1-4 騒動の果てに
意外すぎる返事に、僕は驚くしかなかった。
「な、なんで?」
つうか、大将は中学時代(そして今のを見る限りでも)めちゃくちゃ強い選手だったはずだ。
それだけの才能と実力があるのに、あっさり捨てていいものなんだろうか。
「もしかして、剣道が嫌いになったとか、そういう話なのか?」
「いや、そうじゃない。現にさっきの三十人斬りは楽しかった。あ、今のは変な意味はないぞ」
多分変な意味であっても違和感ないと思う。言わなかったけど。てか、三十人もいたのか、剣道部。
「剣道は今でも嫌いじゃない。ただ、他の人間に迷惑をかけてまで続けるとなると、な」
そういうと、大将は天井を見上げた。
「中三の最後の大会でな、相手に選手生命をきたすほどの怪我を負わせてしまってな。もちろん故意でやったわけではないが、相手校から非難と罵倒の声を浴びせられて、結局うちの学校はそれに動揺して負けてしまったんだ」
「大将……」
「相手に大怪我負わせた挙句、自軍の士気を落として敗北させたのは私の責任だ。そういうこともあってか、剣道とはしばらく距離を置くことにして、高校の部活では人に迷惑をかけない範囲でのやりたいことをやろうと思った。絵を描くって前から興味があったしな」
「そう、だったのか」
あれ? ん? ちょっと待てよ?
なんか忘れているような。それも結構重要な事を。
「それ」が何なのかを思い出す前に、答えの方が先に飛び込んできた。
「ちょっと、それどういう事!?」
「
「い、伊吹ちゃん」
どこまで話を聞かれたのか。いや、それよりもなんで僕はそんな大事な事を忘れていたのか。
大将の言っていた「中三最後の試合で大けがを負わせた相手」というのは伊吹ちゃんの事で、そして伊吹ちゃんの目の前には、彼女がリベンジしたくてやまない相手がいる。
「誰? ミチの知り合い?」
「ついさっき自分で言ってたでしょ! 中学時代に大けがを負わせたって!」
ずいぶんいい度胸をしているなと、怒り任せにまくしたてる伊吹ちゃんに少しビビりながらも、僕は小声で大将に「なんで顔覚えていないんだ」と突っ込みを入れる。すると大将は、「試合中は面を付けていたから素顔は見ていない」と尤もな答えが返ってきた。なのに伊吹ちゃんが大将の顔を知っているのは、大将自身がその道では有名だからだろう。
「郡山 伊吹。
大将の目が見開かれ、一気に顔から血の気が引く。
無理もない。故意でないとはいえ、かつて自分が傷つけた相手が目の前に現れ、迫っているのだ。僕だってどう対処していいのかわからない。
「どうりで高校の試合や大会で見かけないと思った。剣道部じゃないんだからいるはずがないんだもの。剣道から離れる? 何それ? 償いのつもりなの?」
こ、これは何を言っても通じそうにない。
だけど、何かフォローしないと、何とかこの険悪なムードを変えないとまずい。
「あのさ、伊吹ちゃ」
「道ノ倉君。都 喜衣乃が剣道部じゃないというのを知ってて黙っていたなんて、いい根性しているね。すごくがっかりだわ」
うお、そこをつつかれると反論できない。というか、こうなるのが嫌だから言い出せなかったんだけど。
「私は、リベンジしたくて必死だったのに! リハビリも練習も人一倍やって主将にまで上り詰めたのに! ふざけんじゃないわよ! 私の努力が無駄になっちゃたじゃない! 何勝手にやめてるのよ! そんなくだらない同情で剣道諦めないでよ! 美術部なんかに逃げないでさ!」
「やめるんだ!」
僕は、声を張り上げていた。
そこから先の弁明など全然考えていない。
ただ、大将を責める言葉を聞き続けるのは耐えられそうになかった。
「その、言いたいのは分かるけど、大将本人が決めた事はどうにもならないだろ」
「ミチ……」
