05.花束を君に

 駅前で花束を買って、バスに乗る。

 見慣れない町の風景を眺めていたら、坂の下の広い墓地、というわかりやすい目印が目にとまった。


 バス停を降りてすぐの公園に入り、日陰のベンチに腰を下ろす。

 花束と手土産の入った紙袋を脇に置いて、明るい日差しの下で遊ぶ小さな子どもたちをぼんやりと眺めた。


 公園の端にぽつんと立っている時計は十時五十五分を示している。あと五分、何しよう。

 YUMEのアプリを起動しても、相変わらずメンテナンス中の文字列が表示されるだけだ。


 遊園地でYUMEに別れを告げられてからもう四ヶ月。メンテナンスモードが外されたことなんてないのに、ふと手持ちぶさたになるたびアプリを起動する癖がまだ抜けない。


「ヒロくん」


 後ろから声をかけられた。顔だけで上を向けば、黒髪を肩の上で切り揃えた可愛い女の子――結衣ゆいが僕を見下ろしている。

 彼女を見ると僕の顔が笑むのはもう条件反射みたいなものだ。


「やあ、二週間ぶり。おばさんかお兄さんなおくんが迎えに来てくれるのかと思ってた」

「これくらい自分で来るよ。うちの目の前だもん」

「途中で倒れたらどうするのさ」

「みんなそう言うけど、そこまで悪かったら退院なんてさせてもらえないでしょ」


 結衣が僕の隣に座ったので、彼女の手をそっと握った。

 確かな感触と温かさにほっとする。結衣と直接会うようになった今でも、ときどき目の前にいる彼女は夢なんじゃないかと不安になるから。


「はいこれ、プレゼント。退院おめでとう」


 買ってきた花束を結衣に渡す。口では「別にいいのに」とそっけないことを言っているくせに、結衣の唇も目もやわらかいカーブを描いていた。

 結衣の好きな色でまとめてもらってよかった。次に花束を買う時もあのお店に頼もう。


「退院日に来られなくてごめんね」

「ううん、テストは優先しなよ。よく知らないけど、単位って落とすと大変なんでしょ」

「まあね」


 一つ話題が終わると、僕らの間には静けさが降りてくる。


 YUMEはよく喋る子だったけど、結衣はあまり自分からは話さない。

 でも髪型や選ぶ服装はよく似ていて、やっぱりYUMEと結衣は同じなんだなあとたまに考える。


 SNSの投稿というわずかな手がかりから彼女の入院している病院を探し当てられたのは、YUMEと遊園地で別れてから三日後のことだった。


 病院の受付で彼女の病室をたずねたら「今は集中治療室に入られているので、ご家族の方しか面会できません」と事務的に返され、彼女がまだ生きているということに安堵して泣いた。たぶん二日連続の徹夜明けで涙腺がゆるんでいたんだろう。


 僕の号泣っぷりにぎょっとした受付の人が、ちょうど面会中だった結衣の家族に連絡を取ってくれた。


 結衣のお父さんとお兄さんが並んで出てきたときはびっくりして逃げそうになったけれど、YUMEのアプリと告知サイトを作ったのがその二人だったから、話は一発で通じた。


「まさかSNSの投稿から三日で病院を探し当てるとはなあ。おまえこえーよ」


 苦笑気味にそう言った結衣のお兄さん――なおくんは、僕とは正反対の、さわやかな好青年だった。

 普段の僕なら避けて逃げる、集団の中心にいそうなタイプ。


 でも結衣の家族に悪印象をもたれるわけにはいかない。

 なけなしの社交性を総動員した結果、「ヒロ」「なおくん」と呼びあえる程度には仲良くなれた、と、思う。なおくんとは同い年だった。


 ただ、寡黙な結衣のお父さんとは、まだ会話を続けるのが難しい。


 結衣が一般病棟に移ってすぐになおくんが連絡をくれて、新幹線で片道四時間の距離を月に二回のペースで通った。


 結衣は最初は「来なくていいのに」なんて仏頂面をしていたけれど、なおくんが事前に「結衣のやつ、手術の前夜に『ヒロくんにもう一回会いたい』って泣いてたぜ」とこっそり教えてくれていたから、僕も遠慮はしなかった。


「今日、ほんとにうちでいいの? 少しバスに乗ればショッピングモールもあるよ」

「退院したばっかりで出かけるのはどうかな……今さ、教習所に通ってるんだ。免許が取れたらどこか行こう。車なら、結衣の具合が悪くなってもすぐ病院に連れて行ってあげられるし」

「道が混んでたら?」

「その時は結衣のヒーローになるのは諦めて、急いで救急車を呼ぶよ」


 ふふ、と結衣が笑う。

 結衣はいつも、梅雨の紫陽花みたいな淡い笑い方をする。


「ヒロくんは、とっくに私のヒーローだよ」

「どのへんが?」


 結衣が空に目を向けたので、僕も雲を眺めてみた。消えかけの飛行機雲がうっすらと青空に白を落としている。


「私、ずっと諦めてた。そのほうが楽だったから。YUMEっていう別の自分になって、最後に楽しい夢のひとつでも見られればいいやって」

「うん」


「でもヒロくんと遊園地の観覧車に乗りたいって思ったら、諦めきれなくなった。手術が始まってしばらくのことはよく覚えてないけど、私、何度か危なかったんだって。きっとヒロくんが引き戻してくれたんだよ」


「そうかな」

「うん、きっとそう」


 僕にそんな不思議な力はない。

 でも結衣がそう思うんだったら、そういうことにしておこう。

 ヒーローのヒロ。なんだかダジャレみたいだけど、いいじゃないか。


「じゃあ免許が取れたら、結衣の調子がいいときにこの辺の遊園地に行こうか」

「うん」


 ジェットコースターには当分乗れないだろうけど、僕は逆にありがたい。

 でもいつか、一回くらいは一緒に乗れるといいな。


「そろそろ家に入らない? 長く外にいるのも疲れるんじゃないの」

「心配しすぎ。でも、お兄ちゃんがヒロくんと対戦するんだってゲームとお菓子を用意して待ってるから、そろそろ待ちくたびれて出てきちゃうかも」

「ああ、こないだ言ってたあれね」

「ヒロくんは私に会いに来てくれたんだから、私ともちゃんと遊んでよね」

「わかってるよ」


 先に立ち上がって手土産と、一度渡した花束を持つ。


 結衣に手を差し出すと、彼女の細い指が僕の手に触れた





(終)






***


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