4-3 二人目

 さっきとは違う意味での沈黙が走った。数秒後、志村しむらの「ええええええ」と言う絶叫に近い叫び声であっさりかき消されたが。

沙輝さきちゃん、どうどう。ああ、うすうすおかしいとは思ってたけど、そういうことか」

 志村をなだめながら道ノ倉みちのくら先輩が言った。

「ミチ、後出しじゃんけんのような言い方をするのは感心しない」

「違うっての! てか大将が訳分かんない言い回しするからそう見えるんだって!」

 というか「そういうことか」という言い方も漫画みたいだな、道ノ倉先輩。

「てか、喜衣乃きいの先輩にミッチー先輩、あの人が偽者ってありえないでしょ! そもそも偽者ってどういう意味ですか? 何をどう見たらそうなるんだかさっぱりです!」

 志村の言い方もなんだかミステリーで犯人を言い当てられた時の反応みたいだ……って言い出したらきりがないのでこれ以上どうでもいい揚げ足取りはやめておこう。

「うーん、僕が怪しいと思ったのは、まずあの人の言動が挙動不審すぎる。何というか、まるで本音を探られたくない、的な?」

「それは単に人見知りするタイプなだけかもしれないし! ナリ君みたいに」

 そこで何で俺に振るのか。まあ人見知りは否定しないけどちょっとイラッとくる。

「だからそんなのは先輩の思い過ごしだって」

「うーん、まあそれも否定できないよなあ」

 割とあっさり志村の言い分を認める道ノ倉先輩。

「だけど人見知りの奴が母校行きたいって言うかなあ。まあ、それは置いておいて他にもいろいろあるんだ。例えば沙輝ちゃんが持ってるそのスケブ。京極きょうごくさんに絵を描いてもらってたけど、スケッチなのに時間かけ過ぎだったじゃん。僕らだって春くらいに人物デッサンとか国木田くにきだ先生にしごかれて、最終的には十五秒で人の顔描けとか無茶振りやらされたし」

「え? 普通の特訓だろ?」

 道ノ倉先輩の言葉をしれっとスルーする先生。そういや五月くらいにやらされてたっけ。

 確か市原いちはらさんを十五秒で描こうとして、結局眼鏡と三つ編みしか描けなくて提出したけど、国木田先生が「町成まちなり、グッジョブ!」と大ウケしていたっけ。あれ、絶対心から褒めてないと思う。

「もし、本当に鬼才だったら人の顔くらいささっと描くんじゃない? それこそ僕ら以上に早く」

 確かに。そう納得する空気に皆がなりかけた途端、やはり志村は反論してきた。

「こ、こだわり派だったんだよ! たとえラフでも妥協できないとか、そういう人っていると思うし!」

「うーん、まあそれも否定できないけど、ちょっとその絵を見せてくれる?」

 志村は言われるままスケッチブックを広げて机の上に置いた。

 やたら輪郭や目鼻のラインがくっきりした、志村の顔が描かれていた。

「ほ、ほら。すごく上手いじゃないですか! みんなだってそう思うでしょ?」

「まあ、確かにお前らよりは上手いかもな」

 国木田先生が何か引っかかるような言い方をした。「かも」ってどういう意味だ?

 それを考える間もなく、先生は話を続けた。

「志村、この間のリンゴデッサンの時何て言ったか覚えているか?」

「輪郭線が太すぎる、でしょ? ……あ!」

 全員がもう一度スケッチブックの絵に注目する。この間の志村の絵程ではないが、確かにこの絵も輪郭線がやたら太い。

「僕、ちょっと京極さんの描き方を見たけど、いきなり紙のど真ん中に丸描いて十字線引いてから沙輝ちゃんの顔描いてたんだよね。何かデッサンとかスケッチの描き方じゃなくて、完全に漫画の描き方って感じだったよ。あおいちゃんが描いてるような。だからパーツの輪郭がやたらくっきりして見えるんだ」

「見事だ道ノ倉、大正解だ。これは絵画をやっている人間が描くデッサンの描き方じゃない。どっちかと言うと、自称絵がちょっと上手い人間がやりそうな手法だ。洋画コンクールで賞をとるような奴の腕かと思うとちょっと違和感があるな」

