10・隧道

『――青函トンネルは北海道の生命線だ。日本が日本であるために不可欠なインフラだ。少なくともパンデミック以降、その重要性はより高まった。文明が崩壊し、交通機関も老朽化と燃料不足の一途を辿った。船舶も補修がままならず、新造船を作ることもできない。今では、船といえば沿岸漁業の小舟と同義だ。長距離の海上輸送など不可能に近い。

 トンネルの保守に必要な資材や電力は優先して供給され、その維持に勤めてきた。電力がなくなればポンプが止まり、トンネルは海水で満たされてしまう。トンネルの維持は、東北を安定させるために不可欠の選択だった。

 しかし九州を経由する中国大陸からのハガネの流入は、今も続いているようだ。権力闘争も熾烈を極めているのだろう。それが数1000年間続いてきた〝大陸の常識〟なのだ。そして闘争を生き抜いた者は、より凶暴で苛烈な支配者となる。彼らの支配者は移り変わりながらも、組織化を高めていく。今この時も、急速に変化し続けている。もはや敵の主体は、大陸系のハガネだと考えるしかない。

 近いうちに北海道は、本州との連携を完全に分断する必要があるだろう。それは日本の消滅であり、本州全体を敵認定することでもある。新たな時代への変遷ともいえる。

 そしてその瞬間は、予想外に早く訪れるかもしれない――』  


 長老の予感は、正しかった。

 今ならまだ、原発資材を安全に運べるはずだった。なのに自らそれを破壊しなければならない状況に追い込まれている。しかも、その破壊すらままならない。

 そして、兵士たちはオニたちに取り囲まれている……。

 司令官は再びリモコンを握りしめる。

「やはりダメだな」

 そして銃をベルトに刺し、オニが落としたコンバットナイフを拾い上げた。ナイフの刃を見つめて、馬鹿にしたようにつぶやく。

「所詮オニだな……ロクな手入れもしていないか」

 タケルが問う。

「どうする気だ?」

「戻る。脱線で無線装置が壊れたんだろう。手動で起爆する」そして、言葉が曇る。「だが、列車が横倒しだ……あれでは、起爆装置が下敷きになって触れないかもしれないな……」

「だったら無駄じゃ――」

「行かなければ確認できない。方法は、それから見つける」

 その決意自体が、すでに死を意味している。しかも、列車はすでにオニに囲まれ始めている。コンテナにたどり着ける保証すら、ない。

「兵士はまだいる。あんたが行かなくてもいいんじゃないか?」

「ここで生き残っても、コンテナが破壊できなければ失敗だ。成否がかかった瞬間に司令官が逃げて、どうする?」

「だけどこの状態じゃ……近づくことさえできない。無理だ……」

「脱線ぐらいでは、おそらく原発は破損しない。機材が奪われれば、オニが電力を手にするかもしれない。文明が狂気のオモチャにされれば、結果は明白だ。武装の再構築が進み、侵攻は止められない。奴らはすでに、無軌道なオニどもを組織化できる方法を学んでしまった。今潰しておかなければ、いずれ北海道に攻め込んでくる」そして、背後の兵士たちに命じる。「援護は任せたぞ」

 それを聞いていた兵士たちが、悲壮な表情を浮かべる。数人が前に出る。

「俺たちも一緒に」

 いずれも歳を取った旧世代の生き残りのようだった。おそらく、今まで本州守備の中心を担ってきた元自衛官だ。

 司令官は屈託のない笑顔を浮かべた。

「当然だ」

 彼らはそもそも、死を覚悟している。新たな人類――すなわちタケルたちに希望を託して、命を繋ごうとしている。

 タケルは、それでも言った。

「あんたがいなければ誰が兵隊を率いる⁉」

「自爆装置を扱える者が少ない。ここに残る兵士は、自分の役目を心得ている。私はもう必要ない。年寄りの死に場所を奪うな。そこのナナミには大切な記憶が託されているんだろう。それは我々が守ろうとしたものだ。その記憶を残すことは、我々が生き続けることと同じだ。大事なのは、知識なんだ。機材なら、北海道でも調達できる可能性は残されている。ナナミだけが、我々を生かすことができる。だから、行け! 必ず守れ!」

