9・激戦
『――かつて、法律や倫理が社会の規範だった。にもかかわらず、犯罪は蔓延っていた。つまり、幻想に過ぎなかったかもしれない。だとしても、幾ばくかの価値は存在したはずだ。悪を行うにしても、理性の裏付けを持った悪だったと思いたい。しかしウイルスは、それすらも無意味にした。弱肉強食が世界の行動原理に変わった。本能が全ての社会では、歴史や伝統、思索や希望、長期的な展望でさえも意味を持たない。
オニは殺し、喰らうだけだ。相手が何者かも考えない。手当たり次第に殺し、喰らい、獲物がなくなれば次を求めて彷徨う。喰うものがなくなれば、飢えて死ぬ。性欲の処理も見境ないが、かろうじて母体の保護だけは行われているようだ。それも、本能がなせる技だろう。だから、オニの個体数は急速に減っていった。世界から、そうやって生物が激減していった。
当初は、同じように本州からオニが消えていくだろうと考えられていた。しかし、間違いだった。
本州各地を巡りながらオニの動向を探っている弟によれば、強権でオニを統率する者たちが現れたという。オニの軍隊化は、もはや避けられない流れだろう。
オニの新生児たちは3種類に分けられたようだ。全く知性を備えずに食料として扱われる「食用児」、わずかな理解力を備えて恐怖によって調教される「兵士」、そして大脳との接続を保って生まれる「幹部」だ。その階層が確立されたのは、大陸から流入してきた一群が主導権を握ってからのようだ。「幹部」の間で激しい主導権争いもあったに違いない。そして彼らの社会はより凶暴になり、最終的には北海道まで侵攻してくることが予測された――』
タケルは夢を見ていた。ノートの記述を必死に追う夢だ。内容が異様に鮮明に蘇る――。
肩を揺すられて目を覚ました。トムだった。
「偵察隊から連絡が入った。一部で戦闘が始まったようだ」
タケルの意識が一気に覚醒する。銃眼からは日光が差し込んでいる。列車を隠す闇は、もうない。
同時にはるか彼方で銃声が起きたようだ。
「近いのか?」
「まだ距離はある。だが、オニたちも決戦の覚悟で集結しているらしい。トンネル入り口まであと1キロといったところだ。その前に、また短いトンネルをいくつか通過する」
と、列車がトンネルに入ったらしく、銃眼からの光が途絶えて車内が暗くなる。
守備隊司令官のトランシーバーに連絡が入る。声が緊迫感を漂わせた。
『先頭車です! トンネル出口に重機を落とされました! 先発隊と分断されました! トンネル、出られません!』
司令官は考える間も無く指示を飛ばす。
「先頭車、最大加速だ! 重機を弾き飛ばせ!」
ほぼ同時にタケルたちの体が揺らぐ。これまで徒歩並みの速度で走っていた車体が、一気に加速する。直後にトンネル内に衝撃音が響き渡る。わずかに遅れて、車体に振動が走った。加速が阻まれ、連結部が軋む。
タケルはナナミの怯えを見て、思わず言った。
「大丈夫なのか⁉」
守備隊司令官は仁王立ちになって、じっと前方を見つめたままだ。
「他に方法はない。逃げ場もない」
そして車体の振動を冷静に感じ取っている。
「でも……」
司令官がニヤリと笑う。
「脱線はしていない。障害物は排除したようだ。君たちも雪国の住人だろう? こっちのラッセル車は、湿った雪が1メートル積もった吹き溜まりでも負けない。重機ごときは軽く押しのけられる」
トランシーバーが叫ぶ。
『銃撃です! トンネル内にもオニが待ち構えています!』
「もっと加速しろ!」
トンネル内にはオニが配置されていたらしい。列車はまだ充分に加速できていない。何人かが車両に取り付く。
