3−1 入学した場合
朝日がカーテンの隙間から差し込む。その明るさに目を覚ます。携帯電話で目覚ましアラームをかけておいたが、それより前に目が開くことがある。
なんたって大体誰かしらが隣にいて暖かいからだ。人特有の暖かさを感じて、そんでもって密着してるもんだから女性特有の柔らかさもあって困る。
三人の誰かしらが毎日来るんだから、嫌なことに慣れてしまった。思春期だろうが関係なく来るんだから。あと弟、兄とはいえ皆慎みを持ってくれないかな。鍵のかからない部屋だから諦めてるけど、三姉妹の部屋には鍵がかかる。なんでそんなところで雑なつくりを。
さて、今日は誰だろう。柔らかさで察しがつくのはいかがなものかと思うけど、三人の身体つき結構違うからわかっちゃうというか。
「……喜沙姉、起き──」
……な、なんちゅう服してるんだよ⁉︎寝間着!寝間着なのか⁉︎いや、分類上は寝間着だろうけど、そんな服持ってたのか⁉︎
そんなスケスケのネグリジェなんて!
ピンク色のネグリジェなのに、透けてるから下着見えてるし!なんでこうも無防備なんだよ⁉︎
速攻布団を被せる。目の毒だ。昨日の夜も仕事だったんだろうけど、いつもはもっとマシな寝間着を着てるのに!羞恥心を持ってくれ!周りの胃が持たない!
「喜沙姉、携帯電話ここに置いておくからな。時間になったら起きてくれよ?ここ使ってていいから、ゆっくり起きてきていいから!」
「朝ぁ〜?トモちゃん、おはようのちゅ〜」
「子供の時の話を持ち出すな⁉︎今日は入学式の予行あるんだろ?遅れるなよ!」
「待って、トモちゃん〜」
布団をめくって上半身だけ起こす喜沙姉。肩にかかっていた紐がズレて、下着が丸見えだ。透けて見えるのも問題だったが、直接はもっとまずい!いくら血の繋がりがあるからって、俺は男なんだぞ!
「その服どうにかしてくれ!じゃないとそっち向けないからな⁉︎俺が先に出るから、自分の部屋で着替えてくれ。美沙にはそんな格好見せないでくれよ?俺は入学式だからもう行く!」
捲し立てて、制服を持ってすぐに部屋から出る。今日は一年生だけ朝練のない日だ。入学式に汗臭いまま出席させるわけにはいかないからだろう。クラス発表なども今日あるので、朝練をしていて遅れましたなんてことにならないための配慮だろう。
「入学式……?あ、そっかぁ」
まあ、千紗姉が朝練に出るから送っていくんだけど。ついでに寮に寄って、新入生と一緒に登校すればいいだろう。寮から校舎まで徒歩二分だけど。
朝ごはんを食べて学校に向かう。喜沙姉は降りてこなかった。まだ寝ているか、着替えていたんだろう。隣を歩く千紗姉はいつも眠そうだ。しっかり目を開けてれば近所でも評判の美人さんって言われると思うのに。いや、言われてるけど、今の眠気まなこじゃ美人さが数割減だ。
それでも美人だから、美人って絵になるよなあ。
今日から新学期だから、昨日までみたいに八時に学校へ着けばいいというわけではなく、七時前集合だ。一時間早いけど、それだけでこうも眠そうにするだろうか。選手はその三十分前に集合だから、これからはもっと早くなるっていうのに。俺と一緒に登校するつもりなんだろ?
「なんでそんな眠そうなの?遅くまで起きてたとか?」
「喜沙姉に起こされた。仕事終わって家にドタバタ入ってきて、トモちゃーんって叫んでたのに。よくあんたは起きなかったわね?」
「一度寝ると、朝になるまで起きないからなあ。眠りが深い証拠だろ」
「喜沙姉お風呂に入れて寝させるの大変だったんだから。あんた入学式だから、昨日は誰も忍び込まないようにって気遣ったのに」
「……喜沙姉の寝間着、見た?」
「……見た。その、お疲れ様」
はー、と大きくため息をつく。何を考えてるんだか。
将来喜沙姉と結婚する人は大変だな。あんな恵体であんな格好されたらたまったものじゃない。夫婦だからいいのか?
