4-4 彼がのこしたもの
「こっち、この絵ですよ」
「名前も京極って書いてあるし、日付もちょうど京極先輩が高校生やってた時の物のはずなんですけど」
京極さんは目を細めながら絵を眺める。眺めてから少し考え込んだ。
そして何度も何度も絵と、絵に描かれているサインを見返す。
「これ、もしかしてオレのじゃなくてあいつの絵のような気がする」
「え?」
ほぼ全員が同時に同じ反応をした。
「えっと、あいつ、というのは?」
「うーん、確証はないんだけどね」
京極さんは視線を絵の方に向けたまま答えた。それから「あ、ごめん夢中になっちゃってたわー」と、言いながらこちらの方に向き直った。
「あいつってのは、オレの従兄弟の京極
「従兄弟!?」
場にいたほとんどの人間の声がハモッた。
いや、それよりもこの人、今
「あれー? なんでびっくりしてるの? まー、あいつも俺と同じ美術部だったんだけどさ、三年に上がるときに受験に専念するって急に言い出して辞めたんだよ。せっかく一緒に頑張って来たのにさー」
人の思考を遮らないでほしかったんですが。そんな俺のことなどお構いなしに京極さんの話は続く。
「あいつとはご近所さんでもあったんだよ。昔から兄弟みたいに育ったようなもんだけど、あいつ口下手でしかも無口でこっちから話題ふらないと全っ然喋ってくんないんだよ。だから何考えてるのか分かんなくて、困ったもんだったよ」
なんか自分の事言われているみたいで耳が痛いのは気のせいだろうか。
「あ、あの!」
困惑気味の
「い、今、従兄弟さんの名前、イチタカって言ってなかった? じゃなくて、言いましたよね?」
「え? 言ったけど何?」
「さっきの人! さっき来た京極さん、イチタカって名前だった!」
一瞬沈黙が走った。
それから、
「はああああああ!?」
うん、ここまで来るとみんなのリアクションは予想できるし、事実その通りだった。
「ナリ君も覚えているよね? あの人が先生にそう呼ばれてたの」
興奮気味の志村に押されるかのように、こくこくと頷く。
あのさっきの偽者疑惑の人の名前を認識したのは二回。一度目は志村が彼とぶつかって、荷物をぶちまけた時に落としたネームプレートと、すれ違った先生が彼の事をイチタカ、とファーストネームで呼んだ時。
と言うか、同じ苗字の人間(しかも血縁者)が同学年にいるからファーストネームで呼び分けしていたわけか。
「えっと、つまりだな、つまりだよ? 普通に考えるとありえないくらい確率低いけど、もしかしなくてもさ」
「でもそう考えると、全ての辻褄が合うと思います」
俺も少し考えてから、全てを察した。
つまり、「美術部OBの京極さん」は二人存在している。すなわち、
で、本来来るはずだった京極さんは目の前にいる爽司郎さんの事で、さっきの偽者騒動で現れたのが一高さん。
だから「陸高美術部OBの京極さんですか」の問いにも肯定するほかないし、すれ違った先生と面識があっても何ら不思議ではない。故に彼自身は素性を偽って騙す気など最初からなかったのだ。俺らが爽司郎さんと勘違いしていると気付くまでは。
で、一高さんは「自分の時代の美術部は趣味の延長で、遊びのようなもの」と言っていた。ただ好きなように絵を描き散らすだけの部活動なら、基礎的な知識が伴っていなくても何らおかしくない。
そして、爽司郎さんの方はそんなぬるい環境にいながらもものすごい才能を発揮したハイスペックな鬼才だった、と。
「しっかし、一高の絵がここで見られるなんてな。いつから飾られてるかは知らないけど、ここにあるということはいいって思われてるんだろ?」
「うーん、もしかしてそれって」
道ノ倉先輩が何か言いかけたところを、山県先輩が腕で制止した。
一高さんには非常に申し訳ないのだが、その絵は多分爽司郎さんの絵と間違われている気がする。サインが苗字までしか描いてないし。
つまり目の前にあるのは鬼才でもなんでもない、名声的にありがたみも何もない、ただの美術部員の絵である。そう書くと一高さんがすごく気の毒に見えるが。
「うーん」
横を見ると、志村がうなっていた。
ああそうか。こいつは京極さんの絵を見て美術部に入ったんだった。鬼才の爽司郎さんじゃなくて、一般の部員である一高さんの。
やっぱり鬼才だと思っていた作品がそうでなかったと知ったらショックだろうな。俺だったら恥ずかしくて死にそうになる。
が、そんな心配も次の瞬間ぶっ壊れた。
「これって、すごい、すごい事じゃないですか!」
奴は、うって変わってテンションハイな声で叫んだ。間近で聞くとマジうるさい。
多分、ここが漫画の世界だったら空間に巨大なクエスチョンマークが浮かんだだろうと思われる、一同を唖然とさせるには十分すぎるほどの謎発言だった。
「ねえ、ナリ君もそう思うでしょ?」
思う以前に言っている意味すら分からんから。
と言うかたまたま近くにいて目が合っただけで話を振ってこないでほしい。
「だって、うちのOBには海外留学する鬼才だけじゃなくて、こんなすごい絵を描ける人もいるんだよ? 実力派が二人いるってすごくない? そうでしょ? 私もいつかすごいって言わせられる絵を描きたい!」
一人はしゃぐ志村のノリに誰も付いていけるはずもなく、俺らはただそれを眺めるだけだった。
「いやー、やっぱり美術部最高! この部は素晴らしい実力者が集う伝統あるエリートを育成する部だったんだ!」
お前がエリートになる未来像が一ミリも想像できないんだけど! この間だって色々先生にボロクソ言われてたじゃないか!
