第387話 もう諦めちゃいないよ~

 舌鼓を打つテスタロッサは目の前でどんよりとした空気を放っているエリナを放っておいて机の上に用意されたお菓子を食べ続ける。

 言いたい事は全て言った。ただ一つだけ伝えていない事がある。

 だが、それは最後でいいだろうとテスタロッサはエリナに目を向けた。


「分かってるわよ……」


 ポツリとエリナが小さく呟いた。

 テスタロッサの耳にも届いており、次の事態に備えて目を閉じる。

 そして、次の瞬間、溜まりに溜まっていた怒りをエリナが爆発させた。


「私だって今のままじゃいけないって事くらい分かってるわよッ!」


 ヒョイッとテスタロッサはエリナが机を叩くのを予期していたように、自身のティーカップを手に取った。

 そのすぐ後にバンッという音が鳴り、エリナが怒りに任せて机を叩く。

 そこからさらに怒涛の愚痴、不満、文句のラッシュが始まった。


「でも、どうすればいいのよ! 私達がどれだけアピールしてもジークは気付いている素振りも見せないし、そもそも恋愛結婚が認められているのはお互いが同等の身分でないと成り立たないからだし、騎士団に入団してからは一緒にいられる時間も激減したし、もうどうしようもないじゃない!」

「そうね」

「そうね、って! まるで他人事みたいに――」

「もう他人事だもの。考えるだけ無駄だわ」

「ちょっと前まではジークの事が好きだったんでしょ!? それなら少しくらい考えてくれたっていいじゃない!」

「どうして、私が? もう関係ないのに? それは都合が良すぎるんじゃないかしら」

「そ、それはそうだけど……。友人としてアドバイスくらいはいいでしょ」

「それなら喜んで。さっさと諦めて次の恋を探しましょ」


 もっともシンプルであり、爽快な答えであった。


「嫌よッ!」

「じゃあ、頑張りなさい」

「くぅ……。どう頑張ればいいのよ」

「どうもこうも諦めるのが一番よ。私だって一度は夢見たけど、現実には勝てないって分かったから」

「レオルドの功績が全部ジークのものだったら……!」

「都合のいい妄想はやめなさい。聞いてるだけで悲しくなるわ」

「諦めるしかないのかしら……」


 感情的ですぐに暴走するのが致命的な欠点を持つエリナも流石に理解していた。

 ジークフリートと結ばれる未来を諦める他ない、と。


「ジーク君の周りにいる女性陣だと他にも何人か諦めきゃいけない子が多いけどね。でも、こんな事を言うのは酷だとは思うけど、王女のクリスティーナはジーク君と結婚出来るでしょうね」