 そこにトムが戻った。オニから奪ったらしい日本刀を握っている。べったりこびりついた血糊は、元の持ち主のものだろう。

「なぜまだここに⁉ 早く爆破を!」

「無線が壊れた」

 説明はそれで充分だった。

「ちっ……また戻るのかよ」

 そして踵を返し、引き返す。

 司令官が共に丘を駆け降りていった。老兵たちが続く。

 背後に残っていた若い女兵士が、タケルの腕を引く。

「行きましょう」

「でも――」

 成人前のようにしか見えない女兵士の目には、涙が溢れている。

「父さんの覚悟を無駄にしないで!」

 守備隊司令官はタケルではなく、ずっと彼女に語っていたのだ。

 どうやら司令官は、自分の娘を兵士として育てたらしい。それともタケル同様、誰かの子供を引き取って育てただけなのか。どちらにしても、北海道ではすでに廃れてしまった〝家族関係〟が続いていたようだ。東北守備隊を中心とした本州には、旧世代を色濃く引き継いだ共同体の形が残っていたのだ。

 トンネルに残った兵士たちが一斉に援護の銃撃を始める。再び集結して押し寄せてきたオニたちが、弾幕に怯む。だが、いつ銃弾を撃ち尽くしてもおかしくない。実際に、弾幕はどんどん薄くなっていく。

 それでも、一瞬の隙は作れた。

 トムたちが列車を目指して走り出す。司令官を取り囲む兵士たちが、近づくオニに向かって銃弾を放つ。しかし残された弾が尽きれば、銃を捨てて刃物で戦うほかはない。

 それは、彼ら全員が覚悟している現実だ。

 と、ケンジが入り口から飛び出していく。タケルの横を過ぎる瞬間に、言った。

「アケミさんを頼む」

「なんで行く⁉」

「弾除けだ」

 止める間もなく、司令官たちの後を追う。タケルが後を追おうとする。

 タケルの腕を掴んだ女兵士が言った。

「あんたの役目はそれじゃない!」

「行かせろ!」

「ナナミを見捨てるの⁉ 大事な人なんでしょう!」

「ケンジは命の恩人だ!」

「あんたは兵士じゃない。役には立てない」

「だからって!」

「トムはケンジの師匠なんだ。教師でもあり、父親代わりでもある。だから、止められない」

「トムはそんなこと望まない!」

「ケンジは望んでる! もうできることはない!」

「だが――」

「彼らはあんたを生かすために死ぬんだ! それが分からないの⁉」

 タケルは言葉を失なって、がっくりと肩を落とす。

 女兵士は口調を和らげた。

「行きましょう」

「北海道まで歩くのか……?」

「少し入ったところに電気自動車――路線補修用の小型巡回車があるはずです。満充電にしてあるということです」

 タケルたちは彼女に導かれてトンネルの奥へと入っていった。普段は消灯しているはずの照明が付けられていた。兵士数10人が横一列になって先頭に立つ。タケルたちと技術者らの集団が続く。後方を警戒する兵士の一団が、しんがりにつく。

 だが、前方から激しい銃声が反響してきた。そして、いったんは突入していった先行の兵士たちが、応戦しながら後退してくる。

 トンネルの奥は、すでにオニの支配下にあったのだ。5名の兵士たちが合流する。

「奥は占拠されてました! 進めません!」

 女兵士が呆然とつぶやく。

「挟まれたの……? 敵の人数は⁉」

「不明です。しかし巡回車も奪われています!」

「なんで行手を塞がれたの? 入り口は警備していたはずじゃ……」

「数キロ先に、昔、龍飛の海底駅がありました。そこの坑道から侵入して遡ってきたようです」

「そんな……オニのくせに、そんな作戦を⁉」

 銃声と同時に、オニたちが隊列を組んで進んでくるのが見えた。その後ろに、黄色い巡回車が何台か続いている。そこには、オニたちの幹部らしい人物が数人乗っているのが見えた。

