3-2 ガラス板の憂鬱

 市原いちはらあおいはガラス板みたいな子だ。


 部長であるみやこ喜衣乃きいの先輩が前にそう言っていた。

 理由は「一見頑丈そうに見えて予期せぬ衝撃に弱い」だそうだ。

 じゃあわたしは何ですか、ときいたら先輩はちょっと考えてから「スポンジ。柔らか過ぎて一見頼りないが、多少ボロボロになっても問題なく使える」そして「藍と沙輝さきは足して二で割ればいい感じな気がする」と付け加えた。

 まあビミョーに失礼な感じはするけど、先輩の言う通りわたしと藍は結構正反対な所が多いと思う。

 わたしは結構言いたいことをズケズケ言うタイプだけど、藍はどっちかというと口数少なめで聞き上手な方だし。あと、我慢強くて何でも丁寧にやるところはわたしにはない藍の長所でもあったり。ただ、それが裏目に出ちゃうこともあるけど。

「藍、何かあったー?」

「え?」

「藍は何かあると眉間にすぐ皺を寄せる」

 反射的に藍は眉間を押さえた。

「べ、別に何も。本当に大したことないから」

「そお? なんか国木田くにきだ先生と喋っていた時から様子変だったし」

「ごめん、それは忘れて」

 あの後、先生は「市原は漫画とか空想画を描かせるとそうでもないのに、静物とか風景を描かせるとどうにも硬くなるのがもったいない」と言っていた。

「あ、先生の言ってることは分かるし、私の言い分は的外れなのはわかってて、すごい反省しているから。だから本当、忘れて」

「なんかよく分からないけど、いろいろ苦労してるんだね、藍」

 多分その半分くらいは苦労しなくてもいい苦労のような気がするけど。

「あ」

 突然の着信音。藍の携帯だ。

 藍は携帯を取り出し、液晶画面を一瞥すると、すぐにそれをしまった。

「あれ、出ないの?」

「ううん、小春こはるからのメールだった。どうせくだら、じゃなくて大した事ない用事だろうし」

 小春というのは藍のクラスメイトで、名字は確か郷田ごうださん。

 なんかすっごいアニメと漫画に詳しい人で、漫画の隠れた設定とかいくつか聞かされたことがある。

 だけど大抵それを聞かされた後、藍は必ずと言っていいほど「あの子の言ったことは全部本人の妄想で、嘘だから」と断りを入れる。

 ぶっちゃけその言葉の意味が分からない。ただの読者が勝手に設定を妄想してまるでそうであるかのように言いふらすってありえるの? それって変じゃないの? と返したら、藍はものすごく眉間にしわを寄せて、視線を明後日の方向へ向けながら「世の中知らない方が幸せな事がいっぱいあるのよ」と言われた。本当に意味が分からない。

 てか、藍の態度はどう見たって郷田さんを嫌がっているようにしか。それでいてどうして友達やっているのかが一番イミフだ。

「やっぱり作品って純粋に楽しむためにあるもんだよね、うん」

「え? 急に何言っちゃってるの、藍?」

「あ、ただの独り言。気にしないで」




 その夜。わたしは自分の部屋で絵の具セットを広げて作業をしていた。

 先生チョイスの絵はナウシカの腐海になったけど、文化祭に出したい本命はこっち。

 そもそもわたしは美術部に入るまで授業以外で絵を描く機会すらなかったし、先輩達みたいに上手くもない。けど、いい絵を描いきたいという目標もあるし、やるからにはいいものを描きたい。

 それに藍も、ナリ君も一生懸命やっているって思うとわたしも負けていられない。

 よし、絶対いい絵描いて文化祭成功させてやる!




 と、気合入れすぎて調子乗ってたら夜更かししすぎてしまいました、な翌朝。

 眠い。ウルトラハイパーギガンティックに眠い。気を抜けば大型犬と一緒に天に召されてしまいそうな勢いだ。自分で何言ってるのかよく分からないのは眠いせい。

 校門をくぐったところで藍を見かけた。足取りがちょっとふらふらしているのは多分藍も夜更かしコースだったんだろう。

「おはよー、藍」

「あ、おはよう」

 振り返った藍の顔を見ると、眼鏡の奥に見える目がすごいショボショボしていた。

「もしかしてあんまり寝てない?」

「深夜アニメ見ながら原稿やってたから。あ、原稿って文化祭に出すやつね」

「それ以外に原稿ってあるの?」

「……う。あ、ううん、何でもない」

 なんか歯切れ悪いなあ。別にいいけど。

「はあ。でも文化祭ってやっぱり緊張するなあ。何かボロクソ言われたら立ち直れないかも」

 藍が話の流れをぶった切るかのように呟く。

「え? 藍ってわたしよりは上手いじゃん。そもそもわたし漫画描けないし、それだけでもすごいと思うけど? 漫画なら絵とか詳しくない人でも分かりやすいからお客さんも食いつきやすいだろうし。話の内容も分かりやすいものにしたんでしょ?」

