第9話 秘密


 スミスさんを泣かせてしまった。


いやいや、それよりも。


「あのお、僕、人間は信用出来ないって言いましたっけ?」


スミスさんは「失礼しました」と言って、慌てて涙を拭う。


「申し訳ありません、イーブリス様。


ただ私はイーブリス様に頼りにされていないことが悲しかったのです」


えー、こんな屋敷に勤めてる人が感情的じゃダメな気がするんだけどな。


それとも、これって演技なのか?。


あ、そっちのほうがしっくりくるわ。


「少し、考えさせてください」


僕は何をすればいいのか、誰を頼るべきなのか。


まだぼうっとした頭で考える。


「承知いたしました。


何かお腹に入れたほうが良いと思われますので、暖かいスープをお持ちしましょう」


何が好きかと聞かれて、僕は「コーンが入ったやつ」と答えた。


この間、出て来て感動したんだ、コーンスープ。


「はい、厨房に伝えてまいります」


スミスさんがやっと笑顔を見せてくれた。


そうそう、その笑顔が……ん?、あんまり以前みたいな胡散臭い感じがしないなあ。




 スミスさんが出て行った後、ローズが布団の上からだけど、僕の横に寝そべる。


【イーブリス様はイブリス(悪魔)らしいことはあまりしないんだな】


そうだねえ、ローズを配下にしたときくらいだね。


ここにいると平和で穏やかで、アーリーの心配もいらなくて。


だから瘴気も溜まらなくて困ってるんだ。


(僕はここにいるべきじゃないのかも知れないね)