銃眼を掴んでしがみつき、中にナイフを突っ込んだりピストルの銃口を向ける者もいる。彼らは兵士たちに頭を吹き飛ばされていった。果敢に戦う兵士には、ケンジも混じっている。いつの間にか、こっちの車両に移動していたのだ。
アケミは、ナオキとともに車両の後方で身を縮めていた。
タケルはナナミに命じた。
「アケミさんと一緒にいろ」
だがナナミは、きっぱりと言った。
「いや」
「命令だ!」
「いや」
トムがタケルに地雷のリモコンが詰まった箱を押しつけ、自身も銃眼に取り付く。
「左右のオニは地雷で抑えろ!」
タケルは仕方なく従う。
「どのリモコン⁉」
「どうせこけおどしだ! 片っ端から点火しろ!」
「分かった!」そしてナナミに言った。「オレの背中に隠れてろ。絶対に離れるなよ」
「わかった」
座り込んだタケルはリモコンを取っては握りしめて点火し、それを投げ捨てていく。その度に、車内は爆発音に包まれて、ナナミの怯えが伝わる。爆発は、クレイモアのような軽い音ではない。車体も震わせる。それでもナナミは唇をかみしめて耐えていた。
車体の側面に貼り付けた指向性散弾が、次々に炸裂していく。オニが散弾をまともに受けてトンネルの壁面に叩きつけられる音が聞こえるような気さえした。
車体がトンネルを抜けて、銃眼から外の光が差し込む。側面に撃ち込まれる銃弾の音が車内に反響する。青函トンネルの入り口に近づくほど、銃撃の密度は濃くなっているようだ。兵士たちは銃眼から銃を突き出し、応戦する。
最後に残ったオニの頭を吹き飛ばした司令官は、胸ポケットから出した地図を広げて叫んだ。
「すぐ次のトンネルだ! トンネルに入る寸前で除雪板の地雷2つに点火! 中のオニを一掃する! 他は青函トンネル用に残しておけ! 次のトンネルを越えたら、あとは入り口まで突っ走るぞ! もっと加速だ!」
副官がトランシーバーで先頭車に指示を伝える。
さらに加速度が加わる。前方から地雷の点火音が聞こえる。オニたちの悲鳴も混じっているようだ。
列車の振動が増す。最前列がトンネルに突進していく中、一際高い爆発音が響く。
司令官が足を踏ん張りながら、息を殺す。車内には爆発音が反響しているが、その中でも周囲の音から状況を感じ取ろうとしている。車両の天井に、何かが転がる音が立て続けに響く。トンネルの上部が崩落しているらしい。だが、列車は加速しつづける。
これまでの眠気を誘う動きとの違いに、ナナミの震えが高まる。
貨物車がトンネルに入って銃眼が暗くなると、司令官がわずかな笑みを浮かべた。
「さっきの爆発は、おそらくRPGだ。天井に撃ち込んで崩落させようとしたんだろう。だが、その程度では崩れない。壁が多少剥がれたぐらいだな。後続の攻撃がないところを見ると、RPGも底をついたんだろう。トンネル内のオニも排除できたはずだ」
銃眼からの射撃も止まっていた。もはや車体にしがみつくことも難しいスピードになっている。
貨物車もトンネルを抜ける。
タケルがほっと一息ついた瞬間、トランシーバーが叫んだ。
『橋に岩が――』
通信は突然切れた。同時に巨大な質量が激突する轟音が響く。
司令官が命令を飛ばす。
「何かに掴まれ!」
言葉が終わる前に、衝撃が走り抜けた。全員の体が前方に投げ出され、同時に車体が激しく回転する。前方から、車体が切り裂かれ、ぶつかり合う金属音が鳴り響く。列車が線路から弾き飛ばされたことは明らかだった。
地理を熟知した司令官は、瞬時に何が起きたか理解した。
青函トンネル入り口直前の跨道橋――道路の上を通過する橋に、巨岩が置かれていたのだ。それが1つだけなら、あるいは跳ね飛ばせたかもしれない。それは敵側も承知しているだろう。当然、入り口を塞ぐように、そして脱線を誘導するように、何個も配置されていたはずだ。跨道橋の高さは3メートルほどしかないので、車両そのものを破壊する効果はないかもしれない。だが先頭車両を脱線させられれば、列車は進めない。目的は達する――。
