5・陸路
『――パンデミック後に生まれた子供たちの中には、ZVへの耐性を獲得した者が確認された。大脳との接続が不完全な者が大半だが、一定の割合でハガネが誕生するのだ。驚くべきは、新生児の中にもまれに特殊な才能を発揮する個体が生じることだ。旧世界がいう、超能力に近いものだ。私たちのテレパシー能力は、凶暴化の発症を経ずして発現した。出産時から備わっている能力も、同質のものだと考えられる。
大脳の抑制が希薄化することで人間が本来有していた生物学的潜在能力が解放されたのだろう。オカルト的なサイキック能力の発現は確認されていないが、他種生物が有する能力は使える可能性があるとみるべきだ。渡鳥のように地磁気を感知したり、イワシの集団のような意思疎通できたり、いずれはエラを有したり光合成をする人類も発生するかもしれない。進化の過程で淘汰されてきた様々な能力が、復活する機会を伺っているかのようだ。特に脳の奥にある松果体のような臓器がこれまでにない活動を発揮する可能性も否定できない。
だが、系統樹を遡って根元からやり直すことが生存や繁殖に役立つとは限らない。逆に集団に危害を与えたり、精神を害する恐れも大きい。それすらも、神の試行錯誤なのかもしれない。人類は生命爆発が起きたカンブリア紀まで時間を巻き戻して、新たな道を模索しているとだとしか思えないのだ――』
タケルはこっそり目を通していたノートから目をあげた。
周囲が騒がしい。トムが周辺の偵察に送り出した兵士たちが戻ったのだ。
ナナミもまた、技術文書の記憶から解放された。記憶は自然に身につけた作業だとはいえ、表情に疲労がにじんでいる。風景や状況を覚えるのとは違うようだった。びっしりと並んだ文字の羅列を頭に焼き付けることは、過大な負担を与えるのかもしれない。ほっとしたように、タケルを見つめる。
タケルは言った。
「よくやった」
タチバナはしかし不安気だ。
「本当に記憶できたのだろうか……」
「何枚覚えさせたんだ?」
「115枚」
タケルにも断言はできなかった。
「いつもなら、それぐらいは簡単だ。だが、文章は覚えさせたことがない。覚えていたとしても、記憶が引き出せるかどうかも分からない。だが、今は確認しようがない。休憩させてくれ」そして、ナナミに言った。「少し眠りなさい。10分だけでも、脳を休ませないと」
ナナミはうなずいて、壁に寄りかかって座り込んだ。たちまち寝息を立て始める。予想以上に消耗していたようだ。
ナオキは、ナナミが読み込んだ後の資料を受け取って目を通している。目が輝いていた。新しい技術を目の当たりにして、興奮を隠せずにいる。ナオキにとっては、苦痛どころか至上の喜びなのだろう。少し前の姿からは別人のようだ。
タケルはふと感じた。ナオキは、無理をして自分を奮い立たせようとしているのではないか、と。
壁際には、シートを被せたままのアキの死体がある。ナオキにとって特別の存在だったのかもしれない。アキのように殺されることを恐れているだけなのかもしれない。だが、船上のナナミと同様、必死に恐怖に耐えている〝匂い〟があった。
ナオキは恐怖をねじ伏せようとしているのだ。それは、生き残るための知恵でもある。恐怖に呑み込まれれば、生きる意思を喰われる。意思がなければ、魂は沈む。肉体も折れる。そして結末は、オニの餌だ。
ナオキはナオキなりに、戦い始めたようだ。
多くの兵士たちは倉庫入り口の警備に当たっていた。夜間の出発に備えて、半数は交代で仮眠を取っている。
トムはショウヤとともに偵察隊の報告を受けていた。タケルは彼らに近づいた。
周辺にはオニの軍勢は見当たらないという。敵の総数は、思った以上に少ないようだった。
トムがつぶやく。
「さっき倒した狙撃手はハガネだろう。でなければ、正確な射撃は不可能だと思う。だが、敵の大半はオニだ。簡単に制御できる連中でもない。使える兵士を揃えるのも困難なはずだ。一斉に襲ってきたとしても、総数はそれほど多くはないだろう」
ショウヤが言った。
「だが、どこかに軍勢は潜んでいる。原発を奪おうとしているなら、狙撃手だけでは不充分だ」
「それはいえるが……狙いが原発だけではないとしたら……」
ショウヤも考え込む。
「動かせないのだから、慌てて奪う必要はない、か……。北海道への移動経路を破壊しようとしているのでは?」
「鉄道の破壊か? だがそれは、青森守備隊への総攻撃を意味する」
