7-3 嵐の中のプレハブで
「だー! これシャレになんないぞ! 風も強くなってきたし!」
豪雨の中ミチが叫ぶ。
さすがにこの天候だと一人で荷物を取りに行くには難儀という事で、男子の中からじゃんけんに負けたミチを連れて体育館へ続く坂道を登っていく。
「いっつも思うけどなんでうちの学校、体育館を山の上に作っちゃったんだよ! 普通、校舎のすぐそばだろ!」
「お手軽に運動できていいと思うが」
「それ思ってるの大将だけ!」
坂道がカーブしているところで、
「てか、後ろの樹、今のも倒れてきそうで怖いんだけど」
ミチがプレハブの後ろにそびえたつ雑木林を指差す。
その中で一番の大木の幹が斜めに生えてきて、それが丁度プレハブの屋根を横切っている。
「根元に蹴りを入れて反対側に倒そうか?」
「いや危ないからそれはやめて大将。てか、さっさと回収するものを回収して帰ろう」
埃と泥で変色している引き戸を開けて中に入る。電気のスイッチを押すと、数秒間の間をおいて蛍光灯がちかちかと光りだした。
「おー、電気生きてるじゃん。てかやっぱ埃臭いな、ここ。僕の体質には合わないって言うか」
「馬鹿言ってないで探すぞ」
まず目に入ったのは、入り口正面の壁沿いに置かれている大きなスチール棚。上段の方に冊子や黄ばんだプリントが乱雑に詰め込まれている。どう見ても重要な書類の類には見えないし、さっさと資源ごみに出してしまえばいいのに。
私は部屋の奥、入り口から見て左手の方に目を向けると、思わず顔をしかめた。ミチなんかは「うわあ」と嫌悪感たっぷりの声を漏らしている。
確かに沙輝の言う通り、ここは臨時のゴミ捨て場になっているようだった。が、置き場のスペースを示している囲いから既にはみ出る程ゴミで溢れかえっており、どう見てもこれから我々がやろうとする作業は骨が折れるのは間違いないようだった。
幸い、ゴミと言っても段ボールや画用紙のクズと言ったリサイクル系のものや、板や角材と言った物ばかりで、生ごみや洗ってないペットボトルなどできれば触りたくないゴミがない事だけは本当にありがたかった。
「ほら、ミチ。呆けてないでやるぞ。腹をくくれ」
なおも嫌そうな顔をするミチに声をかけてからゴミ山の方に近づく。一歩一歩進むたびに古い床がギシギシと不穏な音を立てながら浮き沈みする。
探しやすいようにまずは段ボールと紙類をどかして、一か所に固める作業から入る。物を動かすたびに埃が舞うのでマスクを持ってこればよかったと後悔した。
「大将、長さってどれくらいあればいい?」
「F20だからな。縦がこれくらいで、横がこれくらいだ」
私はジェスチャーで長さを示してみせる。
「思ったより長いな。十センチ二十センチくらいの長さのやつならいっぱい転がってるみたいだけど」
「それでも探すまでだ」
埃まみれになりながら作業を再開するが、五分も経たないうちにミチが飽き始めて、疲れたとごね始めた。
「ミチ」
「いや、休憩してるだけだからそんなに睨まないで!」
「始まってすぐ休むやつがいるか! 協力する以上はやる気を出せ!」
「だってこんな大変な作業になるとは思わなかったし、全然スタイリッシュじゃない!」
「それでも
「男女差別反対!」
「そっちの男じゃない! 漢字の漢の方だ!」
「音じゃわかりづらい上にそもそも意味が分からない!」
その時、窓の外がカッと明るくなって、一瞬だけ室内の電気が消える。
何拍かしてから耳をつんざくような轟音が鳴り響き、ミチが軽い悲鳴を上げる。
「近くに落ちたな」
その落雷を合図にするかのごとく雨音がさらに強くなってきた。プレハブの窓ガラスがバタバタと音を立てる。
「うわ、これもう台風来ちゃってるんじゃないの?」
「そう思うならさっさと探せ」
「ちぇー、しょうがないなー。」
ミチは肩をすくめて持ち場に戻ろうとし、ふと足を止めた。
「……大将、何か聞こえない?」
「何かって何が?」
作業の手を止め、立ち上がる。