とはいえ、加速する列車に負けない質量の岩を移動するのは、人力では無理だ。可能なのは、建設用重機を使った場合だけだろう。しかし入り口近くの警備はとりわけ厳重にしてある。大掛かりな罠が発見されないはずがない。なのに、青森を出発するまでは異常の報告はなかった。
考えられる理由は1つだけだ。
あらゆる場所に、敵に寝返った兵がいた。そして、列車が出発すると同時に一斉に蜂起した。通信を遮断し、オニを呼び込み、近くに隠していた重機を使って進路を塞いだのだ――。
それほど青森守備隊はもろかったということだ。
弱い人間は目前の恐怖を避けるために、仲間を犠牲にしてでも生き残ろうとする。たとえ結果的に己の破滅につながると分かっていても、逆らえない。裏切りが一時的な逃げにしかならないことを理解していても、抗えない。
麻薬に逃避した者が中毒患者に堕ちていくのと同じだ。
敵は、その弱さを熟知している。
もはや、トンネルには入れない――。
タケルは一瞬、意識を失っていた。
気付くと、必死に恐怖に耐えているナナミが覆い被さっていた。
肩を揺すられている。
「タケル! タケル!」
横たわっていた。周囲を圧迫されている。指先が痛み、ぬめる。そして、血の匂いにむせた。口の中が切れている。周囲は兵士たちの体でぎっしりと囲まれている。
上下の感覚が狂っていた。
車体の一部が裂け、光が差し込んでいる。だが、そこは床だ。上下が逆転していた。
記憶が戻る……。
脱線した車両が何度も回転し、激しい衝撃とともに何かにぶつかって止まったのだ。だから、中の兵士たちが一方に押し付けられていたのだ。
なぜか、ナナミは無事そうだった。華奢で体重の軽いナナミは、反射的に衝撃をかわす位置にいられたようだった。
「タケル!」
ナナミは泣きそうだった。
タケルはぼんやりとつぶやいた。
「生きてる……みたいだな……」
そして手を伸ばす。ナナミに引っ張られて立ち上がる。
周囲にうめき声が広がっている。立ち上がったタケルの腕は、血まみれだった。痛む。恐る恐る触ってみたが、傷や骨折はなさそうだ。兵士の体で圧迫されて捻っただけのようだ。血液も、他人のものらしい。
兵士たちも立ち上がり始めていた。中には、多くの死者が混じっているようだった。タケルの傍でも、小銃が腹に突き刺さって生き絶えた兵士が白目を剥いていた。
守備隊司令官も立ち上がっていた。肩の痛みに顔をしかめ、自分で腕を捻りあげる。脱臼した肩を戻したのだ。そして周囲を見る。
「襲撃が来るぞ! 反撃体制を取れ!」そしてすぐに決断を下す。「線路への復帰は無理だ。積荷は奴らには渡せない。自爆装置を起動しろ!」
誰にともなく発せられた命令は、兵士たちを正気に引き戻した。
トムが応える。
「私が行く! 小銃と手榴弾はもらっていくぞ」
そして周囲を警戒しながら、車体の裂け目から出ていく。
他の兵士たちも、それぞれが決まった役目に従って行動を起こす。
タケルも命じられた。
「戦力は少ないだろうが、君たちはできるだけ守る。とにかく、トンネルの中に逃げ込んでくれ。徒歩で北海道に向かってもらうしかない」
「歩いて……」
「中に入れさえすれば、保守用の電動車もある」
サチも進み出る。
「あたしたちが守るよ」
振り返ると、背後にアケミが立っていた。足が震えている。脇腹に何かが刺さったらしく、血が滲んだ場所を押さえていた。
「わたしはなんとか付いてくから……でも、遅れたら置いていって構わない。傷の様子も分からないし……」
