1-2 争いはいつも水面下

「すまん、道ノ倉みちのくら。ペンタブは駄目みたいだ」

 部活に行った僕を待ち受けていたのは、部の会計役である山県やまがた 公斗きみとの謝罪だった。

「いや、ヤマさんのせいじゃないっしょ。僕もまあダメ元で言ったんだし」

「しかしだなあ」

 ヤマさんが深いため息をついた。

 そして美術部らしからぬ大柄な身体をのそのそさせながら、バインダーから一枚のわら半紙を取り出す。

「今期に割り当てられた予算だ」

 僕はそれを見て目を見開いた。そしてワンテンポ遅れて叫んだ。

「少なっ!」

 明らかに去年よりざっくりと削減されていた。

 うちの部の人数は七人なので、単純に七等分すると完全に小遣いと言っていいレベルの金額である。

「てか、これペンタブどころかモチーフもろくに買えないじゃん! 今期どうやって過ごせばいいわけ?」

「俺だって納得いくか。何割か負担してもらってた画材費もそうだが、公募で出す際の運送費だって予算から出してた事を考えると、それらが全て自腹になるときついな」

 ヤマさんが二度目のため息をついた。

「一体なんでこうなったんだよ。不景気で学校つぶれるフラグか?」

「いや、最初に言われた予算は去年とほぼ同額だったんだよ。だけどな、全部活の予算額を見た剣道部からクレームが来てな」

「剣道部? また、なんで?」

「会議の細かい経緯は端折るが、運動系の部活の中で剣道部だけが予算を大幅に減らされてな。どうやら夏の大会で一回戦敗退したのが原因らしいが。ほら、運動部って学校の看板背負って戦うみたいなのがあるから」

 つまり、試合や大会で功績を残せる部は優遇され、そうでなければ冷遇される。何とも恐ろしい世界だ。

「まあ理由はただの憶測にすぎないがな。それで剣道部の怒りの矛先が文化部の方に向けられてな。試合とか大会のない部活に予算を割くのはおかしいとか何とか」

「何だよ、そりゃ! 文化部差別だろ!」

 どう見ても逆恨みだ。あいつら部活の価値基準は大会しかないのか?

「ただ、文化部全部ではなく、吹奏楽部や演劇部など人数が多くてメジャーな部活は除外だとか」

「美術部だってメジャーな部活だろ! どこの学校にもあるし!」

「まあ、それはそうなんだが」

 ヤマさんが、一呼吸置いた。

「吹奏楽部や演劇部は基本団体行動で、しかも決まった時期に学校対抗のコンテストがあるだろう。それに対して、うちは自分に合ったコンテストに各自バラバラで出展するだけ。仮に誰かが表彰されてもそれは個人の手柄であって、学校の知名度が上がるわけでもない。それを考えると俺らの活動内容って何を目標にしているのか、外部から見れば不透明な所があるんだろうな」

 確かに、コンテストはヤマさんの言った通り全員参加ではないし、展覧会はあっても興味のある奴しか行かないというのが世の実情だ。

 そもそもそういったイベントで盛り上がっているのは出展者だけ。それ以外の人間がもっと興味を持ってくれれば美術の未来ももうちょっと明るくなるんだけどな、最近の美術展はよっぽどの有名人が出展しない限り客が全然来なくてめちゃくちゃ厳しいところが多い、とか顧問の国木田くにきだ先生も愚痴っていたっけ。

「で、そこに反論したのがわれらが大将ってわけだ」

「だよなあ」

 理不尽な要求に面と向かってがつがつ反論する大将の姿が目に浮かぶ。

「そのあと口論になって収拾がつかなくなって、結局会議自体がお流れになった」

「けどこの残念な金額になったということは、剣道部の言い分が通ったってことだろ?」

「今のところは暫定、らしい。だがこっちも死活問題だ。昨日の会議の後に大将が剣道部の部長に話をつけに言ったらしいが、そこから先までは」

 あれ?

 僕は時計の方に目を向け、それから室内を見回した。

「てか、大将は今日休みなのか?」

「ん? あれ? 言われてみればいないな」

 窓辺には大将の制作途中の絵がのっかっているイーゼルがぽつんと置いてあるだけだ。

喜衣乃きいのちゃんなら用事があるから今日休むってケータイで連絡来たよ。なんか必要な道具を取りに行かなきゃいけないって」

 あかりちゃんが僕たちの会話に割って入ってきた。

「ああ、メールか。だったら俺らにもまとめて送ればいいのに。全員の連絡先は知ってるはずだろ」

「ううん、通話で。喜衣乃ちゃん、メールろくに打てないから」

「それでいいのか女子高生!」

 思えば大将からの連絡はすべて通話だった気がする。互いにメアドも教えたのに、メールでやり取りした記憶がない。というか、こっちがメール送っても返信が来た記憶が……あれ? あったっけか?