「ほら、なんか外でギシギシとかミシミシとか言ってる」
言われてみると、確かに雨音と風の音とは違う、何かが軋む音がかすかに聞こえてくる。
「これ、まさかプレハブやばいんじゃ?」
「いやさすがに強風で大破するほどヤワではないだろう、多分」
正直プレハブの耐久性については全く分からないが、長居したくない気持ちは分かった。
「……お、この長さならいいんじゃない? どうよ、大将?」
ミチが段ボールの下敷きになっていた二本の長い角材を引っ張り出してきた。どうして捨てられたのかが不思議に思えるくらい、状態のいいものだ。
「でかした、ミチ!」
そして長さも十分。あとは短い方の辺の長さ分あれば足りる。
「じゃあこれ、入り口の方へ置いておくよ」
ミチが角材を抱えてくるりと背を向ける。
と、その時だった。
「っ!?」
ドォン! という大きな音とともに室内全体が揺れた。
揺れは一瞬だったが、雷と同時に地震が来るなんて初めてだ。
いや、待て。今の揺れ方は地面ではなく天井から来なかったか? となるとこれは、
「うわー、びっくりした」
顔を引きつらせながら立ちすくむミチ。
だが次の瞬間、今の衝撃でバランスを崩したスチール棚がミチめがけて倒れて来るのが見えた。
「ミチ!!」
そこから先は頭が真っ白になって思考できていない。
自分の持ちうる最大の速さで、ミチを突き飛ばす。
と同時に、頭頂部に何とも言い難い衝撃が走った。間髪入れずに全身に襲い掛かる激痛。
気付いたら私は、スチール棚の下敷きになっていた。
痛みと重さ、そして落下の際にぶちまけられた棚の中身のせいで全く身動きが取れない。視界もほとんど暗く、数十センチ先の床がぼんやりと見えるだけだ。
ミチは、どうなったのだろう。ちゃんと無事で、ちゃんと助かったのだろうか。
「たい、しょう?」
床の軋む感覚と同時に、真上から弱々しい声がした。
「大将? ねえ、嘘だろ?」
ミチの声だ。よかった、どうやらミチが下敷きになるのはまぬかれたようだ。
そう安心した途端、ふと全身の力が抜けていくのを感じた。
「大将! 返事してくれよ、大将! ……
「……まさか、こんなことになるとは思わなかった」
「本当だよ、もう!」
学校から一番近い病院の待合室。あかりが今にも泣きそうな顔をしながら私を睨みつけている。
あの後、ミチがテンパってその場で119番にかけたせいで(しかもその前に間違えて110番にもかけたらしい)学校に救急隊員が駆けつけて大騒ぎになった。
スチール棚が倒れたのは転倒防止の対策をしていなかったのも原因だが、最大の原因は床が古くて足場が不安定になっていた事と、棚の上の方に物を詰め過ぎていたせいで倒れやすくなっていた事だった。
そして私たちは室内にいたので全く分からなかったのだが、スチール棚の転倒直前に起きた強い揺れと衝撃の原因は、地震でも雷でもなくプレハブの外に生えている雑木林のうちの一本が屋根の上に倒れ込んだことによるものだった。そう、プレハブに入る前にミチが今にも倒れそうで怖いと言っていた斜めに生えているあの大木。
ただでさえ不安定に立っている木に、急に激しくなった雨風がとどめを刺したわけだ。これが落下した衝撃でプレハブ全体が揺れ、その揺れでスチール棚が倒れるという事故が起きたと考えると自然災害というのは本当に恐ろしい。
私の怪我の具合はというと、床に打ち付けられた時にあごを少し擦りむいたのと、背中に軽い痣が数か所できた程度で大事には至らなかった。
てっきりスチール棚が頭に直撃したものだと思っていたのだが、運よく、それは本当に運がよかったとしか言いようがないのだが、ぶつかったと思われる私の頭頂部がちょうどポニーテールの結び目になっていて、そこがクッションの役割を果たしていたらしい。まさか普段何気なくしていた髪型に命を救われるとは思いもしなかったが。
