4−1−6 甲子園・急 習志野学園戦

 一点を返されて一アウトランナー一塁という状況。八番セカンドの稲毛が右打席に入る。次の打者が投手の名塚であり、名塚の打力は微妙の一言に尽きる。打てる時はそこそこ打てるが、打てない時は全然だ。そのため名塚には基本打力では期待できない。


 となるとその前を打つ八番の稲毛の役割はチャンスを広げること。名塚にはバントや進塁打で大丈夫なように舞台を整えることだ。それができるだけの打者ではある。


 稲毛は他のスタメンから様々な情報をもらって打席に立っていた。打者が一巡する頃には相手投手を丸裸にしている。それくらい分析力も高いチームだ。その分析をするための選手が二名、必ずベンチに入っている。


 習志野学園のベンチ入りはかなり特殊だ。実力で選ばれるのは予選では十八人、甲子園では十六人だ。そして投手と野手の分析要員が一人ずつベンチに入る。コーチも一人入っているがたった一人で分析はできず選手に少し仕事を割り振っている形だ。


 この分析要因は最後の夏をベンチで過ごそうと選手と同様にかなり努力を積んでいく。選手としては諦めたような部員が最後の一縷の希望に縋って目指す最後の二枠。彼らもその仕事に真剣に取り組むのは習志野学園の勝利のため。そして三年間の証明が欲しいため。


 そんな分析要員の観察眼はかなり鋭い。ここにコーチとマネージャーを含めた四人体制で相手チームをリアルタイムで分析するために、試合中の修正がかなりできて勝利に結び付いている。


 彼らの助言のおかげで勝てた試合もある。だから習志野学園の選手たちは試合に一切出ずにベンチにいる戦力外の分析要員を許容するどころか、積極的に受け入れているのだ。それが攻略の道標になると信じて、彼らは全力でプレイをする。


 実際選手たちもそんな分析にあまり頭を使わずプレイに集中できるので選手の疲労や頭の使い方などを考慮すればかなり効率的な選手の運用方法だった。野球のベンチは投手はまだしも野手については余ることが多い。


 野手としての能力が高いからスタメンを任されるわけで、その選手の代わりになれるのは基本一人か二人。代打や代走もあっても、一試合で全員の野手を使うことは滅多にない。だからこそ習志野学園の清田監督は分析要員という枠を作ることにした。


 選手たちは情報提供をして、分析班がそこからデータを纏める。そして攻略方法を見付ける。これをベンチ一丸となってやっているために習志野学園は強いのだ。


 稲毛は纏まってきたデータを基に狙い球を絞る。小林はコントロールが良く、スローカーブによる緩急と微妙な変化をするシュートやムービングボールで打ち取るタイプだとわかっていた。だから変化しても大丈夫なようにミートポイントを広く持ち、引っ張る。


 叩きつければ帝王の守備とはいえ抜けると読み、ダウンスイングを心掛けた。


 それが、稲毛にとっては悪いように作用してしまった。


「あっ⁉︎」


 三球目。ボールの山からスローカーブだとわかって引っ張ろうとした。


 だがそのボールはスローカーブにしては速く、変化も大きくなかった。空振りだったら良かったものの、カーブの軌道に合わせたバットに不幸にも当たってしまいショートの葉山への弱々しいゴロになってしまった。


 ランナーもバッターも俊足とはいえ、内野手への真正面のゴロでは間に合うはずがない。6-4-3の綺麗なゲッツーが決まって小林は最少失点で二回を切り抜けた。


 これがスローカーブを作っている最中にできた失敗作。ただのカーブだ。


 小林は中学の頃から自分のストレートは質が良くても速度は本格派にはなれないとわかっていた。身長もそこまで伸びず、ストレートと普通の変化球では自分は埋もれると本能で察してしまい、緩急で頑張ろうと思いスローカーブを開発した。


