最後の願い

 ゆかりさんのお願い。それは、お世話になった人たちにきちんとお別れがしたいというものだった。

 文具店で一筆箋やシールなどを買いそろえた後、ゆかりさんはなぜかカラオケ店に入りたいと言った。案内された部屋に入り、先ほど購入した荷物を机の上に置いた。

「よし、じゃあ早速始めるか」

 彼女に肩を強く押され、ソファの上に押し倒される形で横になった。

「うわっ、いきなり何するんですか!?」

「静かに。目を閉じて」

 ゆかりさんとの距離がどんどん近くなる。心臓がバクバク鳴り、顔が熱くなった。

「ちょっ、ちょっと待ってください。まだ心の準備が・・・・・・」

「え?」

 赤面する僕を見て、ゆかりさんがピタリと動きを止めた。彼女はそっと僕から離れると、「すまない」と言った。

「家族に手紙を書きたいから、数分間、君の身体を貸して欲しいと言うのを忘れていた」

 忘れていたというのが、ずるい。僕はプルプル震えながら、そうですかと言った。再びソファの上に横になると、ゆかりさんは僕の目を覆うように手を置いた。

「眠れ」

 彼女がそう言った瞬間、意識がふっと途絶えた。


◆◇◆◇◆◇◆


「ゆうと」

 目を開けると、ゆかりさんが僕の顔をじっと見ていた。

「ゆかりさん、その腕・・・・・・」

 彼女の腕が消えかかっていた。ゆかりさんは、さっとその部分を手で覆い隠した。

 ゆかりさんの身体が微かに震えているのを見て、僕は彼女の手を掴んだ。

「ゆかりさん。次のお願いを言ってください」

「次のお願い?」

「他にも色々叶えたいことがあるでしょう?ゆかりさんの叶えたいこと全部、僕に叶えさせてください」

 ゆかりさんは目をパチパチとさせた後、ふはっと笑った。

「・・・・・・本当に、なんでも叶えてくれるの?」

「もちろんです。そのために僕がいるんですから」

 彼女は目尻に溜まった涙をさっとふき取ると、「じゃあ」と言った。

「私のことを想いながら、骨の数の分だけ紙ひこうきを海に向かって飛ばして欲しい」

「骨の数の分だけ?」

「昔、ドラマで恋人を亡くした男がそれと同じことをしていたんだ」

 なるほど、紙ひこうきは骨の代わりという訳か。

「分かりました。やりましょう」

 机の上に置いていたスマホを手に取り、人の骨の数を調べた。先ほどついでに購入したルーズリーフを取り出し、二百六個の紙ひこうきを急いで作った。

「・・・・・・二百四、二百五、二百六。これで全部ですね」

「そうだな」

 ゆかりさんの意識は机の上の紙ひこうきではなく、部屋に備え付けられた掛け時計に向けられていた。僕たちは数枚の手紙と大量の紙ひこうきをカバンに詰め込み、カラオケ店を後にした。


◆◇◆◇◆◇◆


 ポストに手紙を投函した後、ゆかりさんと二人で駅に向かった。

 電車に揺られながら、ゆかりさんは車窓から見える景色をじっと見つめていた。空が夕暮れに変わるにつれて徐々に透けていく彼女の身体を抱きしめたいと思う自分に戸惑いつつ、自分にもそんな人間らしい感情があったのだと知った。

「意外だった?」

「え?」

「私のことを想って、骨の数の分だけ紙ひこうきを飛ばしてほしいって言ったこと。昔、友達に言ったら、馬鹿じゃないのと笑われた。お前はそんなキャラじゃないって」

「別におかしくなんてないですよ」

「そうか?」

「はい」

 僕が頷くと、ゆかりさんは微かに頬を赤く染めた。

「ありがとう」

 時間の経過とともにゆかりさんの身体はどんどん空気と同化していき、彼女越しに夕日が見えた。タイムリミットまであとわずかだと思うと、胸が苦しくなった。

 目的地の駅に到着すると、僕たちは急いで海へ向かった。


◆◇◆◇◆◇◆


 カバンをコンクリートの上に置き、ゆかりさんと二人で紙ひこうきを飛ばした。ひとりで飛ばすと言ったが、彼女は「それでは間に合わないから」と言った。

「ゆかりさん」

「なんだ?」

 紙ひこうきを片手に、ゆかりさんが僕を見た。

「僕は今まで他人と関わることから逃げてきました。自分のせいで誰かを傷つけてしまうことが怖かったから。だけど、これからは他人と関わる努力をしてみようと思います」

「いいとは思うが、どうして急に?」

「いつかあなたと再会した時に堂々と胸を張って会えるような、そんな男になりたいと思ったからです」

「そうか。それは楽しみだな」

 ゆかりさんがふふっと笑った。彼女の身体はもう限りなく透明に近づいていた。

「最後にひとつだけ、僕のお願いを聞いてくれませんか?」

「いいよ。私に出来ることであれば」

「目を閉じてください」

「そんなことでいいのか?」

 僕が頷くと、彼女は静かに瞳を閉じた。僕は彼女の頬を優しく撫で、そして彼女の唇をそっと塞いだ。

 この時が永遠に続きますように。そう願いながら、そっと彼女から身を離すと、ゆかりさんは頬を真っ赤に染めながら、自身の口もとを手で覆っていた。その様子を見て、彼女のことをより愛おしいと思った。

「ゆかりさん。あなたのことが大好きです。僕の恋人になってくれませんか?」

「・・・・・・それは出来ない」

「どうして?」

「君には幸せになって欲しいから」

 言い終えた直後、ゆかりさんの目から数粒の光が零れ落ちた。僕は涙を拭おうとする彼女の手を取り、その手を自分の頬にぎゅっと押しあてた。

「困らせてごめんなさい。あなたを困らせるつもりはなかったんです」

「分かってる。分かっているよ」

「どうか、最後は、笑ってお別れさせてください」

 自分でもはっきりと分かるぐらい声が震えていた。

 ゆかりさんは泣きながら微笑んだ。

「私を見つけてくれてありがとう」

 彼女の姿がすうっと闇に消えた。彼女を掴んだ手に力をこめようとしたが、その手さえも夕闇に溶けて消えてしまった。


◆◇◆◇◆◇◆


 ゆかりさんが消えた後、カバンに残された大量の紙ひこうきを海に向かって飛ばした。空を自由に飛んでいく紙ひこうきは白い鳥のようにも見えた。

「あれ?」

 紙ひこうきが残りわずかとなった時、カバンの奥底から一枚の封筒を発見した。紙ひこうきをカバンに入れる際に偶然紛れ込んでしまったのかと手紙をひっくり返すと、宛名欄に自分の名前が記されていた。

 どうやら僕にも手紙を書いてくれたらしい。封筒を慎重に開封し、中に入っていた手紙を取り出した。それは、とても短い文章だった。

『私は君を助けられた?』

 手紙の上に数滴の涙が零れ落ちた。

「ゆかりさん・・・・・・」

 涙を袖で拭い、残りの紙ひこうきを夕日に染まる海に向かって飛ばした。紙ひこうきは自由に空を羽ばたいた後、海の底へと沈んでいった。

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