8・記憶
『――正確にいえば、テレパシーといっても自由に会話ができるわけではない。〝念〟を送るタイミングを選べるわけではないし、内容も吟味できない。極めて不安定なものだ。受け取る時間も睡眠中の夢の中だったり、休憩中だったり、思考の妨げが少ない時が多い。かつての電子機器が地形や天候で電波状態が左右されたようなものだろうが、テレパシーはむしろ心理状態や体調に影響を受けるらしい。
それでも、積極的に伝えたいことはある程度優先的に送り出せるようだ。その結果、私には本州のオニたちの動向が概ね把握できていた。時に明確な襲撃計画を受け取る時はまさにその通り決行され、万全の防御体制を構築することができた。私の思考も本州側には漏れていたはずだが、襲撃阻止に失敗したことはない。
そのことから、弟が北海道側の味方であり、テレパシーを秘密にしていることは確信している――』
タケルは、懐中電灯で照らしていたノートから目を上げた。
青森駅での戦闘は、いつの間にか沈静化した。オニたちが、どこへともなく姿を消したのだ。
列車は、日の出とともに青森を出発する準備を進めている。ケンジは、列車の外周にありったけの地雷を取り付ける作業に参加していた。それらは旧自衛隊の装備で、米軍のクレイモアより大型で強力な対車両用の指向性散弾だった。先頭のディーゼル車には、排雪板が移設されている。3重連から2重連に変わったことで、牽引力が弱まることはやむを得なかった。
ケンジはその後も牽引車の警護班に組み入れられるという。兵士としての訓練は不充分だが、戦闘可能な人員が少ないが故の選択だった。
だが、憔悴しきったタケルと負傷しているナナミは、アケミと共に貨物車を改造した兵員車両の中で休むことを許されていた。そこには六ヶ所村から同行してきた技術者たちも集まっている。
同様の貨物車両はコンテナ車の後ろに5両連結されていて、出発時には北海道に引き上げる兵士たちで満員になる予定だった。おそらくは、北海道への最終便だ。この列車に乗り遅れれば、自力で海峡を渡るかオニと戦うかの選択肢しかなくなる。
貨物車の周囲には無数の銃眼が穿たれていて、オニが近づけば容易に銃撃できる構造になっていた。出発と同時に、壁側は兵士たちで埋め尽くされるだろう。
ナナミはアケミに懐き、重要な資料を記憶する役目を与えられている。ナナミの記憶容量にはまだ余裕があるらしく、素直に従っていた。
その間タケルは、ようやく長老のノートに落ち着いて目を通す時間を得たのだ。
疑問がとめどなく湧き上がる。
ショウヤがオニと通じていたことは確実になった。だが、なぜ泊ムラを裏切ったが分からない。北海道にいながら、どうしてオニたちに懐柔されたのかも不明だ。ショウヤは防衛隊の次期幹部と目されている。オニたちと戦う最前線にいるのに、なぜ敵方に寝返ったのか。前線の兵士のように、たやすく心変わりするとも思えない。
さらに大きな疑問は、ショウヤの父親である長老だ。
普通なら、ショウヤの上に立つ長老がオニの協力者の主体だと考える。だがノートでは、弟とのテレパシーでオニ側の情報を得ていることを隠そうともしていない。タケルには知られても構わない、あるいは知らせたいということだろう。
それは、長老が潔白であることの証拠なのだろうか?
逆に弟に支配されている恐れはないのか?
ノートはそれを隠すための偽装なのか?
オニと手を組む前の記述が目眩しになると計算して、あえてタケルに渡したのか……?
実際、評議会長は長老への強い疑念を隠そうともしていなかった。長老を疑う状況証拠は、いくつもある。
それならなぜ、長老は北海道の防衛に力を尽くしてきたのか?
実際にオニの侵攻を撃退したことは数知れない。かつては自ら危険な前線にも出たと聞く。長老とショウヤが同じ目的で行動しているという確証もない。
長老が本気でオニと戦っているなら、ショウヤの裏切りに気づかなかっただけなのか……?
そして、さらなる疑問。
ショウヤが単独で泊を裏切っているとは考えにくい。防衛隊の内部に仲間がいるなら、それは誰なのか。その目的はなんなのか?
ショウヤが自分たちの居場所を逐一通報していたなら、オニたちの目的は原発資材の回収を阻止することになる。事実、簡単に済むはずだった海上輸送は、エルキャックの破壊で不可能になった。陸上輸送も次々に妨害されている。到着直後から地元のスパイと協力していたのは、大規模な浸透工作がすでに完成していたからだ。その末端が泊にまで届いていたことになる。
そもそも、なぜ新原発の開発を阻止する必要があるのか?