それから私とミチは病院に連れていかれ、事情を知って駆け付けてきた母と、ミチの母親、そして荷物を届けに来たというあかりもやってきてひとしきり大騒ぎの中で診察と治療が終わって、母が会計をしに受付の方に席を外しているのが現状である。
「本当に心配したんだからね。大丈夫だろうって止めなかった私たちも悪いんだけど」
「いや、あかりは悪くない。誰もこうなるとは想定できなかったからな」
「でも」
あかりは何かを言いかけて、やめた。私はそれを追及しなかった。
「というかミッチーはどうなったの? ミッチーは喜衣乃ちゃんが助けてくれたから無事なんでしょ?」
「いや、それが」
確かに私が咄嗟に突き飛ばしたので、ミチはあの重いスチール棚の下敷きにならずに済んだ。そういう意味では無事ではある。
ところが私が突き飛ばしたことによって、ミチはすっ転びながら壁まで飛ばされたらしく、そこで先日突き指した指をまたひどくぶつけてしまった。
あの時、私はスチール棚の直撃からミチを守ることで手いっぱいで、突き飛ばした先の事は考えられなかった。
「おーい、大将&あかりちゃん!」
長い廊下の奥からミチと彼の母親がこちらに向かってやってきた。ミチの指は真新しい包帯でそこだけ太くなっていた。
「すまない、ミチ。まさかこんなことになるとは思わなかった」
「いいのよ、気を遣わなくて」
ミチの代わりに彼の母親が答えた。長い髪の落ち着いた女性で、ミチとは対称的だった。
「むしろあなたの方が大変だったのに、大けがをしなくてよかったわ。この子ったら女の子に庇われた上に取り乱しすぎ」
「う」
ミチが苦い顔をする。
「でも大将が救出されるまで僕、本当に心配したんだからね! 僕のせいで大将死んじゃったら全然スタイリッシュじゃないし!」
言葉の意味は分からないが、心配で取り乱している事だけは理解した。
「だいたい大将は無茶しすぎなんだって」
「部長が部員を守るのは当然の義務だ」
「そこが無茶だって言うんだよ!」
ミチが声を荒げる。すかさず彼の母親が「病院で大声あげないで」とたしなめたのですぐに彼は落ち着きを取り戻した。
「と、とにかく僕の指の事は気にしなくてもいいし、助けてくれたことはありがとうなんだけど大将が死にかけたり大怪我するのは絶対だめだから! 部員のなにもかもを面倒見ないといけないルールはないんだし、そもそも
言っていることは支離滅裂な気がするが、そこまで言われると反論の言葉すら出ない。ミチが私に対してあれこれ意見や助言をすることは今まで度々あったが、ここまで叱ってきたのはおそらく初めてだ。
「心配かけて、すまなかった」
「分かればよし。ま、部長をサポートするのが副部長の当然の義務ってことで」
ミチはキザたらしい口調だが、本当に心配だったのだろう。いや、心から私の身を心配してくれたのだろう。それを考えると少し気恥ずかしくなる。
「ミッチー、自分でかっこいい事言った感がちょっと寒い」
「あかりちゃん、ひどっ!」
思わず顔をひきつらせるミチに、あかりがあははと笑う。おそらく場が暗くならないように気を遣っているのだろう。
「とにかく今後は二人とも心配かけるのはナシだからね! 喜衣乃ちゃんはもっと自分を大事にしなきゃ」
ああ、自分は未熟者でありながらそれでも心配してくれる人達に恵まれてるんだ。私が怪我を負ったり危険な目に遭ったりすることを悲しんでくれる仲間が。
そう思うと、心が少し軽くなる。叱られてるのに何となく嬉しい気分になる。
「そうだな。もうこういった心配をかけることはないように気を付けよう。一歩間違っていたら重傷だったかもしれないしな。となると」
「となると?」
ミチが聞き返してきた。
「……無茶をした私が間違っていたのであれば、つまり正解は最初からミチを見捨てるべきだったのか」
「大将、さすがにそれが正解だと言われてもリアクションしづらい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます