七人七色 陸高美術部活動録

最灯七日

第一章 道ノ倉橙也編 我が美術部主将

1-1 美術室の怪

 不覚。この道ノ倉みちのくら 橙也とうや、一生の不覚だ。

 もう、なんというか死ぬ。

「もー、ミッチー、いつまでもそんな恰好で拗ねなくても」

 椅子の上で体操座り状態になっている僕の上から、フルーツガムを連想するような甘ったるいようで爽やかなあかりちゃんの声が降ってきた。

「というか、ミッチーは落ち込みすぎ。そんなに気にしなくてもいいじゃない。面白かったし」

「面白くあってたまるかって。ああ、恥ずかしくて死ぬ」

 略して恥ずか死ぬ。あ、なんか語感が良いな。

「それだけ元気なら大丈夫だろう」

 足音と共に、長く垂れたポニーテールが目の前までやってきた。

 顔を上げると、気の強そうな真っ黒な瞳がこちらを見下ろしている。そして、瞳の主はニィと不敵な笑みを浮かべる。

「いや、近年稀にみる素晴らしいリアクションだった」

「元の原因は大将、あんたのせいだろうがぁー!」



 話は十数分ほど前にさかのぼる。

 放課後、文化祭の出し物を決めるクラス会議をさぼって部室である美術室の引き戸を開けた途端、ありえないレベルの悲劇が起きた。


 僕の眼前に、化け物がいた。


 至るところまでむき出しの血管が張り巡らされた赤黒い皮膚。

 分かりやすく言えば、人体模型のグロい側を連想させるような顔が、ぎょろんと飛び出した眼球で僕の方を見つめていた。

 僕は絶叫した。恥とか冷静さとかとにかくそんな物は一瞬でログアウトした。

 そのまま後ろに逃げようとして、足から力が抜け、尻餅をついた。

 それでも一刻も早くここを離れねば! 僕は化け物を凝視したまま、尻を引きずって後退する。怖い。マジ怖い。

 化け物は無言のまま、一歩一歩ゆっくりと僕の方へ近づいてくる。何故か、首から下は女子高生の格好だったが、理由を考えている余裕などなかった。

「来るな! 来るなぁぁぁぁ!!」

 僕は叫びながら身体を反転し、赤ちゃんのハイハイ状態で全力疾走した。

廊下にはたくさんの生徒がいたが、気にしていられない。

 そして、渡り廊下の隅で縮こまって震えている所を、同じ部活の甲府こうふ あかりちゃんに発見され、二人でそっと美術室に戻るとそこにいたのは、



「……まさか大将が、クラスの出し物のお化け屋敷で使う小道具マスクを被っていただけって、どういうオチだよ」

「いや、試着のつもりだったんだが」

「なんで部室でやるの、それ!」

 僕が「大将」と呼んでいる長いポニーテールの女子高生はしれっとしていて、僕の抗議にも全く動じない。

「あの失態をどんだけの人に見られたことか! 僕のスタイリッシュなイメージがぁぁぁ」

「大丈夫だよ。誰もミッチーの事スタイリッシュとか思ってないから」

「酷っ!」

 あかりちゃんの鋭い突っ込みが胸をえぐる。そこは多少誇張であってもスタイリッシュにしておいてほしい。

「てか、大将! 元はと言えば大将の奇行が原因だろうが! なんか言うことあるだろ!」

 大将は少し眉間にしわを寄せると、やがて口を開いた。

「素晴らしいリアクションをありがとう。おかげでうちのクラスの出し物の方向性が見えた」

「そこは謝るところだー!」




 僕が大将ことみやこ 喜衣乃きいのと出会ったのは、この高校に入学して同じクラスになったのがきっかけだった。出席番号もすぐ後ろだったので(うちの学校の出席番号は男女混合のアイウエオ順である)、すぐその顔も覚えた。


 第一印象は、サムライのような女。


 ポニーテールの黒髪がいかにもそれっぽいし、きりりとした釣り目も意志の強さを感じられる。背も女子の中では高い方だし、事実僕と並んでも数センチしか違わない。

 僕は彼女のことをサムライと表現したが、実際に彼女は中学時代は剣道部に所属しており、二年生の時には全国大会へ行くほどの腕前だったらしい。

 まさに武闘派女子。軟派な路線を貫く僕とは対照的だ。普通に性格は合わないだろうし、あまりお互いの学校生活にかかわることもないだろう、と思っていた。

 ところが入学して十日足らずの休み明け、僕は登校早々、都 喜衣乃が警察のお世話になったというとんでもない話を聞かされた。

 いや、警察だぞ? 普通の高校生はお世話になることはないだろう。

 詳細を聞いてみると、日曜の夕方に彼女は通っていた剣術道場からの帰宅途中で壮年のサラリーマンに恐喝して暴行を繰り出そうとするヤンキー達……ちょっと前の言葉で言うと親父狩りの現場に出くわした。

 そしてあろうことか無謀にも仲裁に入って、持っていた竹刀で加害者連中を一掃するかのごとくボコボコにしたところを通報されたらしい。

 警察に連れていかれた彼女はその無謀な行動を諌められたが、「警察がああいう連中を野放しにしているのが悪い」と悪気もなく反抗して更に大目玉をくらったとか。普通ならあり得ない展開である。

 僕はそれを聞いて単純に思った。この女はすごい、と。無茶とはいえリアルにヒーローする女はそうそう居るもんじゃない。

 この事件の話は学校中にあっという間に広まり、大半の人は僕と同じ感想を抱いていた。

 ただし、あくまで大半の人間。それ以外の人間にとっては面白くない、不愉快な話だったようで。

 その代表にあたるのが、うちの高校の剣道部の連中であった。

 何が気に食わなかったのかというと、武道の精神とやらに満ち溢れた彼ら曰く「私闘に竹刀を用いたことが許せない」ということだった。自分たちの部活道具を、そんな暴力的な目的に使ってほしくない、と。僕は剣道のことはよく知らないが、彼らにとってはそれが絶対的な正義なのである。

 ちなみに学校に一人は居そうな竹刀を常備している熱血教師も彼らにとってはアウトだったりする。他の運動部がしごき用に竹刀を振り回すのもアウト。

 剣道部が下したのは「都 喜衣乃の入部拒否」という結論だった。まだ入部届を出すどころか部活見学すら行われていない段階で。

 まあ剣道部の理念を否定する気はないが、規律というのは本当に面倒なものである。奴らはそのせいで全国レベルの選手を手放したのだから、もったいないにも程がある。

 が、さらに面倒なことに他の運動部もそれに便乗して彼女の入部を拒否しだした。

問題を起こすような生徒はいくら運動能力が高くても入れる訳にはいかない。というのは建前で、運動部の連中の本音は他の運動系の部活と足並みをそろえないと示しがつかないからだという、たったそれだけの理由だった。うちだけOKということを言い出すと、他の運動部から叩かれるからである。僕からしてみれば本当に馬鹿みたいな理由だが。

 結局、彼女が入部できるのは文化系部活一択になるのだが、その中でもとりわけ規律が緩くて一致団結とか協調性とは全く無縁とも言える美術部に入部を決めた。部活見学で一緒になった時は驚いたものだ。

 正直彼女が絵を描いている姿はイメージすらできなかった。だって、美術と武道なんぞ完全に真逆の路線だ。実際、最初の内はものすごく浮いていたくらいである。

 だが彼女は武道で鍛えた不屈の精神を武器に、真剣に部活に取り組んだ。

 ただひたすらに絵の制作に取り組み、スランプをよくわからない精神論で乗り切り、時にはテンションの低い部員に喝を入れ、たまに無茶振りしたり、それ以上に自分が無茶したり、最終的には今日のような奇行に走るし……あれ? これじゃただの変人紹介だ。

 まあ変人要素が多くても、彼女のことは嫌いではなかった。常人にはやってのけないことを平気でやろうとする所は素直に見ていて面白いと思ってる。

 剛毅なる女傑。僕はいつしか、彼女のことを敬意をこめて「大将」と呼ぶようになっていた。

 女子につけるあだ名ではないような気がするが、僕にとって大将は大将なんだから仕方がない。




 カチカチカチ

 僕はパソコンの画面を見ながら、マウスのボタンを連打していた。というか、反応悪すぎて思うように動いてくれない。

 まあ古いから仕方ないんだけど、ちゃんと動いてくれないのは大いに困る。

「ミチ。作業中悪いがちょっといいか?」

 振り返ると、いつの間にか大将がそこに立っていた。

 華奢ではないが、無駄な脂肪がない健康的なボディに、すらりとした手足。一瞬まじまじと見つめそうになったが、本当にそれをやったら殺されそうな気がするので、慌てて視線を外した。

