4−1−8 甲子園・急 習志野学園戦
涼介は緊張することなく打席に入る。この方野球の試合で緊張なんてしたことはなく、国際大会も今日のような高校野球で初めての四番でも緊張なんてしなかった。
涼介が考えることは試合内容と、後は昨夜姉からもらったメールの内容くらいだろう。
「昨日ヒロ君、練習試合でスタメンだったって。猛打賞の大活躍だったみたいだよ」
ヒロ君とは涼介が中学時代にバッテリーを組んでいた市原のことだ。野球部の同期と姉の羽村由紀は市原のことを名前から取ったあだ名でヒロと呼ぶ。
市原は卑怯な選手潰しで右肩を故障して投手としては絶望的になっていた。だがこの一年間の必死なリハビリによって何とかマウンドまで投げられるようになっていた。それだけで大進歩だというのに、何と市原はこの八月から菊原という千葉の高校で野球部に入ったのだ。
それには大層涼介は驚いた。市原が高校野球をするとは思わなかったのだ。市原は高校野球をするつもりがなく、野球をやっている弟の育成に力を注ぐような人間だった。投手だったからこそ投げられない市原が野球を続けるわけもなく、涼介もそれを納得していた。
だが、それに待ったをかけたのが姉の由紀だった。姉は中学時代に野球小町と呼ばれるほどに有名な野球選手だった。その由紀が市原を煽って野球勝負なんてこともした。それがどういう心境の変化を与えたのかわからないが、涼介も関わったその野球勝負で市原は高校野球に復帰する決心をしたのだ。
涼介としては複雑だ。野球をやるのなら一緒のチームが良かった。だが肩が使い物にならない市原が超名門である習志野学園で野球部に入れるわけがなく、たとえ入ったとしてもずっと三軍だったかもしれない。そう考えると同じチームではなくて良かったとも思えた。
同じチームにいるのなら期待してしまうから。またマウンドに立つ姿を思い描いてしまうから。由紀の言葉的にボールを投げられるようになったとはいえ、中学時代のボールにも追いつけない惨状だと涼介が親友にがっかりしてしまうから。
それでも千葉の高校なために対戦することもあるというのが嫌なところだ。他にも中学時代のチームメイトはいる。他の高校の野球部に入った人間もいる。だが市原とだけは戦いたくなかった。
野球の楽しさを教えてくれたのは市原だ。その市原とだけは戦いたくない。それはバッテリーを組んでいたこともそうだが、元々は習志野学園で市原とバッテリーを組みたくて千葉で一番強い学校に進学しようとしていたのだ。しかもきっかけは市原と姉。
市原と戦う覚悟なんてできていなかったというのが今月初めの涼介の心情
そんなメンタルを崩すような行いをした、自分の学校の応援団の中でフルートを吹いている元凶の姉を少しだけ睨みながら涼介は打席に立つ。ここからは姉と親友のことを考えずに試合に集中する。
ランナー二・三塁で二アウト。わざわざ送りバントをしてまで整えてくれたチャンス。
さっきの打席は初めて見るムービングファストボールによって凡退してしまったが、打線とベンチが集めてくれた情報によって涼介の頭の中には
だが涼介に放たれた初球は真ん中高めの、かなり高い暴投かと思われるようなボールだった。投げた小林はすっぽ抜けたことを謝るように左の掌を見せてくるが、この態度だけで涼介は相手の作戦を看破してしまった。
得点圏にランナーがいる状態で、涼介はまともに勝負されない。
二球目もスローカーブがワンバンでミットに収まる。後逸しない中原も、三塁にランナーがいる状態でワンバンというかなりリスキーなボールを投げる小林の度胸は褒められるものだが、涼介としては面白くない。
中三の時はこういうこともよくあった。千葉ではかなり有名で、チャンス以外でないとほぼ敬遠みたいな状況だった。最近の成績を知られて敬遠も徐々に増えてきている。
こういうことはこれから増えていくんだろうなと憂鬱になる。
(敬遠すれば良いと思われても、ウチの打線相手にそれって悪手なことが多いってわからない人が多いよな。俺だけが打てるわけじゃないんだし。はぁ、次はインコースからこっちに迫ってボールになるシュートかな)
涼介は心の中で溜息をつき、あくまでストライクを狙いつつ四球にしてくるのだろうと思って次のボールを予測する。
そしてボールは本当にその通りにやってきた。インコースのストライクゾーンから逃げていくシュート。コントロールに自信のある投手だからこその大胆なリード。
涼介は右足を一塁線側に思いっきり開き、オープンスタンスにしてバットを振り抜いた。ちょっとしたボール球を打つことは苦でもない。
打球はライト寄りの右中間へ綺麗に上がっていった。角度的にも良い感じに上がったために期待感からスタンドから歓声と悲鳴が聞こえてくるが、打った涼介自身が入らないと理解して走っていく。狙えるのなら三塁打を狙うつもりだった。
