4-2 歓迎された男
俺たちは戸惑う青年、
途中、廊下ですれ違ったベテランの教師から、「イチタカじゃないか。まさかここで会えるとは思わなかった」と声をかけられた。
京極さんはやはり戸惑っていた。俺と同様、よほど人見知りするタイプなんだろう。でも先生にファーストネームで呼ばれるってことは、そこそこ親しまれてたと思うのだけど。
部室に到着した後も、京極さんは熱烈に歓迎されていた。
はじめの内は(主に
「しかし、結構本格的にやってるんだね。俺の時代はほとんど趣味の延長と言うか、割と遊びって感じだったし」
京極さんは文化祭の展示用に隅っこに片づけておいた絵を眺めながら言う。
「それでも実績あるんだから、京極さんはすごいと思いますよ」
「実績?」
ん?
それを確信する・しないを決めるよりも早く、志村の割り込みによってすべてをかき消した。
「京極先輩! アドバイスとかもらえませんか! 色々お話も聞きたいです!」
「え。ええっ? 俺、人に教えるとかそういうの得意じゃないんだけど」
「いいんです! わたしは先輩の意見が聞きたいんです!」
志村、いつも以上にフルスロットルでうざい。と言うか、先日先生に腐海っぽいと評された絵を見せられても、感想言う方が大変だろう。あ、いや俺も学校の裏山の削れた部分を赤っぽく描いたらマグマとか言われたけどさ。
「こら、志村、無理強いするな」
が、それもつかの間、
「でもただの世間話と見学だけで終わるのももったいないだろう。せっかくOBが訪ねてきたんだし、何か一つ絵を描いてもらったらどうだ?」
「え?」
京極さんの顔が引きつった。が、すぐに平静を取り戻すと、
「あいにく道具は持ってきていないし、それに俺、そんなに描くの速くないんですが」
「何を言うか。少なくともこの子たちよりは上手いし速いだろ。謙遜するなよ、鬼才」
先生、それ単に凄腕OBの実力が見たいだけなんじゃ、と
だけどいくらOBだからって完全に初対面の人たちに期待とかかけられると逆にしんどいような気が。なんかこの人、とりわけそういうプレッシャーに弱そうだし。
「……いいでしょう。やりますよ」
「え?」
やる、と言った京極さんの声は、ひどく重く、とても強いように感じた。何だろう、映画とかで死にゆく覚悟を決めた主人公みたいな感じの。
ほどなくして、志村のスケッチブックと数本の鉛筆を渡される。
「人物、苦手なの?」
スケッチブックをぱらぱらめくりながら京極さんが言った。五、六ページにわたって妙に歪な自画像や、人なのかも怪しい人体クロッキー(先生にやらされた、色んなポーズの人物を五分十分という短時間で描く訓練)が並んでいる。
「ま、まあ、あんまり慣れていないし? あ、そうだ。京極先輩、わたしを描いてくれませんか? ラフスケッチでいいので! あ、あとできればサイン付きで!」
ずいぶんと図々しい気がしたが、先生も先輩も志村を止めなかった。
まあ、ささっと描くだけのスケッチなら、さほど労力もいらないだろう。
京極さんは志村の真正面に座ると、妙に震えた手つきで鉛筆を取った。
俺らは邪魔にならないように、離れたところで甲府先輩自作のマシュマロクッキーをほおばっていた。割と癖になる甘さだった。
ささっと描くスケッチのハズだったのだが、京極さんは十五分もの時間をかけてそれを完成させた。
その間、志村はほとんど動かなかったらしく、終わったころには目をグルグルさせていた。人間のじっとしている時の集中力は二十分くらいが限界とか言うし、ましてや志村はとりわけそういうのは苦手だろうによく頑張ったな、こいつ。
「ところで京極さん、いや京極先輩と言うべきですか?」
「いや、どっちでもいいけど、何だい?」
「では京極さんで。京極さんは洋画系と伺いましたが、油絵もできますよね?」
何故か沈黙が流れた。あれ? イエスかノーで答えるだけの問いなのに、どうして彼は即答しないのだろう。
「出来るけど、何だい?」
どうにも取り繕ったような感じの返答。何故だろう。いや、気のせいか?