「すべての兵を青森に差し向けたのなら、こっちを放置するのも理解できる。青森ではなくとも、途中で待ち伏せされるかもしれない。襲われそうな場所に心当たりはないか?」
「今ではどこも警備が手薄だ。襲う気ならどこでもできそうだが……逃げ場がない場所はいくつか思い当たる」
ショウヤの副官のサチが、トムに近づく。兵士たちに目をくばりながらささやいた。彼らには聞かせたくないことなのだ。
「こっちにオニの手先が潜んでいる可能性はないのか?」
ショウヤもトムを見つめている。同じ疑問を抱いていたようだ。
トムは否定しなかった。
「情報漏れは感じている。疑いたくはないが、スパイがいる恐れはある。機材の運搬計画は到着予定に至るまで漏れていたようだ。だとすれば、次の行動も予期しているかも……。確かに少ない兵士を効果的に使うには、陸路のどこかで待ち伏せする方が有効だろうしな」
タケルはノートの知識から生じた疑問を口にした。
「だが、敵の兵士の数が守備隊を上回る可能性はないのか? オニも子供を産める。赤ん坊はウイルスに耐性を持っているかもしれない。何年もそいつらを育てていたなら、数は増える。特別な能力を持った奴もいるかもしれない」
「新生児のハガネ化、か? 私もそれは恐れているが、オニたちが組織化してからまだ10年程度しか経っていない。新生児なら、まだ10歳だ。充分な兵力を有しているなら、エルキャックを破壊した後にすぐ攻め込んできたはずだ。そこまで過敏になる必要はなかろう」
古びた地図を広げていたショウヤが言った。
「目指すのは青森だろう? ルートは?」
トムが地図に向かい、指差す。
「まずは半島を横切って海岸に出よう。海岸沿いに進んでいく」
地図には、やや内陸側に太い道路が記されている。
「この道路か?」
「そっちは避けたい。通行はできるが、縦貫道路は補修されていないので破損箇所が多い。両側が丘で逃げ場がない場所もある。挟み撃ちには絶好の地形だ。旧道なら迂回路も探しやすい」
「海沿いなら待ち伏せされないのか? 相手はRPGまで装備しているぞ」
「山間部を突っ切るよりは安全だろう。トラックだけならともかく、トレーラーは前後を塞がれたら終わりだ。それにRPGは貴重品だ。数が揃っているなら、すでに倉庫に撃ち込まれていたと思う。スパイがいるなら、コンテナが補強されていることも知っているはずだからな。RPG程度では破壊されない。中身を壊さず、相当数の兵士を倒せたろう」
ショウヤは不満そうだ。
「こっちには選択肢がない……ってことも、相手には知られているんだろう?」
「それでも行くしかない。時間を与えて分断されたら、下北半島は完全に奴らの勢力範囲に取り込まれる。待っても今夜が限界だな。孤立させられたらジリジリ削られて、結局機材も知識も奪われる」
結論は、待ち伏せも覚悟して強行突破するしかないということだった。
日が沈み、行動が開始された。
トラックの先導で2台のトレーラーが倉庫を出発する。トレーラーには小型原発を組み立てるための基幹部品と、プルトニウムを多量に含むリサイクル燃料が積み込まれているという。さらに前後を合計5台の軍用トラックが囲んでいた。それらが六カ所村に残された車両の全てだった。保管されていた燃料も残らず積み込んでいる。
誰もが口には出さなかったが、下北半島の放棄が選択されたのだ。
進路にオニの軍勢はいなかった。トラックには銃を抱き締めた兵士たちが緊張を緩められずに待機していたが、彼らが駆り出されることもなかった。
海岸に出て荒れた道路をしばらく進むと、完全に日が暮れた。車両はライトを点けずに、満月の明かりを浴びながらゆっくりと進む。待ち伏せを警戒して、音を最小限にしなければならなかったのだ。
一行は最初の市街地跡、旧野辺地町に入った。略奪され、破壊され、荒れ果て、誰も住まなくなった廃墟の街を進んでいく。そこでも警戒されたオニの襲撃はなかった。
先頭のトラックの助手席には、道案内をするトムとショウヤが乗っていた。その荷台には、タケルやショウヤの部下たちが乗っている。
トムが語りかける。
「この街は数年前にオニに襲撃された。その時は青森からの援軍で撃退したが、もはやその力もない。今では襲撃したところで得られる物資も皆無だがな」
「今の獲物は俺たち……だろう?」