 本当はチェンジアップが良かったのだが、肘から何かがすっぽ抜けそうな感覚がどうにもダメでチェンジアップは習得できなかった。そこからカーブを改良してブレーキが利くようにしてスローカーブを完成させた。


 そのスローカーブが完成する前はカーブを投げていた。今投げたのはそれだ。


 当時の投げ方そのままで、ぶっちゃけあまり曲がらない。だが今の持ち球からすればシュートよりも遅くスローカーブよりは速いので速度帯からしても助かる球種だった。


 失点はしたものの同点にもならずに帰ってきた小林をベンチは暖かく迎える。習志野学園相手に無失点は想定していない。このまま最小失点で切り抜ければ帝王がもっと点を重ねて逃げ切れると考えていた。


 三回の表。帝王の攻撃は三番の葉山から。クリーンナップから始まる攻撃だ。


 名塚は名実共に今大会最強右腕だ。その名塚がスタミナを気にせずに全力で投げてくる。それだけで対戦相手からすれば計り知れない悪夢だ。


 だが、いくら全力で投げてこようと全ての打者を抑えられると決まっているわけではない。


 葉山はどうにかレフトフライに切って取ったが、続く四番の倉敷にはカットボールを上手く合わせられてセンター前ヒット。帝王で一番の打者が倉敷だということは間違いなく、こうして名塚相手に二打席連続ヒットを放っていた。


 スラッガーと呼ばれる人種にはとにかく長打を狙って打率は低いもののここぞという場面で一発を放り込んでくれる者と、打率も安定していて安心して見ていられる者の二パターンいる。倉敷は後者で打率もかなり良い打者だ。


 無理に一発を狙わず、単打でも良いからチャンスを広げる。これは帝王打線がとてつもなく繋がる打線ということも大きい。自分が出塁するだけでも後の打者が返してくれると信じている。だからこそ大きいのを狙えなさそうだったら小さいヒットも打つ。


 その意識が倉敷を巧打者としてもスラッガーとしても一皮剝けさせていた。


 ランナー一塁になって打席には三間。クリーンナップで唯一の左打ちだ。三年生は右打ちが多かったのでそういう意味でも左打ちの三間には期待がかかっている。


 左打者が苦手な投手は一定数いるのだ。そして甘くなったボールを確実に仕留められるのが三間というスラッガー。一年生ながらクリーンナップを任されるだけの打力は備わっている。


 第一打席はキャッチャーフライに倒れてしまったが、今日のスタメンで唯一春大会に打席で名塚のボールを見ていなかったのだ。経験値的に打てなくても仕方がなかったと言える。


 三間に対して、習志野学園バッテリーはストレートに反応できていないと思ったのか決め球をストレートにするつもりで配球を組む。


 初球は高速シュートをアウトコースから更に曲げて逃げて行くように投げる。これを三間はストレートだと思ったのか振りにいき、サード側のファウルスタンドへの大飛球になった。変化したことでミートポイントがズレて前に飛ばなかった。


 二球目はインハイの高めに突き刺さるストレートで、三間は仰け反りながら躱した。結構身体に近く、投げた名塚は帽子を取って謝る。三間も首を横に振って大丈夫だと意思表示をした後バッターボックスから離れて一度伸びをしつつ深く呼吸をして打席に戻った。


(おっし。変化球とストレートの速度差はだいぶわかった。まだカットは見れてないんやけど、さっきの高速シュートの逆版って考えればええんや。軌道だけは心配やけど、オレなら合わせられる)


 三間は自分の動体視力とボールにアジャストさせる能力には自信があった。全部が全部合わせられるわけでもないが、スライダー系統の速いボールは智紀のボールで見慣れた。だから自分は打てると思い込みバットを前に出した。


