5-4 新たな一面
「
戻ってきて早々、
「うそっ? 本当に?」
「よかった。全部ある。ほんとうに、よかっ、た」
そのままへなへなと崩れ落ちる所を、志村が慌てて支えようとする。無理もない、彼女が一番大変だったからな。
「バッグもそうだけど、みんな無事でよかったぁ」
いや、よく見たら
「おい、これは?」
「大将追いかける途中でつまづいて転んで、そのまま見失ったんだよ」
……まあ、そんな事だろうとは思ったが。お前は本筋と関係のないところで怪我をする奴だ。
「でもまあ、大将がバッグ取り返したんだし、いいじゃん。結果オーライってやつ」
「ミチ、それは違う」
すかさず大将が反論する。
「へ? 違うって、大将が取り返したんじゃないの?」
「あいにくこの格好だったからな」
大将は、自分の履いているデニムのスカートに手を当てる。さっき古着屋で買った物だ。
「大股で走れなくて、追いつきそうで追いつけなかった。本当に面目ない」
「じゃあ、バッグ取り返したのって」
「
一瞬、空気が凍りついた。
「え? 誰だって?」
「だから町成だ」
言っていることがすぐに理解できなかった。と言うか、町成って。あの町成がひったくりからバッグを取り返したって。
「ええええええええええええええ!」
と言うか、町成は? あいつ結局何処にいたんだ? と思ったら、大将の陰で居心地悪そうに突っ立っていた。
「と、と言うか町成、お前、一体今まで何処にいたんだ?」
皆が注目する中、町成は困ったように目を泳がせている。
「犯人、追いかけてて」
聞けば町成は、志村が犯人を追いかけるのを見て、すぐに走り出したのだという。
居ないと思っていた理由は、やはりそれか。なんだか頭痛がしてきた。
そんな俺をよそに、大将が説明を続ける。
「犯人に追いつけないかもしれない、と思ったところでふいに横から黒い影が飛び出して、それが犯人に飛びついた」
「まさかその黒い影って」
「くどいようだが町成だ」
だから、まずそれが信じられない。
自分よりずっと小柄で(目測だが160センチもあるかどうか微妙)、普段は大人しいを通り越して無口でシャイで、どう見も放っておけない雰囲気の少年がひったくりを捕まえるという事をやってのけるとは到底思えないのだが。
「わたしも見た。何かいつの間にか追い抜かれてびっくりだったよ、ナリ君。マジ足が速いんだもん」
志村が少しむくれながら言う。まるで自分が捕まえたかったと言わんばかりの物言いである。志村は町成よりさらに小柄で、おまけに女子であることを考えると、彼女の発想はかなり危険だ。あとで道ノ倉か甲府辺りに注意してもらいたい。
「しかし今日は町成に驚かされてばっかりだな。あの瞬発力の利いたダッシュは相当走り込みでもして足腰を鍛えないと出来るものではない」
「うわ―、出たよ。大将の脳筋節」
むしろお前こそ余計な怪我をしない程度に鍛えろ、道ノ倉。
「もしかして、こっそり修行しているとか?」
志村の時代錯誤な問いに、町成は首を横に振る。
「俺、自転車通学で。片道で四十五分」
「そんなに!」
「半年前は一時間くらいかかってたけど、あと、通学路ほとんど坂道」
町成は自分に集中してくる視線に、どうしたらいいのか分からずに目を泳がせている。
そんな様子を見ているとやはり、ひったくりに立ち向かったやつには思えない。
だが大将と志村がそれを見た以上、嘘である可能性はゼロなのだろう。
「あのー、ナリ君。僕からも一つ聞いていい?」
道ノ倉が遠慮がちに言った。いや、明らかにドン引きしている。
「どうやって、犯人からバッグ取り返したの?」
くどいようだが、町成は女子と大差ないような小柄な体格である。まともな大人とやりあうこと自体、無謀に見えるのだが。
「助走して、後ろから奇襲をかけました。不意打ちじゃないと勝てそうにないんで」
理屈は分かるが、想像以上の常識外れっぷりだった。普通、そんな咄嗟な行動はとれない。大将みたいな奴なら別だが。
町成は、困惑しながらたどたどしく更に状況を説明しているが、聞けば聞くほど俺の知っている町成のイメージから遠ざかっていく。
いや、遠ざかっているんじゃない。単にそれは俺が町成の事を理解していなかっただけだ。彼が入部して半年もたつのに、見た目が小動物で無口で大人しいという所しか見ておらず、そこで完結していた。
小柄だからって、力がないわけではない。
無口だからって、気が弱いわけでもない。
そんな当たり前の事なのになぜ気づかなかったのか。大体さっきのエアホッケーだって、あの大将にも負けていないくらいの運動力があったのに。
もしかしたら、町成という男はとんでもなく凄い男なのかもしれない。
と考えたところで、あることを思い出した。
確か町成って、週末の体育のバレーでレシーブを失敗して顔に怪我をしたって言ってなかったか? あれだけの運動力があるのにそんなミスを犯すのだろうか?