それは将来の電力供給を困難にする。北海道が弱体化すれば攻撃は容易になるだろうが、オニが勝利したところで奪えるのは不毛の地でしかない。それでもオニたちには利益があるのか?
しかも、ショウヤ自身の生存を難しくすることになるのではないか……?
目的が理解できない。
そして最大の疑問。
長老は一体なぜ、タケルに原発輸送の任を与えたのか?
なぜ重要な事実を記したノートを与えたのか?
ショウヤの裏切りに気付いて、タケルたちを見張り役にさせたかったという仮説は成り立つかもしれない。
だが、タケルには農作業のほかに秀でた技能はない。他の者も同様だ。実際にアキは殺されてしまったし、ナオキは戦闘には役立たない。そもそも、ショウヤを本州に送らなければ、監視する必要さえない……。
いずれにしても、泊の指導者の間で何らかの異変が起きているようだ。そもそも、評議会が襲撃されたこと自体が、あり得ないことだ。全ての異常はそこから表面化したといっていい。
調べたい……。
そしてタケルは、ナナミに評議会の襲撃を記憶させていたことに気づいた。ナナミを呼ぶ。
「ナナミ、来てくれ」
ナナミは手にした資料を置き、タケルのもとに歩み寄った。
「なに?」
「評議会の爆発、まだ覚えているか?」
「おぼえてる」
「何か変なことに気づかなかったか?」
「こわかった」
「最初から思い出してくれ」
「なにを?」
「普通じゃないこと」
「ふつう、なに?」
「普通は、怖くないことだ」
ナナミが目を閉じる。記憶を探っている。
「こわいの、おおきな、おと」
「爆発か?」
「そのまえ。ぴすとる」
「ピストル? 誰かが銃を撃ったのか?」
タケルには銃声の記憶はない。おそらく直後に爆発が起きて、記憶が渾然一体になっているのだ。だがナナミの記憶は、覚えるタイミングによっては数分の1秒単位の時間の差も明確に分けられる。
アケミが近づく。
「それ、重要なことなのかい? まだナナミちゃんに助けて欲しいんだけど」
タケルは確信していた。
「出発直前にトマリの評議会が襲撃された。ナナミは一部始終を記憶している。原因が分かるかもしれないんだ。北海道側にもオニに協力している勢力がある。それを暴きたい。犯人が分かれば、少しは危険を減らせるかも」
「だったら仕方ないね」そしてアケミも分析に加わった。「あたしも話が聞きたいね。あっちの実情も知りたい」
ナナミが言った。
「うたれたの、ちょうろう」
「長老が撃たれた? 拳銃でか?」
「そう」
「爆発の前に?」
「そう」
「本当にピストルか? 見えたのか?」
「みた」
意外だった。タケルは、長老はオニの手先だという考えに傾いている。だとすれば、ショウヤがオニに通じるもの当然だ。分からないのは、その理由だった。
それなら、誰が長老を殺そうとするのか?
「誰が撃った? ナナミが知ってる人か?」
「かお、みえない。ひとのうしろから、てが、でた」
ナナミの視界からは死角に入っていたのだ。見えないものは覚えられない。ナナミは、類推するということができない。だからこそ覚えたものは純粋で、予断が入り込む隙がない。
タケルは質問の方向を変えた。
「爆発はどんな風に起きた? 誰かが爆弾とか持っていたのか?」
「かべが、ばくはつした」
つまり誰かが、あらかじめ爆薬を仕込んでいたのだ。爆発後の惨状は、さっき目の当たりにしたクレイモア地雷の効果にそっくりだった。おそらく、同じものを壁の近くに仕掛けていたのだろう。それができるのは、防衛隊以外には考えられない。間違いなくショウヤの仕業だ。
だが、クレイモア地雷なら特定の個人を狙うことは難しい。暗殺が目的なら、爆発の規模も大きすぎる。
狙われたのは、長老も含めた評議会全体だ。
だとしたら、なぜ長老が先に銃撃されたのか?
長老も、ショウヤにとっての敵だったのか?
暗殺を確実にするために……?
だが、確実な銃撃には身を晒す必要がある。近くには評議員しかいない。その中の誰かが、長老に近づいて撃ったということか?