 その中の1人が叫ぶ。

「抵抗するな! 銃を捨てろ! 外に出ろ!」

 明快な日本語だった。

 オニの知性は低いが、彼らを統率できる頭脳と権力があることは疑いようがない。その証拠に、オニたちが一斉に銃撃をやめた。

 守備隊の兵士たちも手にした小銃を下げた。もとより、銃弾は尽きている。どこかでマガジンを得られた時のために捨てられなかったに過ぎない。あるいは、すがる物が欲しくて手放せなかっただけなのか。少なくとも、小銃なら棍棒代わりには使える。

 数人が銃を置く。トンネル内が一瞬、静寂に包まれた。耳の中に残響が後を引く。

 が、1人が叫ぶ。

「ふざけんじゃねえ!」

 そしてピストルを放つ。銃声が反響する。

 同時に兵士は、数人のオニから銃弾を浴びせられた。一瞬で頭を砕かれ、背後の技術者たちにも流れ弾が浴びせられる。

 幹部が叫ぶ。

「やめろ!」

 銃撃は止まった。ここにいるオニたちは充分に訓練されている。

 幹部が繰り返した。

「外へ出ろ! 技術者を引き渡せ!」

 そしてオニたちは前進を始めた。

 タケルたちは後退し、再びトンネルの外へと押しやられた。

 オニたちもトンネルを出て、彼らを取り囲む。

 振り返ると……。

 列車がなぎ倒した草地で、凄惨な光景が繰り広げられていた。

 入り口死守のために残った兵士の多くが捕らえられていた。しかも、抵抗を封じるためか、手足を折られて転がされた者がほとんどだ。大量の血溜まりの中で、それでも反撃のために立ち上がろうとしている。気力を失った者は、オニに囲まれて銃口や刃物を突きつけられている。泊から同行してきた若者も混じっていた。当然、銃はもちろん、全ての武器は奪われている。

 彼らは明らかに、食料だ。保存するために、殺さないだけだ。

 すでに息絶えた数人は、迷彩服を剥ぎ取られて丸裸にされていた。その死体に数体のオニが群がり、肉を削って喰い散らしていく。

 それを、さらに多くのオニたちが取り囲んでいた。

 順番を待っているかのように……。

 オニの輪の中で、5人の女兵士が衣服を切り裂かれて犯されていた。かすかな悲鳴が聞こえる。

 その中の1人は、サチだった。迷彩服はすでにボロボロだ。何人目かのオニに犯されているのだろう。サチにのしかかったオニは、抵抗する腕をナタで斬りつける。サチは歯を食いしばり、無言でオニをにらみつけている。別のオニが待ちかねたのか、目の色を変えて男を引き剥がして、無理矢理入れ替わった。

 すると、群れの中から制服の男が歩み出た。男は何も言わずに、サチを犯すオニの頭を拳銃で撃ち抜いた。死体を蹴って場所開けると、最初のオニが再びサチに取り付いて犯し始める。オニの体に、喰われる兵士の内臓や血が飛び散る。

 サチ自身の血も混じっている。四肢は傷だらけで、肉を喰いちぎられた痕跡も見えた。それでも生きていることが、異様に思える。

 そこに集まったオニたちは、殺さずに苦痛を長引かせる方法を熟知しているようだった。

 無軌道に見えたオニたちにも、階級や序列があるらしい。あるいは、最初に敵を弄べるのは拷問技術を身につけた者だけなのかもしれない。

 彼らを取り囲んだオニの群れは、笑っている。止める者はいない。しかも、タケルたちの視界を遮る位置には、誰も立っていなかった。

 その惨状を見せつけるためだ。

 守備隊司令官も2人のオニに背後から羽交い締めにされ、顔を彼らに向けさせられていた。強制的に、部下の悲惨な姿を見せられている。遠目でも、目に浮かぶ苦渋は明らかだった。

