第五章 山県公斗編 陸高美術部の騒々しい休日
5-1 体育の時間は魔の時間?
「世の中は理不尽だ」
中間テストも無事終わり、テスト後初の部活へ行く途中、隣を歩いている
奴の左手の指には痛々しく包帯が巻かれていた。
「お前の言いがかりの方がよほど理不尽だろ」
俺はその包帯を横目に呆れながら返答する。
「えー、ヤマさん酷くね?」
「酷くはないだろ」
こいつの指に包帯が巻かれたのは六時間目の、ついさっきの出来事である。
その時間は俺と道ノ倉のクラスは合同の体育の授業でサッカーの試合をしていたのだが、運悪く、本当に運が悪かったとしか言いようがないのだが、飛んできたシュートが道ノ倉の左手の指に当たってしまったのである。
「めっちゃ痛い思いしたのにハンドとか言う反則は何なの? 理不尽にもほどがあるだろ!」
「ルールだから仕方ないだろ、というかキーパーならともかくサッカーで突き指する奴は初めて見たぞ」
そもそも手を使っちゃいけない球技でなんで突き指するのか。
「そう言えば道ノ倉。お前、去年の冬にも突き指してなかったか?」
「え? あー、したした。体育のバスケで」
「バスケ? バレーじゃなくて?」
俺は思わず聞き返した。
「え? サッカーと違ってボール触ったりするだろ?」
「それはそうだが、体育のバスケで突き指するのもレアだと思うぞ」
大体バスケって剛速球が飛んでくるスポーツじゃないし、ましてや体育の授業なんかバスケ部員が好き勝手暴れるだけで試合が成り立ってしまう。俺たちのような素人はこぼれ球をバスケ部にパスするだけで、あとはコート上を右往左往とひたすらシャトルランさせられるだけである。こんな状態で何をどうやったら突き指するのか。
そう言えばこの男、ちょっと前に剣道部の様子を見に行っただけなのに飛んできた竹刀が頭に直撃したという更にありえない目にも遭っていたな。
にわかに信じがたいが、もう完全にこいつはスポーツにまつわる「目には見えない何か」に呪われてるんじゃないかとしか言いようがない。
「あ、そうそう。あかりちゃんからのメールでデートのお誘いが来たんだけど」
「俺の携帯にもメールが来た。次の日曜は暇かって。多分他の連中もそうだろう」
「でーすーよーねー」
まあ、約一名だけはメールではなく直接電話で知らされたんだろうがな。
「という訳で、テストも終わったし次の日曜にみんなで映画館行こうかなーと誘った訳でして」
同じ部員である
机の上には同じ冊子が何冊も無造作に置かれている。「りくりくうぉーかー」という、ローカルの無料情報誌だ。たまに郵便受けに入っていたり、スーパーの片隅に置かれていたりする。
「今月のコレにさ、映画10%オフの割引券が付いててね。これは是非行かなきゃって、色んな所からかき集めてきちゃった」
「へー。割引券ついてるなんて初めて知ったわ、僕」
「むしろそれがメインでしょ。うち、家族で外食する時はここに乗ってるクーポン使うもん」
確かにうちの母親も外食するかどうか迷った時はクーポンの有無で決めていた気がする。
「で、行けそう?
「あ、僕はもちろんオッケー」
「右に同じ」
俺としても断る理由がない。
それにして、部活のみんなと遊びに行くのはいつぶりだろうか。前は確か夏休みに道ノ倉が所属するバンドサークルの演奏に招待されたのを、みんなで見に行ったんだったか。
「あ、当然だけど部活で行くわけじゃないから、私服でね」
「私服、ねえ」
急に道ノ倉が渋い顔をした。
「どうしたの、ミッチー?」
「いや、私服の件って他のみんなにも言った?」
「言ったけど、なんで?」
「ですよねー」
何故か奴はすべてを諦めたような遠い目をし始めている。
「道ノ倉。何か問題あるのか?」
「いやいや、問題にしちゃったら本人にしばかれちゃうっしょ。ただ、なあ」
「ただ?」
「大将の私服センスだけは僕的に受け付けにくい」
そう言って道ノ倉は盛大なため息をついた。
あ、大将って言うのはうちの美術部の部長である
下手な男より漢らしいので、男連中からはそう呼ばれている。
「……そんなに酷かったっけか?」
「春に親睦会でカラオケに行ったときのあの恰好を普通だと僕は思いたくない」
「どんなのだったか?」
さすがに半年前の服装など覚えていない。
「上下黒のジャージ。部屋着ならともかく、女子高生が遊びに行く時の格好じゃないだろ、あれは」
「ああ、確かに言われてみればそうだったかもな」
正直、そんなことどうでもいいような気がするが。
「あ、でも夏休みの時はワンピース着てたよね、喜衣乃ちゃん」
「あれは僕が散々女子っぽい恰好をして来いって言ったから」
夏の方はすぐに思い出せた。あの時の大将は柄にもなく、裾の長いワンピースを着ていた。
「え? でも喜衣乃ちゃんの服、似合ってたじゃない」
「まあ、似合う似合わないで言えばそうかもしれないけど」