さらにその背後には、顔面蒼白のナオキがいた。怪我をしているようには見えない。震える声で訴える。
「せめて原発の資料を持ち出せないか?」
司令官が言下に拒否した。
「武器以外は持てない。諦めろ」
「だが――」
「自分の命と引き換えにする覚悟があるのか⁉」
ナオキも黙るしかなかった。
タケルが問う。
「でも、なんでそんなにオレたちを構う?」
「北海道からの客だからな」そして、ナナミを見る。「大事な情報も記憶しているんだろう? 積荷を捨てるなら、せめて君たちを送り届けないとな」
ケンジが合流する。
「俺も一緒に行く。弾除けは俺の仕事だ」
ナナミの記憶は、今や極めて重要な資産になっていたのだ。そしてナナミたちを届けるのは、タケルの責任だ。
「分かった」
トムの部下が、車内に散乱した銃器を集めていた。
司令官がその中から拳銃を取ってタケルに渡す。
「武器はこれしかやれない。弾は17発だ。無駄撃ちするなよ。そっちの娘には必要か?」
ナナミが怯えたようにタケルの陰に身を隠す。
「いや、ナナミはこんなものは使えない」
司令官がうなずく。
「守ってやれよ。なんとか道を開くから、付いてこい。幸運を」
そして、大きく裂けた車体から出ていった。
タケルもナナミの手を引きながら、兵士たちを追う。アケミとケンジ、そしてナオキが続く。サチの小隊がしんがりを固めた。
外に出たタケルはナオキに言った。
「先に行け! オレたちが後ろにつく」
ナオキは追い立てられたように先を急いだ。
朝日がまぶしい。
周辺の平地は背が高い雑草や灌木に覆われていた。その中にまばらに木々が生えている。半世紀放置された結果、荒れ放題になっている。一直線に伸びる鉄道の線路だけが、整備された人工物だ。
線路脇には、大型のパワーショベルが2台も置かれていた。一気に複数の巨岩を移動させたのだろう。青森守備隊が保守していた機材を、トンネル封鎖のために奪ったに違いない。周到な準備がなされ、無駄なく実行された破壊工作だと一目で理解できた。
知性が劣る者ができる計画ではない。
先頭車は、停車できずに巨岩に突っ込んだようだ。レールから外れていったん飛び上がったのか、連結器を引きちぎって線路脇に横倒しになっている。列車は線路から外れ、のたうつミミズのようにひっくり返っていた。列車が転がった部分の草木が薙ぎ倒されて、そこだけ地面が露出している。
四方八方から散発的な銃声が聞こえてくる。周囲を囲んだオニたちから銃弾を撃ち込まれている。しかし、命中精度は低いようだった。
前方の貨物車から出た兵士たちが、身を隠しながら反撃している。遠目でも、血塗れの者や深傷を負った者が分かる。相当数が既に死亡しているに違いない。それでも、必死に体制を立て直そうとしていた。
前方の物陰には、身をすくめる技術者たちがいた。六ヶ所村からタチバナに率いられて来た集団だ。怪我人は多いようだが、致命傷を負った者はいないようだ。兵士たちが身を挺して守ったのだろう。他にも数10人の民間人が混じっている。守備隊が彼らを囲んで警護していた。
前方を行く司令官に、トムが走り寄って何かを手渡す。
「コンテナ爆破のリモコンだ」そしてニヤリと笑う。「〝あれ〟を列車の下にセットした。私は〝あれ〟で奴らの目をくらます。肝を潰させてやる。トランシーバーで点火を指示してくれ。その間にトンネルへ」
司令官がうなずいて、タケルに言った。
「トンネルの入り口はすぐそこだ。行くぞ!」そして兵士に檄を飛ばす。「技術者たちは絶対に守り抜くぞ!」
兵士たちは司令官に背を向けるようにして取り囲み、オニの接近を阻みながら進んでいった。幸い、脱線した車両が盾になって片側からの銃撃は防げた。そのまま列車に沿って、草むらをかき分けながら先頭車に向かう。
