4−2−1 甲子園・急 習志野学園戦

 四回の表。帝王の打順は八番から。三石は帝王のスタメンで唯一の二年生だ。それだけ二年生の中で飛び抜けている才能の持ち主だった。今は八番を打っているがそれは帝王学園だからだ。他の強豪校なら今頃四番のスラッガーとして名を馳せていたかもしれない。


 本塁打ももうそれなりに打っている。打率も悪くなく、守備走塁も言わずがな。そんな打者が八番に居座っているのだ。データからもわかるその脅威さに習志野学園バッテリーも警戒を解かない。三年生の最後の必死さも怖いが、伸び盛りの一・二年生の才能が芽吹く瞬間というのも怖いものだ。


 名塚はそう思いながら、三石にボールを投げ続ける。変化球を続け、最後はストレートで決めようとした。さっきの打席もストレートで三振にしたのだ。変化球で惑わせてまた全力のストレートでタイミングをずらすつもりだった。


 しかし、三石側も負けたままではいられない。特に第一打席はストレートにいいようにされてしまったのでそのストレートをどうにかしようと思いストレートに的を絞っていた。たとえ150km/hを越えようと、帝王の一員なのだから打てなくてはマズイと。


 ボールはインハイに。スラッガーがボールを飛ばしやすいベルトよりも上の高さ。そして身体に近く、引っ張りやすいインコース。更には変化もしない純粋な4シーム。ここに狙い球という最高の条件が整う。


 ここまでお膳立てされて打てなければ、強打の帝王のレギュラーとは呼べないだろう。


 金属音は軽かった。夏の暑さを冷やしてくれるような、涼やかな音だった。


 打球はレフトへグングンと伸びていく。レフトの常盤が必死に下がっていくが、その角度と飛距離の概算が出せた帝王ベンチの人間は柵から上半身を出して拳を突き出していた。


 その予測通り、打球はレフトスタンドへ吸い込まれていく。完璧な一打ホームランだ。


『入った!入りました!八番三石、二年生による同点ホームラン!当たり千金の一発です!須田さん、いかがでしたか?』


『完璧と言っていいでしょう。いやあ、今日最速の151km/hのストレートをしっかりと持っていきましたね。フェンスギリギリということもなく、恐るべきパワーです』


『名塚くんは被本塁打率もかなり低い投手です。そこにこの同点ホームランは試合がわからなくなりましたね?』


『おっしゃる通り。本当にこの試合は読めません。解説として不甲斐ないですねえ』


 そんな実況と解説の声がテレビに乗りつつ、帰ってきた三石をベンチ全員で迎え入れた。ヘルメットや背中をバシバシに叩く。


 そんな歓迎ムードの中、東條監督が動いた。少しだけベンチから出て次の打者を送り出す。代打を送る時は監督が動いて次の打者が違うことを言わなければならない。代打として出た選手は自分が代打であることを主審に告げる。


 主審は選手の背番号を確認してどの選手かを確認する。背番号十五、西条が小林の代わりとして選出された。小林が降りることはこの回が終わってすぐダウンのキャッチボールをしていたので、ネクストバッターサークルに入らなかったことから予測できていたこと。


 代打で出た西条は帝王の選手らしく一発がある強打者だ。一軍に合流したのはこの最後の夏からだが、それまで去年の夏から二軍のキャプテンを任されてきたくらいの実力はある。


 それは不名誉ではあるだろう。一軍に選ばれず、控えにも入れないまま二軍を任される。実力はあるのに選手として以外の力量も求められる。二軍と戦う相手校も多かったために西条が帝王の顔として中堅校からは思われていた時期もある。


 そんな中でも腐らず自分の力も伸ばし続けた。その結果が一軍への昇格。ベンチ入りという帝王野球部としての名誉を手に入れた。


 二軍のキャプテンは実力で選ばれることもあれば、純粋に人柄で選ばれることもある。二軍のキャプテンという役目を押し付けられても腐らない人格面こそが尊重される。


 しかし、西条の場合はどちらかというと実力面を買われていた。帝王の選手らしい打力を持ち、時には一発も打てる、外野手としても申し分ない総合力。そして人格面も良かったために期待を込めて東條監督は西条を選んでいた。


 事実、一軍であることにあぐらをかいていた三年生よりも実力が上だと思ったから東條監督も選んだのだ。元々高かった打力はベンチメンバーの中でもかなり高い部類に入る。三間が二軍に上がらなければ二軍で最高のバッターは西条だった。