アレはないわ、と言わんばかりに再びため息をつく道ノ倉。
「あれ完全にお母さんのお下がりだろ。デザインがいかにも昭和の時代だし、今時あんなの着てる子見た事がないぞ!」
いちいち注文の多い奴である。しかも人の服装に。
「何を話しているんだ?」
俺たちの背後から凛とした声が響いた。
「あ、喜衣乃ちゃん」
「私の話をしていたような気がしたのだが、気のせいか?」
大将こと都 喜衣乃は鋭い目つきでこちらを見ている。別に怒っているわけではなさそうだが、こう、言葉で言い表せない独特な威圧感を感じるのは気のせいだろうか。
「いや、遊びに行くとき、何着て行こうかなーって話よ」
道ノ倉は内心ビビりながら(推定)、何事もなかったかのように軽く流した。
「普段着でいいだろう」
「いいけど何着てくるつもりなんだよ、大将?」
「……ジャージ?」
「却下! それは遊びに行く時の服じゃないと何度言ったら!」
俺個人の意見としては別にジャージでも何でもいいような気がするのだが、道ノ倉としてはそれがたとえ人の私服でも譲れないものなのらしい。
「つまりミチは、私に若者向けの服を着て欲しいという訳だな?」
「ま、平たく言うとそうだな」
大将はふむ、と考え込む。
「あ、そういえばこの間、従兄から服をもらったな。いかにも若者向けの」
「それだ。もうそれ着ちゃいなよ」
こだわっておきながらかなり投げ槍な返事である。
まあ若者が若者向けというと年寄り臭くなるよな、というのはさておき、そういう服なら奴も文句は言うまい。とりあえず、遊びに行くときに発生する懸念が一つ消えたと思えばまあいいだろう。俺のじゃなくて道ノ倉の懸念なんだが。
部活開始の時間ぎりぎりになってから一年生の女子二人がやってきた。
「すみません、学年集会が長引いちゃって」
「そうなんですよー。なんかうちの学年でいじめが発覚したらしくて、連帯責任で全員お説教。本当、たまったもんじゃないわ」
「それはまた生々しい話だな」
大将が眉間に皺を寄せる。まあ社会問題になっている昨今、いじめという単語だけでみんなが敏感になっているから気持ちは分かる。
うちの部に限っては大丈夫だと思うが、人間関係は何が起こるか誰にも分からない。大将は何処に行っても浮くような性格だし、道ノ倉は人間の好き嫌いが激しいし、甲府は男女ともに人望はあるが、その分嫉妬の対象になりかねないし。そう言っている俺も、いつ何処かで何のトラブルに巻き込まれるかも分かららない。
「ちょ! ナリ君どうしたの、それ?」
不意に甲府の素っ頓狂な声が響いた。
反射的にそちらを見ると、今しがたやって来たらしい、一年生唯一の男子部員である
口元には痣があり、よく見ると唇の端に切れた痕がある。どう見ても何でもありませんで済むような怪我ではない。
「こんなに怪我しちゃって! 酷い、誰がこんなことを」
「一体誰にやられた? 場合によっては私が直々に抗議してやる」
「ナリ君、正直に言うんだ。僕らは味方だから」
次々とくる質問攻めに、町成は明らかに困惑した表情で首をふるふるさせている。
「隠さなくていいから! 私たちはナリ君が困ってたらできる限り力になりたいだけだから」
問い詰める甲府に、町成はさらに力強く首を振った。
……というより、むしろ町成は今の状況に一番困っていないか?
「あー、とりあえずみんな落ち着こう」
俺は間に割って入って、ひとまず町成を隔離させた。
「とりあえず先に町成の話を聞こう。先輩三人に問い詰められたら答えづらいだろうに」
町成は俺の方を見て、こくりと頷いた。
俺もあまり人の事は言えないが、町成は会話がとんでもなく苦手で無口な奴である。
喋らないから自己主張も薄く、自分から話すこともないから何を考えているのかよく分からない大人しい人間だと周囲に認識されている。
「その、誰かにやられたとかじゃなく、不注意で」
ようやく町成がしどろもどろになりながら話し出した。
「町成、そうなのか?」
「いやいやちょっと待て! そう言わされてるだけかもしれないじゃん。いじめって加害者も被害者も事実を隠したがるって言うし」
すかさず飛んできた道ノ倉の反論に、町成は激しく首を横に振った。どうにも見た感じ、町成が嘘を言っているようには見えない。
「二時間目の体育の授業、バレーで」
「バレー?」
「レシーブに失敗して、顔にガンッと」
俺はその光景を想像した。相手のスパイクを正面から防ごうとして、ミスってボールが自分の方へ跳ね返って顔に激突。想像するだけで痛そうだ。
「……あり得ない話ではないな」
「ヤマさん?」
「心配することが悪いとは言わないが、先輩が後輩の言い分を信じなくてどうする、道ノ倉。少なくともサッカーやバスケで突き指するより信憑性はあるだろ」
「ちょ、ヤマさんひどっ!」
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