タケルが背後から先導の司令官に問う。
「〝あれ〟ってなんだ?」
司令官はかすかに笑ったようだった。
「旧世代の恒例イベントだ。年代物だから、今でも使える保証はない。保管には気を使っていたがね」
草むらの先の、やや高くなった丘にトンネルの入り口がある。分厚い森の中に、四角いコンクリートの塊があり、その中に円形の穴が穿たれている。穴の中に、上下2本の線路が敷かれているのだ。
パンデミック前は新幹線という高速列車も走っていたという青函トンネルだ。北海道へ歩いて渡れる唯一の通路だ。
「あそこに入る!」
だが、トンネルの周辺の森からオニたちが湧き出してくるのが見えた。はっきり確認できたのは数10人だ。だが視界は極めて悪い。草むらや木陰にどれだけのオニが潜んでいるかは見当がつかない。今、目の前に飛び出してきてもおかしくない。
警護の兵たちが司令官の先に出て、まだ遠くのオニに銃を向ける。先頭のオニの数人が吹き飛ばされた。
オニの武器は手斧やナイフのようだ。銃を持つ者はいない。銃器が与えられてもまともに使用できないのだろう。射撃手は距離を保って身を隠しているようだ。手にした武器を投げつけてくるオニもいるが、まだ届く距離ではない。
つまり、足を止めて遠距離射撃で削るための捨て駒だ。
司令官が指示する。
「弾を無駄にするな! 本体がくるぞ! 背後にも気を配れ!」
トンネルは最初から包囲されていた。罠の中に飛び込んだのだから、挟み撃ちにされることは避けられない。できる限り素早く前方を切り開くしかない。
それには、敵の総数を把握する必要もある。
と、トンネルの中から何かが飛んできた。槍のような物体だ。だが、あまりに遠くから、しかも強く放たれている。司令官のすぐ横の地面に深々と突き刺さった。
建設資材の鋼管、直径30ミリの鉄パイプだった。長さは1メートル以上ありそうだ。それを、100メートル以上遠方から発射したのだ。
司令官が次弾に備えながら叫ぶ。
「槍が来るぞ! 注意しろ!」
兵たちが民間人の前に出る。トンネルの入り口に向かって銃弾を放つ。
しかし次の槍は先頭の兵士の顔面に突き刺さった。兵士は数メートル背後に跳ね飛ばされる。技術者の集団に悲鳴が上がる。
わずかに高い位置にあるトンネルからは、列車付近が見下ろせるのだ。視界も開け、兵の位置も確認できるらしい。
アキが司令官に近づく。
「あたしらが先に行く。トンネルの中に武器を隠しているらしい。潰してくる。援護を!」
「君たちはタケルを守れ!」
「突破できなければ、どうせ守れない」
そして2人の部下を率いて、草むらをかき分けながら走る。それに気づいたオニが、斧を振り上げて襲いかかる。
司令官はすかさずオニの頭を撃ち抜いた。横に広がる兵たちも、次々にオニを射殺していく。
トンネルから次々に槍が投げられてくる。重い鉄パイプをどうやって槍代わりにできるのか不明だが、命中精度は低い。それでも背面は倒れた列車に塞がれている。後退して距離を取ることができない。盾であると同時に、逃げ場を奪う壁にもなっていた。
と、タケルの陰からナナミが飛び出す。司令官の横に棒立ちになっていたナオキに体当たりして、押し倒した。その直後、ナオキの頭の上で鉄パイプが列車に突き刺さる。
ナオキは頭を抱えて座り込む。
タケルは銃を片手で上げて叫んだ。
「ナナミ! 伏せろ!」
草むらからオニが飛び出していた。ナイフをナナミに振り下ろそうとしている。
タケルが反射的にオニを撃つ。反動で腕が跳ね上がる。しかし当たったのは肩だった。いったんは後ずさったオニが、怒りに任せてタケルに向かってくる。再び銃を両手で構えて撃つ。今度は胸の中心を撃ち抜いた。オニは一瞬動きを止めてから、前のめりに倒れる。
