第278話 さそり座の女は怖い

 医務室にいた三人の背筋にゾワリと悪寒が走る。グレンがレオルドのほうに顔を向けてレオルドもグレンに顔を向けて、互いに頷き合う。最悪の場合、二人同時に魔法を放とうとしている。


 そして、医務室の扉が開かれる。そこに立っていたのは他でもないシルヴィアだった。レオルドは医務室に来たのがシルヴィアだと分かり安心するが、何故かは分からないが睨まれているのを知り困惑してしまう。


(え? なんで睨んでるの? 俺なんかした?)


 勿論、なにもしていない。ただの嫉妬である。しかし、レオルドが気付くはずがない。シルヴィアが嫉妬しているなどと。


「御機嫌よう、レオルド様。お体の具合はどうですか?」


 ニコニコと微笑んでいるシルヴィアだが、内面はグツグツとマグマのように煮え滾っている。当然、レオルドは心を読む能力などないのでシルヴィアが怒っている事には気が付かない。


「ベッドの上からで申し訳ないのですが、お久しぶりでございます、殿下。体の方は順調に回復しております」


「そうですか。それはよかったです」


 本当に心配していたのでレオルドが無事だという事が分かり、シルヴィアは少しだけ怒りを静めて喜んだ。だが、それは本当に少しだけの時間である。


「ところで、レオルド様。部下から話を聞きましたが帝国の方とは随分仲がよろしいので?」


 最初、レオルドは誰の事を言っているのか分からなかったが、一緒の部屋で治療を受けているグレンの事だと思い、何の疑いもなく話した。


「ええ。最初はお互い敵でしたが今は仲良くさせていただいております」


 レオルドが笑顔で言うものだから、シルヴィアはさらに怒りの火を激しく燃やした。


「そうですか。でしたら、一度ご挨拶をしたいのですが」


 その時、最高と言えばいいのか最悪と言えばいいのか迷う所にセツナが、いつもの調子で医務室にやってきた。


「やっほー、レオルド。遊びに来たよ」


「セツナか。悪いが相手に出来ないぞ。今は殿下が来ているからな」


 そのやり取りを聞いていたシルヴィアは愕然とする。軽いノリのセツナに仲の良い友人のように語り掛けるレオルド。

 シルヴィアは怒りを忘れて今の状況を冷静に分析していた。そして、思い知る。そう、自分が酷く危うい状況であることを。


 互いに名前で呼び合う親しい男女。そして、先程のやり取りから察する事の出来る距離感。何よりも共に死線を潜り抜けた戦友。


 それに比べてシルヴィアとレオルドの関係は王女と臣下に過ぎない。多少は仲が良いがセツナと比べると何とも言えない。


 そしてなによりも、今のシルヴィアはただの嫉妬に駆られた女。これでは重たい女、嫌な女というレッテルを貼られてもおかしくはない。それは嫌だ。それだけは嫌だ。ただでさえ距離を置かれていた過去があるのに、今更嫌われるなど耐えられるはずもない。


(ああ……! 私はなんと醜い女なのでしょうか! 最初こそ純粋に心配していたのに、他の女性と仲良くしてると聞いて嫉妬に狂い飛び出してきて、レオルド様に怒りを沸くなんて……これでは嫌われても仕方がありませんわ)


 顔にこそ感情を出さなかったがシルヴィアは自身の行動、感情に嫌気が差しギュッとスカートを握り絞めた。

 そして、必死に感情を抑え込む。ただレオルドに嫌な女だと思われたくないように笑顔を取り繕って。


「そちらの方が帝国守護神と名高い永遠のセツナ様ですね。初めまして。私はアルガベイン王国第四王女のシルヴィア・アルガベインといいます。以降、お見知りおきを」


 淑女として王女として完璧に振る舞うシルヴィアは普段と変わらぬ笑顔を顔に張り付けてセツナへ挨拶をした。


「ん。初めまして。セツナです」


 対してセツナは何の捻りもない質素な挨拶を返す。


「それで殿下。帝国には何をしに来られたのです?」


 ここで空気を読めないレオルドの発言がシルヴィアを動けなくする。シルヴィアは素直にレオルドの見舞いに来たとは恥ずかしくて言えるわけがない。そのようなことを口にすれば自分がどのような思いをレオルドに抱いているかを暴露するようなものだから。

 勿論、嫉妬に駆られて怒りに来たとも言えない。こちらもレオルドの対して特別な感情を向けていることを示唆してしまう。


 だから、シルヴィアが取った行動は撤退である。余計なことを仕出かす前にシルヴィアはこの場から退散することを選んだ。


「レオルド様が無事に作戦を遂行したので、労いの言葉をと思いまして」


「そうですか。わざわざ私のような者の為にありがとうございます」


「いえ、レオルド様は救国の英雄ですもの。これくらい当然ですわ。レオルド様。どうかこの機に十分お体をお休めください。では、私はこれで」


 ミッションコンプリートである。シルヴィアは見事に嫉妬を隠し通し、無様な姿を見せることもなくレオルドと対話を終えることに成功した。


 優雅にシルヴィアは医務室を出ていく。そして、訪れる静寂の時間。すると、一部始終をずっと見ていたカレンと途中から見ていたセツナが同時にレオルドの名を呼ぶ。


「レオルド様!」

「レオルド」


「うおっ! どうした? いきなり二人して名前を呼んだりして」


「動けるなら今すぐシルヴィア様を追いかけるべきです!」


「早くした方がいい」


「ええ? なんで? 殿下は労いの言葉を伝えに来ただけじゃん」


「そ、それはそうなんですが……! でも、行った方がいいと私は思います!」


「私も。レオルドはもう少し殿下と話すべき」


「そ、そう言われてもな……。せめて理由を教えてくれないか?」


 セツナとカレンは顔を見合わせるが何も言わない。二人は気が付いていたのだ。当然、レオルドもグレンも気が付いていない。同性である二人だからこそ気が付いたのだ。シルヴィアがレオルドに只ならぬ感情を向けていることを

 しかし、それは本人の口から言うべきことであるので当事者でもない二人は黙秘を決める。


「それは言えません。ですが……もう一度シルヴィア殿下と話すべきです」


「う、う〜ん……」


 カレンにそう言われるがレオルドはやはりよくわかっていない。だから、どうしても動こうとしないのだ。


「レオルド。追いかけないなら、凍らせる」


「はあっ!? いや、なんで!?」


「問答無用。今すぐ行くか、ここで凍るか」


 セツナは本気である。手から冷気が漏れており、医務室の温度が下がっていく。これは冗談ではなさそうだとレオルドは悟り、自棄になってシルヴィアに会いに行くことを決めた。


「ああー、もうわかったよ。殿下に会いに行けばいいんだろ。だから、セツナ。その手を下ろせ」


「ん。じゃあ、早く行くといい」


「はいはい」


 完治していないがレオルドは動ける程度にまでは回復しているので、少々痛む身体でシルヴィアの後を追いかけるように医務室を出て行った。


 残された三人のうち、状況が全く掴めていないグレンが二人にどうしてレオルドを無理矢理シルヴィアを追いかけさせたのかを訊いた。


「どうして、彼にあそこまでしてシルヴィア殿下を追わせたのだ?」


「それは女にしかわからない」


「そうです。きっと男の人には一生わかりません」


「そ、そうか」


 結局何が何だかわからないままのグレンは、それ以上何も訊かずに読書を始めるのであった。

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