番外編

省野考作の脳内革命(前編)

『まもなく一番線に東陸町ひがしりくまち行きの電車が参ります。白線の内側に……』


 俺、省野しょうの 考作こうさくはウジウジするのが大嫌いである。


 もっともウジウジするのが好きだという奴もそうそういないと思うが、何故かそれでもウジウジしたがる奴は多い。

 だいたいウジウジして何になる。自分の気分だけでなく周りの気分も害するだけで何の生産性もない。そんなことしている暇があったらやるべきことをやれって話だ。

 だから俺は絶対にウジウジなんかしない。


 たとえ、部内で俺の絵だけコンクールに落ちたとしてもだ。


 というかなんで俺の絵が落ちて一年生の絵が受かるんだよ。あいつらまともに描き始めてまだ三か月弱だぞ。意味が分からない。

 と、そこまで考えてから、それこそがウジウジしていることに気付いて深いため息をつく。

 本当、何考えてるんだろうな、俺は。

 どんな経緯があれどだされた結果はもう覆らないというのに。




 コンクールの結果を聞いたのはついさっき。部活の時間に顧問の国木田くにきだ先生から直々に聞かされた。

 このコンクールは地元主催で、毎年高校生を対象に絵画の部、デザインの部と分かれて開かれている。

 うちの美術部も例外なく全員参加。先生曰く、展示会場のスペースは広いので作品出せば大体受かるかなり緩いコンクール(まあ地域活性化目的だしな)だったのだが、何故か俺だけ落ちた。

 何故か、というのは本当に落選理由が分からなかったからだ。去年は普通に受かってたし。

「お、やったー、銀賞だ! 去年よりワンランクアップだー」

 俺のすぐ隣で同学年の洲田すだ 百花ももかがガッツポーズをしている。周囲からも喝采が上がった。

 銀賞。つまり金銀銅で二番目の賞。

 応募総数がどれだけいるのかは分からないが展示スペースに飾れる作品数を考えるとかなりのものだろう。実際こいつの絵は部内でも群を抜いているし。

「洲田は本当におめでとうだな。去年受賞したのも驚いたが、今年はもっと上を行くとは思わなかった」

 滅多に褒めないことで有名な国木田先生ですらこれである。

「んー、でも金賞とった人って何者なんでしょうねー? この人うちらとタメだし」

 洲田が、結果発表の金賞に載っている名前を指す。

「それどころか全国レベルの公募でもいい賞とってたし。しかもあれ一般公募だよ? 高校生オンリーのやつじゃないよ?」

「よくそんなの覚えてるな」

「え? 同世代の実力者の名前は普通覚えるでしょ? ましてやバスや電車ですぐ行けるような地元の高校だし」

 普通覚えるものなのか? だとしたら俺の意識は甘いのだろうか。甘いから落ちたのか俺は。と思いながら、金賞受賞者の名前を見る。


 白樺学院高校 二年 神領 ヒロ


 字面だけ見るとは覚えやすい名前の気がしたが、全く覚えていない。

 というか、名字は何て読むんだ?