タケルは銃を構えたまま、硬直していた。
司令官がそれに気づく。
「止まるな! 続け!」
タケルが我に返って、ナナミの手を引く。ナオキは這いずりながらついてきた。
タケルはナナミに言った。
「よくやった。えらいぞ」
「たすけろ、いわれた。だから、たすける」
「それでいい」
ナナミが微笑む。
ナオキが驚いたようにつぶやいた。
「私が嫌いじゃないのか?」
ナナミはナオキを見もしなかった。
「きらい。でも、たすける」
タケルがうなずく。
「嫌いでもいいから力を合わせろと頼んである」
司令官は銃を撃ちながら、さらに進んでいく。
トンネルの入り口に肉薄するサチたちが見えた。ナイフで襲いかかってくるオニを撃ち殺しながら、さらに接近する。サチが手榴弾を出し、投げ込もうとする。と、中から飛んできた何かに跳ね飛ばされて後ろに倒れた。手榴弾が手から離れる。
そのサチに部下たちが手を伸ばす。だが、同時にオニに阻まれる。サチは立ち上がれないまま、落ちた手榴弾と反対側に緩やかな斜面を転がった。部下も続いて離れていく。
手榴弾が爆発する。オニたちが吹き飛ばされた。
だが、新たに現れたオニの群れに入り口が取り囲まれてしまった。もう接近は難しい。
そのオニたちの後ろから、巨大な〝生物〟が現れた。廃ビルでタケルたちを襲った巨体のオニだ。他にも同類がいたのだ。そして、さらにもう一体――。
後ろの大オニは、鉄パイプを握っていた。槍は、大オニが投げ飛ばしていたのだ。
それを見た司令官が呆然とつぶやく。
「あいつら……やっぱりあんな怪物を作ったのか……」
司令官に追いついたタケルが尋ねた。
「作った……? どういうことだ?」
「昔、中国という国では、遺伝子を操作して兵士を強化した。大陸から流れ込んできたハガネの中には、中国人もいるはずだ。もう遺伝子はいじれないが、強いオニを掛け合わせて巨人に変えたんだろう。恐ろしい兵器だ」
タケルの頭に、大オニの群れが北海道を襲う姿が浮かんだ。ここで敗れれば、それが現実になってしまう。
「そんなことができるのか……」
「君はアカゴと共に暮らす道を探している。だが連中は、オニで武器を作ろうとしている。どちらも人間の所業なのにな……」
その言葉を裏付けるように、先頭の巨人が石を拾い上げる。それをサチたちに向かって投げつけた。部下の1人が直撃され、数メートル弾き飛ばされる。防弾ベストがなければ、たぶん即死だ。
恐ろしい怪力だ。ただの石ころに、砲弾並みの破壊力を加えている。それもまた、ウイルスが起こした変化のようだ。
サチが転がったまま銃を突き出し、先頭の巨人に銃弾を打ち込む。だが巨人は、倒れもしない。分厚い筋肉の層が、致命傷を防いでいるらしい。
サチは身を翻して、草むらに姿を隠した。もう1人も逃げ出す。
だが、彼らにばかり注意を向けている余裕はなかった。オニたちの包囲が確実に縮まりつつある。技術者たちも身を寄せてきている。背丈ほどの草むらに身を屈めているが、このまま押し込まれれば喰われるのを待つだけだ。
外周を警戒しながらゆっくり進んでいた兵士の1人が、跳ね飛ばされた。
誰かの指示が飛ぶ。
「囲まれた! 銃撃に警戒しろ!」
しかし兵士は銃弾で倒されたのではなかった。額に深く、手斧が突き刺さっている。オニが投げた武器だ。
すでに近くににじり寄っている。
タケルの耳元にも風を切る音が聞こえ、爆発するような音を立てて手斧が列車にぶつかった。
ナナミの怯えを見て、激しい怒りが湧き上がる。
タケルは落ちた手斧を拾い上げ、左手に持った。
「ちくしょう! かかってこい!」