と、前方の月明かりの中に馬が走ってきた。乗っているのは青森に送り出した伝令の1人だ。一行が止まる。
伝令の制服は乱れ、息も荒い。
トラックを降りたトムとショウヤに、馬を降りた伝令が言った。
「青森、鉄道輸送の準備を進めています。守備隊の全面撤退も決定されました。帰りの途中で、オニに襲われました。残念ですが、ナカヤと馬が倒されました」伝令がかすかに唇を噛む。「彼らが喰われている間に、逃げ出すことができました……」
トムは淡々と応える。
「タカシマ、ご苦労だった。奴らは平内町か?」
「海ぎわの国道周辺で待ち構えています」
「やはり待ち伏せか……。かといって、この大所帯では山岳地帯へ迂回するのは無理だしな……。敵の勢力は?」
「おそらく50人程度。詳細には分かりませんが、続々と増強されているようです」
「今のうちに強行突破するしかないか……。連中の武器は分かるか?」
「数匹の馬と原始的なナイフ類がほとんどのようです。車両もありません。あっても軽火器が数機でしょう。ナカヤは狙撃されましたが……」
「手練れもいるわけか。だが、トラックに対してはRPGを出してくる可能性もある……。兵力を一点に集中してきたのは、分散させる余力はないということでもある。逆に、それだけの戦術を立てられる指揮系統がある、ともいえる」
「兵士のほとんどはオニのようです。軍の規律には到底及ばないようですが……今は侮れません」
「お前はどうやってオニをかわしてきた?」
「鉄道跡を走り抜けました。馬だからできたことです」
背後から、いつの間にか荷台を降りていたタケルが加わる。
「待ち伏せか?」
ショウヤが叱責する。
「防衛隊の話に口を出すな」
「だが俺は、この荷物を任された。知る権利はある」
トムは気にしていない。
「別に構わんよ。だが、少々まずい事態だ。やはり敵陣を突っ切らなければ青森に辿り着けない」
「迂回路は?」
「あれば、困らない」
「だが、馬は来られたんだろう?」
ショウヤが舌を鳴らす。
「黙れ! 馬とトレーラーを一緒にするな!」
だが、トムは違った。
「線路の状態はどうだった?」
「さほど荒れていません。数年前まで補修作業を続けていましたから」
「鉄道なら直線区間も多い。走れさえすれば、スピードも殺さずに済む。いざとなれば、全速で突っ切れるかもな」ニヤリと笑う。「何より、オニの裏をかけるかもしれない……」
ショウヤが驚く。
「車で鉄道を走ると?」
「線路の下は硬く締まった砂利だ。貨物列車の重さにも耐えるように設計されていた。軍用車なら走れるだろう」そしてタケルを見る。「いいアイデアだ。だが、障害物を置かれているかもしれない。いざというときは、一気に走り抜ける必要もあるだろう。先頭には最小限のライトは必要だな」
ショウヤは不安気だ。
「本当にできるのか?」
トムは小さくうなずいた。
「この場で決めた計画なら、たとえスパイがいても知られる恐れがない」
そして一行は進路を変えて、踏切から線路上に車を進めた。
トラックの両輪でレールを挟むようにして走り、浮き上がった砂利を巻き上げていく。枕木の振動が車体を細かく揺らす。ヘッドライトには光を絞り込むようにガムテープが貼られていた。積み込んだ旧世代の物資から探し出した資材だ。これなら線路を照らすだけで進路を間違えることはないし、遠目なら存在を悟られる危険も少ないはずだった。さらに音を抑えるために、速度は控えめにされていた。
オニに気づかれなければ、そのまま包囲網を突破できるかもしれない――。
しかし、オニにも知恵者はいるようだった。変更可能な進路には対策を打たれていた。線路と国道の接点に、見張りがいたようだ。国道と線路の両方を攻撃できる位置だ。
国道の跨線橋をくぐる寸前だった。
不意に、線路の前方で爆発が起こった。一瞬、周囲の森が明るく照らされる。その中には、数人のオニの姿が浮かび上がっていた。
ショウヤが叫ぶ。
「爆弾か⁉」
トムが舌を鳴らす。
「RPGだ! 読まれていた!」
狭いヘッドライトの光の中に、宙に浮き上がったレールが見えた。爆発で歪んで、枕木から外れたのだ。その先端が、槍のようにトラックに向かっている。フロントガラスに迫る。運転手がブレーキをかけたが、砂利で滑るタイヤは制動が効かない。
このまま先頭車が串刺しになって進路を塞げば、トレーラーも動きを止める。たとえ避けても外れたレールが進路を塞いでしまう。一度でも停車すれば、オニに囲まれて逃げ場を失う。
