第218話 悪とはすなわち価値観である

 帝国守護神の一人、禍津風のゼファーを配下に加えたアトムースの勢いは止まらない。圧倒的な暴力に屈する貴族が増えてアトムースの勢力はさらに力を増す。


「さあ、メインディッシュといこうか」


 アトムースは大本命の帝国守護神であり、帝国最強の炎帝のグレンを自身の配下へ加えるために動き出した。


 グレンはアトムースが自分を狙っているとは知らずに、いつものように日々を過ごしていた。

 日課である兵士への訓練を終わらせたグレンは自室へと戻ると、ゼファーと遭遇する。


「ゼファーか。私になにか用か?」


「アトムース殿下がお呼びです」


「殿下が? わかった。すぐに向かおう」


 特になんの警戒もせずにグレンはゼファーと共にアトムースの下へと向かう。まだ、グレンはゼファーがアトムースの配下になったことを知らない。もし、知っていれば未来は変わったのかもしれないが、それはもしの話である。


 グレンとゼファーはアトムースの下へと辿り着く。部屋に入ってきたグレンを見てアトムースは僅かに口元を歪める。


「よく来てくれた。さあ、座って話そうじゃないか」


 少々、胡散臭い笑みを浮かべているアトムースにグレンは警戒心を抱きつつ、言われたとおりに椅子へと腰を掛ける。使用人が淹れた紅茶を飲みつつ、アトムースはグレンに話しかける。


「さて、まずは何から話そうか。そうだな、グレン。最近、調子はどうだ?」


「特に何の問題もなく普通です。殿下。それよりもご用件があると伺ったのですが?」


「はは。もう少し、世間話を楽しもうではないか」


「申し訳ございません。殿下。私はまだ仕事が残っておりますので、出来れば用件を伺いたいのです」


「そうか。それはすまなかったな。だが、最後に一つだけいいか?」


「なんでしょうか?」


「生まれたばかりの孫は可愛いか?」


「……ええ」


「そうかそうか! 孫は可愛いか! ああ、ところでお前の可愛い孫というのはこの子で合ってるよな??」


 アトムースがそう言うと同時に指を鳴らす。すると、男女を拘束している兵士と子供を連れた兵士に、赤子を抱いた兵士が現れる。

 その集団を見てグレンが魔力を高めて、兵士たちに手を向けるが、それをゼファーが止める。


「ゼファー! 貴様! 陛下を裏切ったか!!!」


 グレンはゼファーが自分の邪魔をしたのを見て、アトムースの配下に加わったということを理解する。帝国守護神が誰か一人に肩入れすることは禁じられている。それを破ったゼファーにグレンは怒鳴り声を上げるが、怯む様子はない。


「すべて覚悟の上です」


「一体何を吹き込まれた! お前ほどの男がどうして、殿下に従うのだ!」


「頂きをみてみたいのです。至高の領域にいる魔法使いシャルロット・グリンデと戦ってみたい。そう思ったのです。心の底から」


「馬鹿な……たかが、そのような理由で裏切ったというのか!」


「たかがですか……貴方にとってはそうなのでしょうね。ですが、僕は違う。僕にとっては陛下を裏切ってでも戦ってみたい相手なんですよ!」


「そうか。確かにお前は昔から強さばかり追い求めていたな。理解は出来んが納得は出来る。だが、戦う相手がいなくなった時、お前はどうするつもりだ!?」


「そんな事分かりませんよ。先のことなんて誰も分かるわけがないでしょう?」


「話し合う余地はないのか?」


「今の状況をご覧下さい。貴方の家族はこちらの手の中にいます。殿下に危害を加えようものなら、僕が阻止します。僕を相手にしながら家族を助け出せる自信があるのなら、試してみればいい。さあ、どうしますか?」


