4−1−5 甲子園・急 習志野学園戦

 二回の表。勢いに乗っている帝王の攻撃は下位打線である八番三石から。三石は右打席に入り、ここから上位打線に繋げようと意気込む。


 だが、そこを名塚が許さない。


 150km/hに迫るストレートを連発され、三石は三振に倒れた。下位打線とはいえ気を抜けないと名塚が判断して全力で投げていた。


「やっぱりエースとして結果を残さないとな」


「六回までしか投げないんだから飛ばしていけよ」


 名塚と大石が二回の始まり前に話していた内容だ。


 今日も名塚は六回まで。習志野学園の先発投手は最大でも六回までしか投げない。その前に崩れたら他の投手に代わるが、そういう状況にならない限り先発投手は六回までということが習志野学園ではマニュアル化されている。


 このマニュアルが勝利の方程式として有名になっている。例外の日もあるが、今日はそのマニュアル通り名塚が六回まで行くことになっていて、まだ次の投手の準備は始めていない。


 名塚はやろうと思えば九回まで投げられるスタミナがある。練習試合などでは完投することもある。そんな投手が六回まで、つまりほぼ半分ぐらいのイニングを投げ切るだけなのでそれまでに全力を出し続けることができる。


 完投をハナから考えていないからこそ、全ての投手が全力で投げ切れる。投手たちが明確な役割を自覚しているからこそ、自分の120%の力を出せる。


 名塚はそんな全力を出して、打撃がそこそこな小林もサードフライに倒れた。


 そのままの勢いで早川にも力で抑えようとしたが、早川には粘られてしまい四球。三者凡退とはいかず最高の形で二回を終えることができなかった。


 だが、二番の間宮をセカンドゴロに切って取って二回を終わらせた。


 二回の裏は五番の大石から。大石もこのところ六番を打つことが多かったが元々クリーンナップを任されていた打者だ。打力は当然ある。


 打力があるからといって、必ず打てるとは限らない。


 小林のストレートが上手く決まり、レフトフライで仕留めた。良い角度で飛んだものの高く上がりすぎて飛距離が足りなかった。


 観客としても東條監督からしてもここまで小林が抑えるとは思わず、嬉しい誤算と言ってもいい進行で試合が進んでいく。


 小林のストレートの質とコントロールが非常に良いために習志野学園の攻略が遅れていた。優秀なサウスポーは全国を見渡してもあまりおらず、そこまでサウスポーとの対戦経験がないということもある。


 サウスポーがそもそも希少なのに、その上で優秀な投手が少ないためにエースとしてサウスポーと戦うという経験が少ない。これは全国でも変わらない事実だ。帝王だってサウスポーとの経験は多くない。


 あとは小林のデータが少ないということもあるだろう。


 二番手エースということで先発での登板は真淵より少ない。そして練習試合では基本的にカメラを回すことが禁止されているので、練習試合での登板をそこまで解析はできない。他の強豪校から他校のデータをもらうこともできないので、習志野学園が持っている小林のデータは関東大会のデータだけだ。


 小林が公式戦で投げ始めたのは二年時の秋大会からだ。そしてその秋大会も甲子園に出ていないのでデータがほぼない。都大会まで情報を集めておらず、今年の春大会の都大会もあまり情報収集をしていなかった。


 今年の夏大会は調べられるだけ調べたが、その程度。甲子園に出場するチームのこと全てを調べているわけではないので小林のデータが足りなかった。


 夏大会だって智紀と大久保が登板することがあったために結果として小林の登板数は減っている。それが結果として小林の情報隠蔽になった。


 データが全てというわけではないが、あれば攻略はしやすくなる。今習志野学園は小林のデータを集めているところだった。


 そして習志野学園の脅威は、打順が一周しなくても相手のデータを暴くこと。既にムービングファストボールも共有され、ストレートの様子も細かくベンチに伝達されている。


 その結果が出るのはすぐ。


 六番の滑川は元々一番だということもあって出塁率が高い。情報も集まってきたところでスローカーブを撃ち抜いて右中間を超えて二塁打に。ようやく得点圏にランナーが出たことで反撃の兆しを見せる。


 七番の高根が左打席に入る。一アウト二塁なのでこの場面で送りバントをするチームも多いだろう。だが習志野学園はそんなことをしない。習志野学園はスクイズはするものの送りバントはほとんどしない。


