4−2−2 甲子園・急 習志野学園戦
柳田の球種は大きく曲がるカーブとチェンジアップ、それに高校から使えるようになったフォークがある。これらのボールを組み合わせて、威力のあるストレートで押すのが柳田の特徴だ。
一アウトでランナー一塁という状況、こんな中途半端なタイミングでの緊急登板は緊張するものだ。だが柳田からすれば全国大会や市原というライバルと戦うより緊張する試合などないのだとメンタルが極まっていた。
捕手の方の涼介として二番の間宮のデータを思い浮かべてリードを組み立てる。
(こんな押せ押せムードの場面で、バントはないな。それに向こうもほとんど柳田のデータがない。春の関東大会でちょっと投げたが、それでそんなにデータが集まってるとは思えない。さーてと、いきなりキャッチャーやらされるとは思ってなかったけど、守備中も何かと考えてて良かった)
その初球。涼介は柳田のウィニングショットであるカーブをいきなり要求した。それがアウトローに決まりストライク。間宮としてもランナーに早川がいて走られる危険があるというのに遅い変化球で攻めてくるのは大胆すぎるリードだ。
初球で走るとは限らないが、それでも危ない賭けではある。早川は帝王で一番の足がある上に盗塁成功率も高い。そこに新人キャッチャーが走られやすい変化球を初球から投げさせるのは度胸がありすぎる。
(舐めてるのか?肩が強いのは知ってるが、警戒心なさすぎだろ。行けそうなら行くか?)
ランナーの早川はそう思う。東條監督も行けそうなら行っていいと指示を出す。
二球目も変化球。しかもチェンジアップで更に遅いボールだった。早川は行けば良かったと思いながら第二リードを大きく取った。間宮はチェンジアップが来るとは思っていなかったようでタイミングが合わずに空振りをしていた。
これで追い込まれた。早川は次のボールで走ろうと決める。追い込まれたのなら間宮もどうにかして進塁打を打ってくれるだろうと信頼していた。
そう思いながら歩いて帰塁しようとすると、まさかまさかの座ったまま涼介が一塁へ送球してきた。早川は罵声が出て来る前に必死に頭から滑り込んで戻ろうとしたが、一塁手の大石のファーストミットに収まって素早くタッチする動作に間に合わなかった。
「アウト!」
滑り込む手にミットが当たり、確実にアウトの判定だった。早川が牽制アウトになったのは何年振りかと思うほどに久しぶりのものだった。そんなミスを頻繁にする人間は走塁のスペシャリストとは呼ばれない。しかもキャッチャーからの刺殺なんてそもそも野球の試合で滅多にない。
そのレアケースに球場がどよめく。
涼介の地肩の強さはもちろん、座ったまま投げたことにも驚きが増した。そんなものプロのキャッチャーでもやれる人間がどれだけいるか。
メジャーリーガーに何人かいるだろうが、ここまで完璧なコントロールでできる人間がいるかどうか。すぐタッチできるような場所に投げ込んだのだ。
投げた当の本人はいきなりファーストを守ることになった大石にこんなことをさせてすみませんとミットを向けて謝っていた。向けられた大石も気にするなと手を振る。大石だって牽制球を投げることはあるのでこんなことになるのは予想できた。
「いやいやいや!甲子園初マスクでいきなりやることかあ⁉︎」
「肩強っ!」
「肩の強さは外野の時点で知ってたけど!おかしいだろ!」
キャッチャーとしての能力がありすぎて球場のどこからも涼介の能力の高さについて驚愕の声が聞こえてくる。刺された帝王側としては涼介の肩とコントロールの良さから盗塁を諦めるほど。
そういう威圧行為も込みで涼介はこの牽制を仕掛けていた。アウトが欲しかったのはそうだが、これでエンドランや盗塁などを阻止できるのならチャレンジとして気合いも入れるというもの。
そのまま追い込んだために、涼介は打者の間宮を切って取ることを考える。ストレートを一球外し、最後はインローのストレートで空振り三振に切って取った。
同点にはなったもののそれ以上崩れなかったために習志野学園ベンチは暖かく迎える。
「羽村、柳田。大丈夫だったか?」
「はい。柳田のボールも問題ありません。俺もキャッチャーとしての勘を忘れてないので大丈夫です」
