4−2−3 甲子園・急 習志野学園戦

 柳田がライバルを挙げろと言われたら、二人の人物を挙げる。


 羽村涼介と市原だ。


 これは中学時代から変わらない。この二人のバッテリー以外をライバルとして名前を出すことはないだろう。それくらい鮮烈に記憶に残っている。


 他にも負けた相手はいる。それでもその負けたバッターやピッチャーのことはもちろん覚えているがその選手よりも脳を焼かれてしまった二人の選手には霞んでしまう。


 投げては二人に打たれて。


 打とうとしてもバッテリーに完封された。


 相手が強豪校ならまだ受け入れられた。だが彼らがいた千葉第三中学校は三年生になるまでベンチの枠が埋まり切らないほど人数が少ない小規模な中学校だった。柳田がいたのは地域で一番人数の多い中学校だったために野球部の人数も多く、地区では屈指の強さを誇るチームだった。


 そんな柳田のチームは最後の夏の大会を除いて、二年次からずっと負けていたのだ。二年の春からずっとエースで天才サウスポーと持て囃された柳田の、初めての挫折を与えた相手を忘れるわけがなかった。


 涼介は今やチームメイトになって、余計にその才能の頂を知った。これは負けても仕方がないと、U-15やこの四ヶ月で思い知った。


 そして市原は、逆立ちしても勝てない投手だった。


 ストレートの質も良い。速度も負けていた。変化球だってスライダーにカーブ、フォークとどれも一級品。対戦成績は本当に悪かった。


 そんな天才バッテリーに抗おうと、同じチームになるとわかっていても高校は習志野学園に進むと決めていた。これは中学三年の夏の大会が始まる前から決めていたことだ。ありがたいことに習志野学園側からも声を掛けられていたので二つ返事をしていた。


 最初はエースになれなくても、マウンドに上がれる機会が少なくても。習志野学園の代名詞である二枚看板システムとして追い縋ろうと堅く決めていた。そういう意味では二枚看板システムがある習志野学園は好都合だったと言えるだろう。


 そんな未来予想図は、粉々に砕け散った。


 最後の夏の県大会での市原の肩の負傷、しかも事故だ。


 そのニュースに千葉県の野球ファンがどれだけ絶望したか。彼に勝ちたかった選手が、高校で一緒に野球をしたかった選手が、彼を目標にしていた下の世代が。そして将来を期待していた純粋な野球ファンが、彼のマウンドに立つ姿を見られなくなったと知って、事故の詳細を知ってどれほど失望したことか。


 ファーストへの牽制球が逸れて、ボールを捕ろうとしてランナーを踏んだ?


 野球をやっている者なら、足に履いているスパイクの裏が金属製だということは常識だ。たとえ暴投を防ごうとしても、それは相手ランナーを蔑ろにしてまですることではない。


 しかも、優秀な投手。その人物の右肩にスパイクで乗るような偶然があるだろうか。そしてそもそもそのランナーが四球で出塁していたとしたら?


 嫌な推測ばかり出てしまうような状況証拠ばかりがあるのだ。


 そして極め付けは、柳田が涼介とチームメイトだからこそ知った情報。


 そんな事故を引き起こした相手投手とファーストは、結局一度も謝りに来なかったというのだ。


 市原がどれだけ将来を有望視されていた選手か、同年代でわからないはずがない。それこそ習志野学園から推薦が来ていたということがどれだけのことなのか、千葉の中学生なら絶対に理解している。市原が習志野学園から推薦を貰ったことは春には流れていた。


 千葉の中学生が喉から手が出るほど欲しがる習志野学園の推薦状。甲子園が確約される魔法のチケット。中学生の中でも確かな才能があると、努力を認められた証拠。


 その価値を県大会に出場していた選手が知らないはずがない。県大会で起きたその事故が事件であると思い当たる人間は多かっただろう。


 柳田は未だに市原の事故を思うと怒りに駆られる。


 本当なら県大会の決勝で戦うはずだった。実力で関東大会と全国大会をかけて戦う気でいた。それが悪質な投手潰しで機会を失い、勝ち上がってきたのは千葉第三中学に雲泥の差で劣る雑魚。完封勝利を記録しても何も嬉しくなかった。


 もし今も市原の肩が万全であれば。


 柳田とベンチ入りの背番号を賭けて争っていただろう。柳田が負けたと明確に意識している相手だ。推薦を貰っていれば夏から更に磨き上げて最高の投手として君臨していただろう。


 そうであったのなら今頃騒がれているのは智紀ではなく市原で。


 一年生のゴールデンバッテリーが甲子園を沸かせていたはずなのに。


 柳田の頭の中ではそんなもしもが止まらない。過去に戻れるわけでもないのに、そんな妄想が終わることがない。


 そしてそんな妄想は酷く稚拙な事故への怒りに変換され、バットを握る力が強くなる。グリップを握りしめすぎてギュと音が鳴るほど深く握っていた。


 それが力みすぎになるわけでもなく、柳田は珍しいことに怒りが力に変わるタイプだった。つまり怒っている状況がベストコンディションだったりする男なのだ。


 初球はストレートがアウトコースの良いところに決まってストライク。柳田も手を出せないようなボールだった。柳田のバッティングは大味だ。その身体能力を活かしてスイングも大振りで、当たったらラッキーくらいの気分で振っている。