打球は伸びていく。ライトの新堂が追いかけ、そして打球へ向けて後方へジャンプ。身体をフェンスにぶつけながらの捕球は届かず、フェンスにボールが当たってバウンドしてボールが転がった。ホームランではなかったが長打が確定でワッと習志野学園側が湧く。
ランナーは二アウトだったために打球が飛んだ時点でスタートを切っていった。そのため二人ともホームへ帰ってきて同点となる。これで3-3。涼介は快足を飛ばして三塁へ足から滑り込んでいた。センターの早川がクッションボールを処理していたが甲子園で一番深い場所に飛んだのだ。涼介の走塁技術と足の速さをもってすれば三塁打も余裕で間に合った。
同点になったために球場は盛り上がっていたが、徐々に困惑の声も上がり始める。どうしたのかと涼介はグラウンドを見渡すと、さっきフェンスにぶつかったライトの新堂が立ち上がらずに早川が起こそうとして二塁塁審がそれを止めていた。
タイムが主審からかけられて球場が騒然となる。すぐに担架が指示されて、東條監督も交代の可能性を考えて外野手の霧島にキャッチボールをするように言う。監督はベンチから出られないので担架で戻ってくる新堂に様子を聞くしかない。
『選手治療のためにしばらくお待ちください』
そんなアナウンスも流れ、新堂がダグアウト裏へ戻ってくる。球場に在中する医者の診察を待っている間に守備に就いている選手たちはマウンドに集まって話し合っていた。ベンチから西条が出てスポドリの入ったコップを二つ持ってマウンドに向かう。
西条も少し聞いただけの話を選手たちに伝えてコップを小林と中原に渡した。どうやら新堂はフェンスにぶつかった衝撃で肩を痛めたらしく、このままだと交代になりそうだと伝える。
このタイムは意図して帝王側が取ったものでもなかったので西条は飲み終わったコップを受け取るとすぐにベンチに戻っていく。ここで長居はできないルールだ。少し話したもののそれはあくまで水分補給のために駆けつけただけ。
内野陣は同点になりまだ三塁にランナーがいることを確認してこれ以上の失点は防ごうと決める。次の大石もスカウトが注目している強打者だ。どうにか凡退させてここで乗り切ろうと話し合う。
結局新堂はこのまま下がることになり、七番ライトに霧島が入ることになった。選手交代が告げられて霧島がライトへ向かう。霧島は長打こそ少ないものの堅実にヒットを打てる、帝王で言うところの間宮に似た選手だ。守備もピカイチなために心配はしていなかった。ライトではなくセンターの控えであることが多いがライトだってちゃんと守れる。
東條監督としてはここで智紀を使おうとも思っていたが、小林が捕まり始めていたので貴重な投手枠に無駄な体力を使わせたくなかったために野手起用は取りやめた。守備面では霧島も智紀と大差なく、打力だって安定感では霧島の方が上。智紀は練習試合などの結果からムラっ気があり、当たらない日は本当に当たらないために霧島を選んだ。
そんな不運が帝王学園を襲った後、試合は再開。
小林はカーブをインローに沈むように投げた。その初球を、腕を折りたたむことで綺麗にセンター返し。
センター前ヒットになり三塁ランナーの涼介が帰還。この回三点目で逆転に成功していた。
東條監督はここで小林を交代しようとも考えたが、次の攻撃が八番から。小林にも打席が回るのでそこで代打で対応しようと思い、この回は投げ切るようにと小林を信じて続投。
その期待に応えるように小林は六番の滑川をスローカーブでショートゴロに切って取った。逆転はされたものの習志野学園が相手だと考えると十分抑えている方だ。涼介に打たれた一打は打った涼介を褒めるしかない。あんなボール球をフェンス直撃まで飛ばす方がおかしいのだ。
「小林、ナイスピッチング。次から真淵でいく。お前たちは自慢の打撃であのエースを降ろしてこい!まだたったの一点差だ。お前たちなら簡単に逆転できる点差だな?」
「「「はい!」」」
「よし。いつもなら六回まで名塚は投げるだろう。だがそれよりも前に相手のエースを引きずり落とせ!相手のマニュアル野球をお前たちの打撃で破壊しろ!」
「「「おお!」」」
そんな檄を飛ばして真淵に次から行くと伝える。そして大久保に準備を始めさせる。
ここから中盤戦。采配が重要になってくる、監督の腕の見せ所だ。
序盤は一進一退。どちらも一歩も引かないほぼ互角の試合展開。今までの両校の試合のように一方的な試合展開にはなっていない。両校にとってこの甲子園で初めての拮抗勝負とも言えた。
そんな序盤が終わって、習志野学園のブルペンにも動きがあった。
普通であれば習志野学園の中継ぎは茂木が務めている。前の二試合ともそうだった。だというのに今ブルペンに入ったのは一年生でサウスポーの柳田。
今大会ではまだ登板していない涼介と同じく注目されているゴールデンルーキーがキャッチボールをしていた。
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