「さすがに外や仕事だとあんな大胆じゃないから大丈夫でしょ。それやってたら姉として疑っちゃうわ」
「パジャマパーティーとか企画であったら母さんに念を押しとかないと」
「いや、あれを映像で全国に流されたら……。テレビだと、やりかねない?」
「母さんが止めてくれるはず、うん」
なんで一番年上の姉のことをこうも心配しないといけないんだか。唯一働いているのに、学生の俺たちの方がしっかりしてるっていうのもどうなんだ。
あんな痴態が世間様の目に触れないことを祈りつつ、学校に着く。
千紗姉はそのまま練習へ。俺は食堂に行くと、予想通り一年生が結構いた。
「はよーっす」
「おはよ。宮下くん早いね?」
千駄ヶ谷と高宮の席に着く。今日は制服を着て朝ごはんを食べていた。本来なら練習の後にご飯を食べるらしいが、今日は入学式なので一年生だけ先に食べると聞いていた。上履きとか持っていくものたくさんあるから、先輩たちに合わせたら一緒だと慌てる一年生もいるので、朝は余裕を持たせているのだろう。
「千紗姉の送りしてきたからな。家近いし、お前らいるから早く来ても問題ないし」
「過保護じゃね?」
「冬にこの辺りで変質者出たんだよ。そんで千紗姉もあの美人さだろ?何かあったら困るって、俺が送り迎えしてたの」
「美人なことは認めるけど、やっぱりお前シスコンだな……。アイドルのお姉さんと妹はいいのか?」
「喜沙姉はマネージャーさんが送り迎えしてくれるから問題なし。妹も自転車通学だし、家族の中で一番しっかりしてるからな。中学の時はやっぱり一緒に登下校してたけど」
警察も捕まえられず、まだ警戒している。もしかしたら喜沙姉のストーカーだったのかもしれない。早く捕まって欲しいもんだ。
千紗姉の場合、部活で遅くなることがわかってたし、喜沙姉よりはマシだけど無防備なところあるからな。心配もするだろ。
水だけ汲んで飲んでいると、いつものメンバーに三間がいないことに気付いた。食堂をぐるっと見回してもいない。
「三間は?先に食って学校に行ったとか?」
「あー……。知らね。食堂では見てないな」
「今食わないと間に合わないだろ?」
「僕も知らなーい。連帯責任とかないし、寝坊したならそれはそれで彼の責任だから。ご飯食べなくて怒られるのも彼だから、僕たちは学校にいけばいいと思うよ?」
なんか歯切れが悪い。結局三間は食堂に現れず、俺たちは新入生全員で昇降口に向かう。その近くにクラス分けが張り出されていた。八クラスから自分の名前探すとか、面倒だ。
他の新入生も来ていたので、そこそこの人数がこの場所に集まっている。Aから順番に見ていき、ようやく自分の名前を見付けた。
「E組か」
「僕も一緒。よろしくね、宮下くん」
「おう。よろしく。高宮は?」
「Gだな。三間もいる」
一年生のクラスは全部二階に教室があったので、階段を昇って自分の教室を探す。教室の前で別れて、黒板に張り出されている席順を見て荷物を下ろす。ラッキー、一番後ろの席じゃん。
授業寝るとかしないと思うけど、視線が後ろからないっていうのは嬉しい。身長の関係で嫌な思いをさせなくて済むからだ。あと、椅子をいくら後ろにしても怒られない。通行妨害にならない程度に好きに扱えるっていうのが良い。
千駄ヶ谷も荷物を置いて、要らないものはどんどん後ろのロッカーに詰めている。俺も要らないやつはどんどんぶっ込んでおこう。今日は副教材が多くて重かった。なんで教科書の類は事前配布なのかわからない。
「いやー、これで明日から楽だね」
「だな。宿題がない限り教科書も全部置いていきたいくらいだ」
