1-3 迷い少女と未だ見ぬ宿敵
だから人に迷惑をかける行動はするなとあれほど言ったのに! あれほど言ったのに!
下駄箱で靴をはきかえながら、僕は何度目になるか分からないため息をついた。
だいたい予算の交渉に行ったんじゃないのか。何をどうやったら武道場で大暴れという流れになるのか。
仮に交渉決裂で大将がキレて大暴れというオチだったとしても、無茶苦茶である。
大将はああ見えても根っこは理知的で生真面目な人間だ。理不尽に対して怒ることはあっても、理不尽に暴力は振るわない。
いや、ちょっと待て。
武道場を使っている剣道部は、入部拒否をするほど大将を嫌っている連中だ。
何かのはずみで一触即発! という事態もありえなくはない。なんか嫌な予感がしてきた。
僕は無理矢理気持ちを落ち着かせながら、外へ出た。
「ん?」
少し進んだところで、足を止める。
うちと違う制服の女子が、困ったように周囲をきょろきょろしているのが見える。
制服が違う時点で他校の女子というのは分かるけど、一体何をしているんだろう。
「ねえ、もしかして迷子かい?」
急いではいるのだが、明らかに困っている女子を無視するのは僕の紳士道に反する。野郎だったら放置するけど。
相手は僕の方へ顔を向けると一瞬警戒を露わにしたが、すぐに近づいてきた。
ショートヘアに眼鏡という何処にでも居そうな顔立ちだったが、眼光はどこか尖った感じがする子だった。
「すみません、実は部の用事でこちらにお邪魔したのですが、迷ってしまって」
「ああ、うちの学校って建物がごちゃごちゃしてるからねえ。どこに行きたいの?」
「武道場なんです」
なんか、思いっきり地雷を踏んだ気がした。
なんでよりによって事件現場に来客なのか。
「あ、私、
しかも部活つながりの関係者かよ!
というか、今どうなっているか分からない状態の剣道部にこの子を案内して大丈夫なんだろうか。
「何か、顔色悪いけど大丈夫ですか?」
とはいえ、一度差し伸べようとした手を今更引っ込めるわけにもいかないし、そもそも行き先が一緒なのに無視するのも不自然すぎる。
ああもうどうなっても知らない。僕は覚悟を決めるしかなかった。
「なんだ、
武道場へ案内する道中、客人である伊吹ちゃんは僕の不安など全く気付くはずもなく、普通に一緒に歩いている。
現場に着いたら大惨事に遭遇、という事態だけはどうしても避けたいのだがどうにもいい方法が浮かばない。
「というか道ノ倉君さ、さっきから挙動不審っぽい顔をしてるけど本当に大丈夫?」
「あ、いや、大丈夫だから、本当に」
いかん、下手すると今の僕は変質者と誤解されそうである。とにかく話題を振ってごまかそう。
「そ、そういや剣道って厳しそうなイメージあるけど、部活は楽しい?」
「え? まあ、厳しいと言えばそうだけど、やっぱり好きな事だから自然と頑張れるかな」
伊吹ちゃんが笑う。よほど好きなんだろうな、剣道。
「中学最後の団体戦の試合で大けがしちゃってね。チームは逆転勝ちしたんだけど、私自体は負けちゃったからすごく悔しくて。今の目標は、いつかその相手と再戦して勝ってやりたいってとこかな」
うわあ、いかにも負けず嫌いな典型的な体育会系だな、この子。
「で、その相手がこの学校に通ってるって聞いたから、今から合同練習が楽しみで。ひょっとしたら今日会えるかも」
僕には自分に大けが負わせた奴に再会したいという心理はさっぱりわからない。普通にトラウマものだろう。
「でも、高校上がってから大会とかでは全然見かけないんだよね。あれくらいの実力ならレギュラー余裕で取れそうだし、夏の大会も初戦敗退ってこともなかったでしょうに」
「まあ、僕には違う部の事情は分からないからなあ。同学年ならもしかしたら知っている奴かもしれないけど」
