第20話 息子
「イーブリス、王宮からの返事だ。 次の月の日に迎えに来るそうだ」
「分かりました」
王宮に行ける。
アーリーの復讐に僕は一歩近付く。
「イーブリス様?」
薄く笑うとスミスさんが首を傾げた。
「何でもない」
夕食後の雑談の時間。
この屋敷の中だけに流れる平和な時間。
「お祖父様、少しお話を伺っても良いでしょうか。 その、アーリーの父親のことを」
公爵家の嫡男の彼もまた、こんな時間をここで過ごしていたのかなと、ふと思ったのだ。
「そうだな。 あれが産まれた時、同時に私は妻を失った」
遅くに出来た子供で、妻は出産に耐えられなかったのだと公爵は語る。
「ちょうど宰相の職に就いたばかりでな。 仕事も忙しく、ほとんど王宮に泊まり込んでいた」
傍にいてやれなかった。
お祖父様から悲し気な思いが伝わってくる。
「お蔭で、私はずいぶんと息子を甘やかせてしまってな」
赤子の間は乳母に任せていたが、物の道理が分かる歳になると仕事場に連れて行った。
王子たちの遊び相手になるだろうと王宮も許可してくれたのだという。
「当時はまだ王子だった今の国王陛下と、その王弟殿下と、まるで本当の兄弟のように仲良くなり、いつも三人で遊んでいたよ」
王宮の庭を駆け回っていたそうだ。
「成人してからは王子は王太子となり、政務が忙しくなってしまい疎遠になってしまったが」
僕はお茶のカップをテーブルに置く。
「お祖父様の息子さんは何の仕事をされていたのですか?」
「十八歳で文官の専門課程を卒業し、私の手伝いをしていた。
あれには少し厳しく当たり過ぎてしまってな、かなり嫌われたよ」
ハハハと笑うお祖父様からは少々よろしくない気が零れる。
宰相の息子だ。 周りからどんな目で見られていたか、今の僕でも分かる。
お祖父様は厳しくせざるを得なかったんだろう。
「お祖父様」
僕は席を立ち、お祖父様の傍へ行って椅子に置いた祖父の指に自分の手を重ねた。
お祖父様から瘴気を吸い上げる。
「お祖父様は何も悪くない。 皆が少しづつ不幸だっただけです」
妻を亡くし、母親を亡くし、仕事が忙しく、仕事に付いて行けず。
そんな不幸を皆、少しづつ。
アーリーも僕の真似をして反対側のお祖父様の腕に抱き付いた。
「今は僕たちがいるよ、ねっ」
アーリーの笑顔は天使のようだ。
部屋に戻って考えた。
アーリーは人間だ、ゆっくりと大人になる。
僕は魔物だ、もうすでに完成された成体の魔物だ。
ちまちまとアーリーが成長するのを待ってなんかいられない。
「イーブリス様」
スミスさんが僕の様子に気付いたようだ。
「スミス、頼みがある」
僕は部屋の机の引き出しに仕舞っていたものを取り出す。
お祖父様に頂いた鍵付きの日記帳だ。
「もし僕に何かあったら、これを公爵閣下にお渡しして欲しい」
スミスさんがそれを凝視していたのは、それが危ないものなのかどうかを確認しているのだろう。
魔物の持ち物だ、疑って当たり前だよな。
「……畏まりました」
僕はその言葉に頷いて、日記帳を机の中に戻した。
当日はダンスの練習日で、アーリーは朝から浮かれていた。
今朝、お祖父様の出仕時間に馬車に見送りに出たら「珍しいな」と笑われた。
「そういう気分だったので」と言ったら、子供のように頭を撫でられてしまう。
この人が優しい人だと言うことは分かっている。
ただ、昨夜のような瘴気とは無縁でいて欲しい。
そう願っている僕は愚かな魔物だ。
「行ってらっしゃいませ」
僕は他の使用人たちと同じように礼を取って馬車を見送った。
「行って参ります」
王宮からの迎えの馬車に乗る直前、見送りに来た執事長に笑顔で会釈した。
今日は勉強会だというので学校の制服のような、きちんとした服を着ている。
馬車には、いつもの執事服ではなく護衛用の騎士服を着たスミスさんが同乗することになった。
なんでも護衛の任務を公爵家の護衛たちで争い、勝ち残ったのだそうだ。
知らなかった、いつの間にそんなことをしていたのだろう。
僕の使い魔が知らないところを見ると、建物の外でやってたのかも知れない。
