7-2 我が美術部元主将

 部活の時間になると、雨はざあざあと強くなり、風も出てきた。思っていたよりも早く台風が近づいているらしい。

 とはいえ、今のところ警報が出るほど酷いわけでもなく、多くの部活はそのまま決行を取っていたのでうちの部もそれに倣うことにした。文化祭に向けて作品の最終チェック、レイアウトの打ち合わせ、飾り付け用の小物の制作(これはあかりが率先してやっていた)などやる事がまだ残っている。

「雨酷くなってきたねー」

「そうだな」

 私はあかりの手伝いで小物に使うリボンを巻いていた。もうこれは美術というより手芸の領域に当たるような気がするのだが、「手芸も芸術の一つ!」というあかりの主張に反論する要素が見当たらなかったのでそれ以上は何も言わなかった。が、美術部において活動中にぬいぐるみ作ったり刺繍縫ったりした部員は後にも先にもあかりくらいしかいないとだけは言っておく。今回の文化祭も何故か絵に紛れてどっかのゆるキャラみたいな動物のぬいぐるみも展示されているし。

「あかり。これでいいか?」

「うん、喜衣乃きいのちゃんも結構上達したねー。じゃあこれは壁の所に飾ろっか」

 ふとあかりのすぐ横を見ると、彼女は私がリボンを一本巻いている間に複雑な紙細工が何個も出来上がっていた。

「そう言えば今日、先輩達が来るんだっけ? いつ来るのかな?」

「もうそろそろ来ると思うのだが。あ、どうやら今着いたようだ」

 部屋の外からガラガラと台車を引きずるような音がこちらに近づいてきて、美術室の戸が勢いよく開けられる。

「よー、頑張ってるか、後輩どもー」

 小柄な体に不釣り合いな大きな荷物をカートに乗せて引きずりながら、洲田すだ先輩が室内に入ってきた。その背後には、先代の副主将である省野しょうの 考作こうさく先輩の姿も見える。

「いやー、教室からここまで持ってくるの大変だったわー。省野っち、男ならレディに荷物持たせんなって」

「全部お前の荷物だろうが! と言うか朝一で美術室に運んでおけばこんな手間にはならなかっただろうに」

「むーりー。今日遅刻寸前だったもーん」

 妙に甘えた声でわがまま放題な洲田先輩を横目に、省野先輩は盛大なため息をつく。

 この二人は、部にいた時からこんな感じだった。

一度洲田先輩に、省野先輩への態度が少し横柄ではないかと言ったことがあるのだが、それを止めたのは省野先輩の方だった。

「あいつはあれでいいんだ」と返されたが、正直何がいいのかは分からない。だが、省野先輩にとっては「あれ」である方がいいのだろう。だから私はそれ以上は何も言わなかった。