「今描いている絵の手前にある木の色がうまく出せなくて。京極さんだったらどうします?」
都先輩はそんな京極さんの態度にはお構いないといった感じで話を続けた。
「先生に言えばいいんじゃないかな?」
「いえ、先生に相談はしたのですが、恥ずかしながら私には助言が消化できるほどの実力が現時点では足りていなかったので、プロの実力に近しいあなたの意見が知りたいのです」
しかし都先輩はよくそんな流暢に丁寧な言い回しができるもんだな。やっぱり武道をやっていた人間は自然にそういった作法が身につくのだろうか。流石部長と言う役職に就く者は根本から違う。
「単純に言うとあの色を出したいんです」
都先輩は窓の外に見える大きな木と、その風景を描いたキャンバスを並べてみせる。
「あの木の色? だったら」
「え? できるんですか?」
「簡単簡単。要はちょっと青加えてグラデーション風に入れればそれっぽくなるから。これ使っていい?」
京極さんは妙に明るい声で答えると、開きっぱなしになっていた都先輩の油絵セットを指差した。
都先輩がそれを承諾すると、京極さんは数本の絵具と、道具箱の蓋の部分についている木製の折り畳み式のパレットを引っ張り出す。
そしてパレットを広げると、慣れた手つきで絵の具を絞り出し、それを混ぜ合わせる。
「緑そのままを使うと味気ないから青と黄色をベースに、あと隠し味にちょっとだけ赤を混ぜるとそれっぽくなるよ。混ぜすぎると濁るから気を付けて」
「す、すごいです京極先輩!」
都先輩以上に、志村がめちゃめちゃ目を輝かせている。
「さすがですね。お見事です」
都先輩の方は普段通り落ち着いていた。が、パレットの上に乗っている絵の具を見て少し不思議そうな顔をした。ほんの一瞬だけだけど。
と言うよりも都先輩が何かを言おうとする前に、甲府先輩の「留学生活ってどんな感じです?」の声で完全に遮られてしまった。
「確かにそれは気になるな。海外の芸術とか日本と違うだろうし」
「え? ああ、うん、まあ、いろいろあるよ、色々」
「たとえば?」
「たとえばと言われても。……あ、ああ! もうこんな時間じゃないか。そろそろ帰らないと」
「え?」
いきなり強引に話を切り上げはじめたぞ、この人。
「もうちょっと話したかったけど、本当にすまない」
そそくさと荷物をまとめ、部屋を出ようとするが、誰がどう見たって不自然だ。何かめちゃくちゃ動揺してるし。
いや、志村だけそれに気づかず素直に言葉通り受け取っているみたいだが。
「そうですかー。名残惜しいですけど会えて嬉しかったです。わたし、京極さんの絵を見て美術部に入ったクチですから」
その言葉に、京極さんはピクリとした反応で足を止めると、こちらの方を見ずに何か小声で呟くと部屋を出て行った。
残った美術部員+国木田先生は呆気にとられた状態だった。もちろん俺も。
「……ミチ、どう思う?」
気まずい雰囲気の中、まず初めに口を開いたのはやはり部長の都先輩だった。
「いや、漫画みたいに以心伝心的なノリで話を振られても。ただなんか機嫌を損ねた感はあるけど」
「それ以外に違和感は?」
「違和感? それつまり京極さんが何か変だったってこと?」
どうやら道ノ倉先輩も、京極さんの態度がおかしいと感じているようだった。
「国木田先生は?」
都先輩は、今度は国木田先生の方を向いた。
「そこで何で俺に話振るんだ? まあ、道ノ倉の言う「漫画みたいな以心伝心なノリ」で言うと俺はこう返すな。「お前の推測に同感だ」と」
都先輩はそれを聞いて、確信したように頷いた。
「ねえ
「それは」
ワンテンポ置いて、都先輩は部員全員の顔を見た。
「それは恐らく、あの人は京極さんではない。偽者なのではないかということだ」
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