 全ては、抵抗すればどうなるかを思い知らせるためだ。賞罰を、魂の底にまで染み込ませるためだ。オニたち自身もそうやって恐怖を植え付けられ、調教され、洗脳されてきたのだろう。

 それがオニを訓練し、兵士に磨き上げる方法なのだ。

 オニですら、隷属させられる鎖なのだ。

 もはや逃げ場はない。

 巡回車を降りたオニの幹部がトンネルに差し込む光に中に進み出る。

「あれが貴様らの運命だ。抵抗は無駄だ」

 振り返ったタケルが息を呑む。

 その姿は、泊の長老に瓜二つだった。

 言葉を失ったタケルの代わりに、ナナミがつぶやく。

「ちょうろう?」

 ナナミが間違えるのも当然だ。

 長老の弟――本州に潜伏した偽長老は、撤退を阻む作戦の指揮官として最前線に立っていたのだ。まぎれもなく、オニの軍勢の中心人物だ。前線を仕切る幹部の1人だったのだ。

 彼は、テレパシーで長老と繋がっている。だからタケルは、長老の分身としてオニの勢力を弱めようと奮闘しているのだと、信じたかった。淡い期待に過ぎなかった。

 彼は――偽の長老は、単にオニの動静を操っていただけではない。タケルの目の前で、指揮官の1人として守備隊を殲滅しようとしている。

 考えてみれば当然のことなのだ……。

 長老は北海道への攻撃を知らされて対処してきたという。実際に攻撃は防いできたのだから、情報そのものは真実だ。つまりテレパシーの発信源である偽長老は、攻撃計画を知り得る立場にある。しかもその前提として、攻撃を統制している軍隊が存在しなければならない。広範な軍の情報を知ることができるのは、上級の幹部に決まっているではないか……。

 そして、長老の息子であるショウヤもオニの手先だった。もはや長老自身の裏切りは疑いようがない。

 泊は、彼らの手でオニに明け渡されようとしているのだ。

 偽長老の背後には、軍服姿の2人が付き従っている。副官なのか、同格なのかは、服装からは判別できない。

 偽長老がつぶやく。

「技術者を選別しておくように。彼らは絶対に殺させるな。私は列車を見てくる」

 命じられらた2人が素直に従ったところを見ると、格下のようだ。

 偽長老がタケルたちに近づく。オニの兵士が両脇に付き添ってはいるが、襲撃を警戒してはいない。抵抗する気力は完全に奪ったと確信している。

 そのままタケルの横を過ぎようとする。

 タケルが言った。

「あんたが長老の弟だな?」

 偽長老が足を止める。

「だったら、なんだ?」

 それでも、確認しないわけにはいかなかった。

「トマリを裏切ったのか? 長老はオニの仲間なのか?」

 偽長老は、タケルを見ようともしない。

「お前には関係ない。どうせすぐ喰われる身だ」

「2人でトマリを奪う気なのか?」

「だから、関係ない」

 そして偽長老は列車に向かった。

 死体を喰う者、女を犯す者は、偽長老たちに目も向けない。もはや欲望だけに突き動かされている。しかし他のオニたちは、目を逸らすようにして道を開けていく。彼が指揮官の中でも高位にあることは明らかだった。

 おそらく、作戦の立案者に違いない。

 オニを軍隊として組織化し、泊の長老と結託し、原発技術を奪って次世代の北海道の頂点に君臨する――それが目的なのだろう。

 だからショウヤは、評議会を破壊したのだ。

 オニたちの凶暴さはハガネの誰もが目にし、改めて恐怖を抱いていた。ひと塊になった技術者たちは、彼らを正視することもできずに、ただ震えている。その目は、逆らえば同じ目にあう――と確信している。