 確か内容は魔法の国の王子が悪党にさらわれたヒロインを助けるために、従者と協力して魔法を駆使して潜入捜査&救出作戦と言うファンタジー物と刑事物を混ぜたような少年漫画だ。藍曰くもっと設定を盛り込みたかったらしいが、そうすると描く量がとんでもない事になるし、読む方も疲れるということで限りなくシンプルにしたらしい。

「だから不安なんだって」

 藍の声が途端に暗くなる。あれ? なんか悪い事言っちゃった?

「誰でも読めるってことはそれだけ善し悪しが分かりやすいってことだし、アラとか普通の絵よりも目立っちゃうし、どうしよう。痛い漫画とか叩かれて馬鹿にされたら落ち込むだけじゃすまされない」

「いや、それ考え過ぎじゃない?」

 さすがにそこまで心無い行動を取る人は想像つかない。てか、なんでそこまでネガティブに想像できるんだろう。

「あーもー、先輩達だって張り切ってるんだし、弱気になっちゃダメだってば! それにうちら国木田先生にしょっちゅう色々言われてるけどへこたれてないじゃん! そんなに不安なら先輩や先生に見てもらえばいいだけの事だし」

「もうそれは穴が空くまで見てもらってる」

「ならいいじゃん。それでも不安なら他の人にも見てもらえば? ほら、藍の友達とか漫画好きそうな人多いし」

 もっとも、名前知ってるの郷田さんくらいしか知らないけど。

「うーん」

 藍は少し考え込んだ。

「国木田先生みたく毒舌じゃない限りはボロカスにはされないと思うよ。それに、困っている時こその友達って言うじゃん?」

「そ、そうかな。うん、そうだよね」

 なんか歯切れの悪い言い方がちょっと気になったけど、少しは元気になったみたいだからいいか。


 この時は本当に、そう思っていた。




「次からはちゃんと勉強しておけよ、志村しむらー」

「はーい」

 わたしは返事をすると、そのまま職員室を出た。なんでここにいるのかというのはまあ、悟ってください。え? ちゃんと説明しないとダメ?

 小テストで三回連続不合格だったから放課後に職員室へ呼び出された。うん、それだけ。親に知られたら更に何か言われそうで怖い。がくぶる。

 と、とにかく気を取り直して部活に行こう。昨日頑張って描いたやつを先生に見てもらわないとだし。どうせダメ出しされるんだろうけど。

 職員室のある校舎を抜け、美術室のある校舎に入り、階段を上る。もうとっくに部活の時間は始まっているから急がないと。

「あー、もう! なんなの!」

 二階と三階をつなぐ階段の踊り場にさしかかった途端、廊下からヒステリックな叫びが聞こえてきた。

 何事かと思って廊下を除くと、二人組の女子がいかにも怒ってますみたいな表情で廊下をカツカツと歩いていた。

「なんでキレられなきゃいけないわけ? 意味わかんないんだけどあの子!」

「だよね。うちら怒らせる事言った?」

「言ってないよね? わたし何も悪いことしてないのに酷いよね」

 二人組はそのまま大声で愚痴り合いながら廊下の突き当りにある図書室へ入っていった。

 てか、大声で怖いんですけど、あの人たち。

 でも二人組の片方、藍の友達の郷田さんのような気がする。うん、前に見た時と髪型違うけど、あれは確かに郷田さんだ。漫画好きな人って大人しいと思っていたけど、あんなにヒステリックな人だったとは。

 ま、いいか。部活行こうっと。

 気を取り直して階段をのぼる。だけど、のぼり切った所で何かピリピリした空気が何処からか伝わって来て、わたしは思わず足を止めた。なんだろう、これ?

 しかも美術室に近づくにつれてどんどんそれが強くなっている。

 いや、こんなの気のせいだ。気のせい!

 だって部活は楽しい場所であって、ピリピリする場所ではない。

 そう思いながら美術室の戸を開けたら、驚くしかない光景が私の目の中に入ってきた。

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