第386話 現実見ろって、なあ?
虎の尾を踏んでしまう恐れがある事を知らないまま、ベルナールとテスタロッサは話を続けた。
「先程の続きなのですが、ハーヴェスト辺境伯の対応は私に一任するおつもりですか?」
「いや、流石にそこまでではない。お前も知っていると思うがハーヴェスト辺境伯の目的は我が一族が保有しているミスリル鉱山から取れるミスリルだ」
「何か新しい事業を始めるのだと言っていましたね」
「うむ。その辺りについては何一つ手紙には記されていなかったが、恐らくはそういう事だろう」
「それでは私が来客対応でお父様が交渉と言う事ですか?」
「そうなる。出来れば心象がよくなるように働きかけて欲しい。理想はハーヴェスト辺境伯に見初められる事だがな」
「それは厳しいかと思いますよ。何せ、第四王女殿下が傍にいるのですから、私程度の女ではハーヴェスト辺境伯は動じもしないでしょう」
「あくまでも理想だ。少しでも心象を良くしてもらい、我々と友好関係を築いておく事が得であると思ってもらえればいい」
「出来る限りの努力はします。お父様も失言には気をつけてくださいね」
「なるべく、卑屈になるさ。敵対だけはされたくないからな」
ベルナールは最悪の結果にならないよう精一杯頑張るつもりだ。
たとえ、どれだけ自分を貶めようともレオルドと敵対だけはしないように。
もっとも、レオルドはそこまで狭量ではない。
元々、過去のやらかしで馬鹿にされていたので多少の罵詈雑言などレオルドからすれば、雨風にすら劣るものだ。
とはいえ、面と向かって罵倒しようものならレオルドではなくシルヴィアが許さないだろう。
過去の罪が消える訳では無いが、現在までのレオルドの功績を考えれば、称賛はあっても罵倒するなど言語道断である。
「まあ、不自然に思われないようにおべっかを使うさ」
「変に持ち上げ過ぎないでくださいね」
「匙加減が難しそうだ。第四王女殿下も同席するだろうから、変に怪しまれてしまうかもしれない」
「大変な相手ですね……」
「言っておくがお前もだぞ? お前なら心配はないと思うが」
「先程も言った通り、出来る限りの努力はします」
「悪いな。頼んだぞ」
念を押すようにベルナールはテスタロッサに言い聞かせた。
それからテスタロッサは一礼してベルナールのもとから去っていく。
部屋に残されたベルナールは重たい息を吐いて、椅子に深く腰を掛け直して天井を見上げた。
「忙しくなるな……」
その呟きを最後にベルナールは黙々と仕事を片付けていくのであった。
部屋を出て行ったテスタロッサは私室に戻ろうとしたら、側仕えが駆け寄って来るのを目にする。
「あら、どうしたの?」
「お嬢様にお客様がお見えになっております」
「お客様? 誰かしら?」
はて、このような時に誰が訪ねて来たのだろうかとテスタロッサは首を傾げる。
騎士団にはベルナールが一報を入れており、しばらく休暇を取る事は承知されている。
勿論、テスタロッサは自分でも近しい人間には、しばらくの間、騎士団を離れる事を伝えている。
ただ、どういった用件で騎士団を離れるかは伝えていない。
「ヴァンシュタイン公爵家のご令嬢にございます」
「エリナね……」
名前を聞いてすぐに分かった。
エリナはヴァンシュタイン公爵からフリューゲル公爵とレオルドが接触する事を聞いたのだと。
だとすれば、エリナがテスタロッサに会いに来た理由は容易に察せる。
「友達として忠告に来たのかしら……」
今更、エリナに忠告をされたからと言ってどうする事も出来ない。
そもそも、今のレオルドは昔のように傍若無人で厚顔無恥な人間ではない。
それはエリナも分かっているのだろうが、やはりレオルドを認めたくないのだろう。
分からない事もないが、情勢を考えれば割り切るべきであるとテスタロッサは重苦しい息を吐いてエリナを迎えに行く。
玄関には普段は女性騎士として王都で働いているエリナがドレス姿で待ち構えていた。
少々、不機嫌そうにしているのは待たされたからだろうか、それとも別の理由があるのだろうか。
「(レオ君の事に関しては本当に狭量な子ね……)」
テスタロッサはエリナが不機嫌な理由をすぐに察した。
友達として、そして恋敵として忠告をしに来てくれたのだろう。
嬉しくある反面、煩わしいとテスタロッサは複雑な心境でエリナの前に立った。
「いらっしゃい、エリナ」
「急な訪問でごめんなさいね。でも、どうしても話がしたくて」
「中へ案内するわ。付いてきて」
テスタロッサはエリナを屋敷の中へ通す。
エリナを引き連れて真っ直ぐに自分の部屋へ向かい、側仕えにお茶菓子を持ってくるように指示を出した。
「楽にしてくれていいわ」
「失礼するわね」
テスタロッサにソファに座るよう促されたエリナは一言入れてから座る。
公爵家なだけあって家具も最高級なものでテスタロッサの私室にあるソファの座り心地は抜群であり、エリナはほんの少しだけソファの感触を楽しんだ。
「それで話しって言うのは何かしら?」
「惚けないでいいわ。レオルドの事だって事くらい分かってるでしょ?」
「せっかちね。少しは会話を楽しむ余裕を持ったらどうなの?」
「余裕でいられるわけないでしょ! 友達が好きでもない男と無理矢理結婚させられそうになってるのよ!」
「エリナ。落ち着いて」
「落ち着いてって……! どうして、テレサはそんなに落ち着いていられるのよ! 相手はレオルドよ!? 本当にそれでいいの!?」