 智紀と違ってまともに打撃練習を積んでいるわけでもない。最低限の練習しかしていないが当たれば飛ぶ。体格も良いために長打も多かった。中学の頃はホームランも打ったことがある。


 磨き上げた肉体と天性のセンスと、怒りパワーが合わされば無敵だ。


 二球目はストレートが高めに外れる。


 柳田がこの打席で市原に対する恨みや怒りを真淵にぶつけるのは間違っている。だが、それで良い結果が生まれることが多いために柳田は無理矢理去年の夏の出来事を想起して結び付けている。市原が高校野球に復帰したと甲子園の前に聞き及んでいても、それはそれ、これはこれだった。


 打者としての市原の能力ももちろん認めていたが、柳田や涼介のように一緒に野球をしていた人間からしたらやはり市原は投手だ。野手としての復帰なんて想定していなかったと言っていい。


 やはり投手ができないことに、柳田はまた怒りを再燃させる。


 そして怒りが臨界点に突破した時。


 真淵のパワーカーブが捉えられて三間の頭を超えるライト線への痛烈なヒットが柳田のバットから飛び出ていた。


 代わったばかりの霧島が追う。ボールを内野に返した頃には柳田はスライディングすることなく二塁に到達しており、ランナーもホームへ帰ってきていた。


「自援護来たぁ!」


「よし、勝ち越し!ナイス柳田!」


 これで4-5に。得点を加えつつまだチャンスが続いてここからは上位打線だ。


 決め球を打たれたことで捕手の中原はタイムをかけて真淵の元に向かおうとしたが真淵が首を横に振って拒否していた。調子が悪いわけでも、何かトラブルがあったわけでもない。純粋に実力で打たれただけだ。


 いくらここから上位打線に繋がろうと、ヤバイピンチではないと真淵は判断する。


 それに投手で一年生に打たれるというのは、そこまでメンタルに来ることではなかった。帝王の投手陣は良くも悪くも歳下に打たれるという経験をしている。それだけ選手層が厚いということもあるが、今年は特に智紀という特大な爆弾がいたために柳田に打たれたからと心が折れるような事態にはならなかった。


(パワーカーブが打たれたのは正直ショックだが……。宮下に打たれたんだと思えばいい。俺が気にするのはそんな個人に拘るんじゃなくて、勝ち越しされた試合状況を憂うべきだ。向こうはもうエースが降りてるとはいえ失点は少ない方がいい。エースとして・・・・・・、気丈に振る舞え)


 帽子を一度取って汗を拭う。今が真淵にとっての一イニング目だというのに甲子園の熱が体力を奪っていく。立っているだけで汗が出て来るほどの気温。真夏日らしく三十度を優に超えてユニフォームがじっとりとしている。


 一番の柏木が打席に入る。いつもなら三番にいる強打者で、四番のためにチャンスメイクをする役割だからかかなり打率が良い。その柏木へ真淵はストレートを中心に投げていく。柏木も真淵と対戦経験があることと同じ速度の投手を倒してきたことから自信を持って振っていった。


 だが自信がありすぎたのか、いつもと違う打順だからか。フォークボールを引っ掛けてショートゴロ。それでは二塁ランナーの柳田が進むことはできず、二塁に釘付けにされた。柏木はそのままアウト。


 二アウトまで来て二番の常盤が打席に入る。常盤もどうにかして柳田を返そうと考えた。高校野球の二番らしく犠打ばかりの選手ではなく、純粋に打率が良い打者だ。必要な場面では送りバントもするが、基本は打ちに行く。


 今のように二アウトで回って来ることもあるのだから、犠打ばかりの選手では打撃チャンスを潰すことになる。せっかくの上位打線なのにもったいないということで昨今では二番に打率の良い選手を置くチームが増えてきた。


 二番打者に強打者を置くのはメジャーリーグ流だ。高校野球では犠打の上手い選手でも良いのだろうが、習志野学園は全国制覇を狙う学校だ。凡百な高校と同じようなオーダーの組み方では打線の奇妙な噛み合いなんて起こらないと考え、アベレージヒッターの常盤を置いている。


 そんな監督の起用に応えたのか、ストレートを弾き返して左中間よりのセンター前ヒットを打った。二アウトだったためにランナーの柳田は自動スタートを切っており、打球も単打の割りには深くに飛んだために生還。


 バッターランナーは一塁ストップになったが、更なる突き放しの追加点を得ていた。


 だが、真淵が許したのはここまで。三番の八柱をフォークで空振り三振に切って取り傷口をこれ以上広げなかった。


 4-6になって四回の裏が終わる。五回の表が終わればグラウンド整備が入る。帝王は長い休憩が入る前に同点になっておきたかった。


 そのためにはゴールデンルーキーのサウスポーから点を奪う必要がある。


 前半戦最後の攻撃が始まる。

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