目前に迫ったレールを避けるように、運転手がハンドルを離して顔を覆った。
トムが反射的に、横からハンドルに手を伸ばす。そして、思い切り回した。
「つかまれ! 横転させる!」
レールの先端がトラックに突き刺さる。トムはあえてレールを避けずに、トラックに刺したのだ。
レールがボンネットを貫いてトムとショウヤの間を串刺しにする。エンジンがマウントから引きちぎられる金属音と漏れた燃料が運転席に広がる。
幸い、体は傷つかなかった。
だがトラックは止まれない。レールがさらに後部に突き刺さっていく。
同時に横転したトラックは線路を外れて、やや盛り上がった斜面を転がり落ちてていく。運転席の3人は天井を手で押して体を支える。
トムが叫ぶ。
「後ろ! 出て反撃しろ! 後続は止まらずに進ませろ! 全速だ!」
レールが転がるトラックに引っ張られ、枕木が次々に外れていく。
トムは自らトラックを横転させることでレールを巻き込み、線路から排除したのだ。爆破されたレールは、もう後続の障害にはならない。
トラックが横倒しになって、回転が止まる。
運転席から這い出したトムが命じる。
「車から離れろ! 後続は止まるな! 走れ!」
後部から兵士たちが這い出していく。中には血まみれの者、腕を折った者もいた。
タケルとナナミも、その中にいた。
1人が飛び出して後続のトレーラーに手信号を送る。燃え始めたトラックを背景にして、その姿がはっきりと浮かび上がる。
トレーラーは排気管から煙を吹き出し、轟音を上げた。後続トレーラーもそれに続く。
前方からは、散発的な銃撃があった。だが、その数は少ない。狙いも定かではない。鉄路を使っての市街地突破は考慮されていなかったようだ。RPGは、トラックを跨線橋から線路に突き落とすために配備されていたのだろう。射撃の練度も低い。
だが、オニは森にも潜んでいた。数体がナイフや斧を振り上げて迫る。トムの後ろに立ったショウヤが振り返って、その1人を拳銃で撃ち抜く。
トムの部下たちは銃撃でオニたちを押し返す。その前を、トレーラーが通過していく。後続のトラックも加速していた。
兵士たちはトムの指示で隊列の後ろに走り寄った。最後部のトラックが速度を落とす。およそ10人の兵士が、砂利の線路を走りながら荷台にしがみつき、順によじ登っていく。背後の兵士は周囲のオニに銃撃を加えて援護する。
兵士に混じったタケルは、ナナミを後ろから押し込んで自分もよじ登った。
トラックの中では兵士たちが折り重なるように身を守っていた。
最後にショウヤとトムがトラックに飛び込む。
トムが叫ぶ。
「全速力だ! とにかく、走り抜け!」そして、兵士に問う。「欠けた者は⁉」
副官が応える。
「オオハシがレールに貫かれて死亡。タケダは首を折りました。シマは腕を失って登れませんでした!」
トムの舌打ちがはっきりと聞こえた。
「もう戻れない。このまま進め!」
その決断は非情だったが、反対する者はいない。彼らは全員、そうやって生き抜いてきたのだ。
と、ナナミがタケルにしがみ付く。ぼんやりと我を失っているかのようだ。恐怖に囚われている。タケルが肩を抱くと、濡れた感触があった。ナナミが痛みに身を硬くする。
血の匂いに気づく。
タケルはナナミの耳元にささやいた。
「撃たれたのか⁉」
ナナミは我に返って、しがみついた腕に力を込める。
「いたい……」
「我慢してくれ。街を抜けるまで治療ができない。流れ弾か? どこを撃たれた?」
「ここ……」
ナナミはタケルの手を自分の肩に当てた。傷口らしい場所がわかる。軽く手で探る。
「骨は大丈夫そうだし、弾は抜けたようだ。傷を押さえて血を止める。痛いが、堪えてくれ」
「うん……」ナナミは痛みに堪えながら応えた。そして、さらに声を小さくする。
「うったの、ショウヤ……」
タケルは最初、その意味が分からなかった。
「いや、オニだ」
「ちがう。ショウヤ。みた……」
ナナミはショウヤに撃たれたと言っている。
ナナミは決して嘘をつかない。いや、つけない。アカゴには嘘という概念が備わっていない。そしてナナミは恐怖を感じた際の情景を脳に残す。見たものを完全に焼き付ける。見間違えることもない。
絶対に。
ショウヤは、なぜか〝味方〟を殺そうとしたようだった……。
ナナミを味方だと考えているなら……。
なぜか……?