「口を慎みなさい! エリナ。たかが公爵家の令嬢が国王に認められ、民衆からの信頼も厚いハーヴェスト辺境伯を罵るような発言は許されないわよ」
「犯罪者よ、アイツは!」
「だから、それがどうしたって言うの?」
「なッ……! テレサ、自分が何を言っているのかを理解してるの?」
「その台詞はそっくりそのまま貴女に返すわ」
「どうして分かってくれないの! 私は貴女の為を思って――」
「どうして分からないの? レオ君はもう私達がどうこう言える存在じゃないって事が」
「そ、それは……」
「レオ君に対して偏見を持ってる貴女も分かってるんでしょ? 腹が立つのも分かるし、悔しいのも分かるわ。でも、いい加減認めたらどう? レオルド・ハーヴェストは過去に間違いを犯したが、紛れもない英雄だって」
「…………」
興奮して身を乗り出すようにテスタロッサへ詰め寄っていたエリナは冷や水をかけられたように沈黙する。
すると、まるでそれを見計らったようにテスタロッサの側仕えがお茶菓子を持ってきた。
テーブルに置かれた紅茶とお菓子を茫然とした様子で見つめるエリナと何食わぬ顔で紅茶を飲み始めるテスタロッサ。
「ジークは……ジークの事はどうするの?」
俯きがちに自身の手元にある紅茶を見ながらポツリとエリナはテスタロッサに問い掛けた。
「ねえ、エリナ。恋と夢は一緒だと思わない?」
「……何が言いたいの」
「分からない? 本当に?」
「どっちも
「ちゃんと分かってるじゃない。そうよ。恋も夢もいつかは覚めるもの。私はね、もう目が覚めちゃったのよ」
「諦めるって事? 好きなんでしょ? ジークの事が」
俯いていたエリナは顔を上げてテスタロッサの顔を見る。
そこには悲恋に歪んだ女の顔はなく、過去と割り切って新たな道を目指す儚げに笑う女の顔がエリナの目に映った。
「ええ、そうよ。割り切る事にしたの。恋する乙女ではいられるけど、いつまでも夢見る少女じゃいられないから」
「ッ!」
テスタロッサの一言はエリナの胸にグッと突き刺さった。
恋愛婚は認められているがあくまでも表向きであり、実際はあまり歓迎されておらず、反対される事も多い。
その理由としてはやはりデメリットが多いからだ。
貴族が平民と結婚すれば、価値観の相違や生活水準の違いで別れる事もある。
それだけではなく、平民に貴族としての教育を施さなければならず、時間や金も掛かるだろう。
人間関係も複雑で上手くやらなければならず、肩身の狭い思いもする事になるかもしれない。
貴族同士でも同じだ。
恋愛結婚は政略結婚と違って何のメリットもない。
相手が同じ家柄や財力があるのなら何の問題もないが、片方に問題がある家とはいくら当人同士が愛し合っていても付き合いたくないだろう。
それとなく両親が反対するのだ。
最悪の場合は相手を物理的に消すか、社会的に抹殺するのだ。
勿論、悪い事ばかりではない。
愛する者同士が結ばれるのは幸福であり喜劇だろう。
だが、それは物語の中だけであって現実は違う。
物語は王子様とお姫様が結ばれたら終わりだろうが、現実は結ばれてからも続いていくのだ。
「エリナ。愛があれば何て考えは捨てた方が幸せよ。だって、愛は無償であっても無限ではないもの。いつか、冷める時が来る。もしかしたら、来ないかもしれないけれど、私はその時が来たの」
「だから、レオルドの所に行くの?」
「貴女からすれば浅ましい女だと思うでしょうね。でも、私は最良の選択したと誇っているわ。だって、レオ君に愛はなくても信頼と尊敬はあるもの。生きていく上で大切なものをレオ君は全部持ってる。そこに愛がないだけでね」
「そんなの虚しいだけじゃない……」
「好きな人にずっと振り向いて貰えないのも虚しいだけだったわ」
「…………」
再び、顔を下に向けるエリナは紅茶に映る自分の顔を見た。
酷い顔だ。今にも泣き崩れてしまいそうに悲しい顔をしている。
テスタロッサはエリナがどのような表情をしているかを理解しつつ、少しだけぬるくなってしまった紅茶を飲み、言いたい事を言う。
「学園の頃は楽しかったわ。ジーク君は他の貴族と違って本当に身分の差を気にする事無く誰とでも仲良くなって、皆笑顔で過ごしていた。私も貴方達と過ごした時間はたったの二年だったけど本当に楽しくて幸せだったわ」
まるで今は幸せではないと言わんばかりの言い方にエリナは問い詰めたくなるが、まだテスタロッサの話は終わっていない。
「でも、学園を卒業してこれからも貴女達と過ごしたいから騎士団に入団して、ようやく気が付いたの。あれは一時の夢だったって」
学生時代は何のしがらみもなく平穏に過ごせた。
ジークフリートが中心にいて、友人達と笑って楽しい毎日を送っていた。
だが、それは一時の夢でしかなかった。
学園の外に出ればテスタロッサはフリューゲル公爵の娘であり、学生時代に友人であった平民の子とは一緒に遊ぶ事も出来なければ、気軽に話しかける事も出来ない。
その事をようやく思い知ったのは同じ騎士団に入団した平民の友人が、貴族に嫌がらせを受けていた事が発覚した時だった。
「本当にいい夢だったわ。もうさめちゃったけどね」
そう言って残っていた紅茶を飲み干したテスタロッサはお菓子を一つまみして朗らかな笑みを浮かべた。
「ん、美味しいわ」
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