アケミが尋ねた。
「長老はどうなったんだい?」
タケルが考えても見なかった質問だった。長老も爆発に巻き込まれて死んだものだと思い込んでいたからだ。
ナナミが目を瞑って記憶をたどりながら、つぶやく。
「だれかが……つれていった」
タケルがうめく。
「生きているのか⁉」
「いきてた。けむりから、でてきた。あるいてた」
「歩けるなら、致命傷ではなかったのか……」
盲点だった。長老が生きているなら、状況が変わる。
アケミが考え込む。
「長老は評議員の誰かに命を狙われた。逆に評議員全員を狙って、誰かが爆発を仕掛けていた……ってことかね?」
タケルがうなずく。
「そうなる……。長老が銃撃されたのは、ショウヤと組んでオニを引き入れようと企んでいたからかもしれない。評議会がそれに気付いて、阻止しようとして――」
「だったら、爆発は誰が?」
「長老側も評議会を処分しようとしていた?」
「だが、長老自身も爆発に巻き込まれたんじゃないのかい?」
確かに、銃撃されなければその場を離れることもないだろう。クレイモアの射線に入っていておかしくない。
それなら爆破は、ショウヤの単独行動なのか……。
タケルの困惑が深まる。
「自爆……なんてことは、辻褄に合わないよな……」
「そもそも、なぜショウヤは原発移動を邪魔した?」
「新たな原発が北海道に渡れば、電力供給が数10年は伸びる。その間に苫小牧で新たなエネルギーが実用化できれば、評議会の権力も防衛力も安定化する。オニたちが入り込む隙がなくなる……そんなことしか思いつけない」
「オニは北海道を占拠しようと企んでいるからね……。だが、オニたちは六ヶ所村で原発を奪おうとしたんだろう? 壊すんじゃなくて。奴らにも原発を使える技術者がいるってことかい?」
もう1つの視点だ。
タケルは、粗暴なオニが原発を使えるはずがないと決めつけていた。それが可能なら、全てが変わる。
「そうかもしれない……。ショウヤの目的は原発を奪うことだったのか……」
「だが、なぜショウヤはオニの仲間になった? どんな利益がある?」
タケルがずっと考えていた疑問だ。
「オレには理解できないが……北海道の王になりたかった……とかなんだろうか。オニたちに、王にしてやるとそそのかされたのなら……」
「だが、長老の息子なら、そもそもトップに立てる可能性が高い。なぜ北海道の力を弱めてまで王になりたがる?」
そして長老の言葉を思い出した。
『血が繋がっているからといって、リーダーの素質があるとは限らない』
長老は、ショウヤをリーダーにはしないと明言したのかもしれない。ショウヤが王になる道は、オニと手を組んででも長老を倒すしかなかったとするなら……。
親子が対立しているなら、ショウヤがオニに寝返る理由にもなりそうだ。
だが、オニを引き入れれば共同体そのものが破滅するだろう。オニたちが原発を完成させられる保証もない。電力がなければ現状の維持も難しい。
今の北海道はアカゴとの共存を実践している。更なる協調を模索している。それが人類を生き延びさせる手段だと信じているからだ。だがオニの指導者が、配下のオニたちに生存権を与えるとは思えない。
彼らが泊の奪取を狙う目的は、エネルギーと食糧だ。オニを軍隊化して共同体を乗っ取った後は、オニ自体を処分して君臨する魂胆だろう。当然、協力者も排除の対象になるはずだ。
そんな場所の王に、魅力はあるのか?
王になれると、本気で信じたのか?
オニと対峙した経験があるショウヤなら、浮ついた言葉だけで信じるはずがない。
彼らの甘言には、裏付けになる何かがあったのだろうか?
