第8話 瘴気
ローズを手懐けると、季節はすぐ冬に入った。
僕はどこにでもローズを連れて行く。
部屋はもちろん、食堂も散歩も一緒だ。
布団の中まで入って来る。
いや、徹底的に洗って綺麗にしたから別に良いけど。
冬は特に暖かいしね。
ローズは今、中型犬程度の大きさになっているが、大きさはある程度自由に変えられるそうだ。
首のチェーンがぶかぶかになったので外していたら、スミスさんが調整に出してくれた。
二、三日で戻って来たチェーンには魔力が込められている。
「体の大きさに合わせて変形する魔道具になります」
ほお、さすが金持ちである。
指輪なら着ける指によって大きさが自動調整されるものがあると知っていたけど、それの首輪版だ。
あの小さな指輪でもとんでもない値段がするはずなんだけど、首輪だよ。
元人間の意識を持つ僕は、怖くて代金を聞けなかった。
食事をきちんと摂るようになったローズは顔つきも優しくなり、銀色の美しい毛並みに白金のチェーンの首輪が良く似合う。
その首輪には僕の魔力とローズの名前、そして公爵家の紋章が入った金のメダルが付いている。
ひと冬の間にローズは立派な公爵家の一員になった。
「ロージー、ロージー」
アーリーもだいぶ慣れた。
ローズも嫌がらずに遊んでやってくれる。
ただ、僕の傍を離れたがらないのでアーリーはちょっと残念そうだ。
そうすると、誰かが教えたらしくアーリーがローズにオヤツをあげようとし始める。
ところが、ローズは食べないのだ。
僕がいる場所でなら一緒に遊んだりはするけど、僕が渡さないと餌もオヤツも口にしない。
「どうして食べないの?」
【美味しくない】
贅沢なと思ったら、どうやら主である僕の魔力が入っていないものは味気ないらしい。
「そうかあ」
でもいざとなると困るよ、きっと。
何故なら、僕はまた体調を崩しているからだ。
春の終わり、五歳の誕生日会が近付いていた。
ローズを手下にするための威嚇で瘴気を出し過ぎてから、体内の分が足りなくなってきている。
僕から瘴気が無くなったら、魔物じゃなくなってしまう。
生気はローズからもらえるようになったけど、こればっかりはローズだけでは足りない。
純粋な本物の魔物か、瘴気が溜まっている場所を探して体内に取り込まないと不味い。
その上、この屋敷は何か防御が掛かっていて、瘴気が溜まりにくい。
「ハアハア」
身体を動かすのが辛い。
「イーブリス様、何か欲しいものはありますか?」
すぐに息を切らせてしまう僕にスミスさんは気遣ってくれるが、首を横に振る。
本当は「瘴気が欲しいです」って言いたいけど、スミスさんには無理だよね。
【ローズに出来ることある?】
ローズは小さくなると言葉も幼くなって可愛い。
うーん、せっかくここでの生活に慣れて穏やかな顔になったローズに、また瘴気を溜め込むしかないかな。
どうやら僕は浮かれていたらしい。
ローズを見ていると分かる。
「おいで」
クゥー
おいおい、本当に犬っぽくなったな。
瘴気が無くなった魔獣はただの獣だ。
脅威ではない。
僕が洞窟で頼まれたアーリーの幸せは、この屋敷に到達したことで達成したと思う。
その順調過ぎる成功に安心して、僕は自分の身体に溜め込んだ瘴気を逃がしてしまった。
生気を貰うためだったけど、ローズの願いを聞くのは僕のためになるのかな。
あの男女の願いの裏にあった、彼らを不幸にした相手っていうのはどこにいるんだろう。
このままだと、その相手に出会う前に僕自身が消えてしまうかも知れない。
真夜中になり、僕は身体を起こす。
暗いほうが身体は動く。 魔物だからね、僕。
(いいね?、ローズ。 明るくなる前に戻って来るんだよ)
ベッドから降りて、わしゃわしゃとローズの顔を撫でる。
トントンと二回足下を鳴らすと真っ黒な僕の使い魔が姿を見せる。
(じゃ、頼む)
ニュウンと闇が伸び縮みして返事をする。
ローズはちょっと躊躇っていたが、僕は「大丈夫だよ」とお尻を押して闇の中へと落とす。