司令官が振り向く。
「お前たちは逃げることだけ考えろ! ついてこい!」
タケルは両手に銃と手斧を持ったまま、付き従う。
と、倒れた兵士に近づくオニの姿が目に入った。兵士の足を掴んで木陰に引っ張り込もうとしている。さらに横から現れたオニは、離れていく兵士たちを無視して死体の耳に喰いついた。どんどん増えるオニたちは、死体の衣服を切り裂いてその肉を手斧で抉った。
タケルは反射的に手斧を右手に持ち替え、投げつけた。しかし斧は彼らに届きもしない。
兵士たちもオニたちを銃撃しなかった。
司令官が背を向けたまま言った。
「喰ってる間は追ってこない。やつらを殺しても次から次に湧いて出る。もう無駄弾は撃てない」そして自嘲気味に言った。「兵隊には、できるだけ防弾ベストを着せた。刃物が当たっても、ベストなら切れない。切られるのは、運が悪いからだ……」
タケルには、司令官が涙を堪えているように思えた。
木の陰を縫いながら、入り口に向かっていく。しかし巨人を倒さなければ中には入れない。倒す方法も分からない。
それでも司令官には計画があるようだった。
先頭車まで進んで、あとは入り口に向かうだけになる。列車から少し離れると、1人の兵士が言った。
「あれ、やりますか⁉」
司令官がわずかに考える。
「積荷爆破にはまだ近すぎるが、あれの破壊力は小さい。トンネルに突入する隙は作れるかもしれないな。火薬が生きていることを祈ろう」
「では」兵士はトランシーバーに言った。「トム! 点火してください!」
『了解。派手にいくぞ! Have fun!』
直後に、列車の陰から走り出すトムの姿が見えた。だが、合流はしないようだ。銃を乱射しながら、少し離れた場所のパワーショベルを目指している。
わずかな時間をおいて、列車の下から閃光が走った。巨大な爆発音とともに火球が膨れ上がる。RPGよりも遥かに大きな音で、空気がビリビリと震える。その周囲に、色とりどりの火花が撒き散らされた。
しかも爆発は、何度も何度も立て続けに起こった。
その度にナナミが首をすくめ、耳を塞いで獣のような悲鳴を上げる。オニたちも同じ反応をしているはずだ。
司令官が進む速度を上げる。
「今のうちだ!」
タケルはナナミの手を引き、後を追いながら叫ぶ。
「あれ、なんだ⁉」
「打ち上げ花火。俺たちの時代のお楽しみだ。新潟から回収した資材に混じっていた」
「武器なのか⁉」
「ただの遊びだ。派手なだけで、人殺しの道具じゃない」
「遊び?」
「夜空に打ち上げて眺めるだけだ。まだ使えて、助かった」
と、前方の木陰からオニたちが湧き出す。しかしその姿からは凶暴さが感じられない。花火が撒き散らす極彩色の火花と轟音に腰を抜かしていることは明らかだ。
新たな爆発が起きると足が止まり、身を翻す者もいる。それでも、彼らの手には手斧や巨大なナイフが握られている。日本刀を振り回す者さえいた。
彼らを排除しなければ、トンネルには辿り着けない。
入り口はすぐ先に見えているのに……。
司令官が命じた。
「残弾は気にするな! 巨人も薙ぎ倒せ!」
兵士たちが前に出て銃撃が始まった。そのまま前進していく。
列車の下ではまだ花火の炸裂が続いている。オニたちが次々に撃ち抜かれていく。彼らは退き、そして一斉に逃げ出した。
突破口が開いたのだ。
「進め!」
しかし、その先には2体の巨人が立ちはだかっていた。1人が鉄パイプを振る。2人の兵士が跳ね飛ばされた。
後ろの1体が岩を投げつける。さらに1人が倒される。
先頭に出た司令官と部下が、至近距離から拳銃の銃弾を撃ち込む。3人が弾を撃ち尽くしたとき、ようやく先頭の1人が倒れた。
だが、すでに銃弾は尽きていた。司令官がコンバットナイフを抜き出す。