「ま、こういうのを天才というんだろうな。別にしょげなくてもいいぞ、お前ら。天才でなくても絵は描けるんだから」

「先生、それ嫌味っぽーい」

 洲田が口を尖らせる。というか、ほぼ部内のエース扱いのお前が真っ先に反論するのも嫌味っぽくなる気がするのだが、それはどうなのか。

「そうか? 天才は天才で苦労があるだろうし、一概にいいものでもないと思うぞ? それに」

「それに?」

「天才がいつまでも天才だとは限らないからな。ある日突然才能が枯れることがある」




『ご乗車ありがとうございます。次は終点、東陸町です』

 枯れたのは俺の才能だろうか。

 いや、自分に大きな才能があるとは思っていないけど、凡人にも積み重ねた努力となけなしの才能はあるはずだ。

 だけど今回の結果を考えると、持ち合わせていた実力全てが枯れてしまった可能性だってあるかもしれない。

 ただ、帰り際に国木田先生は俺を呼び出してこう言った。

「審査員の基準なんざどうせそいつらにしか分からんから気にするな。少なくとも俺はお前の絵が劣っているとは思えん」

 毒舌で、隙あらば人の絵にケチ付けてくるあの先生にこんなフォローを入れられるとは思っても見なかったが、俺はそんなにショックを受けた顔をしてたのだろうか。

 だけど、国木田先生はこうも言っていた。

「ただ、省野は作風で損してるんだよなあ。パッと見繊細で透明感があるのはいいが、他の作品と並べると一気に印象が薄くなる」

 皆まで言わなくともわかった。落ちた原因は多分それだ。

「とはいえせっかく築き上げた個性を潰してまで作風を変えろとは俺には言えん。何も賞を取る事ばかりが全てではないからな」

 逆に言えば、今の作風ではどうやっても不利というわけだ。

 電車の座席に揺られながら、遠くの景色をぼんやりと見つめる。

 正直、今のスタイルを辞めるのは嫌だ。好きでやってるものくらい好きに描きたいという欲求を抑えられそうにない。

 ただ、今のままだと今後の公募も部内で俺だけ選外という事態になる可能性もある。そのたびに洲田が一人だけいい賞とって調子に乗るのもなんだか癪だし。


 って、だからウジウジした思考はやめろ、俺! 鬱陶しい!




『ご乗車ありがとうございました。終点、東陸町です。JR中央線にお乗換えの方は一番線から17:02発の……』

 電車から降りると、乗り換えのため連絡通路の方へ向かう。

 朝もそうだが、この時間帯は人が多く、人混みが苦手な俺にとってはこの乗換の移動がとにかく苦痛だった。

 と親父に言ったら「こんなの人混みとは言わん。東京とか地獄だぞ」と返されたが。

 しかも今日は部の荷物を持ち帰ったので、左手には画材の入った工具箱、右手にはスケッチブックにスポーツバッグと、とにかくかさばりすぎている。

 というか明日も部活なのになんで持って帰ろうとしたんだろうな。やっぱり自分で思っている以上に気が動転しているんだろうか。

「あ」

 などと考えてたら前方の注意を怠っていた。それに気が付いた時にはもう遅い。

 左手に持った工具箱が、向こうから来た通行人の身体にぶつかって、その反動で手から箱がすっぽ抜けた。

 

 やばい。

 

 そんな三文字が脳裏をかすめた瞬間、工具箱は落下してワンバウンド、落ちた衝撃でロックが外れて中身をぶちまけた。

「す、すいません!」

 慌てて散らばった絵の具をかき集めて工具箱に放り込む。うっかり踏んづけたら大参事だ。というか、さすがにこれは恥ずかしすぎる。何なんだ、今日は厄日か。

 多分今の俺の顔は真っ赤になってるんだろうな、と考えながら片づけをすますとそそくさとホームへの階段を駆け下りた。



 目当ての電車が来るまであと十分弱。

 俺はベンチに腰かけると、一息ついた。

 なんだかどうでもいい事で疲れている気がする。ものすごく気のせいだと思いたいが。

 持ち帰る必要のない工具箱を眺めながら、こいつをどうするか考える。

 どうせ持って帰るのならば家で何か描けばいい話なのだが、正直そういう気分にはなれそうになかった。

 これが洲田だったら、「いやー、うっかり絵の具持ち帰っちゃったよ。持ち帰ったついでで軽く一枚仕上げちゃったわー」と、「軽くってレベルじゃねーよ」と突っ込みたくなるような腹の立つ絵を持って来るだろうな。