 蛮行を許すのはオニを管理するためだけではなく、ハガネを服従させるためでもある。理性を磨り潰すためでもある。

 そうして服従させれば、この地に原発を設置することが可能になる。技術者を配下に組み入れれば、トンネル維持のための電力系統を本州側が奪うこともできる。

 オニたち自身に原発を再開できる能力がなくても、構わなかったのだ。

 トンネルを水没させられる危険がなくなれば、陸路を使って函館を奪い、北海道の奥地にまでに攻め入ることが可能になる。広い本州から湧いて出るオニたちを次々に訓練し、大オニを量産し、北海道に送り込むことができる。

 その鍵が、小型原発による電力供給だったのだ。

 許してはならない――そう、タケルは決意した。

 だが、阻止する方法がない……。

 どこかに打開策はないか……。

 なんとしても、列車を破壊しなければ……。

 守備隊司令官を救出しなければ……。

 タケルは改めて周囲を見回した。

 オニたちに隙はないか?

 どこかに利用できる武器はないか?

 武器ではなくとも、利用できる物はないのか……。

 そして気づいた。

 守備隊司令官はオニに取り押さえられながらも、その顔だけが背後に向けられていた。喰われる部下から目を背けているのではなかった。何かを、見ている。そして、勝利に酔いしれるオニたちはそれに気づいていない。

 脱線車両に隠れながら進んでくる男の姿があった。遠目でも判別できた。

 ケンジだ。

 すばしこく目端が効くケンジは、戦うよりオニをかわすことを選んで先に進んだようだ。列車の陰に隠れてタイミングを図っていたのだろう。地面に転がった先頭車の除雪版は、偽長老たちを取り囲むオニの集団に向かっていた。そして除雪板には、まだ指向性散弾をばら撒く地雷が張り付いている。焦げ跡で一部は使用済みだと分かる。だが、取り付けた数が多い。炸裂していないものがまだ数発は残っているようだ。今でも点火できるかどうかは不明だが、数少ない武器だ。

 そして、破壊された先頭車には地雷のリモコンがあるはずだった。

 ケンジは背嚢を肩に担いでいた。トンネルを出たときには持っていなかったものだ。背嚢から、何かを取り出す。

 タケルは直感的に理解した。

 オニに抑えられたままの司令官も、ケンジの意図を見抜いたようだ。か弱い声がタケルにも届いた。

「伏せろ……」

 そして司令官は、その場にしゃがみ込んだ。オニがつられて前のめりになる。立たされていた部下たちも、同様に膝を折る。

 同時に、地雷が炸裂した。

 立て続けに起きる爆発音と共に、発射された無数の鉄球がオニたちの背中をえぐっていく。オニたちは、何が起きたか分からずに慌てふためく。爆発は、次々に起こった。鉄球が飛び散り続ける。そして、うろたえるオニたちを吹き飛ばした。

 オニの死体が司令官や部下たちに倒れ込み、逆に彼らの盾になっていた。

 爆発が終わると、倒れたオニの間から偽長老が立ち上がる。彼もまた、部下たちの体が盾になって鉄球から守られていたのだ。

 守備隊司令官は、自分を抑え込んでいたオニを弾き飛ばしていた。地面に打ち捨てられた日本刀を拾って、オニの生き残りを斬りつける。部下たちも散り散りに脱出を図る。

 指向性散弾の射線から外れたオニたちは彼らを銃撃したが、行動はバラバラで狙いも定まらない。オニの顔には恐怖が張り付いている。

 司令官は身を屈めながら刀を振るって彼らに向かっていく。オニに囲まれて死を待つだけの部下を救うために、突進していく。死体に喰いついていたために散弾から逃れたオニの首を、背後から次々と薙ぎ払う。