やっぱり俺、こいつ苦手だ。おめでたすぎる思考回路が。
「だが、私達は一高さんに謝るべきなのか? 勝手に連れてきたのに偽者扱いしてしまったのはさすがに申し訳が立たない」
「だが、人違いで連れてきた件ならともかく、偽者扱いの件は謝ったら逆に失礼な気がすると思うが」
すかさず反論したのは山県先輩だった。確かに「鬼才と間違えてすみませんでした」なんて言われたら惨め以外の何者でもない。さっき一高さんが逃げるように帰っていったのもそれが原因だろうし。
「んー、従兄弟として言っておくけど、気にしなくていいんじゃね? あいつ昔から過ぎた事掘り返すと不機嫌になるタイプだし。まあ、どうしてもって言うなら俺が気にかけておくよ。どっちみち、連絡先知らないだろ?」
「ですが」
「だから気にしなくっていいって、現部長さん。まあ、あいつの住所が変わっていなかったら何処かでまたひょっこり会えるかも、よ?」
爽司郎さんはにやりと笑った。
三時ごろにOB歓迎会は解散し、俺は帰路についた。
俺は自転車をこぎながら今日の出来事を振り返る。
偶然捕まえた人が鬼才だと思ったら人違いで、人違いだと思っていたら実は志村が美術部に入ったきっかけを作った人で。普通こんなややこしい事態など起こり得ないだろう。もうこれ奇跡とも言っていいくらいのハプニングじゃないだろうか。
下り坂に差し掛かったところで、ひんやりとした向かい風が全身を包み込む。いかん、本当に寒いわこれ。何かあったかいものを取らないと風邪をひいてしまう。次に登校する時は絶対冬服引っ張り出そう。正確な衣替えの日いつだったか忘れたけど。
などといろいろ考えながら近くのコンビニに自転車を止める。
セール品になっているあったかいお茶を買って店を出ようとした途端、ちょうど店に入ろうとした客と目が合った。
「あ」
ものすごい間抜けな声だったと我ながら思う。
本日最大級の、奇跡を通り越して宇宙レベルの偶然。
京極 一高さんが、そこにいた。
気まずい。なんでもう再会することもなさそうな人物とばったり出会ってしまうのか。
それは向こうも同じことを考えているようで、俺ら二人は相手の方を凝視したまま動けずにいた。
いや、固まったままでいるのはおかしいよな。
こういう時、都先輩なら部長らしく何事も動じず普通に挨拶してそのまま去るだろう。
一応向こうはOBで目上の人間だし。俺が無口であってもさすがに何も言わずシカトはまずい。
「あ、あの」
俺が気合いを振り絞って声をかけた途端、相手は踵を返して走り出した。いや、普通に言えば逃げたも同然なんだけど、なんで頑張って声かけたのに逃げられなければならないのか。
追いかけるかどうしようか迷っていると、外から何かが引っくり返るような派手な音がした。
慌てて外に出ると、アスファルトの上に一高さんと、俺の自転車がひっくり返っていた。どうやら逃げている最中に前方不注意でぶつかったか、足を引っかけたかそういう理由なんだろうけど、さすがにこれはひどい。
「悪かったな」
あまりの失態に不貞腐れ気味の一高さんは、吐き捨てるようにそう言った。
「自転車は、無事でしたので」
「いや、自転車もそうだが、そうじゃない」
一高さんはコンビニの外の壁にもたれながら、ぼんやりと空を見た。
「……爽司郎には会えたのか?」
オレは素直に頷いた。
「あいつ、絵上手いだろ。俺と違って」
なんかこの人、反応に困ることを言いだしたぞ。
「いつもそうだった。あいつはいつも何をやらせても俺のすぐ上を行く。俺の方が先にやった事でも、何でもかんでも」
いや、いきなりそんな面倒な事言われても。
「同い年の従兄弟ってって兄弟で比べられるより悲惨だぞ。爺ちゃん婆ちゃん親戚一同みんなに比較されて、そのたびうちの両親が肩身の狭い思いしてさ。しかも俺の家、あいつの近所だし」