「はあ!? なんでよ!」

「少し考えれば分かる事じゃない。ハーヴェスト辺境伯の婚約者が誰なのかを思い出してご覧なさい」

「……シルヴィア第四王女殿下ッ!」


 エリナはテスタロッサの言葉を理解した。

 本来であれば王女のクリスティーナが子爵のジークフリートと結婚する事など出来ないが、すでにレオルドという絶大な影響力を持つ婿がいるのだ。

 であれば、余程の問題がない限り、他の王女や王子が誰に嫁ごうが構いはしないのだ。それだけレオルドの影響力は凄まじい。


「レオルドが王家の仲間入りを果たしたから、クリスが誰に嫁いでも些細な事だって言うのね……」

「ええ。何ならクリスが平民と結婚しても王家は何も言わないでしょうね。それだけハーヴェスト辺境伯は影響力は大きいって事よ」

「そんなの……そんなのって……」


 卑怯、そう言いたかったがエリナは口にしなかった。

 とことんまで悪い自分の運にエリナは笑うしかない。

 一体どうしてこのような事になってしまったのだろうかとエリナは自問自答するが、答えはいつも一緒だ。

 自分が悪い。それ以外に答えは出なかった。


 本音を言えばレオルドのせいにしたいが、エリナの人生において彼は一切悪くない。

 レオルドに人生を歪められたのはクラリスを含め、ハーヴェスト公爵家に勤めていた使用人達くらいだ。

 対してエリナはレオルドから何一つ被害は受けていないのだ。

 ただ一方的に目の敵にしているだけであった。

 ある意味ではレオルドとジークフリートはエリナにとって特別な存在である。一方には愛情を、もう一方には憎悪を。


 そして、本人からすれば憤慨であり、悲痛であるがどちらからも見向きもされていないという事だ。

 レオルドは既にエリナの事など眼中になく、目的の為に前だけを向いて走っている。

 ジークフリートもエリナの好意に気付くことなく、持ち前の正義感で騎士として立派にその務めを果たしている。

 エリナがこんなにも恋焦がれているのに見向きもされず、忌々しい男からは相手にもされていない。あまりにも滑稽な話だろう。


「どうしたらいいのよ、私は……」


 友人であるはずのテスタロッサは憎きレオルドと政略結婚をすると思い込んでいるエリナは今にも泣きそうな顔で下を向く。


「エリナ。一つだけ貴女の勘違いを正してあげる」

「何よ……」

「私はハーヴェスト辺境伯とは結婚なんてしないわよ」

「え? でも、さっき政略結婚するって」

「そういう風に喋っただけで実際はしないわ。むしろ、お父様がハーヴェスト辺境伯の機嫌を損なわない為に政略結婚は無しにしたのよ」

「そっか……。シルヴィア第四王女殿下と婚約して以降もレオルドが縁談を断ってるから、フリューゲル公爵は貴女と政略結婚させるのを不味いと判断したわけね」

「そうそう。少しは調子が戻ってきたかしら?」

「……また、そうやってからかう」

「だって、泣かれでもしたら後始末が大変でしょ?」

「す、少しは慰めてくれてもいいんじゃないかしら……?」

「嫌よ。貴女って強気な割にはメンタル弱いじゃない。泣き出したら部屋に篭って数日は顔を見せないとか、よくあったじゃない」

「ぐッ、う……」

「私の所にすぐ来なかったのも色々と考えてたんでしょ?」

「…………そうよ」


 まだ本調子には程遠いがテスタロッサから手厳しい言葉を受けてエリナは自身の頬を叩いて気合を入れ直した。


「ふ~……」


 頭はスッキリしたが問題が解決したわけではない。

 むしろ、冷静になったからこそ分かる。

 ジークフリートと結ばれるには相応な対価を示す必要があるという事。

 もっとも、それ以前に両思いになるのが大前提だ。

 いくらエリナがジークフリートと結婚する事で、これだけの利益があると訴えても意味はないだろう。


「一度、皆と話し合って気持ちを確かめるわ」

「私みたいに諦めている子がいるかもしれないから?」

「口にはしてないだけでそう言う子がいても不思議じゃないでしょうね。だから、一度皆を集めてみるわ」

「それでその後はどうするの? まさか、告白でもする気?」

「それしかないわ。だって、今のままじゃ一生分かってもらえそうにないもの」

「周囲の人達は気が付いてるのに本人だけが気付いていないって、ちょっと異常だけどね。でも、それがいいんじゃない? 私は結局、何も伝えれなかったわけだしね」

「ええ。だから、皆と話し合って同じ気持ちなら告白しようと思うわ」

「それでダメだったら?」

「まだフラれると決まったわけじゃないわ。それに私達を意識させるっていう事を目的としてる面もあるの」

「なるほど。自棄になったわけじゃなく、ちゃんと考えてるのね」

「とはいっても、今後どうなるか分からないけどね」

「いい結果になるといいわね……」

「そうね。少なくともあの時、告白しておけば良かったって後悔だけはしないようにするわ」

「あら、言うじゃない」

「ふん。意趣返しってやつよ」


 思わぬ反撃を受けたテスタロッサはクスクスと笑う。

 してやったりとエリナはテスタロッサを見ていたが、彼女は悔しそうな表情を見せず、笑顔のまま変わらない。

 それが少し気に食わないエリナはテスタロッサに食って掛かる。


「何とも思わないわけ? 自分も割り切る前に告白すれば良かったって、そうは思わないの?」

「思わないわね。だって、もう過ぎた事だし」


 決して強がりで言っている訳ではない。

 テスタロッサは本気でそう思っているのだ。

 既に自分の中では割り切った事だから、今更考えるまでもない。

 時間の無駄でしかない、とテスタロッサは切り捨てていた。


「昔から変わらないわね。レオルドから真っ先に離れた頃のまま」

「悪い事だとは思っていないわ。あの頃のレオ君とは関わっていたら、どんな目にあったか分からないからね」

「その点に関しては同意ね」


 感情よりも先に損得で物事を考えるテスタロッサと損得よりも先に感情で物事を考えてしまうエリナ。

 二人が幼少の頃、レオルドに対しての評価は一緒だったようだ。


「それじゃ、私はそろそろ帰るわね」

「良かったわね。悩みが解決して」

「そうね。一歩前進って所かしら。まだまだこれからだけど、少しずつ前に進んでいくわ」

「応援してるわ」

「…………貴女も頑張ってね」


 まだ間に合うから、もう一度だけ一緒に思いを伝えてみないかと、エリナはテスタロッサを引き止めようとしたが、もう彼女の中では答えが決まっているのだろうと考え、自分とは違う道を選んだ彼女を応援するのであった。


 それからエリナを見送ってテスタロッサは私室に戻り、ベッドに倒れるように寝転んだ。大きな息を吐いてテスタロッサは一人ごちる。


「嫌な女ね、私って……」


 先程のやり取りを思い出し、自己嫌悪に陥るテスタロッサだが、すぐに仕方がないかと自嘲する。

 そのように育てられてきたのだし、今更変えようがないのだからとテスタロッサは受け入れていた。


「さて、反省は後にするとして、レオ君とシルヴィア殿下に利用価値のある女って認められるように頑張らなくちゃね」


 反省は後でいくらでも出来る。

 まずはレオルドに自分の価値を示し、第二夫人とは言わずとも、せめて家臣に加えて貰えるようにテスタロッサは張り切る事にした。


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