7-4 その名の意味は

 文化祭前日。

 幸い、台風はあっさりと通り過ぎ、当日の天気予報は晴れとのことで最大の心配はなくなった。

「という訳で明日は何の心配もなく文化祭を迎えられることになった」

 美術部の展示物の設置も部活の時間の二十分をオーバーしたところでようやく完了し、私は皆を集めて最後のミーティングを行うことにした。

 とはいっても開催中の受付当番や不測の事態が起きた場合の連絡手段などの打ち合わせは既に終わらせているので、これは本番に向けての士気向上のためのものである。

 残念ながら先輩達と先生は別件で手伝いには来られなかったので、今この場にいるのは我々七人だけである。

「ここまでいろいろあったが、皆、よく頑張った。あとは本番での評判を待つのみ。つまりやるべきことはやったと言える状態だ」

 私は頼もしき仲間たちの顔を見回した。

 自分の作品だけでなく、会場の飾りつけまで率先して作業してくれた、気配り上手な甲府こうふ あかり。

 予算を気にしながらも、いくつもの像を黙々と作り上げた山県やまがた 公斗きみと

 一見大人しいようで、内に秘めた情熱を作品にひたすら込めた町成まちなり つばさ

 気まぐれで落ち着きはないが、それでも自分の憧れに近づけるように頑張った志村しむら 沙輝さき

 謂れのない評価に傷つき、途中で投げ出そうとしても、最後にはちゃんと漫画を完成させた市原いちはら あおい

 そして、頼りない面もありつつも常に私を補佐してくれた、副部長のミチ。

 ……あれ? ミチの本名なんだっけ?

「まあとにかく、ここにいる全員が胸を張って頑張った、と私は思う」

「いやちょっと待って大将。今、僕を見て首かしげてたよね?」

「そんなことはない。多分」

「多分って何!?」

 ミチは割と小さなことにこだわる男だな、と思ったところで苗字が道ノ倉みちのくらだったことをようやく思い出した。

「てか運動部じゃあるまいし、大将は堅苦しすぎ! ここは美術部らしく、スタイリッシュでハイセンスな感じにしよう」

 ミチが他の五人を見回すが、皆は別にどっちでも言いといった感じでスルーした。山県だけは「お前の言うスタイリッシュでハイセンスの意味が分からん」と反論していたが。

「あ、ほら去年の洲田すだ先輩がやったやつ! あんな感じがいい!」

「去年のってまさか」

 脳裏に去年の出来事が思い起こされる。

「先輩、去年のって?」

「あ、ああ」

 沙輝の問いに私は言葉を濁した。




 正直あまり思い出したくない話なのだが、あれは去年。部長になってから初めての文化祭という大きなイベントを前に洲田先輩はとても張り切っていた。形は違うとはいえ、今の私のように。