「名前ならちゃんと覚えている。というか、忘れたくても忘れられない」
そうして伊吹ちゃんは、ワンテンポ置いた。
「北中の
最大級の地雷が、脳内で大爆発を起こした。
悪い事というのは、どうしてことごとく重なるのか。
ただでさえ、大将の大暴れを止めに行くのにも気が重いというのに。
そして僕らは武道場の入り口に、もう引き返せないところへたどり着いてしまった。
伊吹ちゃんと、たぶん乱闘に巻き込まれてる剣道部を引き合わせるのは危険だし、乱闘を起こしている大将を引き合わせるのはもっと危険だ。間違いなく話がややこしくなる。
ここはやっぱり伊吹ちゃんが武道場に入る前に、大将を退散させるしかない。
幸い武道場の出入り口は、通常の入り口と裏口の二か所ある。何とかして大将を裏口から出せば最悪の事態は避けられるかもしれない。
「僕、剣道部の部長さん呼んでくるからここで待っててくれないかな」
適当な口実をつけ、僕は一人で武道場の玄関を開け、靴を脱いで中に入って廊下を進んだ。
そして、中から剣道特有の甲高い掛け声が聞こえる部屋の引き戸に手をかける。
「これ、悲鳴ってオチはないよな?」
できればすでに騒動が収拾して、大将が既に去ってしまっている状況であることがベストなんだけど。そう祈りながら、僕は引き戸を開けた。
「へ?」
目に飛び込んできたのは、空中でクルクルと弧を描く棒状の物体がこちらに向かって飛んでくるのが
「危ない!」
警告と同時に額に強烈な激痛が走る。あまりの衝撃にそのまま仰け反ったまま後ろにひっくり返り、その直後に後頭部が床に激突する衝撃が襲う。
というか痛いを通り越してヤバい! 視界がチカチカして、意識がぶっ飛びそうな勢いなのをぎりぎり耐えながら、僕は額に激突した「それ」を見やる。そして絶句した。
「なっ!」
どう見たって「それ」は竹刀だった。
僕は剣道のことはよく知らないが、少なくとも竹刀が宙を舞ってギャラリーを攻撃する競技ではないと思う。多分。
「ミチ? 何故ここに?」
竹刀が飛んできた方を見やると、白袴に防具をつけた剣士がこちらを見ていた。
足元には、武器をぶっ飛ばされて腰を抜かしている対戦相手が転がっている。
いや、転がっているのはそいつだけではない。
武道場のあちこちで袴姿の剣道部員たちが倒れていたり、腰を抜かしていたりと、散々な状態になっていた。
「……もしかしなくても、大将?」
「いかにも」
白袴が答えた。面をつけていて顔は見えないが、声と背格好でわかる。
「ていうか、これどういう状況だよ? 予算の交渉はどうなったんだよ?」
「いや、絶賛交渉中だ」
「何処がだよ! どう見ても道場破りじゃないか!」
というかこれ、暴力事件として処理されたらどうするんだ。考えるだけでぞっとする。
「うむ。どこから説明したらいいのやら」
大将は、つかつかとこちらの方へ歩むと付けている面を外した。まだ残暑で気温が高いせいか、顔は汗まみれだ。
「私としては、文化部の予算削減と言う横暴をどうしてもやめて欲しかっただけなのだがな。それをここの主将はなんだ。文化部は気楽な遊び集団だの、どうせ根性がないだの、汗水たらして頑張ってる自分らに失礼だの、勝手な事を言いおって」
「うわ、そこまで言われたのかよ?」
たまにいるんだよな、自分らの方が偉いと思い込む運動部。あと、委員会みたいな役職ついている奴とかも。
「あまりにも頭にきたので言い返してやった。だったらお前らは口で言うほど頑張っているのか。努力する自分に酔っているだけで、ただの『つもり』になって、周囲を見下しているだけではないのか。だから一回戦敗退だっんじゃないか、とな」
「で、一触即発状態になった、と」
大将は頷いた。やっぱり考えなしに発言したな、この人は。
まあ、ここで「美術部がいかにも頑張っているのかを証明してやる!」と啖呵切らなかっただけましだろう。そんな事になったら自分で自分の首を絞めることになる。