闇の精霊は陽の当たるところが嫌いだからね。
「四年か」
ぼんやりと敷地内を走る馬車の窓から外を眺める。
この屋敷にもらわれて来て、ちょうど四年が経つ。
アーリーも七歳になって、女の子だけど友人も出来た。
「もう大丈夫だよな、アーリー」
ローズには使い魔の闇の精霊を付けて、何かあれば北の森にでも一緒に逃げるように言ってある。
スミスさんは僕の独り言など聞こえない振りをしてくれていた。
僕は今日、初めて一人でこの屋敷を出る。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その文官は王族の子供たちの教育に心血を注いできた者である。
先日、ダヴィーズ王子から公爵家の孫と一緒に勉強がしたいと申し出があった。
「宰相閣下に取り入り養子に入っただけでは足りず、王族までたらし込むつもりか!」
王子の初めての茶会で親し気に話していた双子は、七年前に失踪し、死亡したとされている公爵家の嫡男に良く似ていた。
しかし、その双子が本当に公爵家の血を引いているかは不明である。
そんな者と二人で授業を受けたいなどと言い出す王子を咎めることも出来ず、文官は苛立つ。
彼の部屋には、やはり王族の教育係として長年勤めている年老いた男性が居る。
「なあに、どんなに大人びていようと七歳の子供。 王宮で大きな顔は出来ますまい」
ダヴィーズ王子は今、この国の王族や高位貴族にとって必須である歴史の本を勉強中だ。
「まだ早いだろうが、いつかは学ぶものじゃ。
それをわしが『殿下と一緒に覚えよ』と提案しても不思議ではないはず。
とてもついていけるとは思われぬが」
文官と老人は顔を見合わせて頷き、すぐに諦めるだろうと笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日、ダヴィーズ王子はいつものように高齢の教師から授業を受けていた。
先日から始まったのは『王国の歴史と人物』である。
「これ、十歳からだと聞きましたが」
難しい古い言葉や言い回しが所々に出て来る。
「古い言葉を覚えることもまた勉強ですのじゃ」
そんなものかと王子は頷いた。
「え、イーブリスが来るのですか?」
一緒に勉強する友人など、本当は諦めていた。
普通の子供と王族では覚える学問が違うからだ。
「公爵家の者ならば王族に準ずる教育もまた必要かと存じます」
いつもは口うるさい教育担当の文官も認めてくれたようだ。
(あの熱を込め過ぎた長文の手紙を読んでくれたのだろうか)
王子はイーブリスに会える日を待ちわびる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国王は悩んでいた。
公爵家の七歳の少年の手紙には『聖獣フェンリル様に一目だけでもお会いしたいです』とある。
確かに子供らしい願いといえばそうかも知れない。
しかし、胸騒ぎがする。
「何か魂胆があるのかも知れぬ」
あの少年に何故か執着する息子を見て、その熱量にも不安を覚えた。
「親心から『望みを叶える』などと書いてしまった」
過剰な対応だと自分でも気付いたが、今さら取り消すことも出来ない。
国王は、あの子供にもう一度会う覚悟を決める。
「一度フェンリル様にお伺いしてみよう」
フェンリル様に断られれば、相手も仕方無いと思うだろう。
王宮の広大な庭にある森の中の湖。
岸辺に立ち、声を上げる。
「聖獣フェンリル様、お伺いしたいことがございます」
一陣の風と共に、湖の上に巨大で真っ白な聖獣が現れた。
【久しぶりであるな、わが友。 如何した】
最近は一年に一度くらいしか会いに来ていない。
国王は低頭したまま「会いたがっている子供がいる」と伝える。
【構わぬ、連れてまいれ】
「ははっ、ありがとうございます」
国王は一度も聖獣フェンリルと目を合わせることはなかった。
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