「く……っ!」


 いくらグレンが帝国最強だとしても、人質を取られている上に同じ帝国守護神のゼファーを相手にする事は難しい。

 勝ち目のない状況にグレンは悔しさに拳を握り締めたまま肩を落とした。


「この外道め! 貴様には誇りというものがないのか!」


 拘束されていたグレンの息子がアトムースに向かって罵声を放つ。

 それを聞いたアトムースは首を向けてグレンの息子を睨みつける。


「誇り? はははっ。そのようなものとっくの昔に捨てたさ。貴様らは誇りがどうのこうの言うが、その誇りがなにをしてくれる? 飯を食わせてくれるのか? 金を稼いでくれるのか? 馬鹿馬鹿しい。誇りなどあっても生きていく上では邪魔でしかない。美徳として語られるが、ただそれだけだ。何一つ良いことなどない」


「なぁっ……!?」


「生きていくのに必要なのは狡猾な知恵だ。だからこそ、世には悪人が蔓延はびこっているのだ」


「ならば、貴方は悪だ! 決して許されることなどない極悪人だ!」


「くくっ。はっはっはっはっはっは! そうだな。俺は悪だ。だが、それはお前の目線だ。俺は自分が正しいと思って行動をしている。それに歴史を見てみろ。俺よりも極悪な人間は大勢いる。ただ、そいつら全てが悪かと言われたら違うだろう。中には正義と呼ばれている者だっている。つまり、結局正義や悪など人それぞれでしかない。だから、言おう。だが、それがどうしたと! 俺は自分が悪だとか正義だとか興味は無い! ただ、自分が正しいと思ったことをしているだけだ」


「う……く……」


「ふん。つまらん。少しは言い返してみたらどうだ?」


 何も言い返すことが出来ずにグレンの息子はがっくりと肩を落とす。アトムースは、グレンの娘や妻の方にも顔を向けたが、誰一人文句を言う者はいなかった。


「さて、長くなってしまったが、グレンよ。お前にはこれを着けてもらう」


 そう言ってアトムースが取り出したのは首輪。その首輪を見てグレンは驚愕に目を見開く。


「それはっ!」


「ほう。やはり、知っているか。この隷属の首輪を」


「宝物庫から盗み出したのか……!」


「ああ。いくら人質を取ったとしてもお前は俺を裏切るかもしれないからな。だから、念には念をということだ」


「ぐ……」


 アトムースが手に持っているのは隷属の首輪。かつて、古代遺跡から発掘された代物であり、危険性を考慮され帝国の宝物庫に厳重に保管されていた。


 しかし、アトムースが宝物庫から盗み出したのだ。自身の立場を利用して、宝物庫に入り、保管されていた隷属の首輪を盗んでいた。


 その隷属の首輪がどうして厳重に保管されていたか。それは、文字通り他者を隷属、奴隷にする事が出来るからだ。

 装着したものは装着させた者に対して絶対的な服従を強制的に誓う。

 危害を加える事も、裏切るような真似も、不利益になるような行動も出来なくなる。


「これで終わりだ」


 アトムースが一切抵抗しないグレンに近付いて首輪を嵌めようとした瞬間、グレンはアトムースの首を掴む。


「ぐぅ!」


「人質を解放してもらおうか!」


 一気に形成逆転かと思われたが、アトムースは苦しそうに顔を歪めながらも笑う。


「おい、孫の方を殺せ!」


「貴様っ!」


 グレンが力を込めてアトムースの首をさらに締め上げる。


「ぎっ!?」


「貴様も死にたくはないだろう! 今すぐ人質を解放しろ!」


「ゼ、ゼファー!」


 名前を呼ばれたゼファーはグレンの孫に剣を突きつける。まだ、幼い孫は恐怖に震えて助けを求めるようにグレンを呼ぶ。


「お、お爺様……」


「殿下を離してください。この子は貴方達と違って国の為に命を捧げるほど覚悟は出来ていませんよ」


「くそ……っ!」


 非情になれなかったグレンは孫を助ける為にアトムースから手を離した。

 首を絞められていたアトムースは咳き込んだ後、隷属の首輪をグレンに嵌めた。

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