「しかし、お前だけコンピュータ室で絵を描いているから移動が面倒で仕方がないな」

 大将が画面を覗き込む。

 そこにはつい今まで描いていた、僕の作品が映っている。

「どうよ、これ結構カッコよくね?」

「私にはよくわからないが、ミチがそういうならそれでいいんじゃないか」

 あらら、つれない返事。

 まあ無理もないか。今僕が描いてるのってアニメとかに出てきそうな戦闘機だし。野郎は食いついても女子受けするような代物ではない。なんでそんなの描いているのかと言われたって、メカっぽいデザインが好きだからとしか言いようがない。まあ、一言でいえば男のロマン?

「で、大将、何の用?」

「お、そうだった」

 大将が画面から目を離し、僕の方を見た。相変わらず美人というより凛々しい系の顔だ。

「明日、部活合同の予算会議があるのだが、先に今期の見積もりを出しておきたくてな。だから部に必要な備品とかないか一人一人確認しに来た」

「備品、か」

 僕は少し考えた。

「あ、ミチは学校のパソコンで絵をかくから特に必要なかったな。すまない、邪魔をした」

「いやちょっと待って! 結論勝手に出さないでちょうだい!」

 慌てて大将を引き留める。

「まさか何十万もするような本格的な機材が欲しいとかいうんじゃないだろうな? それはさすがに無理だぞ」

「いやいやいや、確かにそんな予算があったら魅力的だけどそこまで期待はしてないから!」

 僕はパソコンの周囲に目を泳がせた。あ、そういえばマウスの調子が悪いんだっけ。

「そうだ大将! ペンタブ! この際だからペンタブ買おうぜ! てか未だに無い方がおかしいだろ」

「ペンタブ?」

 大将が眉間にしわを寄せる。

「って、何?」

「え? 知らないの?」

 普通知っているもんだと思うんだけどなあ。僕は落ち着いて対象にペンタブがどんなものかを説明してやった。

 ちなみに大将は本当に知らなかったようで、「マウスの代わりにペンを使う」程度の説明では全く通じてくれなかった。

「けど、基本部活でパソコン使うのはお前くらいだろう」

「いやいやいや、今はそうかもしれないけど、これから先はそうとも限らないっしょ。後輩だって使うかもしれないし、特にあおいちゃんは漫画描くの好きだから絶対いつかは手を出すと思うんだ。あと五年十年もすれば漫画も紙じゃなくて全部デジタルで描く時代が来るだろうし」

「ふむ」

 大将が考え込むポーズをとった。お? もしかしてもうひと押しで行けるか?

「まあ単純に、僕としては良い作品を作りたければよい道具を使えって話だと思うんだよね。そのためにも超必要ってことで」

「しかし、よい道具はその腕に見合ったプロが使うべきじゃないのか? ミチの作品が悪いとは言わないが、人間国宝レベルの達人の域に届いているとは思えん」

「いや、どんだけ話が飛躍してるんだよ!」

 一体大将は僕の説明でペンタブをなんだと思ったんだろうか。頭がクラクラしてきた。

「むしろ素人だからこそ、その腕をカバーするために良い道具が必要不可欠っしょ。本物のプロだったらどんな道具でも良い物作れそうだし」

「……なるほど、正論だ」

 あっさり納得する大将。自分で提案しておいてなんだが、本当に大丈夫なんだろうか。

「で、予算会議って大将一人で出るの? 僕も出た方がいい?」

「いや、会計係を同席させた方がいいだろう。ミチは留守番を頼む」

 大将は、くるりと背を向けると、最後に「いい作品を期待する」と一言残して去って行った。

 この時、僕はまだ知らなかった。

 まさかその予算会議が原因で、とんでもない事態が発生してしまうことを。

 いや、あんな騒動になるなんて例え著名な予言者でも予想できなかったと思う。

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