 それを考えると何だかイラッとしてきて、その差があるから俺は奴には敵わないのだなと打ちひしがれる。

 いや、美術に勝ち負けがあるってわけではないけど。ちやほやされたくて描いてるわけではないけど。

「あの」

 不意に視界に影が落ち、見慣れたメーカーの絵の具チューブが差し出された。

 驚いて見上げると、薄いグレーのかかったカッターシャツを着た大男がこちらを見下ろしていた。

「これ、さっき落としてませんでしたか?」

 身の丈だけ見ると、うちの山県やまがたより背が高い。190センチはあるんじゃないだろうか。見た感じ学校の制服だし、どっかの運動部の人だろうか。

 いやよく見ると、この制服は確か白樺しらかば学院のものだ。シャツの胸ポケットにある校章マークの刺繍は見覚えがある。

「あの、どうかした?」

「あ、いや」

 相手が不思議そうな顔をするので、慌ててチューブの方に目をやる。確かにこれは俺が使っている絵の具だ。

「ありがとう、ございます?」

 なんで疑問形で返すんだ、俺は。

「というか、どうしてそれが俺のだと?」

「そりゃ、さっき荷物ぶちまけてたのを見たから」

 ですよねー。あまりのも愚問過ぎた。俺はそそくさと絵の具を仕舞い込む。

 大男はそんな俺を見ながらさも面白そうに笑っていた。

「もしかして美術部だったりします? 陸高の」

「あ、ああ、はい」

 とりあえず落ち着こう、俺。大体声をかけられた側が不審な言動を取ってどうする。

「俺も美術部なんで。白樺の二年」

「は?」

 思わず声に出た。美術部て。

 いや、だってこの人190超えの大男だぞ?

バレーとかバスケ部だったら即納得するのだが、なんでその身長を全く生かしようがない美術部?

 確かにうちには長身でガタイのいい山県や、規格外の腕力と運動能力を持った女子のみやこがいる。

 もっとも都はとある事情で運動部に避けられているという、気の毒な境遇のやつではあるが、こいつもそう言ったクチだろうか。

「あ、あー、俺も二年」

「何だ、タメか。敬語使って損した」

 大男の表情から少し緊張が解けたかのように見えた。

 しかし見れば見る程美術部どころか絵を描くって感じには見えない。絵の具受け取った時に見た指もなんかごつかったし。

「ところで俺、これから東町文化ホールってところに行きたいんだけど、北口と南口のどっちに行けばいいか分かる? 俺、この駅で降りるの初めてでさ」

「文化ホール?」

「そ。美術コンクールに出した絵が飾られてるから見に行くことになって。あ、陸高ってことはもしかして君の作品もあったりする? ここから割と近いんでしょ?」

 胸にぐさりとした感覚を覚え、俺は言葉を詰める。

「あ、いや、俺のは出してないな。出してる奴は出してるけど」

 言うまでもなく俺の絵が無いという事実以外は嘘である。出してないんじゃなくて出したけど落ちたんだよ、この野郎。

「何だ、あのコンクール落ちる人少ないから出せばよかったのに。手抜きの落書きなら落ちるかもしれないけど」

 断じて俺の絵は手抜きではない。

 うっかり口に出しそうになる所を必死で飲み込む。

「文化ホールは北口に出て道をひたすらまっすぐ。看板出てるから分かると思う」

「そっか、ありがとう。それじゃ」

 大男はきっちりとした礼をすると、改札口に繋がる連絡通路の階段の方へ体を向けた。

「でも、本当は行きたくないんだよね」

 小声だが、はっきりそう聞こえた瞬間、大男の身体がぐらりと傾く。

 反射的に手を伸ばして支えようとするが、190超えの大男に対して俺は一般男子高校生レベルという体格差だ。支えられるはずもなく、俺の方が下敷きになった。

「え、ちょ、いきなり何なんだよお前!」

 大男の方はうめき声をあげるだけで気を失っている。頭は打ってないはずなので意識が無くなったのは倒れる直前なんだろうか。

 にしたって、なんでいきなり前振りもなく倒れるんだよ。普通ありえないだろ。

 ああ、もう、本当に何なんだよ今日は!

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