「それに大将はああ見えても美術部部長だし、部で一番真面目だし、絵だって最初の頃よりかは上達しているし、でも、なんでか腕っぷしも強いし、なんでかペンタブの存在知らなかったり、なんでか常識外れだったりするけど、ちゃんとした美術部員だ。『なんか』と言われるような安っぽい部活動じゃないんだよ」
自分で言っていて訳が分からない。言い訳を考えながらしゃべっているからグダグダだ。
「何が言いたいわけ?」
「いや、これはその、つまり、一言で言うならば」
僕は少しだけ、大将の顔を見た。
もう何も言われても仕方ないという諦めと、全てを受け止める覚悟を決めた顔だった。
だからこそ、助けてやらないと。
「大将は僕らにとっては大事な部活仲間だ。たとえ美術より剣道の方に才能があったって、過去に何があったって、それは関係ない。だから大将が考えた末に決めた道を、僕らが肯定しなくてどうする? やり方はともかく、部の予算のために一人で戦うような奴だぞ。だから、大将のことを悪く言わないでくれ」
無理矢理だが言い切ってやった。
伊吹ちゃんは目を丸くしてこっちを見ていたが、やがて投げ槍気味に「もういい」とつぶやいた。
「馬鹿みたい。というか馬鹿じゃん。私一人が空回って、すごく馬鹿みたいな気分。これまでの私の努力はなんだったのさ」
やり場のない怒り、という奴だ。
そうだよな、目標だと思っていた人物が自分と全く違う価値観で、その目標ですら蓋を開けてみればただの独りよがりだと思い知ったときのショックは何に例えていいのか分からない。
「……わかった」
それまで沈黙を守っていた大将が、口を開いた。
「ならば、今から私と一本勝負しろ」
「え?」
僕と伊吹ちゃんが同時に驚きの声を上げた。
「何を驚いている。それしか解決方法がないだろう」
ただし手加減はできないが、と大将が付け加える。
「大将、何勝手にそんなの決めちゃってんだよ!」
「今了承を取ってるだろう。勝手には言ってない。で、どうする? 恐らく再戦のチャンスは今しかないぞ?」
いや、僕は大将がぶちのめした剣道部員に了承を取らなくていいのか、と言いたかったんだけど。まあ、いいか。
「やる!」
伊吹ちゃんは迷うことなく、きっぱりとそう答えた。
「ただし、お互い全力で。どうなっても恨みっこなしでね!」
しばらくして、剣道部から予備の用具一式を伊吹ちゃんのために貸してもらい、ついでに二人の勝負も許可してもらった。
あの堅物で融通の利かない剣道部がそれを許可したのは驚きだが、強引なわがままが通った理由は、客人である伊吹ちゃんをすっかり忘れて放置してしまったという剣道部の過失によるお詫びである。何気に、伊吹ちゃんが大将をボコボコにしてくれるという期待もこもっていそうな気がするが。
僕は正直さっきみたいな巻き添えは嫌だったので帰りたかったのだが、二人を放置するわけにもいかなかったので安全そうな場所から見守ることにした。いざという時にすぐ逃げられる体勢でいることは忘れない。
そして審判の合図とともに、因縁の対決は始まった。
重ねて言うが、僕は剣道にはあまり詳しくない。
正直ルールも曖昧にしか把握していないので、普通の試合を見ても何がどうすごいのかも分からない。
うん、普通の試合だったら。
僕が見た光景は、聞き取り不明の甲高い奇声を上げながら常に光速の勢いで竹刀を振り回す女子高生×2だった。
光速というのはオーバーな表現ではなく、マジで全然目で追えないのだ。
時折、竹刀と竹刀がぶつかり合う音と風を切り裂くような音が聞こえてくるのだが、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
二人の立ち位置も目まぐるしく変わるので、どっちが優勢なのかもさっぱりだ。
てか完全にこれ、人類の動きを超越してないか?
