第六章 甲府あかり編 ビタースイート・キューピッド

6-1 恋に落ちてる女神様

 ぐしゃりと嫌な音がして、綺麗にラッピングされた「それ」は一瞬にして無残な姿へと変わってしまった。

 ひどい。あれは先輩のために一生懸命作った物なのに。

 そう抗議する前に、目の前にいる彼女は鬼のような形相で私を睨み付けて「この卑怯者!」と叫んだ。

「アンタのような奴を薄汚い泥棒猫って言うのよ! 人の彼氏に手を出すとか信じられない!」

「ち、違います! 私、そんなつもりじゃ」

 これは今までのお礼とか感謝の気持ちをお世話になった先輩に伝えたかった、ただそれだけなのに。

「だったら何? 義理だったらこんな手の込んだの作らないでしょ? 健気アピールで人の彼氏に取り入ろうとか恥を知りなさいよ!」

「それは誤解です! 私は本当に」

「誤解? 本当にそう言い切れるの? こういうの、迷惑なのよ。私だけじゃなく、彼にとっても」


 迷 惑。


 その単語に私は言葉を失った。

 そんなつもりじゃなかったのに。どうして。

 ショックで頭の中が真っ白になっていく中、彼女の罵倒は次々と降りかかってくる。


 もう、やめて。許して。


 私が悪いんです。私が悪いって認めるから、もう許してください。

 だけど、それは相手に伝わることもなく、罵倒は止む事もなく続いた。

 

 そこで、目が覚めた。




 どうしてあんな夢を見たんだろう。

 起きてからしばらくたつのに、その余韻が全然消える気配がない。

 おかげで朝の支度に手間取って髪型は決まらないわ、出かけようとして二度も忘れ物をするわ、忘れ物を取りに引き返す途中で思いっきりすっころぶし。

 結局、学校に辿り着いたのは始業開始五分前だった。月曜からこれじゃ先が思いやれる。

「おはようあかり。って、何か朝から疲れてるみたいだけど大丈夫?」

フラフラになって教室に辿り着いた私を、クラスメイトにして親友のクリスティーナ・I・ひのとが心配そうに声をかける。

 ちょっと変わった名前だけど、彼女のお母さんはアメリカ人で、彼女自身もアメリカ生まれの、ちゃんとした本名である。私たちはティーナって呼んでるけど。

「だ、大丈夫。そういう日もあるってことで」

「そ、そう? 大丈夫ならいいんだけど」

 ティーナは首をかしげながら私の方を見た。肩にかかった長い髪がさらりと揺れる。

「それよりも昨日、『白猫館のラブレター』見たよ。すっごい感動した!」

「え、あれ見たの? いいないいなー」

「美術部のみんなとね。まあ、色々あったけど」

 この色々に関しては笑えることから笑えない事まで文字通り「色々」だったんだけど、それはまあ前回の章でやったのでここでは省略。

「あかりのいる美術部って、確か山県やまがた君も一緒なんだよね?」

「ヤマさん? うん、そうだよ」

 ヤマさんこと山県 公斗きみと君。同じ部活仲間でクラスも一緒の男子だ。大体の人は彼の事を、色黒で背がとても高く、いつも落ち着いてる人で認識している。あとすごく真面目。

「と言っても昨日はそんなに喋ってなかったけどね。映画も違うの見てたし、ゲーセンでは勝手に男子同士で盛り上がってたみたいだし」

「ふーん、そうなんだ」

 なんとなくヤマさんの席の方に目をやると、彼はどういう訳か、考える人の像のようなポーズのまま固まっていた。

「……ヤマさん、何やってるんだろ?」

「さ、さあ?」

 ティーナは少しだけ考える人モードになっているヤマさんの方をじいっと見ると、すぐに持っている楽譜に目をやる。

「それ、部活の出し物?」

「うん、まあね。テスト期間で間が空いた分、ちょっとでも感覚を取り戻さなきゃって思ってさっきからずっと見てたの」

 彼女の部活は合唱部。文化祭では演劇部と合同でミュージカルをやるとか言っていた。

「いつも思うんだけど、歌える人ってすごいよね。楽譜通りの音の声を出すって感覚が私には難しいもん」

「そう? 私にしてみれば、白い紙見てサラサラ絵が描ける感覚の方が分からないと思うけど。紙はどこまで行っても紙だもん」

「そういうもの?」

「そういうものよ」

 意外、とよく言われるんだけど私は歌うのが超苦手だ。音階? 音程って言うの? とにかく楽譜通りの高さの声がきちんと出せない。

 絵を描くときは、例えば赤色を塗るときはちょっとくらいピンクがかかろうがオレンジがかかろうが「赤色」と認識できるけど、音楽の場合はそうはいかない。ドの音はちゃんとドの音で出さないと、ちょっとでも外れるとごまかしがきかないのだ。

 と言う話を前にティーナにしたら、「絵の方がごまかし効かないじゃん。一目でそういうのばれちゃうし、音は聞き流しちゃったらばれないしスルー出来るもん」と反論されたけど。

「あかりの部活は順調?」

「うん。うちは毎年展覧会だから。あとやる事は仕上げと配置と飾りつけだけ。バリエーションは結構豊富だよ。油絵とか水彩以外にもCGや漫画もあるし、ヤマさんなんか立体で馬とか作ってたし」

