第96話 ママン、怒らんといて!

 一先ず、レオルドはバルバロトとの剣術の稽古を終える。次はオリビアの元で優雅に紅茶を注いでいるギルバートとの体術だ。


(いつの間に母上来てたんだ? それに、稽古の様子を見ても面白いのだろうか? よく分からんけど、なんか母上楽しそうにしているからいいや)


 呑気なことを考えながら、レオルドは柔軟体操を行う。


(そう言えばイザベルはどこに行ったんだ?)


 今更ではあるが、レオルドは買い物に行く時に置いて来たイザベルの行方が分からなくなっており気になっていた。

 しかし、いてもいなくても特に問題は無いだろうと判断してイザベルの事を忘れる。一応、イザベルは第四王女シルヴィアが送り込んできた諜報員なのだから、もっと警戒しておいた方が良いのだが、レオルドはこれといった情報は与えてはいないので放置しても問題ないとしている。


 柔軟体操が終わる頃には、レオルドの前に音もなくギルバートが立っていた。相変わらず、察知出来ない事にレオルドは悔しがる。まだ、ギルバートの領域へは遠い事に嫌気が差す。だが、同時に必ずやギルバートに目に物見せてやると意気込んだ。


「さあ、始めましょうか」


「ああ!」


「ふふっ。奥様に良いところを見せたいのですか?

 いつもより張り切ってらっしゃる」


「ふっ、そのようだ。俺は母上にどれだけ成長したかを見せてあげたい」


「既にお喜びでしたよ」


「そうか……ならば、もっと喜ばせるべきであろう!」


 公爵家自慢の中庭がレオルドの踏み込みにより地面が陥没する。常人では捉えきれない速度でギルバートの懐に侵入したレオルドは拳を打ち込む。


 ズドンッと重たい打撃音が鳴り響き、周囲の者が驚きの表情を見せる。見物していたオリビアもレオルドが躊躇うことなくギルバートに拳を打ち込むのを見て、驚きのあまり開いた口を手で隠していた。


「お見事でございます。しかし、まだ私には届きませんよ」


「はあっ!」


 レオルドの拳はギルバートに受け止められており、止まっていた。すぐ様、身体を捻り回し蹴りを叩き込むレオルドだったが、ギルバートに受け止められる。


 拳打も回し蹴りも受け止められたレオルドは一度距離を取り立て直す。腰を低くして呼吸を整え、ギルバートを睨みつける。すると、次の瞬間、ギルバートの姿が掻き消える。


 ギルバートの姿が掻き消えたと同時にレオルドは側面を腕を盾にして防御の姿勢をとる。レオルドが防御の姿勢を取った瞬間にギルバートが現れて強烈な回し蹴りを叩き込まれる。


「ぐっ……!」


「連続でいきますぞ」


「口に出す敵がいるかっ!」


 ギルバートの姿がまた消えるが、レオルドは動き出しており、ギルバートの攻撃を見事に防いでいた。見物していた者達は更に驚いた事だろう。

 ギルバートの動きは警備を担当している騎士でさえ捉える事が出来ていない。しかし、レオルドは完全にギルバートの動きを読み取っており、最適な動きで攻撃を捌いているのだから、驚かない方が無理というものだ。


 驚きの連続である周囲とは違い、レオルドは非常に冷静であった。ギルバートがどこから攻撃してくるかを的確に捌き、どこを攻めればギルバートが嫌がるかを完全に理解していた。

 しかし、それでもまだ届かないのだ。それも当然である。ギルバートはレオルドの倍以上生きており、経験が違いすぎる。それに、伝説の暗殺者として裏社会に君臨していた男だ。そう簡単にレオルドが追いつけるはずがない。


「づぅっ……!」


 ギルバートの強烈な蹴りを受け止めたレオルドは、痛みに顔を歪める。だが、受け止めたのだ。つまり、ギルバートを捕まえたという事。


「掴んだぞ、ギル!!!」


「むっ!」


 関節技に持ち込もうとするレオルドにギルバートは僅かながら焦る。しかし、レオルドの関節技は極まることはない。ギルバートが身体をコマのように回転させて、レオルドの手から抜け出したのだ。


「ちっ!」


「いやいや、お見事でしたよ。坊っちゃま。今のは焦ってしまいました」


「そうか。それならば嬉しい限りだっ!」


 離れた位置に立つギルバートへと踏み込んだレオルドは拳を突き出す。だが、それは悪手であった。少しばかり、動きが大雑把になってしまったレオルドはその隙を突かれてしまう。

 空振りしたレオルドの懐に侵入したギルバートは容赦なく膝蹴りを放ち、レオルドを宙に浮かせる。ギルバートはオリビアの前であるのに無防備状態となったレオルドを蹴り飛ばした。


「かっ……はぁっ……!」


 二度、三度と地面に跳ねて転がるレオルドを見てオリビアは立ち上がり、地面に倒れるレオルドの元へと駆け寄る。


「レオルドッ!」


 泥だらけになるレオルドを抱え起こすオリビアのドレスも汚れてしまう。しかし、オリビアは気にしていない。今はレオルドの容態の方が重要だからだ。


「ギルバートッ! 稽古だからと言ってここまでする必要がありますかっ! 貴方ならば寸止めくらいは容易でしょう! 何故、ここまでしたのです! 答えようによっては私は貴方を許しません!」


 ギルバートもついつい、いつもの癖でやってしまい、レオルドに容赦なく膝蹴りなど浴びせてしまった。しかも、レオルドを愛してやまないオリビアの前でだ。これにはギルバートもたじたじである。


 すぐにオリビアへと謝罪をしようとするギルバートであったが、目が覚めたレオルドがオリビアを止める。


「は、母上。ギルを許してやってください。私とギルはいつもこのような稽古を行っているのです。つまり、日常茶飯事なのです。だから、ギルを責める様なことはしないで下さい」


「だからって程があるでしょう! 貴方に何かあったらどうするの!? 今は怪我だけで済んでるけど、大事おおごとになってからでは遅いでしょう! お願いだから……心配させないで」


 レオルドの身体に顔を埋めて泣き叫ぶように愛息子の事を心配するオリビアを見て、レオルドは酷く後悔する。


(ああ……こんなにも俺の事を愛してくれてるんだった。俺の配慮が足りなかったな……)


「すいません、母上。私が間違っていました。でも、どうかギルを許してやってください。ギルに無理を言ったのは私の方ですから」


「……わかったわ。でも、次からは気を付けてね?」


「はい、分かっています」


 また泣かせてしまった事にレオルドは申し訳なくなる。もう泣かせないと決めていたのに、まさかこんな事で泣かせてしまうなんて。レオルドは次からは気を付けようと心に誓った。

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