 そんな選手に、この場面でしっかりと結果を残して欲しいと。監督の期待に応えるべく西条は打席に入った。


(名塚はストレート主体の投手だ。そんでもって、俺は甲子園で初打席。予選でもあまり出番がなかったから俺のデータは揃ってないだろう。……で、今打たれたばっかのストレートを投げるかって言われたら投げるだろうな。控えの俺如きにストレートを躊躇う理由がない)


 西条のそんな予測はドンピシャ。


 様子見ではあったものの無駄球を投げて球数を稼がれることを嫌ったバッテリーが選択したのはアウトコースへのストレート。それも145km/hを記録したが、ストレートに的を絞っていた西条はボールの流れに逆らわずにそのまま強打。


 打球はライトの涼介の前でワンバンする鋭いライナー性の当たりになった。ホームランに続きノーアウトのランナーが出て押せ押せムードが高まる。


 ここからは上位打線に戻る。帝王のこれまでの二試合で見せつけたマシンガン打線が火を吹こうとしていた。


 一番の早川が打席に入る。帝王からしても名塚のデータは全部集まったと言えるだろう。ここからは三巡目。この辺りで引き離しておきたいところだ。相手のマニュアル通りなら名塚はほぼ確実に六回まで投げる。だからあと三イニングで一番データのある名塚を打ち尽くしたかった。


 そうは思っていても全部上手くいくわけではない。早川も何球か粘った後に、カットボールを引っ掛けてしまいショートゴロ。ランナーの西条が二塁でフォースアウトになったものの、早川が俊足を飛ばしたために一塁はセーフ。ゲッツーは防ぐことができた。


 この状況にキャッチャーの大石はマスクを外しながら苦い顔をする。


(名塚の球数が多すぎる。もう八十球を超えてるぞ。どいつもこいつも粘りやがって……。ウチのマニュアルを知ってるからこそ、先発投手が六回まで投げることを知っている。六回っていうのは実力を発揮させて球数制限もしつつ、先発を任されたんだからここまでは投げるのがその日のエースとしての役割だって内外に知らしめる意味もある。だから六回まで名塚は降ろせない。それを帝王は利用してやがる……!)


 六回までなら多くても百球程度で抑えられる。それくらいなら中二日ほど挟めばまた最高のパフォーマンスでマウンドに上げられる。そういう球数制限はもちろんのこと、完投をさせない方針だからこそエースとしてのメンタルを鍛えるために守られてきたマニュアルだ。


 今まではこのマニュアルで問題なかった。本当は完投できるようなスタミナを持つ投手が六回までフルスロットルで投げて、対応できる打線の方が少なかった。だからこそずっと守られてきた決まり。


 このマニュアルを逆手に取ってできるだけ消耗させようなんて考えて実行できる高校野球チームが少ないのだ。打線全員の打力が相当高くないとできることではない。


 どうしたものかと思っていると、習志野学園のベンチから清田監督が出ていた。そしてブルペンの方を指してそこにいた選手へマウンドへ行くように指の方向を移動させた。


 大石が迷っている間に監督が動いた。絶対不変のマニュアルが、崩れてしまった。


 ブルペンから一年生サウスポーの柳田芳人やなぎだよしとが走って向かってくる。タイムを取ったので内野陣はそのままマウンドに集合しようとしたが、ベンチから更に二人選手が走って向かってきた。


 その選手たちはグラブやキャッチャー用の防具を持っている。


 投手が変わる、マニュアル外のことをするというだけで球場は驚きだったのに、それ以上の変化が起こるようだった。


 キャッチャーの頭用の防具だけ持った控え選手が主審にシートの変更を伝える。その間にもう一人の選手がキャッチャーミットと外野手用のグラブを持ってきていた。


「えっと、八柱。ライトだ」


「ライト?一年以上ブランクがあるぞ……」


「それで大石。お前ファースト。監督が『リードが単調すぎる。相手が帝王だってことをもう一回考えてファーストで頭冷やせ』って」


「……そうだな。この四失点は俺のミスだ」


「ってことは──」


「ああ。涼介がキャッチャーだ。だから大石は防具を外してくれ」


 内野陣が涼介の方を見る。涼介は自分ですか?と顔に指差したが、全員に頷かれたのでマウンドに向かった。その頃にはマウンドに柳田が到着した。


「柳田。緊急登板で悪い。肩はできてるか?」


「はい。今日は早めの準備が言われてましたから。名塚さん、お疲れ様です」


「任せたぞ」


 ボールを渡して一足先に名塚がマウンドを降りる。その背中に大石は何も言えなかった。


 名塚の調子は悪くなかった。速度もキレも回転もベストコンディションだと言えるだろう。だというのにたった四回で四失点。今までの名塚の防御率を知っていればありえない結果だろう。