「だ、だけど上手い事には変わりはないでしょ? そういうスタイルなだけかもしれないし」

 志村、痛々しいほどに必死すぎる反論である。

「うーん、まあそれも否定できないけど」

 そして道ノ倉先輩も折れるのが早すぎる。

「ちょっといいか。私が妙だと思ったのはこれなのだが」

 言いだしっぺであるみやこ先輩が、さっき京極さんに使わせていた木製の油絵用折り畳みパレットを手にした。

 パレットの上にはさっき京極さんが出した絵の具が乗っかっている。パッと見、おかしい所はない。

「青と黄色と赤? これの何処がおかしいんですか?」

「絵の具がおかしいんじゃない。パレットの方だ」

「え?」

「これ、表裏が逆だ」

 ええっと叫ぶ志村には全く動じることなく、都先輩はパレットの絵の具をふき取って、それをひっくり返して見せた。

「いや、だってこっちがどう見ても裏でしょ喜衣乃先輩?」

 京極さんが使っていたのは、パレットを折り畳んだ時に山折りになる側。広げると何もない側だ。

 だが、都先輩が「表」と言ったのは谷折りの側の方、蝶番ちょうつがいの金具がむき出しで、白いボッチが隅についている方。

「まあパッと見、知らない人が見たらこっちが表に見えるんだろうな。だが、あの京極さんは私が「油絵もできますよね?」と言った時は肯定してた」

 つまり、油絵を本当に分かっている人間ならパレットの裏表を間違えたりしない。都先輩はそう言いたいのだろう。

 が、志村の諦めの悪さは、俺らの予想をかなり上回っていた。

「でも、もしかしたら油絵やっていてもこの形のパレットは使っていなだけかもしれないし! パレットだって種類いっぱいあるでしょ!」

「うーん、まあそれも否定できないけど。僕らの二こ上の先輩も紙パレット派だったし」

「そうでしょ? だから偽者なんてありえないじゃない!」

「でも」

 今まで黙って動向を見守っていた市原さんが、口を開いた。

「さすがに『それも否定できない』がこんなに連続するのは不自然な気がするんだけど」

 至極もっともな意見である。

「うー」

 一気に形勢不利になった志村は、誰か味方がいないかと周りをきょろきょろ見回し、俺と目が合った。

「ちょっとナリ君! 嫌そうに首をふるふるしない」

 なんかものすごく睨んでくるのだが、何故だ。

「てかナリ君だってあの人が偽者じゃないってわかってるはずじゃん。京極って書いてあるネームプレートも見たし、わたしが「美術部OBの京極先輩ですか」って聞いたらそうだって答えたし」

 確かにそうだった。更に思い出してみれば学校で先生とすれ違った時も顔見知りって感じだったし、先生も彼の事をファーストネームで呼んでいた。

「と言うか、偽者が出てくる理由も意味もないじゃない。京極先輩に成りすまして一体何の得があるわけ?」

 全員が考え込む。

 OB訪問は単なる懐かしい母校へ顔を出すだけの単なる挨拶だ。それ以上もそれ以下もない。仮に何者かがその中へ潜り込んだところで何になるというのか。

 現にあの京極さんは言動は挙動不審でも、特に何かを仕掛けたとかそういう意味での怪しい動きはなかった。ただ会話して、絵を描いて、クッキー食べて、それだけだ。

 が、その答えに誰かが気付く前に、美術部の戸が勢いよく開いた。

「やっほーい!! 陸高美術部諸君! オレは、オレは帰って来たぞー!!」

 やかましさでは部員一の志村を超えるハイテンションな奇声とともに、髪を金髪に染めたチャラい青年が室内に乱入してきた。

「いやー、久々に来たけど学校はあんま変わってないのな。まあ二年じゃそう変わらないか。懐かしくて涙出るわー。ん? どうした、ハトが豆鉄砲喰らったみたいに固まってさ」