 死んだオニの下には、サチもいた。

 サチは、だが、もう起き上がることもできない。食い破られた四肢の血管から、間欠的に鮮血が漏れ出している。サチは腫れ上がった瞼から司令官を見上げ、何かをつぶやいた。

 かすかにうなずいた司令官は、サチの傍に膝をついた。そして、首を目がけて一気に刀を振り下ろした。サチの頭が、転がる。

 と、近くに銃声が起きて司令官がのけぞる。背中を撃たれたのだ。だが、何事もなかったかのように立ち上がると、振り返って銃声の元に向かっていく。当然、防弾ベストは着用していた。

 司令官は拳銃を構えたオニの胸に日本刀を突き刺し、そのまま押して倒れ込む。司令官の背中には、すでに無数の切り傷と銃弾を打ち込まれた跡が刻まれていた。

 それでも倒れたまま、刀を離してオニの首を絞める。その視線が、遠くに向かった。

 パワーショベルのエンジン音が高まっていた。運転席に乗り込んでいたのは、トムだ。

 オニたちもそれに気づく。奇声を上げてナイフを振り回す集団がショベルに向かっていく。わずかに残った銃から放たれる弾が、ショベルの窓を砕き、鉄板に火花を散らす。

 それでもトムは止まらなかった。

 地上からわずかに浮かせたショベルを振り回して、オニたちを退ける。何人かがバケットに弾かれて宙に飛んだ。運転席に取り付いたオニが、ナイフを突き立てようとする。トムは拳銃でオニの頭を吹き飛ばした。

 オニたちはようやく、ショベルからわずかに離れた。斧を投げつける者もいたが、トムまで届く距離ではなかった。

 パワーショベルは向きを変え、列車のコンテナへ向かっていく。コンテナは横倒しになっている。このままでは自爆装置の手動スイッチが下敷きになって、手が届かないのだ。トムはショベルを上げ、コンテナの先に振り下ろした。そのままバックする。ショベルでひっかけられたコンテナ車両は、両端の車両に連結されたまま回転した。

 自爆装置が露出した。

 だが、もう1つのパワーショベルもすでにエンジンがかけられていた。建設重機とは思えない速さで動き出す。キャタピラが草地を掘り返し、轟音と土埃を撒き散らす。

 トムに向かって突進している。

 運転席しているのは、サチを犯す兵士を射殺した制服の兵士だ。無軌道なオニたちを取り締まるだけではなく、先を見越す知恵が備わっているらしい。明らかに幹部だ。トムがショベルに向かったのを見て、咄嗟に行動を起こしていたのだろう。地雷の炸裂前にオニの集団を離れたために、散弾を浴びずにすんだのだ。

 トムがショベルの接近に気づく。運転席を回転させて、列車に向いていたアームを勢いよく振る。

 オニはアームを突き出し、トムを目がけて加速する。

 2台のアームが激突した。火花が散って、重量のある金属がぶつかり合う音が山間に響き渡る。

 トムの車体が反動で傾く。しかし倒れる寸前、キャタピラが浮き上がったまま静止して、すぐに体勢が元に戻った。

 オニのショベルのアームは弾き飛ばされていた。アームを真っ直ぐ伸ばしていたオニは、テコの原理で車体ごと向きを変えた。だがオニは、ショベル操作に習熟しているようだった。車体の方向を変えないまま、アームをトムに向けて振り戻す。

 しかしトムの判断も素早い。排気管から黒煙が吹き上がる。アームが襲いかかる前に、オニに向かって急加速していた。アームが届く寸前、敵の懐に飛び込んでいた。車体に衝突する。