 その責任の一端は確実にキャッチャーの大石にあった。


 打力を落とさないために八柱へ久しぶりの守備を、そして大石には初めての守備をやらせることにした清田監督。シートをズラすのは全員クリーンナップだ。二遊間は崩したくないし、大石は外野の経験もない。内野陣で唯一外野経験があるのは八柱だけ。


 そして大石が他にできそうなポジションはファーストくらいだ。ファーストが簡単とは言わないが、キャッチャーなんて専門職をずっとやってきた選手を他に回すとなったらファーストが無難だというだけ。捕球能力は疑いようがないのでファーストが良いと判断された。


 他のポジションをぶっつけ本番は怖すぎる。


 大石が防具を外しながら待っていると涼介が外野から到着した。


「涼介。キャッチャー任せた」


「……任されました。八柱先輩がライトで大石先輩がファーストですか?」


「そうなる。なるべくこっちに打たせないでくれ。外野なんて久しぶりすぎる」


「保証はできません」


 それだけ言って八柱はライトへ向かった。涼介は防具をつけつつ内野陣と話して、その後に柳田と二人っきりでマウンドで話していた。


「さっきはああ言ったけど、ファーストにもライトにも打たせるからな。芳人はただ力一杯投げてくれれば良い。二イニングくらい全力で投げられるだろ?」


「ああ。やっと立った甲子園のマウンドだ。それに相手は帝王。市原に見せつけるなら最高の状況だろ」


「ここにいないヒロのことが言えるくらい余裕があるなら大丈夫そうだな。……大丈夫。お前は俺が見てきた中で最高の荒々しいサウスポーだ。コントロールはちょっと甘くなっても力で抑えられる。まあ、変化球はできるだけコントロール重視にしてほしいが」


「ふうん?阿久津よりも小池よりも上って認めてくれるんだ?」


「阿久津は変態だし、小池は小綺麗すぎる。あんな力強いストレートを投げるサウスポー、お前くらいだよ」


 涼介はそう手放しに褒める。U-15で受けた世代を代表するサウスポーと比べてもストレートの威力は一番だと認めてくれたのだ。


サウスポー・・・・・で、なんだな。右も含めると市原と宮下以下か?」


「お前がずっと下だって思い込んでるからな。俺の言葉で変わるほどその二人は小さい壁か?」


「普通キャッチャーなら嘘でも甘い言葉を言って調子付かせるところだぞ?」


「調子に乗らせて地に足付かないピッチングされたらこっちが疲れる。ヒロとはもう比べられないけど、今のお前だと宮下のストレートには速度も威力も勝ててないよ。そもそもの話、ストレートが三種類・・・・・・・・・もあるあいつがおかしい。チェンジアップの緩急もエグいし、お前はまだその領域に立ってないよ。今は」


「これ以降ならわからないって?」


「まだ高校一年。育ち盛りだぞ?宮下ももっと化け物になるかもしれないけど、お前はそれを超えるかもしれない。今立ってる場所で満足するなよ。お前を今回を除いて六回胴上げするつもりなんだからな」


 素直な言葉に六回という数字。


 それを柳田は左手で数え始める。


「春夏二回連覇に……神宮までか?もう秋のレギュラー獲った気かよ?」


「違う。お前がエースだ・・・・・・・って言ってるんだ」


 正直涼介が秋から正捕手に就くことは既定路線だ。そうじゃなかったら今もキャッチャーとして守備に就くことはない。


 むしろそれよりも驚いたことは、秋からのエースは二年生を押しのけて自分だと言われたことだろう。


 そこまで評価されているとは思わず、柳田は照れ隠しの言葉しか言えなかった。


「……それなら国体も含めろよ」


「国体とU-18、微妙に期間被ってるぞ」


「……そこまで未来のこと考えてるならもう何も言えるか。ほら、投球練習やるぞ。リードは任せたからな」


「ああ。データは全部頭に入ってる」


 グラブでしっしと追い返す。


 もっと試合前に話しておくべきだったかと柳田は後悔しつつ、予想外の嬉しい言葉をたくさんもらって笑顔でマウンドに立っていた。

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