 チャラ男はずかずかと俺らの方に近づいてくる。

「……誰?」

 チャラ男を除く、ほぼ全員の声がハモった。




「えー、何その反応。まるでこっちが不審者みたいじゃないか」

 いや、どう見てもそんな真っ金々な髪の部外者が馴れ馴れしい態度で乱入して来たら、よほどの馬鹿でない限り警戒するだろう。

「ちょっと空港でトラブルがあって、到着遅れたのは謝るけどさー」

「空港、ですか?」

 甲府こうふ先輩がまるで腫物を触るかのように恐る恐る問いかけた。女子からしたら関わるのもためらうようなヤンキー的な容姿の青年だし。

「え? まさかオレ、登場を完全にスベったから本当に不審者扱いされてたりする?」

 チャラ男はドン引きしている一同を見回すと、わざとらしく咳払いしてから、背筋を伸ばした。

「お初にお目にかかります。オレの名は京極きょうごく 爽司郎そうしろう。かつて陸高美術部の部長を務めていたこともあります」

「え?」

「え? じゃないって。だから、オレが京極 爽司郎。今日ここに遊びに来るって言ったでしょ?」

 誰からともなく「えええ!」と驚きの叫び声が上がった。それも絶叫に近い感じの。俺もつられて叫んでいたかもしれない。

 だって、この見るからにチャラそうな金髪男が「京極」と名乗ったんだから。

 ……じゃあ、さっきの「京極さん」は?

 結局あの人は先輩たちの言う通り、よく分からない「偽者」なのか? 頭がこんがらがってきた。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょおっと待って! 待ってください! あなたが本当に京極先輩ですか? 美術部OBで、大きなコンクールで賞とって、海外留学もしているあの、京極先輩ですかぁ?」

 志村が明らかにパニックになっている。最後の方、声が完全に裏返っているし。

「まー、賞取ったのはまぐれだと自分でも思うけど、大体合ってるね。って、なんで?」

「だったら証拠を見せて下さい!」

 志村の両手からさっきのスケッチブックが差し出された。

「京極」さんは、呆気にとられた表情でスケッチブックと志村を交互に見比べながら、ようやく描けと言われていることを悟り、スケッチブックを受け取って白紙のページを開いた。

「じゃ、簡単なスケッチでいいなら描いて見せるから。とりあえず、俺の正面に座って。鉛筆は、これでいいか。個人的に芯は二センチは出してほしかったけど」

 「京極さん」はモデルである志村をじっと見た。そして鉛筆を一本手に取った。

 ここから先は驚くほど速かった。

 白紙のスケッチブックにアタリと言う点を何か所かつけると、鉛筆を寝かして薄く塗りつぶし始めた。ところどころ濃淡を変えながら、それは紙全体に広がっていく。

 まる描いて十字の線とか、そんなものは一切入れない。輪郭線もろくに描いている気配もない。それでどうやって描くつもりなんだろう? と考えている内に、塗りつぶしたそれは人の顔の形へと変化していく。時折細かい線と、消しゴムで形を整えながら、実に無駄のない動きで、スケッチはあっという間に完成した。

 目・鼻・口などのパーツは鉛筆の濃淡とちょっとした線を入れただけなのに、ちゃんと志村の顔に見えるのが驚きだ。言ってはなんだが、さっきの一五分かかった絵は何だったのかと突っ込みたくなるレベルである。

 俺だけでなく、他のみんなもこれには感嘆していた。国木田先生だけは「なかなかやるな」的な表情をしていたが。

「で、これでオレが京極って証明になるかい?」

「う、あ、はい」

 志村は裏返った声のまま硬直している。

「じゃー、この絵にいくら払える?」

「あ、あかり先輩の持ってきたマシュマロクッキーを好きなだけ」

 それを聞いた京極さんは「いい答えだ」とゲラゲラ笑った。

「金取る気だったんすか?」

「労働に見合った報酬を受け取るのは当然だろう。日本は無報酬で何でもサービスしすぎなんだよ」

 他にもさあ、と言いながら「京極さん」は海外のエピソードや、日本と海外の芸術文化の違いなどジェスチャーを交えながら面白おかしく語る。

 そして、皆の作品を一通り見ながら、一つ一つアドバイスをするようになってる時には、場にいる全員がこの「京極さん」こそが本物と信じるようになり、さっきの偽者騒動などどうでもよくなっていた。

「なるほどー。やっぱりしっかり物を見るって大事なんですね!」

「志村ちゃん、だったか。君は本当に熱心だね」

「はい! 何てったって美術部に入ったのも先輩の絵がきっかけですから!」

「へー。何処で見たんだい? 展覧会?」

「食堂前に飾ってある大きな絵です!」

「え?」

 京極さんが不思議そうな顔をした。

「どうしたんです?」

「いや、オレの絵、卒業する時に全部残らず持って帰ったから、ここにあるはずがないんだけど」

「え?」

 また不可解な展開になった。

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