だけど、ここにいないとあの男女の仇が分かんないからなあ。


対価をもらったくせに仕事しないってのがどうもね。


魔物だから忘れても構わないけど、それだと低俗な魔物ってことだし、それは嫌だ。


そんなことに拘るのは、人間だった前世の記憶があるからなのかも知れないな。




【よく分からないけど、穏やかなのはこの屋敷の中だけなのかもよ】


ローズのいた森では魔獣と人間は敵だしね。


島に居た時も、施設に居た時も、僕たちは多くの嫉妬や危険に晒されていた。


こんな安全な場所にいるから考え方が平和になっちゃったのかな。


コンコン 


「失礼します」


スミスさん、仕事早過ぎ。


 頭を起こしてもらい、背中に枕を差し込んで上体を起こす。


「あーん」


は?、イケメンの差し出すスプーンに口を開けろと?。


「大丈夫ですよ、もうそんなに熱くはありません」


うううむ、腕に力が入らないから助かるけども。


魔物である僕ががが。


「あむ」


「いかがでしょうか?」


「お、美味しい」


美味しいものは正義、って魔物の考え方じゃないな。


やっぱり最近ずっと人間らしい生活をしてるから、前世の記憶に引きずられてるのか。




 食事が終わるとスミスさんはメイドさんに食器を渡して、僕をもう一度横にさせる。


「あとでお好きなお菓子をお持ちします。


何でもよろしいので少しでも食べてくださいね」


「あの、どうしてそこまで」


魔物の僕に、いや、それは知らないからか。


 周りに人がいないのを確認した上で、スミスさんが僕の手を握る。


何だこれは。


「イーブリス様、正直に申し上げます」


目と目があって逸らしたくなったけど、今は逃げちゃダメな気がする。




「実は、旦那様はイーブリス様が人間ではないことをご存じです」


は?。


「それを承知の上で引き取られたのですよ」


え?。


「執事長と私も聞かされています。 そのつもりでずっとお仕えしてきました」


うそ。


「な、なんで」


「この家にお迎えしたからには、人間かどうかなんて関係ありません。


あなたもアーリー様も同じ、この公爵家の子供です」


スミスさんが微笑む。


背中をゾゾッと冷たい何かが走った。


僕の顔が引きつったのが分かる。


「おや、シェイプシフターは人間が怖いんですか?」


心臓が止まるかと思った。


四歳児の心臓がもたないと思った。


何とかしろ、ここを乗り切れ。


僕は、僕は、精霊に育てられた特別な魔物だ。


いや、そんなことはどうでもいいんだけど。




「……そこまで知られていたとは、驚いた。 人間も侮れないな」


僕が世間知らずのお子様だったんだろう。


魔物としても、人間としても未熟なまま来てしまった。


 僕は大きく息をする。


「では僕はこのままここに居ていいんですか?。


魔物として、ここでアーリーを見ていてもいいの?」


「はい」


スミスさんが笑顔のまま頷く。


「じゃあ、三人だけですか?、僕のことを知っているのは」


「はい。 あとの者は『賢い子供だな』ぐらいにしか思っていませんよ」


そっか。


それを信用するしかないのか。


魔物が人間を信用するなんて、あはは。


「あはははは」


僕が笑いだすとスミスさんがきょとんとした顔になった。


それが可笑しくて、また笑う。


「くくっ、ぶわっははは」


しばらく笑いが止まらなかった。 苦しい。




 でも、それで僕の中で何かが切り替わる。


笑い終わると、僕は微笑んでスミスさんを見る。


「お願いがあります」


「はい、何なりとお申し付けください」


僕は、なるべく暗くて小さな部屋を用意してくれるように頼んだ。


地下ならなお良い。


「洞窟のような場所ということでしょうか」


そうかも知れないね。


この屋敷で協力を得られるなら、瘴気を生むための場所を作ればいい。


「しばらくお待ちください」


そう言って一旦部屋を出て行ったスミスさんが、屋敷内の見取り図を持って戻って来た。


「地下の部屋の配置図ですが、ご参考に」


「ありがとうございます」


「あ、それと」


スミスさんが僕にニコリと笑い掛ける。




「イーブリス様は私どもに丁寧に話す必要はございません。 命令で結構でございます。


旦那様とアーリー様以外はすべて公爵家の使用人でございますから」


僕は首を傾げる。


「僕も、アーリーの両親に雇われた魔物だよ?」


アーリーを守るために召喚されたのだ。


だとしたら、僕はスミスさんたちと同じ立場じゃないのかな。


「それでも、旦那様がこの家の子供であるとお認めになったことに間違いはございません」


スミスさんは、元の、あの胡散臭い笑顔に戻っていた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



(恥ずかしいところを見せてしまった)


スミスはへこんでいた。


自分でもよく分からない感情に幼い頃でも滅多に流さなかった涙が零れた。


人間ではなく、擬態した魔物だと聞いたときは本当に驚いたものだが、この世界には様々な者が存在する。

 

それこそ魔物よりも狡猾で魔獣より乱暴な者がたくさんいるのだ。


人間だから。 そうではないから。


そんなことでスミスはイーブリスを差別するつもりはなかった。


(イーブリス様は生まれた時からずっとアーリー様と一緒におられ、一度も傷付けたことはない)


それを排除すべきではない。


魔物だから、この先傷付けないという保証はない。


それでも公爵が決めたことに、スミスは異論を唱える気など全くないのだ。




「スミス、イーブリス様の信頼は得られそうですか?」


執事長が厨房の隅で食事を摂るスミスに声を掛けた。


慌ててパンを口に押し込みながら立ち上がる。


「はい」


口の周りをナプキンで拭き、執事長の深い皺のような目を真っ直ぐに見た。


「地下にお部屋を欲しいとおっしゃいました。


少しは頼っていただけるのではないかと期待しています」


執事長が微笑む。


「そうですか、第一歩でしょう。


我々が知っているという事実を知られたイーブリス様には、これからますます慎重に接しなければなりませんよ」


「はい、承知しております」


魔物の力や行動は予想が出来ない。


「私の命に代えましてもお守りいたします」


魔物を守る。


スミスはそんな日が来るとは思ってもいなかった。


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