省野考作の脳内革命(後編)

 大男が担架で駅の医務室へ運ばれてから約三十分。

 俺は直前まで一緒にいたということでこいつが目覚めるまでの付き添いを買っては出たものの、こいつの事情を全く知らない。分かっているのは白樺しらかば学院二年の美術部員で、こいつの家の連絡先どころか名前すら知らないのだ。生徒手帳や携帯電話は持っているだろうが、勝手に触ると後で個人情報がどうたらと後で色々言われても厄介なので探すのはやめた。

「う、んんー」

 何度目かのうめき声と共に大男の目がカッと開いた

「大丈夫か?」

 大男はしばらく状況を飲み込めず、ボーとしていたが、自分が寝かされていることに気付いてようやく俺の方をに顔を向けた。

「ここは? というか俺は?」

「休めそうなところに駅員さんたちが運んでくれた。というか、お前さんは体が大きいから担架で運ぶのも一苦労だったぞ、マジで。ああ、まだ起きるな。医務室の人呼んでくる」

 起き上がろうとする大男を手で制止すると、俺は医務室の責任者を呼ぶ。

 ほどなくして角ばった顔つきの男がやってきて、プリントの乗っかったバインダーを片手に大男への問診のようなものを始めた。

「大丈夫? 喋れる? 一応学校に連絡するから名前教えて。白樺学院の子だよね、君」

「……それ言わなきゃだめですかね?」

「別に悪い事を告げ口するわけじゃないし、登下校中に倒れたとなると学校に言わないわけにもいかないでしょ。そのまま返すのも不安だし」

「あとで絶対言われそうなんだよなあ」

 小学生並みのゴネっぷりである。

「まあ、迷惑かけたのは事実だからしょうがないか。俺、白樺学院高校二年四組出席番号十四番、ジンリョウヒロ」

「ジン、あ、ごめん、もう一回言ってくれないかい?」

「ジンリョウヒロ。神様の神に領域の領。ヒロはカタカナ。担任の番地ばんち先生に言えばわかると思います」

 神様の神に領域の領で神領ヒロ。なんか見た目とイメージが違うよな、と我ながら失礼な事を考えていて、あれ? と何かが引っかかった。

 こいつの名前、どっかで見たような。

 そう、聞いたんじゃなくてどっかで「見た」名前だ。それも記憶はそんなに古くない。芸能人とかの有名人じゃないけど、何かで見たような。ニュースでも雑誌でもないそれ以外の何かで。

「思い出した!」

 うっかりとしか言いようがないが、俺は思わず声を上げていた。

「おま、確か金賞とってた人!」

 そう、さっき部活でコンクール結果を見てた時に洲田すだが一方的にライバル視してた奴!

 大男、いや神領ヒロは大変ばつの悪そうに顔をそむけた。

「……まさか他校に名前が知られてるとは思わなかった」

「あー、いや、コンクールの結果で偶然知っただけだ。正直それまでは知らなかった」

 しかし見れば見るほど、このどう見ても運動部っぽい大男が金賞を取るような美術部員とは思えない。

 しかもあの毒舌王の国木田先生が天才と称すような実力者だぞ。もっとこう、浮世離れしてて線の細い感じのやつを想像してたのだが。勝手だと言われたらそれまでだが。

「ねえ」

 神領は顔をそむけたまま呼びかけた。

「そっちの学校で俺の事とか何か言ってた?」

 なんだか弱気な質問である。

「何かってそうだな、二年連続で金賞とってる天才だって顧問の先生は言ってたし、洲田も、あ、同級生の女子なんだけどそいつが今回銀賞とってお前をライバル視している」

「天才、か」

 神領が深い深いため息をつく。

「俺、天才じゃないのにさ」

 それはうんざりと言いたげなくらいに投げやりな一言だった。

「別に不正してたわけじゃないだろ」

「してない。というかするわけがない」

「なら正当な評価なんだろ、審査員にしてみれば」

 俺の言葉に神領は黙り込む。

 そしてそのまま身を起こすと立ちくらみに襲われたのか、そのままがっくりうなだれた。

「別に俺の絵を見ていいと思うのはまあ、構わないんだ。むしろ嬉しいし、ありがたい話だと思う。でも」

 そして一拍置くと弱々しげな声で言った。


「でも、天才という言葉は嫌だ」




 大男の弱々しい姿は見ていて何か痛いものを感じるが、俺は構わず話を続けた。

「天才じゃなければ、何なんだ?」

「普通の人間だよ。普通に絵が好きで、普通に絵を描いてるだけの。でも部の人間はそういう風には見やしない」

「つまり特別扱いが嫌だと」

 俺の言葉に神領はこくりと頷いた。

「うちの美術部はガチ勢集団でさ、とにもかくにも賞とかコンクールの結果にうるさいんだよ。誰がどこでどの賞をとったとか、全員が敵って感じで部全体もピリピリしている」

「マジか。うちの部と全然違うな」

「俺もどっちかというとエンジョイ勢で部活やりたかったよ。最初はちょっと厳しい部、くらいにしか思ってなかったのに、去年言われるままに公募にいくつか出したやつが全部入賞してさ。そこからかな。周りの俺を見る目が変わったのは」