だんだん話が重たくなってきた。もう誰か助けて欲しい。
これが道ノ倉先輩だったらく口八丁手八丁で切り抜けられ……るのはちょっと無理か。あの人結構ヘタレだし。
「何処まで行っても俺は日陰者。頑張った所で、結果を出せるのも褒められるのもいつもあいつ」
ああ、この人俺が反論しないことを良い事に自分の世界に入ってしまっている。
こういう時、
でも、俺は彼らじゃないからここは自力でどうにかしなきゃならない。
目立たない人間が損するのが世の常なのは、俺も知っているけど、だからって自分を全否定するのはどうしても納得がいかない。ただ、それをどううまく伝えたらいいのかが分からない。
「美術部だって結局あいつには敵わないから辞めたようなもんだ。描けば描くほど惨めになるだけだし、本当に無駄だったわ」
一高さんは歩き出した。言いたい放題愚痴ってようやく解放してくれるらしい。
じゃなくて。
そんな気晴らしの愚痴なんか、何の解決にもならないじゃないか。
それに、一高さんが美術部に入って頑張ったことは無駄じゃない。少なくとも志村にとっては。志村は一高さんの絵を見て、美術部に入ったのだから。何の先入観もなかったとはいえ、一人の人間にそう思わせるような絵を描いたというのは立派な功績と言えるはずだ。
それを、一高さんは分かってない。でも、どう言ったら伝わるかが分からない。
だけど早くしないといなくなってしまう。俺のなけなしの話術と伝達力でどうにかしないと。
「あのっ!」
普段使いなれていないせいで制御が全くできていない大声に、びくりとして一高さんが振り返った。
「それでも、それでもあなたは奇跡を起こした」
我ながら完全にスベったと直感した。
大体奇跡ってなんだ。
一高さんは振り返らない。立ち止まったままこっちを見ない。
「その、たとえ勝てなくても、鬼才じゃなくても、それだけですべてが無駄になるとか、そんなことはないと思う、と思います。志村が最後に言ったことだって本当の事だし」
急募:流暢に日本語が話せてそこそこの話術を持っている方。
そんな意味のないフレーズが脳裏に流れた。
「何言ってるかさっぱりなんだけど」
一高さんはこちらに背を向けたまま、そう返事した。
そりゃあそうだろう。言っている俺が一番何言ってるのかがさっぱり分からない。
「だけど、何かを言いたいんだろうという事は、何となく分かった」
そして、一高さんは軽く手を挙げ、再び歩き出した。さっきよりも足取りは軽く、それでいてしっかりしていた。
俺の言葉がどう伝わったのかはわからない。だけど、一応は俺の言葉を聞いてくれた。
聞いてくれたから、応えてくれた。
だから多分、今はそれでいいと思った。何も言わずに見送るよりはずっといい。
俺はその姿が見えなくなるまでずっと見送った。
そして考える。俺自身はあの部の中でどんな成果を残せるんだろう、と。
爽司郎さんみたいに馬鹿でかい賞を取るには腕も経験も今のところ全然足りないし、誰かの心に残るような絵も、それこそ結果論なので狙って描ける物でもない。そもそも何を以って成果と言うのかも明確じゃない。
だけど、これからどうなるかなんてわかりっこない。俺だけでなく、みんなも。だったらいい方に考えた方が得じゃないか。
だから、ずっと先になるけど美術部を卒業する日が来たときにやってよかったと胸を張っていられるよう、それを目指そう。
まあ、俺の場合、もうちょっとまともな話術を身に着ける所からやらなきゃいけない気がするけど。
冷たかった風は、いつの間にか止んでいた。
ちょっとぬるくなったお茶のペットボトルが入ったビニール袋を自転車のハンドルに引っ掛けると、俺は自転車を走らせた。
第四章 町成翼編 日陰者の奇跡 完
五章に続く
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