 というかだんだん世の中がスマートフォンに移行しつつあるのに、携帯電話の時代が完全に終わったらどうなるんだあの子。

「まあ、予算の件は明日大将から聞くしかないな。あの破天荒で予測不可な大将の事だから、文化系部活総出で抗議活動やり出すとかいう展開もあったりして」

「悪い冗談はやめてくれ、道ノ倉。現実的にそうなったら地味に嫌だ」

「いやいやまさか。そんなマンガみたいな展開なんかあるわけないっしょ」

 ええ、この時はそう思っていましたよ、この時は。

 だが、現実はもっと斜め上を行っていた。




 翌日の昼休み。廊下で大将の姿を見た僕は、予算の件がどうなったかを聞いてみた。

 大将は、少し困った顔をしてから「交渉中だ」と答えた。

「だが心配するな。部の未来のために戦うのが、美術部主将の責務だからな」

「いや、そんなめっちゃオーバーな事言われても」

 というか、文化部で「主将」と名乗る部長は大将くらいだろう。違和感がないのが逆にすごいが。

「そんな訳で悪いが、今日も部活に行けそうにない。行けても大幅に遅れそうだが」

 どんな訳だ。全然話が読めない。

だが、大将は「問題ない」と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべている。まるでこれから起こる出来事にわくわくしているような。だからこそ、逆に不安になってくる。

「大将、一応大将の事は信頼するけどさ、あまり人に迷惑かけたり突発的な奇行だけはするなよ」

「失礼な。私がいつそんな事をした」

「こないだのキモいマスクで僕にトラウマ植えつけかけた件をもう忘れたんかい!」




「だからここは決め台詞が入るから、いっそ見開きでバーンと入れちゃってさ、アングルも俯瞰にしちゃったらどうよ?」

「うーん、それはいいんですけど俯瞰って描くの苦手なんですよね」

「ちょっと描けばコツつかめると思うよ。ここ三階だから窓の外見たらモデルは腐るほどあるし。まさに人がゴミのようだ状態でさ」

 部活の時間。今日はコンピュータ室が使えないので僕は次の作品のアイデアを練る傍ら、可愛い後輩たちの面倒を見ていた。

 今、アドバイスをしてあげているのが、漫画好きの市原いちはら あおいちゃん。制作しているものもやはり漫画だ。あれ? 漫画って制作? それとも執筆っていうのか? まあどっちでもいいや。

 周りを見ると、不在である大将を除く全部員がそれぞれの作業に入っている。ヤマさんは一心不乱に粘土こねてるし、あかりちゃんは元気娘の方の後輩・志村しむら 沙輝さきちゃんと一緒にパネル作りの作業をしている。

 で、一人離れた場所でがりがりと鉛筆デッサンをしているのがちっちゃい草食系後輩男子の町成まちなり つばさ。描いているのはなんと、先日大将が被っていたあの忌々しくてキモい例のマスクだ。教室に置いておけないという理由で、仕方なく美術室に保管してあるのだが、なぜ彼はそれを描こうとする。

 窓際に置かれた大将の絵は、昨日と同じ状態のまま、触られた形跡はない。

 予算会議だった一昨日を含めて丸三日も部活にいないからなあ。まだ半分しか色が入っていないその絵は、何処となく寂しげに見えた。

 などとぼんやり考えていると、ポケットに入れている携帯電話が振動し始めた。

 取り出してみると、クラスの友人からの通話だった。すぐに部屋の隅に移動して電話に出る。

「もしもし?」

「あ、ミッチーか? 今すぐこっちに来てくれ! とにかく大変で大変で」

「いや、落ち着けって。電話でこっちって言われても分かんないし」

「あ、ああ、そうだった」

 すーはーすーはー、と深呼吸している音が聞こえてくるが、ぶっちゃけ男の吐息なんぞ聞いても気持ちが悪い。

「で、用件は何さ?」

「それが」

 息を大きく吸うと、彼は興奮を必死で押さえながら言った。

「お前んとこの部長が武道場で大暴れしてるんだよ! 今!」

 一瞬、脳内が凍りついた感覚がした。

 うちの部長が武道場で大暴れ。

 うちの部長=大将。

 つまりそれは。

「えええええええええええええええ!?」

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