 神領の目線は正面にいる俺を通り越した遥か遠い所を見ている気がした。

 もうこの時点で俺とは次元が違う。

「ある奴は何かにつけて嫌味を投げつけてくる。またある奴は褒めるけど次は次はと一方的に結果を求めて期待してくる。圧倒的に後者の方が多いんだけど、それってさ、どっちにしたって戦引かれてるんだよ」

「線?」

「俺とみんなは別次元の人間ですよって感じの区切り線。なんかこう、今みたいに普通に喋ってくれないというか。あ、いや、いじめってわけじゃないんだけどなんか息苦しくて。病院行ったら神経性胃炎とか言われちゃったし。二年連続金賞だったってことで周りがさらに騒ぐから最近眠れなくなっちゃって、もう三日くらい寝てない気がする」

「今ものすごくさらっと重大な事を言わなかったか?」

 さっき倒れた理由もそれかよ。というか体調悪いんだったらなんで一人で土地勘のないこんな場所に行こうとしたんだこいつは。

 そもそもこいつには神経性胃炎と不眠症を心配してくれる奴もいないのか? 本人が明かしていない可能性が高いけどそれはとても寂しい話じゃないか?

「中学時代の美術部は普通だったんだけどな。賞とれる奴とそうでない奴で待遇変えたり、顧問がプレッシャーかけてきたりとか、運動部でいうレギュラーと補欠みたいな感じの緊張感なんてなかったし」

「うちもそういうものはないな」

 むしろうちが白樺のスタイルだったら俺は部の最底辺に突き落とされてしまう。そしてあの女・洲田 百花ももかがひたすら持て囃されることになる。想像するだけでゾッとするわ、これ。

「うらやましいな。そういう気楽な環境」

 そう、うちの美術部はどこまでも気楽な環境だ。こいつのいる美術部から見ればただの遊びに見えるような、エンジョイ勢がただ好きなように活動している部活。

 そうしている間にこいつは俺らの何倍も厳しい環境で、ただひたすらに絵を描いて、実績を積んで、そして天才という誰もが羨む称号を手にして称えられても、待ち受けるのは孤独。

 疎まれるか、特別扱いされるかの二極化で、もはやこいつの周りには対等に接してくれている人間がいないのだ。

 そして、実績が出せなくなったら今度は落ちこぼれのレッテルを張られるに違いない。きっと神領はそれを一番恐れているのだ。

 いつか来るかもしれない、天才ではなくなった自分を誰も必要としてくれなくなる時を。その落差を恐れているから天才という称号なんて最初からいらない、そう言えるのだ。


 俺には無縁の、置かれることがまずないだろう環境。そう思うと、


「あー! ふざけんなよ、お前!」


 急にムカついて、気が付いたら神領に食って掛かっていた。


「お前の環境も周りの人間も知ったことかよ!」

 神領は口をぽかんとあけた状態でこちらを凝視している。

「賞が全てって言うなら取れない奴は全否定か! お前も含めて!」

「え、別にそんなことは言ってな」

「周囲に振り回されてる時点で同じだろ! 嫌ならそんなもんにブレんな!」

 後になって思ったが、俺はこの時心から認めてしまったのだ。

 部で自分だけコンクールに落ちたことが、平気なふりをしていたけど本当は悔しくて悔しくてどうしようもなかったことを。

 何処の誰だか知らないが俺の絵を落とした審査員も、銀賞とって調子こいている洲田にも本当は思いっきりムカついている事にも。

 だから、次の言葉も考えなしに言い放ってしまった。

「次だ」

「え?」

「次のコンクールでお前を一番の座から引きずり落としてやる。覚悟しろ」

 そこでようやく俺は神領から視線を外した。何か一気にガッと言ったらすっきりして頭が冷えてきた。

「いいだろ別に、たまには他の人間が一番になっても。天才一人が一番を独り占めしなくても。いろんな奴が一番になれるチャンスが多い方がよっぽど健全だ。少なくともお前みたいなのが一番を独り占めするよりかはマシだ」

