蝿、蛆、私

292ki

家族

降り注ぐ太陽の熱とカーテンを揺らす優しい風に起こされて、私は目を覚まします。

清々しい目覚めでした。私はベットからゆっくりと降り、お気に入りのワンピースに腕を通します。

薄桃色のふんわりとしたシルエットのワンピース。少しだけ丈が短くて、母が見たらはしたないと卒倒してしまいそうですが、私はこのワンピースが大好きです。

ちゃんと似合っているかしら、と不安になって姿見を見ます。鏡の中の私はお化粧もまだなのに、頬が桃色で、目はキラキラと輝いています。よかった。大丈夫。いつもの私です。


「おはようございます」

階段を降り、リビングに挨拶を投げかけますが、誰も返事をしてくれません。ただ、そこにはちゃんと家族がいるので、私は気にしませんでした。

冷蔵庫から食材を取り出し、自分で調理します。今日は何を食べようかしら、と考えて無難に目玉焼きを作ることにしました。トースターに食パンをセットして、バターやジャムも用意します。ぱちぱちと卵の白身が焼ける音とトースターが動くジィーッという音だけが静かな部屋に響きます。

美味しそうな朝ごはん。返事をしない家族。素敵な私。いつも通りの風景です。何も問題はありませんでした。


「ご馳走様でした」

私は朝ごはんを食べ終えて、手を合わせて食後の挨拶をします。食器を下げ、簡単に洗って食器棚に納めます。

ふと、時計を見るといつの間にか家から出ていかなければいけない時間になっていました。少しだけゆっくりし過ぎたようです。

用意しておいたカバンを肩にかけて私は家族に挨拶をします。

「行ってきます」

家族から返事はありません。いつものことなので私は気にしませんでした。

ただ、音がしました。部屋が静かなのでその音は私の耳にも届きました。

ぶん、と。羽音です。

ふいに私の目の前を一匹の蝿が通り過ぎていきました。蝿は他の何にも見向きもせずに家族に向かっていきます。

家族にぶつかって、呑まれて、ひとつになります。

家族です。黒と白に彩られた家族です。

大量の蝿に集られて、大量の蛆に巣食われて、黒と白がモゾモゾと動き合い、絡み合い、一個の生命のような、多数の群衆のような、単純なような、複雑なような、生きているのか死んでいるのかよくわからないような、生きていても死んでいてもよくわかるような、そんな家族です。

「行ってきます」

私はもう一度、家族に声をかけて家を出ます。扉を閉める前に聞こえたのはやはり羽音でした。

ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん 羽音です。


外に出ると太陽の光が私を照らします。あまりの眩しさに目を細めながら私ははて、と思います。

あの家族は父だったでしょうか、母だったでしょうか、兄だったでしょうか、姉だったでしょうか、弟だったでしょうか、妹だったでしょうか、祖父だったでしょうか、祖母だったでしょうか、彼氏だったでしょうか、彼女だったでしょうか、夫だったでしょうか、妻だったでしょうか、子供でないことだけは確かでした。


一歩、足を進めて私は家族のことを忘れます。あれは家族です。それでいいのです。

「大丈夫。いつも通り」

いつも通り、あの家には蝿と蛆と私がいるのです。

それで良いのです。

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