夏祭り
次の日の朝。学校に向かっていると、前方に見覚えのある人物を発見した。見えないフリをしてそのまま歩を進めていると、彼女は満面な笑みを浮かべながら、僕の前に飛び出してきた。
「わっ!」
「驚かさないでくださいよ。心臓に悪い」
「ごめん、ごめん。それより、これ見て」
彼女は胸の辺りで一枚の紙を広げて見せた。花火や提灯が描かれているそれは、近隣の神社で毎年開催されている夏祭りのポスターだった。
「そういえば、今日ですね。友達でも誘って行けばいいじゃないですか」
「だから、友達の君を誘っているんだろう?」
彼女が怪訝な顔を浮べる。きっと僕も、彼女と同じ顔をしていただろう。
「君と一緒に行きたいんだ。付き合ってくれるか?」
どうして、彼女は僕に必要以上に構うのだろう。昨日、会ったばかりなのに。
僕が彼女のお願いを聞いたからか。それにしても、なぜ僕なんだ?
腕時計をちらりと見た。急がなければ、夏期講習が始まる。
「分かりました。僕で良ければ」
僕の返事に、彼女の顔がぱあっと明るくなった。集合場所と時間を素早く決めると、彼女は「じゃあ、また」と言って僕の前から姿を消した。
彼女は一体何者なのだろう。なぜ僕と関わろうとするのだろう。考えれば考えるほど謎は深まるばかりだが、彼女が僕に飽きるのは時間の問題だろうと思った。
◆◇◆◇◆◇◆
神社に行くと、すでに大勢の人が集まっていた。意味もなく腕時計を眺めていると、近くで下駄の音がカランと鳴った。
「お待たせ」
顔を上げると、浴衣姿の彼女がいた。白地に水色の花が描かれており、彼女の美しさをより一層際立たせていた。
「どう?似合ってる?」
「・・・・・・まあ」
彼女は盛大にため息をつき、やれやれと頭を左右に振った。
「さては少年。学力偏差値だけでなく、恋愛偏差値も低いな。ここは、周りの男が二度見どころか五度見してしまうぐらい美人ですよと言うのが正解だ」
「周りの男が二度見どころか五度見してしまうぐらい美人です」
彼女は「可愛くないなぁ」と言いつつも、嬉しそうに僕の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。
「子ども扱いしないでください」
「少年も、もう高校生だったな。じゃあ、これはデートということで、今日は少年に奢ってもらおうかな」
彼女はそう言いながら、僕の腕にぴたりとくっついてきた。その姿で上目遣いをしてくるのは反則だと思いつつ、屋台の方に目を向けた。
「別に奢るのはいいですけど、その「少年」って言うの、いい加減やめてくれませんか?」
「じゃあ、なんて呼べばいい?
「普通に「ゆうと」でいいです」
「あ、あそこでりんご飴売ってる。食べに行こう」
「・・・・・・・・・・・・」
お祭り好きなのか、彼女はあれもこれもしたいと僕に言った。金魚すくいに射的に輪投げ。りんご飴にたこ焼きにチョコバナナ。彼女の目は、終始キラキラと光り輝いていた。
◆◇◆◇◆◇◆
祭りをひとしきり楽しんだ後、僕らは神社の近くにある公園で休憩することにした。自販機で飲み物を二つ買い、彼女が待つベンチへ向かった。
「私の分まで買ってきてくれたのか」
「サイダーは苦手でしたか?」
「いいや。大好き。ありがとう」
彼女にサイダーを手渡した後、自分の分のサイダーを一気に口に含んだ。境内を何周も往復したせいで、ひどく喉が渇いていた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。お祭りを一生分楽しみ尽くした気がするよ」
それは流石に言い過ぎだと思ったが、「そうですね」と返事した。
「それにしても、驚いたよ。金魚すくい、上手なんだな」
「・・・・・・僕は別の意味で驚きましたが」
彼女は僕の隣で「百匹捕まえるぞ」と張り切っていたが、僕が目を離した瞬間にポイを桶の中に落としていた。
「そういえば、金魚を多く捕まえた方が相手の言うことをなんでもひとつ聞くと約束しましたよね」
「そういえば、そんな約束をしていたな。なんだ、少年は私に何かして欲しいことでもあるのか?」
「ことではないんですが、あなたの名前を聞いてもいいですか?」
ごく普通の質問をしたつもりだったが、彼女がひどく動揺したように見えた。
「あ、いや、あなただけが僕の名前を知っているのが、なんとなく寂しいっていうか。名前を知らないと不便じゃないですか。だから、知りたくて・・・・・・」
数秒間の沈黙の後、彼女はぽつりと言った。
「良かった」
「なにが良かったんだ?」
「キラキラネームだったらどうしようかと肝を冷やしましたよ」
「なんだ、そういうことか」
ゆかりさんは、ふふっと笑った。またいつもの彼女に戻っていた。
「サイダー、飲まないんですか?」
「思ったよりも蓋が固くて。開けてくれるか?」
「貸してください」
キャップを捻ったサイダーを彼女に渡そうとしたその時、近くで聞き覚えのある声がした。園内に数名の同級生が入ってきた。目が合わないようにさっと顔を伏せたが、同級生のひとりが僕の存在に気づき、僕の名前を言った。彼らは僕を見て、大声でゲラゲラと笑いはじめた。
根暗。隠キャ。気持ち悪い。そんな言葉が耳に飛び込んできた。彼らが道を通り過ぎるまでの間、僕は息をするのも忘れて俯いていた。
「すみません。そろそろ帰ります」
ベンチから立ち上がると、隣に座っていた彼女が僕の腕を掴んだ。
「会った時から思っていたが、君はどうして人を避ける?他人が怖いのか?」
「他人が怖い?違いますよ」
「じゃあ、なぜ私から逃げる?」
「あなたには関係ない」
握られた手に力がこもる。
「私の顔を見ろ」
僕は逃げたかった。彼女の顔を見たくはなかった。
これ以上、失望されるのが怖かった。
「早く手を離してください」
「断る」
「どうして?」
「君が大事だから。友達だから、傍にいたい」
シンプルの言葉が僕の心を深くえぐった。
「あなたに、僕の何が分かるんですか」
彼女に掴まれた手を無理矢理引き剥がすと、ベンチに置いていたサイダーがゴトンと地面に落ちた。
「もう二度と、僕に関わらないでください」
吐き捨てるように言った後、彼女から逃げるように公園を飛び出した。冷静になってから神社に引き返すことも考えたが、電車に乗りこんだ時点で断念した。これでいいのだと、何度も自分に言い聞かせた。
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