闇の中の、もっと深い闇が姿を消した。
僕の使い魔は島の洞窟にいた『闇の精霊』だ。
本当は精霊だから使い『魔』ではないんだけどね。
島を出る時に勝手について来たので、僕が一度取り込んで隠して連れて来た。
そのせいで魔力が繋がってしまい、この精霊が見たこと聞いたことが直接、僕の頭に入ってくる。
誰にも知られないようにしているのは、この世界じゃ精霊はとても貴重な存在だからだ。
日頃から僕の影の中や、屋敷内の影から影に移動して気ままに過ごしているけど、精霊は魔力の塊なんだ。
暴走すると手が付けられない。
だから、誰かが余計な手出しをしないように隠しておかないといけないので『精霊』ではなく『使い魔』と呼ぶ。
今、ローズと闇の精霊は、北の魔の森にいる。
精霊はどこにでも移動出来るのでローズを運んでもらった。
そしてローズには仲間のダイヤーウルフを探すついでに瘴気集めも頼んでいる。
毎晩送り出し少しずつ瘴気を集めていても、やはりローズだけでは高が知れている。
どうしたものかな。
「イーブリス様、おはようございます」
「おはよう」
頭が重くて上がらない。
今日の薔薇の色が見たいのに。
顔色の悪い僕を見て、スミスさんが心配そうにベッドの脇に膝をついた。
「イーブリス様、真夜中にローズと何かなさっているのは存じております」
僕の足元で寝ていたローズが、自分の名前を聞いて首を上げる。
「お医者様にも原因は不明だと言われてしまいました。
でも、もしかしたらイーブリス様は何が不足か、分かっていらして、それをローズに探させているのではないですか?」
「スミスさん?」
何だかいつもと様子が違う。
「このままイーブリス様が弱っていく姿を、黙って見ていられません。
私ではお役に立ちませんか?」
手をガシッと握られた。
何?、怖いんだけど、振り解く力も無い。
「イーブリス様、人間は信用出来ませんか?」
え、何を言って。
「すべての人間は信用出来ないかも知れませんが、このスミスだけは信じてください。
イーブリス様!」
スミスさんが零した涙に、僕は息が止まりかけた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
三歳でこの屋敷に来たイーブリスとアーリーは、もうすぐ五歳の誕生日を迎える。
しかし、イーブリスの担当であるスミスは悩んでいた。
「旦那様、執事長、申し訳ございません。
イーブリス様をお任せいただいているにも関わらず、このような事態になりまして」
定時報告でスミスは公爵と上司に叱責されるのを覚悟して全てを話した。
「まあ、仕方なかろう。
我々にもシェイプシフターのことなど何も分からないのだからな。
しかし、このまま弱っていくのをただ見ているのも悔しい。
何か方法はないものかな」
公爵は執事長の顔を見た。
「さようでございますねぇ。
この際ですから、我々が彼の正体を知っていることを話し、無理矢理にでも協力させてもらうのは如何でしょうか」
「ふむ。 しかし、それにはしっかりとした信頼関係が必要になるであろうな。
人間同士でも、信用出来ない相手に自分の生死を預ける者はおらん」
「はい、勿論でございます」
魔物だとは思えない静かな子供のイーブリスは、アーリーを心から心配し、毎日の成長をまるで親のように見守っている。
そうかと思うと、恐ろしい狼魔獣を犬のように手懐け、病気がちなイーブリスが楽しそうに連れ回している姿を、皆が微笑ましく見ていた。
「イーブリス様は屋敷の者にとっても、今では無くてはならない方です」
スミスは本来、下町育ちの情の厚い男だ。
今まで押し殺して来た感情をぶつける相手が出来た。
「私がやってみます。
何としても信頼を勝ち取り、イーブリス様に元気になっていただけるよう、力を尽くします」
スミスは気持ちを引き締めた。
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