「あー、洲田先輩たちいらっしゃい!」

「二人とも夏以来ですね。お久しぶりです」

 部屋の奥にいた部員達が一人、また一人と先輩たちの方へ集まってくる。

「おー、みんな元気そうだねえ」

 集まった部員達を一人ひとり見ながら、洲田先輩が嬉しそうに笑う。

「で、ミヤコちゃん、荷物どうしたらいい?」

「とりあえずそっちに広げておいてください。と言うか、その呼び方も相変わらずですよね」

みやこ 喜衣乃きいのだから何も間違っちゃないでしょ」

 荷物はカートからおろされ、てきぱきと並べられていく。省野先輩の荷物も同様だった。

「わあ」

 部員達の感嘆の声が上がる。

 大小様々な油彩画のキャンバスと水彩画のパネル。どれもこれも先輩達が美術部の活動を通して作り上げた傑作中の傑作だった。

「どうよ、後輩ども。こんだけあれば展示物にも花が咲くってもんでしょ」

「まるで後輩の作品には花がないような言い方をするな」

 けらけらと笑う洲田先輩を、省野先輩がたしなめる。

 だが実際、洲田先輩の描いた油絵は私のものと比べものにならないくらいに美しかった。

 花の絵はちゃんと立体的に見えるし、風景画は遠くのものと近くのものがはっきり認識できる。静物画で描いた果物もおいしそうに見えるし、自画像もちゃんと本人そっくりだ。

 省野先輩の水彩画も、儚げなのに惹きつけてやまない、濃淡と透明感の美しい作品だ。

「やっぱり先輩の絵は綺麗っすね。省野先輩の絵とか男が描いたとは思えないですもん」

「ミチ、お前は俺にケンカ売ってるのか」

「いや、褒めてるんで、ぐわああ」

 現・副主将のミチが言い終わらないうちに、省野先輩は眉間に皺を寄せながらヘッドロックをかけていた。

 プロレスは専門外なのでさほど詳しくないが、あれだけ頭部をがっちり締められると抜けるのにも至難の業だろう。下手に抵抗すれば余計に首が締まる危険もある。

「で、どうよミヤコちゃん。ミヤコちゃんから見て、イケると思う?」

「そうですね。かなりの破壊力のある技なので危険を承知で強引に後ろに体重をかけるか、足払いをかけてバランスが崩れた隙を狙うかそれとも」

「……ごめん、ミヤコちゃん。絵の事を聞いてるんだけど」




 当然の流れとして、今度は先輩達が我々の作品を見ることになった。男子は省野先輩、女子は洲田先輩が見ているのだが、割とさくさくと進む男子の講評に比べて女子の方はあかりと一年生部員の志村しむら 沙輝さきが洲田先輩にいろいろ質問責めをしているために、なかなかこちらの方には回ってこない。

 と言うかあかりは二年生なのでともかく、沙輝は何故こういう時だけ意欲的なのか。私やあかりと言う先輩がいながら、我々に美術関係の質問が飛ぶことは滅多にない。

 思い返してみれば、部のOBである京極きょうごくさんが来た時もそうだった。沙輝は知らない人や滅多に会えない人を見ると遠慮なくグイグイ行く性分らしい。

「ねえねえ、あおいも先輩に作品見てもらいなよ」

「えっ、でも」

 逆にもう一人の一年女子部員・市原いちはら 藍は控えめと言うか、あまり自分を表に出したがらない。

「いいから見せる!」

 しぶる藍の抵抗もむなしく、漫画の原稿が詰まったファイルが奪われる。

「や、やめてくださいっ。そんな、人に見せられるものじゃ」

「いや、これ展示物じゃん」

 洲田先輩のもっともすぎる言葉に藍は言葉を詰まらせる。

「う、うう。分かってるんですけど、いざ本番ってなると緊張で胃が」

「往生際悪すぎー。ナリ君見習いなよ。ほら、ちゃんと逃げずに省野先輩の話を聞いているし」

 男子の方を見ると、ちょうど彼らは一年生唯一の男子部員である町成まちなり つばさの絵を見ているところだった。だったのだが。

 何故か、省野先輩の顔は苦笑いを含んだ表情で引きつっていた。

「町成、これ、マジで飾るの?」

 先輩の問いに、なんでそんな事を聞くのか分からないと言いたげな表情で町成が頷く。

「いや、確かに題材は自由だけどさ、さすがにこういう血まみれなホラー系なのはちょっと」

 町成は、わけが分からず首をかしげている。そこへ二年生部員の山県やまがた 公斗きみとが間に入った。

「それ、血まみれホラーじゃないんですよ。一応」

「へっ?」

「町成曰く、それスペインのトマト祭りだそうで」

「え? いや、これの何処にトマト要素が」

 省野先輩は引きつった顔のまま、町成と彼の作品を見比べながら、やがて諦めたようにため息をついた。

「タイトルはちゃんとスペインのトマト祭りだと分かるようにして大きく書いておけよな? 絶対だからな。さもないと血まみれゾンビの群れと間違われるからな。と言うかなんでその題材をチョイスしたんだよ」