まあ、たまたまと言ってしまえばそれだけかもしれないが。
もう文化祭開催まで一週間を切った、月曜の朝。
「おはよう」
自転車置き場で町成の姿を見かけた俺は、そのまま声をかけた。
町成は相変わらず薄い表情のまま会釈する。こうしてみるとやっぱり昨日の件はいまだに信じられない。
「うお、ナリ君じゃん」
「隣にいるの先輩かな? てか、こうしてみるとお前、背ぇ低っ!」
「やめろって。隣が大きいだけかもしれないし、ナリ君に失礼だろ」
俺に対しても失礼だろう、と言うツッコミはさておき、二人の男子生徒がこちらに向かってやってきた。名札の色を見たところ、彼らは一年生。町成の名を呼んだことから多分クラスメイトなんだろう。
「おはーす、ナリ君。先輩もおはようございます。もしかして美術部の先輩ですか?」
「ああ。二年の
俺は簡単に自己紹介をした。
彼らはやはり、町成のクラスの友人だった。どうにもうちの志村のように、大人しい町成を強引に振り回しているんじゃないかと言う感じはぬぐえなかったが、悪意があるようには見えないので、町成はクラスでもちゃんとやっていけているようだった。
「そういやナリ君、怪我はもう治ったみたいだな」
「?」
「ほら、バレーの時顔打ったじゃん。血が出てみんなで大騒ぎでさ」
「ああ、うん。一晩寝たらよくなった」
「え、ちょ、寝たらよくなるって、ねーよ、普通」
げらげらと笑いだすクラスメイトに、困惑する町成。
「大体ナリ君、無茶しすぎ。俺、体育のバレーで回転レシーブぶちかます奴、初めて見たわ」
え? 回転? 俺は耳を疑った。あいつ、レシーブに失敗して怪我をしたんじゃないのか?