「けど誤解するな。一触即発と言っても喧嘩をしたわけではない。そもそも剣道部はどこまでも規律に忠実な集団だ。私闘など許されるはずがない。だから、正式な許可を取らせてもらった」
そういうと、大将は持っている竹刀で壁を指した。
壁を見ると何か貼り紙がしてある。
僕は床に転がっている剣道部員たちを踏まないように移動すると、貼り紙に書かれている文面を読んだ。
『私、都 喜衣乃は美術部主将兼文化部代表として、剣道部の主張する予算案が正当であるものか判断すべく、剣道部の活動内容の審査を行う。なお、この審査は互いの部の了承を得たものとし、剣道部主将の立会いの元で行われる』
……つまり、こういう展開になるということは相手も分かっているから、たとえボコボコにされても文句が言えない、という解釈でいいんだろうか。
「いや、ちょっと待て! 何を審議したら部員全員がフルボッコにされるんだよ?」
「書面を最後まで読め」
仕方なく続きに目を通して、僕は絶句した。
具体的な審査方法は大将が『剣道部レギュラーと対戦して一本でも取れれば剣道部の予算案を却下する』と書かれてあった文章に線が引いてあり、上に乱雑な字で『レギュラー全員に勝てたら』と修正されていて、そのまた上に修正線が引かれ、最終的には『全部員を倒せたら』と書かれていた。
「往生際悪すぎるだろ、剣道部!」
しかもそれで負けたのだから立つ瀬もない。というか、これ倒れている中には男子も交じってるんだけど、もしかして全部員って男子剣道部の方も含まれてるのか。
「大人数での連戦で一番重要なのは体力の温存。すなわちいかに素早く相手を倒せるかだ。ひたすら一撃必殺を狙っていく作戦が大成功したな」
「いや、そんな解説どうでもいいから」
というか、ナントカ無双なのかこれは。完全に生まれてくる時代を間違えているだろう、大将。
「てか、剣道部ってどんだけ金の亡者なんだよ。うちら美術部から搾取するだけじゃ足りないわけ?」
「それは違うぞ、ミチ。確かに言い出したのは剣道部だが、予算を減らされて不満な運動部は他にもたくさんあるんだ」
「え?」
「今年は夏にサッカーとテニスと水泳部が全国大会出場という奇跡的活躍があってな。三つとも創立以来の大快挙だったらしい。で、彼らの遠征費などの様々な経費を埋めるために成績の振るわなかった運動部がその割をくらってな」
「で、文化部はその巻き添え、というのが真相か」
レギュラー争いや、試合上での弱肉強食というのならまだ分かるが、まさか違う部活同士で弱肉強食状態になっているとは発想すらしてなかった。というか僕、いつも何も考えずに部活出てたんだけど。
「しかしまさかこんな形で竹刀を握ることになるとはな。高校じゃ剣道から離れるつもりでいたのに」
「あ」
別に忘れていたわけではないのだが、彼女は入学直後に剣道部から入部拒否されてたんだった。
それを考えると、今、大将は複雑な心境なんだろう。
好きな剣道を部活としてやらせてもらえず、その部活と対立して、叩きのめして。
本来だったら、叩きのめされた彼らと共に楽しい部活動を送るはずだったのに。
「なあ、大将。大将って、剣道部に未練があるんじゃないのか?」
「未練?」
「いや、だって本当は美術部じゃなくて剣道部入りたかったんだろ。だけど入学してすぐあんな事になって、入部拒否られて。蒸し返すのもアレだけど」
もちろん今更そんな事言ってもどうにもならないのは分かっていた。
だけど、聞かずにいられなかった。
「ミチ、断じてそれは違う」
「え?」
「私は最初から剣道部に入るつもりはなかったからな」
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