろんのこと、安打もしっかり打てる帝王で一番の打者だ。


 ここを抑えられたら大きい。だからこそ涼介は大胆にリードをする。さっきの葉山の打席でフォークが隠し球だと見せたばかりだ。そして柳田のウィニングショットはカーブ。その情報があるからこそ初球にチェンジアップを選択していた。


 まさか初球に遅い球が来るとは思っていなかったのか、倉敷はストレートのタイミングで振ってしまい空振り。ランナーに足の速い葉山がいるからこそ盗塁の危険性を考えてもチェンジアップは除外していた。


(走られないっていう確信があったのか、それとも葉山を舐めてるのか。いくら送球に自信があるからってチェンジアップを初球に持ってくるか?本当にこいつのリード、読めない……)


 倉敷はそう思いつつ、葉山に行けそうなら行けと目線で伝える。送球に絶対はない。いくらコントロールが良くても百球二塁へ送球して百球ともベースの上に投げられるキャッチャーがいるわけがない。ピッチャーのボールにも左右されるのだから盗塁阻止率が百%になるはずがない。


 葉山もそう思って行けそうなら行くと意思を示した。続けてチェンジアップを投げるなら盗塁するぞと。そういうリードを塁上から見せることでチェンジアップを封じることができる。


 もちろんバッターとランナーの二人がそんなことを考えていることは、バッテリーの二人も重々承知の上。チェンジアップを倉敷に連投するなんて怖すぎてできない。読まれていたらただのホームランボールだ。


 柳田は一球牽制を入れて葉山を一塁に釘付けにする。牽制をしない方が実は盗塁阻止になるという指標もある。


 牽制からボールを返してもらって二球目。チェンジアップの次のボールだからこそ球速差を攻めるためにストレートで来るだろうというのが一般的なリードだ。だが、涼介は普通じゃない。ありきたりなリードなんてしなかった。


 投じられたのは先程決め球に使ったフォーク。倉敷も涼介が普通じゃないとわかっていてもこの試合でとっておきと呼べるようなボールを追い込むために使ってくるとは思えず、予想ができなかったためにまた空振りをした。


 倉敷を追い込んだことで内野とスタンドが声を張り上げる。倉敷を追い込むことがどれだけ大変か。追い込む前に打たれてしまえば元も子もなく、甘いボールを見逃さない嗅覚からそもそも追い込むことが難しい打者。


 続く三球目はアウトハイに大きく外した。この辺りでストレートの速度を見せておきたかったのだろう。


(ストレートを見せてきた。なら次は変化球だ。俺にはまだカーブを投げていない。たとえこのバッテリーがおかしくても一年バッテリー。それに相手が四番打者だ。ここでこそウィニングショットを切ってくるはず)


 そう思って倉敷はカーブに的を絞る。だが意表を突いてくる可能性も捨てきれずチェンジアップが来てもいいようにタイミングを後ろにできるように意識を残し、フォークが来ても対応できるという自負を持って四球目を待った。


 そしてそれは、涼介の掌の上だった。


 投げられた瞬間、それが変化球ではないことがわかった。倉敷はすぐに身体を動かし、ストライクゾーンから外れることを祈りながらバットを始動させる。だがそれは確実にインコースのストライクゾーンに迫って来て、倉敷はどうにか軌道に合わせるがタイミングが合わずに空振り三振となった。


 柳田は投げ終わった後左足が大きく浮き上がっていて守備の体勢になれていなかったが、結果良ければ全て良し。倉敷から三振を奪う以上に、今必要な結果はなかった。


 そして空振り三振を奪ってもキャッチャーの涼介はランナーのことを忘れておらず、ボールを受けてすぐに中腰でスローイングの構えをしていた。油断をしていれば走ろうと思っていた葉山はすぐに帰塁する。


「おお!143km/h!倉敷を三振にしやがった!」


「いやあ、良い投手だ。これからが楽しみだねえ」


 倉敷から三振を奪ったこともそうだが、140km/hを超えるストレートを今の時点で投げる柳田のことは甲子園の観客に強く印象付いた。野球ファンとはいえ全国の高校全てを把握している人間は少なく、この甲子園で初めて見るような選手もいる。


 むしろ前情報もなしに甲子園で魅せてくれる選手を見に来ている観客もいる。そういう人たちからすれば柳田のことはそれこそ次世代のエースとして認識されただろう。


 凡退した倉敷は続く三間に短くアドバイスをする。


「あの性悪、本当にリードが読めない。読もうとするな」


「うっす」


 それだけ言って二人は駆け足でそれぞれの場所へ向かう。ベンチに戻った倉敷は涼介のリードが全く読めないから本能で打ち返せと伝えると。


「いや、それどれだけの奴ができんだよ?オレァ無理だぜ」


「間宮は考えて打つタイプだからな。じゃあ間宮以外の全員よろしく」


「何も考えずに来た球強く打ち返せってことか?」


「ああ。俺は微妙に間に合わなかったがそれが一番良い」


「それ、キャッチャーの俺も無理そうだな……」


 間宮と中原がそう言い、中原はネクストバッターサークルに向かう。配球を考えることが仕事のキャッチャーからすればその経験を打席でも活かすものだが、それが通じないと言う。


 中原は三間の打席で配球を覚えて自分の打席に活かそうと考えた。こんな土壇場で今までの野球人生の根本を崩せるほどの度胸はない。


 バッターもピッチャーもキャッチャーも一年生の対決。二年後を予感させるような勝負が始まろうとしていた。


 観客も気付いている。これが彼らの、長い長い因縁の対決になるだろうと。


 それほど帝王と習志野学園は、この舞台が似合っているのだ。


 そして既に試合に出ている有望株たちが、もう二度と甲子園に来ないこともないだろうと、確信していた。

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