「わかるー。でも赤点取ったら補習で練習出られなくなるから、赤点取らない程度には勉強しないとね」
「……数学だけは、どうにかしないと」
「ホントニネ」
千駄ヶ谷も数学が苦手だったか。簡単な方程式とか計算系なら良いんだよ。図だの表だの、あんなまどろっこしいことやってられっか!歴史とか覚えるだけだから、まだ楽。
それからも千駄ヶ谷と駄弁っていて、時間になったために担任の先生が入ってくる。担任の自己紹介の後、入学式の説明をされて、要するに座っていれば良いということがわかった。校歌は一応歌えるけど、歌わなくて良いらしい。
予行演習なんて何もやってないもんな。それだけ形式的な式ってことだろう。
前の生徒についていく。ただそれだけ。奥から詰めたパイプ椅子に座る。座ったら長ったらしい話を聞くだけ。簡単だ。
吹奏楽部の先輩方による演奏で入場する。父兄が入り口に近い場所に陣取っていて、こちらを見ながら拍手をしている。カメラを回している人もいる。
母さんは仕事となると、誰も来ない。そういう家庭も多いだろう。共働きだと仕事を抜けられないってこともあるだろうから。
別に寂しいとも思わない。母さんが働いてくれているおかげで野球ができるんだから、子どもじゃないんだし騒いだりしない。むしろこれが一般的だろう。
そうして歩いていくと、なんかやたらとこちらに手を降ってくる人がいた。熱心な親御さんもいたものだ。
「トモちゃ〜ん!」
「⁉︎⁉︎」
なぜ父兄席から喜沙姉の声がする。その方向を見てみたら、さっきの手を降っている人だった。下ろしたての女性ものスーツを着て、カメラを片手で動かしながら手も振っている。
宮下喜沙だって気付いてる人いっぱいいるじゃん。
……俺の高校生活、早くも終了のお知らせです。
手を振り返すわけにもいかないので、前だけを向いて歩く。千駄ヶ谷がドンマイって表情を浮かべていた。うん、一気に肩が重くなった。後で千紗姉に頼らないと。
入学式は恙なく終わった。終わったんだけど、退場してすぐ新入生は騒ぎ始める。あの、アイドルの宮下喜沙がいたと気付いたからだ。しかもスーツ姿。そんな姿を見せたことがなかったために、本人のそっくりさん説と、珍しい姿を見られたのではという話がどんどん拡散する。
そこからの俺は、魂が抜けていたと言ってもいい。
入学式後のHRは自己紹介を行って、無難に済ませた。この後のことしか頭になかったために、千駄ヶ谷の自己紹介すら聞いてなかった。だから顔と名前が一致しない。
休み時間になった瞬間、俺は立ち上がる。
「宮下くん、トイレ?」
「いや、千紗姉に会いにいく」
「教室わかるの?」
「先輩の誰かに聞けばいいだろ」
千駄ヶ谷も理由がわかったからか、そのものズバリな話はしないでくれる。教室中で話されている喜沙姉のことなんて知るか。
「智紀ぃ!いるか⁉︎」
「いねえよ。さっさと教室戻れ」
勢いよくドアを開けて入ってきた三間を払いのけて廊下に出る。簡単に躱された三間はそれでもと俺の左腕を掴んできた。
「頼むからオレの話を聞いてくれ!後生や!」
「うるさい!俺の高校生活かかってるんだよ!さっさと行かせろ!休み時間は有限なんだ!」
「オレだって一生もんの問題なんだ!アドバイスを!」
「俺も下手したら一生もんの出来事なんだよ!後で聞いてやるかもしれないから、離せ!」
「まさか、初日から女の子に呼び出しされたんか……?」
「むしろ呼び出すんだよ!」
「この、裏切り者〜!」
大男に泣きつかれても怖いだけだっての!俺はさっさと千紗姉に会わないといけないんだよ!あのド天然の姉を持つこっちの気持ちなんて一生わからないだろうな!俺たちの姉だからな!