 そして先輩は前夜祭っぽく景気よく行こう! と言い出し、全員を新校舎の屋上へ連れて行った。

 洲田先輩はそこで周囲に誰もいないことを確認してから、皆を中央に集めると、手に持っていたコンビニ袋を掲げた。

「ふふふ、じゃーん!」

「なんですか、それ」

 彼女はその問いには答えず、袋の中から台の付いた筒状の置物を取り出す。

「って、これ打ち上げ花火?」

「夏合宿の時に余ったやつ。湿気てるかもしれないけど有意義に使おうと思って。やっぱり前夜祭は景気よく行かないと!」

「待ってください! 使うってまさか打ち上げるんですか! さすがにそれは校則違反です!」

 私はすかさずそれを止めようとした。が、その制止もむなしく、洲田先輩がチャッカマンを取り出す方が早かった。

「安心して、一発だけ! 一発だけだから!」

「一発でも駄目です!」

「カタいなー、ミヤコちゃんは」

 強引に取り上げようにも、何かの拍子で火傷を負わせるかもしれないという危険があるため、結局場にいる全員は先輩の奇行を止めることができなかった。

「はいはーい、みんな離れた」

 導火線に火をつけ、それをコンクリートの地に置く。皆が慌てて散った。

 点火して十秒ほどで花火は音を立てて打ち上がる。何発も何発も。

 が、空はまだ明るいので、肝心の花火はほとんど見えず、どう考えても有意義な使い方とは到底思えなかった。

 洲田先輩とミチだけはやたら楽しそうに盛り上がっていたが。




「……いやーまさか学校の屋上で花火やるとは思わなかったわー。洲田先輩マジ半端ない」

「その後駆けつけてきた先生たちに大目玉をくらったのだが」

 大体花火の点け方からして間違っている。普通は地面に置いてから火をつける。説明書にもそう書いてあったし。

「とにかく今年はそういうのは無しだ。ただでさえ目を付けられているのだから常識的な方向で行くぞ」

「だからそれ大将が言っちゃうの?」

「でも花火じゃなくていいから、なんか景気づけはあった方がいいかもね。なんか楽しそうだし。花火は嫌だけど」

 あかりが間に割って入る。ちなみにあかりは基本怒られ慣れしていないので、去年の花火事件で説教をされた時は一番泣きそうな顔をしていた。

「あ、それいいかも。さんせー! 藍もそう思うよね?」

「え? 私? なんでこっちに振るの? え、えっと、先輩たちはどう思います?」

「こら、少しは考えろ」

 苦笑いで誤魔化そうとする藍を嗜める。

 結局、即興では大したものができるはずもないので、「やるぞ、オー!」と掛け声を合わせるだけのものになった。ミチだけは「そんな運動部みたいなダサいのは嫌だ」とごねていたが、却下した。第一、掛け声がダサいなど運動部に対して失礼にも程がある。

「では文化祭の成功を祈って。エイエイ」


「オオオオオーーー!」


 七つの拳が天井に向かって綺麗に伸びる。

 と同時に、パンッと何かが弾けるような音が響いた。


 驚いて音のした方を見ると、そこに居たのは

「やー! ちゃんとやってるか、後輩どもー」

 パーティー用のクラッカー片手に、洲田先輩が得意げな顔で入口の所に立っていた。皆が口をあんぐりとさせていると、彼女はケタケタと笑う。

「いやー、ドッキリを仕掛けようと思って様子をうかがってたら、なんか面白そうなことをやってたんでタイミング仕掛けるならここかなー、て」

 私はそんなあっけらかんとした先輩と、さっきまで一生懸命掃除して綺麗になった床の上に散らばったクラッカーの中身を交互に見やった。

「あれ? ミヤコちゃんどうしたん? そんな顔して」

「どうしたもこうしたもありません!」

 せっかくきれいに飾りつけした展示場。

 せっかく高まった士気。

 それらを一瞬にして吹き飛ばしたクラッカー。

「先輩、あなたの事は先代主将として美術部に貢献したことと、あなたの絵画の腕に関してはとても尊敬しています」

「え、うん、ありがとう? いやーミヤコちゃんにそう言われると照れるわー」

「ですが」

 私がキッと目を見据えると、周囲にいた部員たちはびくりと肩を震わせた。

「いや、ミヤコちゃん? ミヤコちゃん、顔怖いよ?」

「問答無用です! 覚悟してそこに直ってください!」




 それからさらに十五分。先輩が起こした騒動の後片付けが終わるとともにやっと部員達を解散して家に帰すことができた。私一人だけ部の活動録をまとめていたので最後まで美術室に残っていたが。

 と思いきや。

「洲田先輩?」

「やあ。ミヤコちゃん、おつかれー」

 もう誰もいないと思っていた室内に、まだ洲田先輩が残っていた。

「てっきり帰ったのかと思ってました」

「一人でゆっくり作品見ておきたくて。ほら、藍ちゃんの漫画とか結局見せてもらえなかったし」

「あ、どうでした、藍の作品は」

「こう言うのもなんだけど、ビックリするほど本人にそっくりだったわ。あ、キャラクターの顔や性格じゃなくて、作品そのものが」

「どういうことですか?」

 作品が本人に似る。なんだか不思議な言葉だ。

「なんかこう、一生懸命って感じで真面目にコツコツ頑張ってる感が出てるし、そのくせどっか自信と度胸があんまりないせいか決めゴマの線がちょっとブレブレしてるし」

「あ」

 確かにそれは妙に納得してしまった。藍は真面目できちんとしているが、気が弱くて撃たれ弱い。

「まあ、それはみんなにも言えるけどね。ナリ君とか口数少ないけど根っこには色んなものが詰まってる感じがするし、沙輝ちゃんは気分屋で仕事にちょっとムラがあるし」

「よく見てるんですね」

「そりゃ好きだし」

 唐突な「好き」という単語に思わず「えっ」と聞き返す。

「私、作品見て作者を想像するのが好きなんだよね。どうしてこの作品を作ろうとしたのか、作ってる最中に何を考えていたのか、何を伝えようとしているのか、そしてどれだけの労力を費やしたのか、とかね」