 最後の方は早口気味で、彼は頭を抱えていた。

「ミヤコちゃん、ミヤコちゃん」

 不意に後ろから袖を引っ張られる。

「ほら、ミヤコちゃんの絵で最後だよ。作品はどれ?」

「藍の作品、もう見終わったんですか?」

「いやー、三ページ目くらいのところで恥ずかしさで死にそうな顔になってたから、本人がいないときに読むことにするわ」

 横を見ると藍が恥ずかしさでうずくまっている。前にミチに止められたが、やはり藍には武道に触れさせて精神力を鍛えさせた方がいいのかもしれない。

「ミヤコちゃーん。はーやーくー」

「はい、今すぐ!」

 慌てて作品を並べる。私が出すのは油絵の具で描いた風景画と静物画、それと習作で描いた水彩と素描が数点(本当はもっと出せたのだが、スペースの都合でミチに止められた)なのだが、やはり洲田先輩のものと比べるとどうしても見劣りするものがある。

 いや、だからと言ってたじろいではいけない。

 剣道の試合だって、例え格上の相手であっても全力でぶつかっていくのが筋であり、礼儀でもある。ありのままを堂々と貫いてこそが美術道なのだ。

「ほー。窓から見た景色だね。なんかこう、頑張って描いたって感じがミヤコちゃんらしいというか」

「私らしい、ですか?」

「うん。あ、この部分の緑は結構リアル」

「おかげさまで」

 その部分は先日、OBが来た際に助言をもらって描いたものである。尤もそのOBは本来やってくるはずの人物ではなく、人違いで連れてこられた方だったが。

「あ、あとここの距離感もうまく出てると思う」

「おかげさまです」

 そこはどうしてもうまく描けずに、結局顧問の国木田くにきだ先生に直してもらった箇所である。

「まあ、強いて言う事があるとしたら空の色がちょっと生っぽいかなー? いかにも絵の具って感じの色がする。個人的な感想だけど」

「そ、そうですか」

 そこはものすごく苦労して苦労してようやく納得がいくようになった部分である。自分としては納得のいく空になったつもりなのだが、残念ながら洲田先輩には不評だったようだ。

 褒められている箇所が人に手助けしてもらった部分で、指摘された個所が自力でやった部分とはこれはもう相当未熟なのだろうか、私は。

「で、ところで思ったんだけどミヤコちゃん、額縁はあるん?」

「ええ。確か先生が準備室に注文したものがあるからそれを使えっておっしゃっていました」

 早速見たい、と言う先輩を準備室へ案内する。

 が、ここで予想外の事が起きた。

「……これ、サイズ間違えてない?」

「え?」

「20号のが欲しいのに10号になってるわ、しかもこれFサイズじゃなくてPサイズ」

 当然合わないどころか、入りすらしない。一気に血の気が引いた。

「国木田先生、間違えて注文したのか……」

「いや普通、額縁の種類と号数を両方間違えないっしょ! もうこうなったら角材で囲って額縁にするって手もあるから使えそうなやつを探そ?」

 その後、あかりたちの協力も得て、予備の額縁や角材を探すのだが、どうしても一作品分の額が確保できない。

「どうしよう。まさか一つだけ額無しにするわけにもいかないよね?」

 あかりが心配そうにこちらを見る。当然そんな見栄えが悪くなる事は避けたい。

「どこか、こういう角材が余ってるクラスを探して分けてもらうしかないな」

「でもどこが何の出し物やるか把握していないし、全クラス聞いて回るのは大変だよ? うちの学校、校舎多くて教室バラバラだし」

 ちなみにうちは仮装だからそういうのは無いよ、とあかりは付け加える。

「ならばみんなで手分けして」

「あ、先輩先輩! それだったらアテがありますよ!」

 不意に沙輝が割って入ってきた。

「アテ?」

「体育館に行く坂道の途中にぼろいプレハブがあるでしょう? あそこ臨時の廃材置き場になっているからもしかしたらそこにあるかも!」

「沙輝、それは本当か!」

「うん、普通のごみ置き場だとかさばるからって。私が行った時には角材も何本かあったし」

「でかした!」

 思わぬ情報を得て早速現場へ向かうことにする。が、

「でも外、ひどい雨だよ?」

「あ」

 改めて窓の外を見ると、雨はまさにバケツをひっくり返したような豪雨と化していた。

「行くの? この雨の中」

 洲田先輩が、自分はごめんだと言わんばかりにつぶやいた。

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