「……あー、話を割ってすまないが、どういう事だ? 町成、体育で何かやらかしたのか?」
「そうなんですよ先輩」
町成の友人の一人が思い出し笑いをこらえながら、町成の方を指した。
「こいつ、素人のくせに回転レシーブやろうとして、顔から床に落ちたんです」
「はあ?」
回転レシーブと言うのは、プロのバレーの試合で見た事があるが、ボールに飛びつきながら床を転がって受け身を取る技術だ。そうすることによってすぐ攻撃に転じることができるという利点があるが、どう見たって今すぐそれをやって見せろと言われても、多分俺には無理だと思う。道ノ倉は確実に無理だろうが。
町成の方を見ると、奴は「もっと早く相手のフェイントに気づいていれば」などと呟いている。
いや、それはフェイントに気づいていたら成功していたという前提で物を言ってないか? いや、言ってるだろう、これ。
俺は二度と町成の事を、見た目通りのか弱い少年とは思わないことを密かに誓った。奴はアレだ。大将と同じ路線の人間だ。美術部らしからぬ並外れた運動神経を持つ超人だ。
ただ、最大の違いは大将と違って感性が比較的まともだという事だ。大将のようにド派手なライダースーツを着て(しかもバイクには乗れない)遊びにやってくるような人間ではない。
そう、ちょっと身体能力が高いだけで、それ以外は無口で大人しい奴なんだ。
「あ、あとナリ君、俺が薦めた映画見に行ったんだって?」
クラスメイトの問いに町成がこくりと頷く。
映画、と言うのは昨日の話か。俺と道ノ倉と大将は『ミスターデンジャー』、それ以外は『白猫館のラブレター』だったはず。
そう言えばあの時の町成はものすごく満足そうだったな。
向こうの詳しい内容は知らないが、町成は猫とかラブコメとか女子に人気がありそうなものが好きなのだろうか。
「演出はリアルだったし、退屈しなかった。ちょっと変な所でCG入ってたけど」
町成がポツリポツリと感想を述べる。
最近のラブコメはCG使うのか。俺はこの手の映画はあまり見ないが、映像の技術ってすごいものなんだな、と素直に感心した。
「あと効果音が本物っぽかった。リアルすぎていい意味で気味悪かったし、血糊もいい感じ」
町成は音にもこだわるのか。……って、血糊? ラブコメに血糊ってなんだ?
「ストーリー展開も全然想像つかなかった。生き残りそうなのが死んで、逆に死ぬだろって思ってたのが生き残るし、黒幕も予想外だった」
生き残り? 黒幕? またラブコメに似つかわしくない単語が出てきたぞ?
「……なあ、町成」
何か言おうとして、思わず町成の方を見て、俺は顔が引きつった。
いや、実際に鏡を見たわけではないが、きっと俺の顔は引きつっていると思う。
「面白かった。『人狼塔からの脱出』」
今までそんな顔は見た事ないぞ、と言いたくなるほどの物凄い笑顔。
いや、そんな事よりも。
「町成! お前が見たのは白猫館の方じゃなかったのか?」
俺の問いに笑顔のままふるふると首を横に振る町成。
「人狼塔、見たかったので」
「いや、でも、それって人がいっぱい死ぬホラーだろ?」
こくりと頷く町成。
「先輩、こいつ無類のホラー好きなんすよ」
「そうそう。大人しい顔してグロいのとか死にネタとかの話大好きでさ」
言葉足らずの町成に代わって、彼らがフォローに入る。
が、俺の頭の中は既にぐるぐると混乱していた。
大人しい、か弱そう、なのに恐ろしい運動神経の持ち主と言うギャップだけでも驚きだが、そこへホラー好き、グロい系の人が死ぬ話も好き、おまけにその手の話をしている時はとんでもなくいい笑顔。
「?」
当の町成は「どうしました?」と言いたげな表情でこちらを見ている。
「いや、何でもないから気にするな。じゃ、俺はこっちの校舎だからここで」
悪い奴ではないんだ、悪い奴では。
俺は気分を切り替えるために、深呼吸を一つし、無理矢理引きつった表情を元に戻すと一人歩き出した。
部の連中は、この事を知ってるのだろうか。多分知らなかった連中は俺と同じ反応なんだろうな。まあ、変な暴露をして町成の立場が悪くなることだけは避けてやりたいが。
本当に、俺はどうして半年もそんな事実に気づかなかったんだろう。悔いているわけではないが、本当にそう思わずにはいられなかった。
ただこの調子だとまだまだあるんだろうな、今までのイメージを覆すようなギャップが。
もしかしたら町成だけでなく、他の部員にもそういうギャップが存在しているのかもしれないし、それがいつ表に現れるのかは分からない。
……まあ、出来ればあんまり人を驚かさないものにしてほしいが。
第五章 山県公斗編 陸高美術部の騒々しい休日 完
六章に続く
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