うん、まあ、素人視点で一言で表すのならば。
超次元剣道。
休み明けの昼休み。
僕は大将から呼び出しをくらい、美術室へ向かった。
やっぱり連絡手段はメールではなく、通話の方で「昼食終わったら速攻で美術室へ来い」の一言を聞かされて、一方的に切られた。いい加減メールを使うことを覚えて欲しい。
「来たか」
美術室の戸の前で待ち受けていた大将の首や腕には湿布や包帯が痛々しく巻かれていた。
あれだけ大暴れしたのだ。さすがに無傷というわけにはいかなかったか。
「大将、それ大丈夫か?」
「問題ない。ほんの少しオーバーワークしただけだ」
実際三十人斬りして、その後伊吹ちゃんとぶっ倒れるまで死闘を繰り広げてたことをオーバーワークの一言で片づけるあたりが大将らしい。
「で、用事って何?」
「喜べミチ。うちの予算が元通りになった!」
「マジか、大将! もう剣道部も何も言ってこないってことだよな!」
大将が「ああ」と頷く。
「ただ、あれ以来剣道部が一人残らず私と目を合わせてくれないんだが。礼と謝罪をしておきたかったのに」
「……そりゃあそうだろうな」
もともと嫌いな相手から今回の件で山ほどの屈辱を味わわされたのだから、絶縁したくなる気持ちは分かる。
「まあそれはともかくだ。ミチ、鍵は空いているから戸を開けてみてくれ」
大将が何か含んだような笑みを浮かべながらこちらを見る。
「まさか、また変な怪人がいるってオチはないだろうな?」
「え? まだそれ気にしていたのか?」
「するわ! あれはトラウマレベルだぞ!」
ともあれ、まあ同じネタにはならないだろうと、僕は覚悟して戸を開けた。
「机の上だ」
言われなくても、僕の目は机の上に釘付けになっていた。
「私にはよくわからないので、先生に見立ててもらった。値切りに値切ったもので、性能もいいやつだそうだ。ペンタブって、これであってるんだろ?」
「た、確かに欲しいって言ったけど!」
「要らないのか?」
「いや、要るけど!」
僕は机の上に置かれたペンタブの箱を手に取った。ダメ元で言ったつもりなのに、予想外の贈り物だ。
「けど、これ本当にいいのか? あとで没収とか言ったら泣くぞ、僕」
「部に必要な備品だからな。これがあればいい作品ができるんだろ? だからどうしても予算を勝ち取りたかった」
そういえばヤマさんも、予算会議が終わった後に「ペンタブは駄目みたいだ」と謝っていた。あの時点で僕がペンタブを欲しがっていたことは、大将以外に話していなかったはずだ。
大将は、ずっとペンタブの事を気にかけてくれたのだ。だから、予算を剣道部に取られそうになった時も、誰より必死になっていたのだ。
「しかし、ミチには迷惑をかけたな」
「ま、まあ、それはいつもの事、だろ」
「いや、きちんと言わせてほしい。郡山に言われた時、何も言い返せなかったのをお前はかばってくれた。私自身の問題だったのに、本当にすまなかった」
大将が深々と頭を下げる。いや、頭下げる意味が全然分からない。本人は本気なんだろうけど。
「なあ、大将」
「ん?」
「そこはありがとうって言うところだと思う」
「む」
大将が恥ずかしさと不機嫌さを混ぜたような表情で僕を見る。
それが何となくおかしくて、僕は思わず吹き出して、大将もつられて笑った。
「とにかく備品も入ったし、後は文化祭の出展に向けて頑張るだけだな」
「ま、美術部は毎年恒例って感じの作品展だけどな。とはいえうちは今いるメンバーが七人だから量より質って感じの簡素な作品展になりそうだけど」
「何を言っている、ミチ」
「へ?」
僕は驚いて、大将の方を見た。
「私が主将になった以上、今年は質も量もがっつり行くぞ。ひとまず目標は全員で五十作品だ」
「そっちが何言ってんだよ、大将!」
単純計算で一人七作品、手すきな奴が八作品。文化祭までの日数は一ヶ月弱。途中に中間テストもあるので、時間的にもかなりの無理ゲーである。
「てか、それ以前に五十作品も飾れる会場を貸してくれるわけないだろ!」
「んー、だが約束したしな」
「誰とだよ!」
じわじわと嫌な予感がしてきた。
「剣道部と。三十人斬りする前にな。さすがに剣道部ばっかり審査するのは公平ではないだろう。なので、文化祭には校内でも目立つほどの立派な作品展をやる、と宣言してきた。さあ、気合入れて今日から部員一丸でやるぞ」
「さらりと無茶ぶりするなぁぁぁぁ!」
どうやら大将が頑張って手に入れてくれたこのペンタブは、彼女の無茶ぶりのせいで休む間もなく酷使される事になりそうである。
第一章 道ノ倉橙也編 我が美術部主将 完
二章に続く
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