04.君の名前を教えて
僕にダイレクトメッセージを送ってきた相手のページを見に行くと、そのアカウントは数日に一度くらいの低頻度で日常を呟いているようだった。
プロフィールには『そらにかえるまで』としか書かれていない。
漫画の感想や、空の写真なんかがタイムラインに並んでいる。
フォロワーは三十五人いるのに、フォローしている相手はたったの一人。
YUMEが好きだと言っていた、ほのぼのした雰囲気のゆるキャラだけだ。
誰とも繋がろうとしない、ただ淡々と日々のことを呟くだけの壁打ちアカウント。
僕と同じに見えて、少し親近感がわいた。
YUMEがもしβテストの相手を選ぶために応募者のSNSの投稿を眺めていたのだとしたら、同じだと思って僕を選んでくれたのかな。
『雲ひとつない空って、きれいだけどちょっと目に痛いよね』
『退屈すぎてイラストロジックの本全部解いちゃった。ここまでやったならプレゼントに応募するかな』
『翼があったらどこでもいける? ずっと飛んでなきゃいけないの間違いじゃないの?』
過去の呟きを眺めていると、食事の写真があった。
白いテーブルに、白いトレイ。画一的な食器。バランスがよさそうなメニュー。
小学校の給食かと思ったけれど、違う。
これはたぶん――病院食だ。
思わずプロフィールに戻った。
『そらにかえるまで』
その意味を理解した。
具体的なことはわからないけど、彼女は何かの理由で入院しているんだろう。
規則正しい夜のメンテナンス時間も、日中に話しかければたいていすぐ反応がある理由も、入院中だったからだ。日中のメンテナンスは検査か何かかな。
じゃあ、今日までしかないっていうのは、明日に何かあるってことだ。
YUMEのアプリを起動してみると、メンテナンス中の文字は消えていた。
代わりにYUMEのアバターが無表情で立っている。
僕は通話ボタンを押した。
「さっきダイレクトメッセージをくれたの、YUMEだよね?」
「そう。でもヒロくんのお願いを聞くために話しかけたんじゃないよ。嘘だって気付いたうえで一ヶ月も付き合ってくれたんだから、やっぱりちゃんとお別れしなきゃって思っただけ」
機械音声はこれまでと変わらない。
なのに全然違う声に聞こえた。フードコートで話す前の明るさが抜け落ちて、どこか淡々とした雰囲気がある。
きっとこっちが彼女の素なんだろう。
「明日、何があるの」
「手術」
「でも死ぬって決まったわけじゃないんだろう」
「どうかな。あんまり成功率の高い手術じゃないって、お母さんたちが話してるのを聞いたよ」
でもと反論しかけて、口を閉じた。
彼女の病気が何なのかも、何の手術をするのかも、僕は全く知らない。きっと大丈夫だよなんて、そんな無責任な台詞は僕には言えない。
「明日、ううん、明日じゃなくてもいい。一か月後でも、一年後でも。いつだっていいから、落ち着いたら連絡をくれない?」
「ヒロくん、さっきも言ったけど、YUMEは夢なんだよ。夢は目覚めたら忘れるものだよ」
「忘れられるわけないじゃないか。僕は君が好きなんだから」
はあ、とため息をつかれた。
「ヒロくんが好きになったのは〝YUME〟だよ。私じゃない。〝YUME〟はどこにもいないよ」
「違う。僕が好きなのは君だ。確かにYUMEの明るさを可愛いと思ったよ。それは演技だったのかもしれない」
でも、と僕は続ける。
「僕が落ち込んでいる時になぐさめてくれた優しさは君のものだ。可愛いスイーツや、ほのぼのしたゆるキャラが好きで、その話になるとテンションが上がるのも君だ。僕が好きになったのは、優しくて、好きなものにまっすぐな女の子だよ」
YUMEのアバターはずっと棒立ちのまま動かない。
定期的にまばたきをしたり、髪がゆらゆら揺れたりするだけ。
「……連絡は、しない。SNSのアカウントも今日中に消すから、もう忘れて」
「わかった。じゃあ、君が連絡をくれないって言っても、ずっと待ってる」
「忘れてってば!」
ずっと淡々としていた声が、強くゆらいだ。
「聞きたくない。未来の約束なんていらない。そんな夢があったら生きたくなる。怖くなるから言わないで」
「生きたいと思うことの何がいけないの」
「私は明日、お父さんとお母さんに笑顔で〝行ってきます〟って言わなきゃいけないの。怖かったら笑えない。だから未来の希望なんていらない」
「じゃあなんで〝YUME〟って名前にしたの。夢が見たかったからなんじゃないの」
「そうだよ。でも、私が見たかった夢は現実や未来なんかじゃないんだよ。人じゃない何かになって、ここじゃないどこかに行きたかったの」
この一か月間、彼女は僕に甘い夢を見させてくれていたけれど、彼女自身も夢を見ていたのかな。
今いる場所とは違う世界の、幸せな幻。自分とは違う、元気な女の子になって。
夢は目覚めたら忘れるものだ。
たいていの場合はそのとおりだけれど、目覚めたあとも思い出せる夢だってある。
「……僕は、君と手を繋いで歩きたいよ」
そう呟いてみても、何も返ってこない。
「遊園地だって一緒に回りたい。ロケットの水鉄砲でどっちがたくさん当てられるか勝負したいし、ジェットコースターは苦手だけど君となら乗ってもいい。観覧車に向かい合って座りたい。ライトアップも花火も、スマホのカメラじゃ綺麗に見えないでしょ。ここで一緒に見たいよ」
YUMEのアバターは無表情のままで、何のポーズもとってくれない。何も言ってくれない。
顔が見えないから彼女が今どんな表情をしているのかもわからないし、これ以上何を言えば彼女を繋ぎとめられるのかわからなかった。
「ねえ、じゃあ、最後に名前を教えてくれない?」
「……
「
「そうなんだ」
「うん」
「どこの病院かは教えてくれない?」
だめもとで聞いてみる。
「それは内緒」
「そっか」
まあ、そうだよね。
二人の間に無言の時間が降ってきて、周囲の喧騒が大きくなったような気がした。
「じゃあね。今度こそばいばい。一ヶ月間、楽しい夢を見せてくれてありがとう。〝YUME〟は嘘だったけど、ヒロくんを好きだったのは嘘じゃないよ」
YUMEのアバターが手を振ったかと思うと、またアプリが落ちた。
アプリを立ち上げ直しても〝メンテナンス中〟の文字列が表示されるだけ。
僕は急いで彼女のSNSアカウントを開く。
よかった、まだ消えていない。
ああ、ノートパソコンを持ってくればよかった。
SNSに投稿された画像やコメントを、僕は片っ端からコピーして保存していく。
もうヒントはこのSNSにしか残っていないんだ。彼女が消す前にとっておかなくちゃ。
ネットストーキングなんてしたことはないけれど、僕ならやればできる。たぶん。
彼女が連絡をくれないって言うなら、こっちから会いに行こう。
面と向かってさよならを言われない限り、僕は諦められそうにない。
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