タケルは、ふと気づいた。
「ナナミ、長老がいつ逃げ出したか分かるか? 爆発の前か、後か?」
ナナミはまた考え込んだ。丹念に記憶を読み込んでいる……。
「いっしょ」
「逃げると同時に爆発が起きたのか?」
「だれかが、たすけた。ばくはつ、した。だれかが、ばくはつを、うけた」
タケルはすぐにその言葉の意味が理解できずに、しばらく考えた。そして、思い当たる。
「誰かが助けようとして、長老と爆発に間に割って入った。だから長老は直接散弾を受けなかった……と?」
「そう」
だとすれば、複数の人間が長老を助けたことになる。評議会全員が長老の死を願っていたわけではないようだ。長老が助かったのは偶然なのか、それとも爆発は長老が指示したものなのか……。
迷路にはまり込んだタケルの思考を、車内に乗り込んできた兵士たちが破る。
兵士の先頭に立った守備隊の司令官がタケルたちに命じる。
「技術者たちは前の車両に移ってもらう。兵員を収容しながら進むので、後方の車両は開けておく。出発の準備だ」
司令官はトムと同年代のようだ。その制服姿は、自信と威厳に満ちている。生粋の軍人、おそらくは元自衛官だ。
続く兵たちが、銃眼に配置されていく。
トムと泊守備隊も乗り込んでくる。
小隊長になったサチが言った。
「タケルはあたしたちといてくれ。あんたの護衛が防衛隊の役目だからね。アケミも一緒に」
立ち上がったタケルはナナミの腕を引きながら奥に移動する。
「日の出までまだ時間があるんじゃないのか?」
トムが答えた。
「計画が変わった。すでに先発隊が発った。線路の安全を確認しながら微速で前進している」
アケミも立つ。
「あたしらも騙した、ってことかい?」
トムがうなずく。
「勘弁しろ。内通者は他にもいるはずだ。情報漏れは数年前から疑われていたからな。それに日が登ってからでは、逃げ場のない鉄道移動は狙い撃ちされる。青函トンネルに入るまでは、なるべく音を立てないように最小出力で進んでいくしかない。列車の後方からトラックもついてくる手筈だ」
タケルが指摘する。
「だが、一番危ないのはトンネルの入り口だろう? トラックも必ず通らなければならない場所だ」
兵の配置を終えた守備隊司令官が驚きを見せる。
「君は、タケルといったな。兵士なのか?」
「農民だが」
「なのに、そこまで気づくか。ケンジから話は聞いた。ずいぶん助けてくれたらしいな。礼を言う。君のアイデアを採用して、先頭に移設した除雪版にはありったけの指向性散弾を貼り付けた。米軍のお下がりは使い果たしたので、こっちは旧自衛隊の装備だ。君たちが使ったより遥かに重いし大きい。日本は地雷を禁止していた国だが、スウェーデン製のこいつだけは協定外だった。その分、備蓄が多くて助かった。オニにはこっちの方が効果的だからな。トンネルを崩落させられないように、現場の警備の人数も増やしてある。入り口付近は激戦になるだろう。だからこそ、偽情報で油断させたい。相手の大半はオニだ。不意をついて派手な爆発を見せれば、突破する隙もできるだろう。そのための準備も終わっている」
「線路は無事なのか?」
「哨戒は厳重にしている。先発隊のチェックは念の為だ。いざとなったら、また助けてもらうこともあるだろう。覚悟はしておいてくれ」
「当然だ。原発の搬送を任されているんだから。電力はオレたちの生命線だ」
「だからこその撤退作戦だ。本州をあきらめて、ここに全てを集中する」
兵士たちが前方の車両に乗り込んでいく気配があった。青森を守り続けた兵士を収容しているのだ。タケルが乗った車両は最後尾から3両目だが、進行しながら各所に配置された兵員を収容していくらしい。トンネルに着く頃には車内は満杯になるはずだった。
車内は暗く、静かだ。兵士たち全員に隠密行動の重要性が浸透している。緊迫感が漂う。
いよいよ決戦に向かうのだ。
列車は、ゆっくりと動き始めた。体感的には、まるで歩いているような速度だ。加速することもなく、わずかな揺れが続く。
可能な限り音を立てないようにしている。当然、明かりも最低限だ。線路に破壊工作が行われていないかを確認するために、同様の速度で先発隊を走らせているのだろう。
タケルは空いた銃眼から外を覗いた。月明かりでしか確認できないが、やはり速度は遅い。線路を警備する兵士は、列車の通過を確認して、順次貨物車に乗り込んでくる。列車は兵士を取り残さないように回収しながら進まなければならない。つまり、容易に乗り込める程度の速度しか出せないということだ。万一取り残されれば、馬や徒歩でトンネルを進まなければならない。
青函トンネルの入り口に近づくと、大小様々なトンネルが断続的に続くという。当然、線路に並行して走る道路はなくなる。従って、後続の車両はトンネル群が始まる前に線路内に入って、列車の後ろを走る手順になっていた。そのための侵入口が、何ヵ所か緊急に作られたという。
タケルが司令官に尋ねる。
「トンネルまでの距離は?」
「50キロ程度だ。この速度だと、2時間以上はかかる。着く頃には夜が明けているだろう。警戒は私たちの仕事だ。しばらく休んでいたまえ」
「ありがとう」
タケルは壁にもたれて座り込んだ。どっと疲れが押し寄せる。
ナナミが横に座ってもたれかかる。
「ナナミ、傷は大丈夫か?」
「がまんする」
タケルはナナミの肩が痛まないように気遣いながら、抱き寄せた。アケミを見上げる。
「休ませていいか?」
アケミも座り込む。
「この暗さじゃ、文字も読めない。あたしも休むよ。次にいつ眠れるか、分からないからね」
タケルは全ての返事を聞き終える前に、吸い込まれるように眠りに落ちた。
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