残った巨人は、素手で向かってくる。
そのとき、副官のトランシーバーにトムの声が入った。
『退がれ! 俺が行く!』
花火の爆発音に代わって、エンジンとキャタピラの音が聞こえた。トムがパワーショベルを奪い、突進してきていた。
司令官が、踵を返す。
「下がれ!」
守備隊の一団が後退する。その前面に、バケットを振り上げたパワーショベルが割って入った。
巨人は足元の岩を拾い上げ、肉薄するパワーショベルに投げつける。岩は、運転席を直撃してアクリル板の風防にヒビを入れた。
だがトムは、ヒビの後ろで口を開けて笑っていた。
バケットが振り下ろされる。
巨人の体は、バケットの下敷きになって真っ二つに分断された。
ショベルが止まって、トムが運転席から飛び降りる。
「トンネルへ!」
兵士たちは民間人を囲みながらトンネルに突入していった。オニの多くは、花火に怯えてその場から逃げ去っている。
生き残った兵士の数は、およそ60人。青森を発った兵士の半数以上は、すでに命を奪われていた。
司令官は入り口に入ると、民間人の姿を確認した。
ナナミはもちろん、アケミとケンジ、ナオキと技術者の多くも付いてきていた。はぐれれば死ぬと分かっているのだ。だがアケミは腹の傷を押さえ、顔色も真っ青だった。ケンジの支えがなければ、歩くのも難しそうだ。
彼らは30人程度の兵士に警護されている。兵の大半は、まだ若い。
司令官がナナミを見て、タケルに命じる。
「彼女たちを無事に届けてくれ」
「あなたは⁉」
「入り口を死守する。奥へ進め!」
そして振り返る。
トンネル入口の下には、20人ほどの兵士がコンクリートの塊を囲むように取り巻いていた。銃口は壊された列車の方向に向かっている。一部の兵は丘の上からの襲撃に備えて銃を上に向けている。だが、どれだけの弾が残っているかは不明だ。
その中には、サチの姿も混じっていた。
タケルがパワーショベルを指さす。
「あの重機で塞げないのか⁉」
「隙間から入ってくるオニは止められない」
「でも、彼らは……?」
「心配するな。巨人は片付けたし、無駄には死なない。君たちが奥に進んだら、我々も後を追ってコンテナを爆破する。オニどもも巻き添えだ」
「でも、核燃料は飛び散らないのか? 危険だと聞いたけど」
「燃料容器は強固だ。おそらく、破壊されない」
「おそらく?」
「賭けるしかない。だから、すぐに退去しろ」
民間人の撤退を援護する余裕は、すでに出し切っている。
いったんは列車から離れていったオニたちが、再び押し寄せてくる。オニは、周囲の狙撃手から狙い撃ちされていた。逃げれば殺す――それがオニの掟なのだ。
草むらの中から、凶暴さをむき出しにした顔が次々に湧いてくる。数が、圧倒的に多い。
守備隊の銃弾は残り少ない。兵の数も劣る。肉弾戦になれば、兵は全滅するだろう。
もはや待ってはいられない。
司令官が叫ぶ。
「撤退だ! トンネルに入れ!」タケルにも命じる。「何をもたもたしている! 早く奥へ!」
「アケミが走れない!」
「だったら、何かに隠れろ!」
そしてリモコンを取り出し、兵士たちに命じる。
「爆破に備えろ! 爆風から身を守れ!」
しかし兵士たちは、最初からその意味を知らされていた。原発機材は破壊されなければならない。確実に、再生不能になるように。しかし燃料の容器が破損すれば、放射線が撒き散らされる。直ちに退避しなければ、身に危険が及ぶ。
それでも、オニをトンネルに入れてはならないのだ。
司令官はリモコンを握りしめた。
――だが、爆発は起こらなかった。
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