「ずいぶんな言われようだ」

 確かに言われた側にしてみれば俺の態度は最悪だろう。言ってしまえばただの八つ当たりだし。かといって謝る気も撤回する気も起きなかったが。

「でも君の言う通りそう考える方が健全と言えば、健全か」

 それから彼は天井を見上げ、しばらく何か考えた後、「いいよ」と呟いた。

「は?」

「その勝負、受けて立つよ。たまにはスポ根風になるのも悪くない」

 神領の視線が俺の方へ向いた。もうさっきのような弱々しさは感じられない。

「勝負するのは、そうだな。九月終わりにうちの地元で高校生限定のジャンル不問の美術コンクールがあるからそれにしようか」

「はい?」

 ここでようやく俺はこいつの言わんとしていることを理解した。

 すなわち「受けて立つ」と。

 改めて俺は本当に考え無しだったと痛感した。

 当然だ。そもそも勝算とか一切考えなかったのだから。だが、今さら引き下がれない。

「ところで君の名前聞いていい? 覚えておくから」

 当の神領はすっかり気持ちが落ち着いたのか、元のマイペースな態度に戻っている。

 俺はため息を一つ付くと、投げやり気味に答えた。

「……省野しょうの 考作こうさく。省エネの省に野は普通に野原の野、考えて作ると書いて考作だ」




「……で、これが審査員特別賞を取った時の絵、と」

 それから月日が飛んで約一年ちょっと後。高校最後の文化祭。

「何だ、ミチ。お前は先輩の作品も覚えていないのか」

「いや、描いてたのは覚えていますけど、他にもいろいろ描いてたからどの作品が賞のやつかまではさすがに」

「見りゃわかるだろ。こいつだけは格段に手間がかかってる」

「うん、まあ、確かにこれは細部までがっつり描いてますもんね」

 一つ下の後輩にして現・副部長の道ノみちのくら 橙也とうや(通称ミチ)がまじまじと俺の作品を見る。

「でも、審査員特別賞って名前がカッコいいっすよね。国木田くにきだ先生もすごく褒めてたし。あーだけどその結果聞いた時の先輩、すごい力抜けて放心状態だったことは覚えてますね」

「そこは忘れろ」

 自分で言うかと突っ込まれそうだが、あれから俺は本気で神領に勝ちに行こうとした。

 繊細だがインパクトに欠けると評価される自分の絵ではまた落とされる可能性もあるし、画風を変えることも考えた。

 だが、一から画風を変えてスタイルを組み直していては期日まで間に合いそうにない。そもそも俺は色んな絵柄を扱える程そんなに器用でもないし。

 となると今の繊細で透明感のある絵柄でインパクトを出すのが最善と考えて、それにはどうしたらいいかを試行錯誤した結果、やはり長所をひたすら伸ばすのが一番、俺の持ち味が「繊細」というのならばとことん細かい絵にして、これでもかという位に手間がかかってますアピールをしてやった。

 こう言うだけなら簡単そうに見えるのだが、描く方はものすごく大変だった。デジタルだったらコピー&ペーストで楽々な気がするが、手描きだとそういう手法が一切使えない。完成まで集中力と腱鞘炎との戦いで、正直もう二度とやりたくないというのが本音だった。

 それだけにあの時の受賞はうれしかった。前回の屈辱をひっくり返し、自分の中で最高記録ともいえる賞がとれたことで心が一気に晴れやかになって、何もかもがすっ飛んだ気分になった。

 と、同時に神領ヒロはどうなったのかと思い、結果を見せてもらうと、奴は当然のように最優秀賞を取っていた。コンクールによって金賞と最優秀賞と一等賞の名前が違う理由はよくわからいが、奴はやっぱり本物の王者だった。

悔しいが完敗である。だけど勝負を挑んだことは後悔していない。

 ちなみに、神領とはあれっきり会っていない。それどころか三年に上がって以降は何処のコンクールにも名前を見ることが無くなった。文字通り賞を独り占めすることもなくなったのだが、風の噂では留学したとかは聞いた。まあ、根拠は全くないが多分元気でやってるだろう。

 いや、そうじゃないと困る。何故ならあいつはたった一度とはいえ俺のライバルだったのだから。

 理由なんてそれだけで十分だ。

「ちょっと男子ー! そんなところで油売らないのー!」

 いきなり後ろから背中を叩かれる。驚いて振り返ると、不機嫌そうな顔をした洲田が俺らを見上げていた。

「もうすぐ受付交代の時間なんだから、そんなとこに突っ立ってないで早く来なよ」

「交代って、まだ五分時間あるだろ」

 会場の時計を指差す。

「つべこべ言わない! 私、ちょっとこれから体育館に行かなきゃいけないんだから早くー」

「お前の都合なんて知るかよ!」

「だって、クラスの出し物とダブルブッキングしてたなんて後から気付いたんだもん」

「それ完全にお前のミスじゃねーか!」

 しかしこの女、人生を画力と動物的本能に極振りしているような奴なので言い出したら聞かないのである。正直俺はこいつの事が最後まで苦手だった。このめちゃくちゃ適当な性格なのに画力は部内で一番あるという腹立たしい現実。

 神領以前にこいつに勝っておくべきだったなー、俺。

「あ、本当に時間ないや。あとはよろしく、元副部長&現副部長!」

 言うだけ言って逃げやがった。五分と言う時間を考えると追いかけて抗議するのももったいないので放っておくしかない。

「こういう所が腹立つんだよなー、洲田」

「え? てっきり仲良いと思ってましたけど、僕は」

「だとしたら、お前の目は節穴だ」

 呆れたように俺はため息をつく。そういや、振り返れば丸三年間ずっとこの調子だったよなあ。

 色んな奴や色んな価値観に振り回されたり、自分のスタイルを貫いたり。挫折したりリベンジしたりで退屈はしなかったけど。

「まーそれも青春じゃないですかね?」

「それっぽい事言って話を締めるんじゃない」

 俺はミチを軽く小突くと、展示場の受付へ向かった。




 省野考作の脳内革命 完

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