三間を振り払って三階へ。ちょうどよく千紗姉が廊下にいて良かった。
「あれ?智紀、どうかした?」
「千紗姉、携帯持ってる?」
「そりゃああるけど、どったの?」
「バカ姉が父兄席に居ました」
「……今日入学式の予行あるって言ってたよね?何やってんだか」
千紗姉がポケットから携帯電話を出してメールを送る。これでとりあえず大丈夫だろう。
宮下喜沙の親類が新入生にいるという話が拡散されているという問題は解決していないけど、野球部には口止めをしているしそう簡単に俺が特定されることはないはず。
宮下喜沙が芸名であると誤解してくれれば、同じ苗字の俺に行き着くことはないはず。実際は本名だけど、芸名かどうかなんて調べても出て来ないだろう。事務所で公表してないし。
「メール送ったら、その足で大学行くって。緑川さんと合流したみたいだから大丈夫だと思う」
「本当に緑川さんには頭が上がらないな」
喜沙姉専属のマネージャーさんだ。いつも送迎してくれるが、喜沙姉の天然と突飛な行動に振り回される人だ。振り回されている度合いでは俺たち家族と変わらないだろう。
「あんたがメールしても良かったんじゃない?」
「野球部は携帯を学校内で使うの禁止だろ?緊急時と、食後くらいじゃないと使っちゃダメだから」
「今回は緊急時で通ったんじゃない?」
「初日からルール破るわけにはいかないだろ。喜沙姉案件を緊急時にしたら、かなりの頻度で使うことになりそう」
「確かに」
俺の心労的には緊急事態だけど、喜沙姉的には日常な気がする。暇があれば応援に来てたからな。去年も忙しかったくせに、どうやって時間を捻出してたんだか。学校ほとんど行ってなかったとは言ってたけど。
学校休んでまで平日に仕事して、休日に時間捻出するって、色々おかしい気がする。
「あ。智紀。あんたあまり上級生の階に来ない方がいいわよ?」
「下級生じゃ目立つ?」
「いや、野球部推薦組の宿命っていうか。ウチの学校で一番力入れてるのが野球でしょ?それで推薦ってなると、よっぽど有名か実力がないと推薦なんてもらえないわけじゃん?特に熱心な女子生徒の場合、野球部の彼氏目当てでこの学校来る子多いから。推薦だと去年の内から練習の見学に来て、制服とか顔とかで名前とシニアとか割り出してんの」
「怖っ」
え、女子生徒ってそこまで肉食獣なの?甲子園に出るような彼氏が欲しいんだろうか。そりゃあ、毎年とは言わなくてもプロになる人もいる。そんな人を高校の内から捕まえておこうとか、そういうことだろうか。
で、推薦組ってことは実力が認められた人ということだから、将来のレギュラー候補だ。それを囲っておきたいとかだろうか。同級生や上級生じゃなくて、下級生を狙うというのがまたなんというか。
「で、あんたはU-15に出てるから、そういう層からは確実に知られてんのよ。新入生が練習に参加してすぐ見学に来るような人たちだし、あの紅白戦も見られてる。上級生から呼び出しあったら、大体そういう呼び出しだから気を付けなさい。サインとか求められるか、告白だから」
「うわぁ……。俺は普通の恋愛がしたいよ。そんなの、俺のこと見てないじゃん」
「これ、上級生に限ったことじゃないから。上級生にいるってことは、同級生にも、来年入ってくる下級生も同じような目的で入ってくる子もいるわ。だから、告白されたら断りなさい。アンタのことが好きじゃなくて、帝王学園の野球部であることしか見てない女なんだから。そんな奴に弟を渡すわけにはいかないし」
「……千紗姉が同じ学校で良かったよ!俺、悪い女の人に騙されるところだった!」
「大切な弟のことなんだから、これくらいは当たり前。女子マネージャーもこっちできっちり選別するから。彼氏目当ての女は入れさせないから、野球に集中しなさい」
「千紗姉はいつだって俺のこと助けてくれるな。……ありがとう」
昔からそうだ。三姉妹皆俺のことを助けてくれるけど、千紗姉は一個上ということもあって学校とかで直接助けてくれる。小さい頃からどれだけ助けてくれたことか。喜沙姉が天然ってこともあって、一番頼ってるのは千紗姉かもしれない。
俺は本当に、家族に恵まれている。
「……千紗?アンタ、なんで智紀くんと親しそうに話してるの?」
「ゲッ」
千紗姉の後ろから、目のハイライトが消えた上級生が。早速かよ⁉︎
千紗姉には悪いけど、俺は即座に回れ右で逃げ出した。まさか上の階がそんな魔境だったなんて。他の野球部の面々にも注意喚起しておこう。初めての彼女が自分たちのことをステータスにしか見ていない人だったなんて、トラウマになりかねない。
……何でそういう女子生徒は、俺と千紗姉の関係性を知らないんだろう?容姿が似てないから?たとえ知らなくても、マネージャーと部員だから話していてもおかしくはないような。
入学式直後に上級生と話してたらおかしいか。でも学校だし、同じ宮下だから姉弟って気付きそうなもんだけど。
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