「よし、このまま頼むぞ。八柱、大石。守備は問題ないか?」
「なんとなくは……」
「俺はまだボールを処理していないのでなんとも言えないです。やれる限りやりますけど」
「なんとかしろ。ミスをしても大丈夫なように点を奪ってこい。相手は関東大会で打ち崩したエースだ。また打ってくるだけだろう?」
清田監督がそう言ってグラウンドに視線を向けさせると帝王のエースである真淵がマウンドに立っていた。エースが降りた習志野学園と、エースが登った帝王。
そんな対比がありつつ、同点だ。これから四回の裏が始まる。
真淵はパワーカーブとフォークが凄く変化する投手だ。ストレートも悪くはないのだが、速度だけ見れば甲子園に出てくるチームのエースとしては標準。
190cmを超える長身から放られるストレートは日本人の中では希少だが、それも慣れてしまえば打てるほどだ。
事実真淵の防御率はそこまで良くない。帝王で一番情報がバレていることもあり研究されていて打たれることが多い。春の大会や夏の予選でも打たれる時は打たれた。
完璧ではないエースを打ち崩せと、清田監督は檄を飛ばした。
習志野学園の攻撃は七番の高根から。真淵のデータをもう一度思い起こす。
(ストレートは角度もあるせいで重く感じる。だが変化球は二種類だけ。速度も名塚には劣る。パワーカーブもフォークも落差は凄いが、魔球って呼べるほどは変化しない。なら打てる)
真淵がマウンドに入ったことと入れ替えで帝王のブルペンには大久保が入っていた。習志野学園のブルペンにも茂木が入っている。
試合はこのまま継投による展開を迎えそうだった。
スカウトたちは真淵がプロ志望届を出さないことは知っているが、だからと言って四年後に選ばないかどうかはわからない。あの長身は中々に希少だ。これでもっとストレートの速度が上がればと期待しているからこそ、今年のドラフトで選べなくても注目してしまう。
真淵が投げた初球。ストレートはタイミングばっちしで高根は真後ろにファウルを打っていた。
(ちょっとズレるが、こんなもんだろ。修正完了。こいつのフォーク、そこまで回転が落ちるわけじゃないからストレートと誤認しやすいけど、速度っていうか山でわかるから見分けはできるんだよな……)
そんなことを思いながら三球目。
ストレートを弾き返してレフト前ヒットを打っていた。激戦区の千葉を勝ち抜き、甲子園でも二桁得点をしているチームは伊達ではないのだ。
続く八番稲毛が打席に立つ。二球目にセフティーバントを仕掛けて真淵に捕らせることで自分も生きようとしたが、サードの倉敷が制して素手からのジャンピングスローをして自前の強肩によって刺されていた。
その軽やかな守備を見てスカウトたちは倉敷の評価を上げる。前から守備と強肩も評価項目として優秀な点数が付いていたが、実際に見ると印象も異なる。
特にセ・リーグのスカウトとしてはサードを無難にこなしてくれるだけで高評価だ。指名打者制度がないために守備能力も欠かせない。打力もあって守備も問題なければ上司への報告でも良い評価を貰える。ドラフトの目玉にもできると確信していた。
一アウト二塁になって、打席には九番投手の柳田が入る。サウスポーらしく左打ちだ。
「そういや柳田って打撃はどうなんだ?」
「予選でも打席が回ってきたら代打を送られることが多かったからあんまり印象がないな。予選では一打席だけで、その時はアウトになってる」
観客も柳田の情報に詳しくなかったので携帯で調べる。柳田は予選の唯一の打席でセンターフライに倒れていた。中継ぎで登板していたのでよっぽど打線が爆発しない限りは代打を送られて打撃機会がなかった。
柳田の打力を知っているチームメイトからすれば、このチャンスは大きいと感じていた。
「ぶちかませ、芳人」
涼介がそう呟く。
投手をやる人間は基本野球センスが抜群な人間だ。つまりは打つ方も、サブポジションの外野とかも難なくこなせる選手が多い。
中学時代エースで四番だった男が打席に立っていた。
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