 洲田先輩が微笑みながら私を見上げた。それはいつもの悪戯っぽい笑みではない、とても自然で素直さすら感じる表情だった。

「ミヤコちゃんは絵、描くの好き?」

「え?」

 不意に投げられた問いに、私は少し困惑した。もちろん美術部に所属している以上、嫌いという事はない。

 だが、先輩の言う「好き」と「嫌いではない」というのは等しい意味ではないような気がした。

「正直、絵は奥が深くて、今はひたすらいっぱい勉強したり練習したりの毎日です。心から楽しんで描くにはまだまだ実力が足りないと思っています」

「へえ」

「だから今はもっとたくさん修行して上達したいです」

 洲田先輩がじっとこちらを見ている。

 変な事を言ったつもりはないのだが、もしかしたら先輩が聞きたかった答えではないのかもしれない。

「なるほど、ミヤコちゃんらしい」

 いつも通りの悪戯っぽい笑み。

「安定の体育会系にして超絶ストイック。いやあ、私には絶対真似できないわー」

「絶対褒めてないですよね、これ」

「そんなことない! こんなのは人それぞれなんだから答えさえ自分の中で分かっていれば十分じゃん? ミッチーなんて絶対ミヤコちゃんみたいな答えは出さないだろうしさ。ほら、作品見てもそういう泥臭さい感情とか込めたくなさそうだし」

 先輩はすぐそばの壁に飾られている絵を見上げた。

 暖色系の色合いが複雑に絡み合う、コンピューターで描いた作品だった。なるほど、確かに何でも写実的に描こうとする私の作風とは違う。

「色んな人がいるから色んな作品が生まれる。時には思うようにいかないこともあるけど、それも一つの楽しみだと思うよ」

 言われてみればそうかもしれない。ここ最近己の未熟さを痛感することが多かったが、そういった自分の行いを否定するのではなく、未熟な自分は未熟な自分として肯定していくのも大事なのではないだろうか。

「ありがとうございます。やはり洲田先輩は素晴らしい先輩です」

「え、ええ? いや、別に褒められるようなことはやったつもりはないんだけど」

「いいえ、先輩のおかげで新しい道が開けそうです」

「そ、そうなんだ」

 洲田先輩は観念したかのようにため息をついた。

「にしてもミッチーは流石にかっこつけすぎだよね。ほら、見てよ」

「そうでしょうか? 私はコンピューターの事はあまり詳しくないのですが」

「違う違う、絵じゃなくて題名」

「題名、ですか?」

 先輩に言われてみてみると、暖色系の抽象画には「Red Garden」、隣の青空の絵には「Blue sky Dream」、他にも「youthful」とか「Reminiscence」と書かれている。Reminiscenceの意味は後で辞書を引くとして、実際の作品は彼が家から持ってきた懐中時計のデッサンである。

「なんでも英語にすればかっこいいと思ってるんか、あいつは。しかも普通のデッサンにまでカッコつけすぎ」

「確かにミチは英語はそこそこ得意だと言ってました」

「ミヤコちゃん、英語力の問題じゃないから」

 しかしよく英語の題名など思いつくな、ミチは。私には英語の題名をつけるという発想すらない。そもそも似合わないだろうし。

 Red Gardenは直訳すると赤い庭。この場合、Redは赤い色を指していて、庭の部分はそれ以外を指しているのだろう。それで題名のRed Gardenがミチの中では成り立っているのに違いない。

 それを考えると奥が深いな。そう思いながらもう一度題名の書かれた札を見る。


Red Garden Touya.M


 あいつ、名前も日本語で書かなかったのか! しかも苗字は頭文字のみ。よく見ないと気付かない。ミチ、ここまで徹底していたのか。

 そしてミチの下の名前がTouya、橙也だったことを完全に思い出した。

 道ノ倉 橙也。よし、もう忘れない。

 どうにも普段あだ名で呼ぶ相手は本名を忘れがちになるな。私も主に男子から大将と呼ばれているが、もしかしたら同じように名前を忘れ去られているのかもしれない。

 大将というあだ名は好きに呼べばいいが、それは少しさびしいものがある。


 あれ?


 ふと思い出したが、あのプレハブの事故の時、ミチはとっさに私の事を「喜衣乃きいのちゃん」と呼んでいなかったか? 一度だけだったが、確かにミチはそう叫んでいた気がする。

 あれには何か意味があったのだろうか。

 もし、それに意味があったのだとしたら、それは

「おーい、ミヤコちゃん、そろそろ日も落ちかけてるし帰ろっか」

「え、は、はい」

 突然現実に引き戻され、返事がどもってしまった。

「どうしたん?」

「いえ、何でもありません」

 私はもう一度だけ、ミチのRed Gardenを見た。

 Touya.M。

 まあ、悪い気はしないかもしれないな。

 そのうちどこかで私もミチの事を名前で呼んでやろうか。呼んだらどんな顔をするだろうか。

 どうせなら今の私のように、名前を呼んだ場面を思い出してくれるような状況が望ましいな。

「ミヤコちゃん、はーやーくー」

「はい、すぐ行きます」

 なんとなく増えた楽しみに満足しながら、私は美術室を後にした。




 第七章 都喜衣乃編 まつりの前に 完

 番外編に続く

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