いかにアカゴが気に入らないからといって、殺そうとまではしないだろう。
1つ、思い当たることがあった。ショウヤが長老の命令で泊を裏切ろうとしているなら、動機になり得る。
ナナミは、評議会の襲撃を脳に焼き付けているのだ。その情報が長老にとって不都合なものなら、あらかじめ処分しておこうと考えてもおかしくはない。ナナミの記憶が写真のようなものだと聞いた時のショウヤの驚きようが、それを裏付ける傍証になる。六ヶ所村でナナミの能力を実感して、殺人を決意したのかもしれない。
ショウヤは、本当に長老の手先なのだろうか……。
ナナミの記憶には、一体何が残されているのか……。
と、ショウヤがナナミをにらみつけた。
ナナミはその視線に気づいて、恐怖の表情を浮かべる。反射的に立ち上がって、タケルの手を振り払う。
タケルが抑えようとする。
「落ち着け!」
だが、アカゴは理性で行動を抑制することが難しい。真の恐怖なら、逆らえない。
ナナミは後先も考えずに、後部からトラックを飛び出した。まだトラックの速度が上がりきっていなかったのが幸いだった。
タケルもナナミの後を追ってトラックから飛び降りた。
なぜそんな無謀な行動に出たのか、自分でも分からない。ナナミを置いていくわけにいかないと、考えたわけでもない。
反射的に動いていた。
トラックの加速は不充分だったが、それでも衝撃は大きい。砂利の上を転がって鉄のレールに肩をぶつけ、痛みにうめく。燃えるトラックからはすでに相当離れていて、周囲は月に照らされているだけだ。
目の前に、ナナミが座り込んでいた。
そして、銃声が起こった。
タケルはナナミに飛び付き、砂利の上に押し倒す。少しでも的を小さくしなければ、狙撃される危険が高まる。タケルはナナミに覆い被さって、頭を抱えた。腕の下から、前方を見る。
走り去っていく車の群れが遠くに見えた。
周囲に、いくつものオニの雄叫びが聞こえる。
置き去りにされたのだ。
彼らは仲間の兵士でさえ、救出に戻らない。相手が自分から飛び降りた部外者なら、なおさらだ。もはやタケルたちを助ける兵士は1人もいない。
それは、確実な死を意味する。
生きながらオニに喰われる、最も悲惨な死だ。
タケルはなぜかその現実を、当然のことのように受け入れた。
自分の命はここで終わる。唯一の救いは、ナナミがそばにいることだけだ。少なくとも、孤独ではない。
生きながら喰われるのだとしても……。
倒れたまま、ナナミを抱きしめた。ナナミは、肩の痛みにも声を漏らさなかった。
その瞬間、近くに獣の声が起きた。そして、何かが落ちる鈍い音がした。横を見上げる。
目の前の月明かりを、何者かが塞ぐ。巨大な影がそそり立っていた。
馬だ。
トレーラーを追っていた伝令の馬だった。そして伝令は、狙撃によって馬から撃ち落とされたのだ。頭が砕かれているようで、全く動かない。
タケルの判断は一瞬だった。このチャンスを失えば、生き続けることはできない。
また銃声。
間隔は長い。狙撃手の数はおそらく1人だ。オニに捕まらなければ、逃げられるチャンスはある。
背嚢を背負ったままだった。捨てて身軽になるべきか? だが、ノートは捨てられない。何か背負っていれば、背後からの攻撃から、少しは守れるかもしれない。
タケルは立ち上がり、馬の手綱をつかんで叫ぶ。
「ナナミ、起きろ! 馬に乗れ! 乗れなければ喰われるぞ!」
ナナミは素直に起き上がった。
ナナミは肩に傷を負い、しかもトラックから転落している。負傷を増やしている可能性も高い。それでも恐怖には勝てない。オニに喰われるということは、アカゴにとっても究極の災厄なのだ。
「のる」
ナナミも乗馬には慣れている。素早くアブミに足をかけ、背に飛び上がろうとする。だが、肩に痛みが走ったようだ。
タケルが背中で押し上げる。次の狙撃が馬を射抜かないように祈る。ナナミを鞍に乗せると、暴れようとする馬を押さえながら自分もその後ろに登る。
森から湧き出したようなオニたちが、迫ってくる。何人かが伝令の死体に群がった。
喰うのだ。
数人が軍用ナイフを煌めかせながらタケルに向かってくる。
タケルは手綱を振った。
「走れ! さもないとお前もオニの餌だぞ!」
馬は線路脇の草地を全力で走り始めた。
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