 オニのアームはトムの運転席に激突したが、フレームを歪めて風防を砕いただけだった。トムは操作系を手放し、両手で握った拳銃を割れた風防から突き出す。

 オニの操作もためらいがなかった。一瞬の遅滞もなく急速にバックする。トムが放った銃弾は運転席の窓枠に当たっただけだった。

 オニが離れていく。

 トムはさらに加速して、逃げるショベルを追う。そのまま列車から引き離そうと狙っているのだ。

 が、オニは急激に動きを止めた。いったん振り上げたアームをわずかに折って、バケットを地面に突き立てる。

 一方のトムは制動をかけたが、止まりきれなかった。片方のキャタピラが、オニのバケットに乗り上げてしまう。オニの意図に気付いたが、間に合わなかった。

 オニはアームを地面につけたまま、ゆっくり前進しながらトムのキャタピラを持ち上げていく。

 トムの車体が傾く。トムはアームを回転させてオニを突き放そうと試みた。だが、一瞬遅れをとった。トムもそれを悟る。ショベルを諦めて風防から脱出する。同時にショベルが倒れた。トムは草地に飛び降りて転がった。

 オニがバケットを振り上げ、トムに迫る。

 トムは倒れた車体の陰に入って、叩き下されるバケットから身を守る。そして、素早く走った。オニのショベルの背後に回って、その車体に這い上がったのだ。

 オニからは、トムの動きは見えなかったようだ。しばらく不安げに周囲を見まわしたが、すぐに諦める。今度は、列車に向かっていった。

 そのオニが自爆装置のことを知っていたかどうかは分からない。だが、トムが命がけで車体を回転させた意味は理由できたようだ。そのままにしておけば自分たちの不利になるのだ、と。

 オニはバケットで列車を押し始めた。元の向きに戻そうとしている。

 トムが運転席の背後のエンジンに登って、銃を向ける。

 しかしオニは、バックミラーでその姿を捉えたようだ。すかさず前のめりに身をかがめてを射線を避ける。

 トムが放った銃弾は運転席の風防を砕いただけだった。そして、銃弾が尽きた。

 オニは振り返って、トムに向かって腕を突き出した。その手には、コンバットナイフが握られている。切先が、トムの眼球に深々と刺さっていく。

 トムも、オニを殴ろうと拳を突き出す。その腕がヒビが入った風防を突き抜ける。しかし、オニには届かなかった。

 身を引いたオニが、嘲笑う。

 だがなぜか、トムも満足げに笑っていた。下に向けた拳を開く。何かが運転席の中に落ちた。

 オニはトムの動きには気づかなかったようだ。シートに戻って再び列車を押し始める。エンジンが轟音を上げ、黒煙を撒き散らす。そして列車は少しずつ回転し始めた……。

 その時、運転席の中で爆発が起こった。トムは、最後に手榴弾を放り込んでいたのだ。

 パワーショベルが動きを止める。エンジン音がアイドリングに変わっていく……。

 列車は回転しきっていなかった。

 自爆装置には、まだ手が届く。

 だが、それを操作できる兵士は、もう残っていない――。

 そうタケルが諦めそうになった時、オニや兵士の死体の中から、立ち上がる者がいた。

 守備隊司令官だった。

 満身創痍になりながらも、まだ絶命はしていなかったのだ。生き残ったオニたちがパワーショベルの激闘に気を取られている間に、列車ににじり寄っていたようだ。守備隊の何人かも、まだ生き残っていた。彼らは司令官を囲んでわずかずつ前進していく。

 その中に、ケンジもいた。

 彼らは腕を失い、鮮血を溢れさせ、膝をつき、這いながらも、わずかずつ進んでいく。

 生き残ったオニも必死だった。立ち上がる足を失った者が、身近に落ちた銃を拾って彼らを狙う。力を失った腕で、手斧を投げつける。それでも、何人かはまだ司令官を追うことができた。銃も手にしていた。

 司令官はオニからの銃弾を受けながらも、足を引きずりながら自爆装置に向かう。周辺に散った部下たちも、散乱した武器を奪いながら隊長を援護する。

 這うことしかできなくなった兵士が、追ってくるオニの足に手斧を突き立てる。まだ立てる兵士は、オニに抱きついて手榴弾を爆発させた。ケンジは足を引きずりながらも、迫るオニたちをナタで薙ぎ払っていた。

