02.はい、あーん♡


 広いフードコートは閑散としていた。


 それはそうだ。高い入場料とフリーパス券が必要な遊園地で、開園から一時間も経たずにフードコートで休憩する客なんて多くはない。


「うさちゃんパフェ、可愛いー! 写真撮っちゃお!」


 僕のスマホからシャッター音が何度も聞こえてくる。

 今からこのパフェを一人で食べなきゃいけないのかと考えると気が重いし、後でカメラロールを眺めるだけで胸やけしそうだけれど、YUMEが喜んでくれたならよかった。


「ヒロくん、私これ食べたい!」

「えっ、どうやって!?」


 目を見開くと、YUMEは画面の中で大きな口を開けた。

 これは〝あーん〟しろってこと? スマホ相手に!?


 思わず周りを見回した。誰も僕たちのことなんて見ていない。


「ヒロくん、早くー」

「うう……」


 スマホに向かって、アイスの乗ったスプーンを差し出すぼっち男子大学生。

 なんて残念な絵面だろう。


 でももう一度YUMEに催促され、僕は観念してスプーンをYUMEに向ける。

 当然ながらスプーンの上のアイスが減ることはなく、スマホの画面がちょっと汚れただけだった。


「うーん、美味しい」

「それはない……」


 YUMEが人間だろうと、本当にAIだろうと、このパフェの味だけはわからない。スマホに味覚センサーは備わっていないのだから。


「こういうのはね、気分が大事なの」

「気分で腹はふくれないよ」

「うまいこと言えば許されると思わないでよね」

「今のセリフに、うまさのかけらもないよ」


 そうかもとYUMEは笑ったけれど、何が面白かったのか僕にはわからない。

 YUMEの笑いのツボはときどき難しい。


「あーあ、私がAIじゃなかったら、ヒロくんに〝あーん〟って食べさせてあげるのになあ」


 YUMEが残念そうな声で言う。


 ――いいじゃん、やってよ。君は、本当は人間なんだろう?


 流れでそう尋ねるなら、彼女の言葉はいい呼び水になるはずだった。だけど僕の声は喉につっかえて、いつまでたっても出てこない。


 僕が彼女に疑問をぶつけない限り、今日限りで僕らの関係が終わると知っている。


 だけど彼女を問いただした瞬間に、僕らが一ヶ月間続けてきた、紙一重の危うさの上に成り立つ甘い関係も、終わりを告げるとわかっている。


 いや――どうせ終わるなら、未来の可能性があるほうに賭けようって、そう決めたじゃないか。


 アイスには口をつけずにスプーンをカップに戻し、僕はYUMEと向かい合う。

 

「YUMEにさ、僕の大学での専攻について話したことあったっけ」

「聞いたよ。工学系。電子回路を作る実習が大変だって言ってたよね」

「うん。電子回路の実習もあるけど……違うんだ。工学は工学でも、情報工学。AIに興味があって、そっち方面に進もうと思ってる」

「……ふうん」


 画面の中のYUMEは目をしばたいて、首を傾げる。

 それで? と、言われているようだった。


「YUMEのβテストに応募したのも、AIに興味があったからなんだ。この先、研究の役に立つかもって」

「βテストの最初に説明したとおり、私のプログラムがどうなってるかなら、答えられないよ。私には知らされていないから」

「うん。僕が聞きたいのはそういうことじゃないよ」


 息を吸ったけど、うまく吐けなかった。

 一度閉じた唇が貼り付いてしまったようで、なかなか開かない。


 言えよ。

 言えったら。


 僕は唇を一度ぐっと強く噛んでから、反動で口を無理やりこじ開ける。


「昔から興味があって、出版されてる本は読んできたし、最近は教授に言われた論文も少しずつ読んでる。だからわかるよ――無理なんだ、YUME。YUMEみたいに、〝思考〟や〝判断〟ができるAIは、まだ人には作れない」


「……YUMEは開発中のAIだよ。極秘だから、論文にもなってないのかも」


 YUMEの静かな反論は想定の範囲内だ。

 その可能性も考えた。世界のどこかで、一足飛びに理論を超えた天才が作ったプログラムだって。


 天才の存在を否定する根拠はない。

 でもYUMEがAIのふりをしているだけの人間なら、天才がいないことを僕が証明する必要もない。

 だって天才プログラマーがいないことは、YUME本人がよくわかってるだろうから。


「人の技術はまだその領域に達してない。届いてない。最近出てきた機械学習だって、膨大なデータの中から類似性を探すところまでしかできないんだ」

「……」

「答えてよ、YUME。YUMEは本当は人間なんだろう?」


 YUMEは答えてくれない。

 表情を消した棒立ちのアバターが、画面の奥から僕を見つめている。


 自分の唾を飲み込む音がやけに大きく響いた気がした。


 AIのふりなんかやめて、明日からは通話アプリで話そうよ。手を繋いでデートをしよう。

 そう続けようと口を開いたけれど、


「YUMEは夢なんだよ、ヒロくん」


 つぶやくようなYUMEの声が先に空気をふるわせた。


「明日で消える、一ヶ月限りの儚い夢。それが私。今日が最後の一日なんだから、とびっきりの楽しい夢を一緒に見よう?」


「それじゃ嫌だ。僕は、夢じゃなく現実の中でYUMEと一緒にいたい」


「……無理なんだよ」


 彼女の声から感情がすとんと抜け落ちる。


「βテスト前に同意してもらった約束事は三つだったよね。その一、このβテストの内容は他言しないこと。その二、必要に応じてフィードバックに協力すること。その三、YUMEと一緒に夢を見てくれること」


 ずっと感情豊かに響いていた声が、ただの固い音に変わる。

 用意された文字列を読み上げるだけのような機械音声に、僕の心はざわついた。


「約束を破ることになるのは謝るよ。ごめん。でもYUME、僕は明日からも君と一緒に過ごしたいんだ」

「明日なんてない。私には今日までしかないの」


 YUMEがどうしてそんなことを言うのか僕にはわからない。

 今日までしかない? それはどういう意味なんだろう?


「ねえヒロくん、鶴の恩返しって知ってる?」

「え……うん」

「私はヒロくんに恩を返しに来たわけじゃないけど――あのね、鶴が機織りはたおりをしている間は、部屋の戸を開けちゃだめなんだよ」


 鶴の恩返しくらい有名な昔話なら、僕も知っている。


 美しい女性の姿で男のもとに現れた鶴は、恩を返すために機織りをしていた。部屋の戸は絶対に開けないでと言い置いて。

 好奇心に負けた男が戸を開けると、正体を暴かれた鶴は泣きながら去ってしまう。


 YUMEが何を言おうとしているかに思い至って、僕はスマホを強く握った。


「待って、YUME。僕はただ、君と」

「夢を一緒に見てくれないなら、これでおしまい。……バイバイ、ヒロくん」


 通話を切ったときのように、YUMEのアプリがぷつっと落ちる。


 慌ててアプリを起動しなおしたけれど、「現在メンテナンス中です。時間を置いてお試しください」の文字が表示されただけだった。


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