「え? 山県君、馬とか作れるの?」

 ティーナがヤマさんの席の方をチラリと見、すぐに視線を戻す。

「馬以外にも動物作ってたよ。鳥とか狼とか」

「へ、へえー」

 なんだか取り繕っているような笑顔のティーナ。なんかおかしい。

 私はそれを言おうとしたけど、ティーナが話題を切り替える方が早かった。

「あ、昼休みはクラスの方の打ち合わせだよね。衣装合わせの」

「え? あ、そうだよね。そろそろ最終チェックしないといけないもんね」

 私たちのクラスはハロウィンの時期が近い事もあって、仮装パフォーマンスをやる事になってる。簡単に言うと、皆が思い思いの衣装をまとって校舎のあちこちをうろつくだけ。

 外からのお客さんの案内や、ちょっとしたパトロールといった役割も兼ねているけど、基本的にはテーマパークの着ぐるみのようなものだと思った方が分かりやすいかも。

「でもあかりの作った衣装楽しみなんだよねー。てか、服作れる腕があるのになんで美術部入ってるのかが謎だわ」

「まあ、そこは悩んだんだけどね。絵を描くのも同じくらいには好きだよ」

 本当は手芸部の先生があんまり好きじゃなかったというのもあったんだけど。美術部の国木田くにきだ先生も相当変わってるけど、あっちの方がまだ許せるというか。

 あ、これは内緒ね。




「じゃじゃーん。魔女っ娘参上!」

 リボンをあしらった、丈の短いワンピースに身を包んだ私は、女の子アニメのヒロインのように、ちょっとかわいくポーズをとってみた。周囲からノリのいい拍手が上がる。

「やっぱりあかりはすごいよ! こんな可愛い服が作れるなんて」

 ヨーロッパの神話に出てきそうな女神様の衣装を着たティーナが興奮気味に言う。ちなみに主な素材は使わなくなったレースカーテンなので、着心地はそれほどよくなかったりする。

「うん、ティーナのもよく似合ってる。本物の女神様みたい」

「や、やだなあもう」

 真っ赤になって照れるティーナ。もともと外国人寄りの顔だちもあってか、ドレス系が本当によく似合うし、女の私が見ても可愛らしい。

 みんなもどっかの制服から民族衣装、果てはアニメキャラのコスプレから着ぐるみまで様々だ。

 そんな中で、一番盛り上がったのはヤマさんの衣装だった。

 男子たちの「これ、ヤバくね?」という感嘆と歓声に、思わずそちらの方を見ると、輪の中心にヤマさんが軍服姿(ベースは中学時代の学ラン)で立っていた。元々精悍な顔つきもあってか、とてもハマっている。

「なんかすごく恥ずかしいんだが」

「いや、そこで困った顔するなよ! 軍人らしくしてくれ」

問題は当の本人が、あまり目立ちたがらないという性格なんだよね。仕方ないけど。

「ねえ、ティーナ。ヤマさん凄く似合ってるよね」

 私は振り返って、ティーナの方を見た。

「……あれ? ティーナ?」

 ティーナは顔を真っ赤にしたまま夢見がち&上の空状態の表情のまま動かない。

 というか、私の方には全く気に留めることもなく視線は私の後ろの方を向いている。

「やっぱかっこいいなあ」

 その視線の先をそっと追ってみると、軍服姿のヤマさんにロックオンしていた。

 まさかと思って、もう一度見直してみるけど、やはりティーナの視線の先にはヤマさんがいた。

「あの、ティーナ?」

 反応なし。

「ねえ、ティーナ」

 やはり反応なし。よし、こうなったら。

 私はそうっと両手をティーナの目の前に出すと、ぱちんと打ち鳴らした。ねこだまし。

「ふぉえっ! ちょ、あかり何すんの!」

 想像以上の奇声をあげて、ようやくティーナが反応してくれた。

「せっかくいい気分になってたのにー」

「いい気分? なんで?」

「そ、そりゃあ山県君が」

 言ってからティーナは「しまった」と言わんばかりに真っ赤になって固まった。

「わ、私ったらなんてことを!」

 弾かれたようにティーナが教室を飛び出した。


 ……文化祭の衣装のまま。




「絶対誰にも言わないでよ?」

 五時限と六時限の間の休み時間。

私はティーナに人気ひとけのない場所に連れていかれた。理由はもう何となく分かっている。と言うか、むしろこれで分からない方がどうかと思う。

 そんでもって、案の定相談された内容はヤマさんの事だった。

「二年に上がって同じクラスになってすぐかな。一目見た時からいいなあって思ってたの」

 緊張で震え声になりながらティーナはそう話す。

「……ちなみに、どこが好きになったの?」

「えっと、ほら、山県君って背高くて顔つきも男らしいし、それでいて雰囲気も落ち着いてるし」

 実際、ヤマさんはティーナの言う通りの容姿で、落ち着きのある性格はみんなからも評判が高く、頼りになる。部活でも会計係やってくれてるし。

「や、やっぱ無謀だよね? 競争率高いよね? そもそも好きな人いるのかな?」

「さ、さあ? 少なくとも誰かと付き合ってるって話は聞いたことないし、他にヤマさんの事を好いてる子も知らないし」

 そ、そうだよね? と心の中でどこの誰でもない何かに対して問いかける。少なくとも私の知っている限りではそうなんだし。

「ねえ、あかり。お願いがあるんだけど」

「わかってるって。この事は秘密にするから」

「そうじゃなくて。さりげなくでいいから山県君に好きな子がいるかどうかきいてほしいの。本当に、さりげなく、で、いいから」

 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

「は? え、ええっ?」

「お願い!」

 何かとんでもない無茶振りだが、目の前で手を合わせてお願いされると断りづらい。

「わ、分かったわ。でもあんまり期待しないでね? 教えてくれるとも限らないし」

「うん、それでもいいから!」

 ティーナの顔がぱあっと明るくなる。よほど真剣なのか、目が潤んでる。

 ああ、こんな顔されたら本当に失敗が許されなくなっちゃうじゃない。

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