 彼らは、司令官に数分の時間を与えるために、命を捨てようとしている。それが北海道の、そして人類の希望だということを理解している。

 彼らの命を背負った司令官は、コンテナの車台を掴んでよじ登り、そして自爆装置ににじり寄っていく。

 オニの1人がその足首を掴んだ。司令官を引き摺り下ろす。別のオニが司令官の首筋に、背後からコンバットナイフを突き刺した。

 守備隊員たちが息を呑む。

 司令官は、オニに引きずられて地上に倒れた。そして。絶命した。

 残った兵士たちも万策尽き、対抗する気力を失う。次々に殺されていった。

 戦闘は終わったのだ。

 生き残ったオニたちが、ゆっくりと集まっていく。みな、必死の形相だった。

 凶暴性を発散することはオニの本能のはずなのだが、歓喜は感じない。最後の攻撃は、もはや生き残るためでしかなかった。ここで司令官を取り逃せば、自分たちが切り刻まれることが分かりきっているのだ。

 彼らに叩き込まれた恐怖は、本能さえ凌駕している。

 司令官は、集まったオニたちに首を落とされた。

 傷だらけのオニの1人が、司令官の首を掲げて吠える。

 オニたちが同調する。ようやく恐怖から解放され、本能を爆発させた。

 彼らに向かって偽長老が歩いていく。安全な場所から全てを見届けていたようだ。それに気づいたオニたちが落ち着きを取り戻し、ひざまずく。偽長老は兵士たちの死体を踏みつけながら、その間を列車に向かっていく。その後に、副官たちが付き従う。

 偽長老の手には、拳銃が握られていた。倒れた兵士を見下ろす。ケンジだ。片足を失っていたケンジは、それでも偽長老を切りつけようと上体を起こす。偽長老はためらうことなく、ケンジの眉間を撃ち抜いた。

 全ての兵士の視線は、偽長老に向けられていた。タケルたちの周辺も、いつの間にか手薄になっていた。司令官の阻止に多くのオニたちが加わっていたのだ。

 偽長老の動きには、明確な意思が感じられた。明らかに、コンテナに自爆装置が仕掛けられていることを知っている。その場所も正確に把握している。そして、解除しようとしている。

 タケルは、がっくりと首を垂れた。力を使い果たしていた。もう動くこともできない。気力も、尽きた……。

 守備隊は、完全に敗れたのだ……。

 もはや、北海道を守ることも叶わない……。

 ここで人生を終えるしかないのだ……。

 と、タケルの背後、トンネルの入り口から銃声が響いた。それを合図にしたように、激しい射撃が始まる。

 振り返ったタケルは、トンネル入り口に並んだ兵士の姿を見た。いつの間にか、暗がりの中に兵士の隊列が作られていた。彼らは軽機関銃を構え、オニたちに銃弾を浴びせていた。中には数台の重機関銃が架台に据えられている。

 タケルや技術者、武装を解除された兵士たちは、トンネルから追い出されて入り口周辺に集められていた。彼らを取り囲む警備のオニたちは背後からの攻撃に気付く間もなく、的確な射撃で次々に頭を撃ち抜かれていく。その先の列車の近くには、もはや生きた守備隊員はいない。その周辺が弾幕で覆われ、血煙が上がる。

 明らかに、オニだけを選んで攻撃している。

 北海道の防衛隊だ。

 トンネルには、どこからともなく援軍と武器が持ち込まれていたのだ。

 考えている暇はなかった。タケルが叫ぶ。

「トンネルに入れ!」

 一同はオニたちの死体に足を取られながらも、入り口に走った。そこで手招きする男を見て、タケルは息を呑んだ。

 ショウヤだった。

 そしてその横には包帯で腕を吊った老人――泊の長老が立っていた。

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