 そしてこんなに浅い回だからこそ、習志野学園は奇襲を仕掛けてきた。


「スチール!」


「なっ⁉︎」


 滑川が盗塁を仕掛けてきた。エンドランを警戒して小林は即座にボールをアウトコースに外す。エンドランではなかったようで高根は振るつもりはなかったらしい。


 普通三盗は右打者の時に仕掛けるものだ。投げる方向に打者がいるのでキャッチャーが投げづらいのだが、逆に左打者の時は三塁方向がよく見えるので投げやすい。送球も邪魔されるものがなく投げやすいのだ。


 中原はすぐに三塁へ送球するが、滑川の足の方が早かった。送球がズレたわけでもないのに、純粋に滑川のスタートが完璧だった。左投手が二塁へ牽制しづらいということもあるが、バッテリーも二遊間も警戒を怠っていなかった。


 だというのに初球から、完璧なスタートを切られたことでバッテリーはクセでも見破られたのかもしれないと寒気を覚えた。


 だが滑川からすれば、三盗は投手を見ていればわかると感じていた。経験則と投手の表情、それから背中の感じを見ていれば余裕だと本人は思っている。


 その領域に達しているのは盗塁のスペシャリストと呼ばれる極一部の人間だけだ。牽制をしてこないということと投球モーションに入る瞬間のことを百発百中で当てられる方がおかしいと滑川は理解していない。


(ホント、誰も彼も三盗をしたら驚くけどさ。ぶっちゃけピッチャーの背中を見てたら牽制してくるかどうかなんてわかるのに。スタートなんて暴走気味でもできるんだから、三塁に到達するのも早いだろ。特に左投手なんて三盗はしやすいくらいだ)


 滑川はそう思いながら、三塁からどうやってホームに帰ろうかと考える。


 ここからは下位打線だ。習志野学園の下位打線を下位打線と言っていいのかという問題もあるが、習志野学園のスタメンの中では打率や得点圏打率は下がる。

 かといってこんな浅い回でスクイズをするようなチームではない。


 ベンチの方を見て作戦を確認するが、やはりスクイズはなし。


 消極的と捉えるか、打者を信頼していると捉えるか。


 高根も下位打線を打っているが、習志野学園でレギュラーなだけあって通算打率は三割を超えている。左対左は打者不利とされているが、高根は左打者との対戦打率も悪くない。


 そんな高根は四球目のシュートを叩いてセンター前に打球を飛ばしていた。


 まずは一点を返す。これが反撃の狼煙になるのか。


 まだ続く習志野学園の攻撃に習志野学園は期待を、帝王学園は不安を抱く。


 やはり一波乱ありそうな試合展開になってきた。


 まだ同点ではないが同点のランナーが出たことで中原がタイムを取ってマウンドへ向かった。


「悪い、コバ。安直にストライクを取りに行きすぎた」


「いや、下位打線だから間違ってないだろ。かといってボール球を続ければ自滅する。ホント、厄介な相手だぜ」


「唯一安パイって言えるのが九番投手しかいないからな。それ以外はウチの連中と変わらない打線だ」


「気は抜けないな。よし、アレ解禁するか」


「……コバ。あんまり変化しないし好きじゃないって言ってただろ。それでも投げるのか?」


「スローカーブを使ったら結局走られるのは変わらない。だったら少しでも速度増した方がオレの女房は刺してくれるだろ?」


「別にシュートほど速くはないんだから誤差だと思うがな」


 小林が封印していた変化球。それをこの大舞台で使うと言い出した。どうせ最後の大会なのだから、失敗作・・・を使ったところで恥ではない。むしろ相手の思考を惑わせられるのなら使うべきだと考えていた。


 この意見は夏の大会が始まる前から東條監督と宇都美投手コーチには伝えていた。真淵と同様に今までの変化球上達の副産物をいざとなったら使うと。


 その出来損ないを小林は使うと言っているのだ。


「サインの確認はしねーぞ。んで、一つか?」


「いや?二の方も使う」


「はぁ⁉︎あっちこそただの棒球になるからやだって言ってたじゃねえか!変化するんだろうな?」


「五分五分」


「ンなのこっちが怖くてサイン出せねーよ!」


「いや逆にさ。ストレートでもムービングでもない半速球って使えるんじゃねと思うわけよ。変化すれば尚良し」


「丁半博打はリードでしない主義なんだが……。二の方は本当にいざって時しかサイン出さないからな」


「それで良いぜ」


 コードネーム二の方はほとんど封印するとして。


 もう一つの失敗作の方は積極的に使っていくことを決めて中原は戻っていった。


 この選択が吉と出るか凶と出るか。中原のリードが試される。

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