 打つぞ、という意思表示だ。


 三球目。インローに沈むパームを三間はあえて空振りした。低めのボールだったので当たってもそこまで飛ばないと一瞬で判断したためだ。


 これをバッテリーは緩急で体勢を崩したと思い込んだ。だから最初の予定通りストレートで仕留めようとする。


 この四球目に嫌な予感がしたのはライトを守っている涼介だ。ライトからではサインなんて見えるわけがないが、とてつもなく嫌な予感がした。


 バッテリーは対角線を意識して、直前のボールとは真逆のコースを要求。


 その前にランナーの倉敷と三間、そして東條監督でサインが交わされる。三間が勝負球だということを嗅ぎ取り、だからこそ強硬策を訴え出たのだ。


 名塚の左足が上がった瞬間に倉敷が走り出す。足が速くない倉敷が走ったことにファーストの八柱がギョッとして、だが仕事は忘れずに叫ぶ。


「スチール!」


 倉敷が走ったということに習志野学園側は全員が驚いた。いや、帝王学園のスタンドでも倉敷の走力を知っているからこそ驚いている人間もいた。


 まだ三回、序盤だ。そんな浅い回でこんな奇襲に打って出るとは思わなかったのだ。


 名塚のストレートはスチールという言葉を聞いて本能的に元々のコースよりボールを浮かせてしまった。アウトコースだがそれなりの高さに抜けるストレート。それを見逃す三間ではない。


 大きな身体とそれに比例した長い腕でバットが伸びる。右足も三塁側に踏み込んでおり、そのバットはボールの軌道に逆らわずに反対方向へ綺麗な放物線を描いた。


 三間は打った瞬間にフォールスローをして走り出す。感覚的に歩くような打球ではなかった。なら一つでも多く次の塁を目指すだけ。ランナーの倉敷は打球を見て更に加速する。


 打球は綺麗に左中間に浮かび、フェンスの直前で落下。ワンバウンドでフェンスにぶつかり、完全な長打コースになった。レフトの常盤が処理している間に倉敷は更に次の塁へ向かった。ショートの柏木に返球している間に倉敷は三塁も蹴っていた。


 倉敷の足は速くない。だが、鈍足でもない。それにベースランニングの技術は上手い方だった。最短距離で走るのが得意でベースランニングの速度だけならかなり優秀だ。しかも今回はエンドランで打つ前にスタートを切っていた。


 柏木が外野に踏み込んだ深い位置からレーザービームでバックホーム返球。柏木の肩は大石や涼介のようにキャッチャーをやっている人間に負けず劣らず強かった。


 ワンバンで届くその矢のような返球よりも、倉敷が足で滑り込む方が早かった。大石がタッチをする前に主審が腕を横に広げていた。


 打点を上げた三間は二塁ベース上でガッツポーズをする。貴重な追加点を上げたことでベンチでも智紀が三間に対して拳を突き上げていた。


「ナイバッチ三間!よく打った!」


「倉敷先輩、爆走お疲れ様っす!」


「また二点差だぜ!もっともっと点奪おうぜ!」


「きゃー!」


 得点を重ねたことで応援席では大きなバケツの水をかけられる儀式が行われていた。熱中症対策でもあり、喜びを示すパフォーマンスでもある。


 強硬策が嵌り、しっかりと打点を積み重ねていくイケイケなムードに応援団が当てられたとも言える。


 そしてスタンドにいたスカウトたちからしたら中々に想定していなかった光景だ。帝王の打線は今大会でも飛び抜けているとわかっていたが、名塚がまだ三回で三失点もするとは思えなかった。


 正直に言って甲子園での成績はドラフトの順位にも関わってくる。良い結果を残せば高校生でもドラフト一位になるだろうが、三回戦で敗退してしまったら名塚の順位は少し下がるかもしれない。大学生や社会人で目をかけている選手の人気が上がってしまうためにそちらの順位を上げなければ他球団に奪われてしまうのだ。


 だからスカウトは甲子園にわざわざ来て観戦する。調子はどうだったのか、相手はどうだったのか。そういう諸々を見て正確に上層部に報告を上げなければならない。


 この試合の結果もだが、ドラフトにも関わってくる大事な一戦になるとスカウトたちは生唾を飲み込んだ。

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