第5話 帝王学コース
帝王学コースの教室につくと護衛は中に入れない為、エミリオと別れ独りで部屋へ入っていった。教室とはいえこのコースは大勢の者が取るわけではないのでタップリと空間を取って机が五台ほど置いてあるだけだ。
「あら、ギリギリね。おはようございます、リアーナ様」
静かに席につく私に話かけてきたのは八番目の王妃の娘マクシーネだ。十七歳のこの姉は帝王学コースを四年かけてやっと最後の単元を終わろうとしている。
「おはようございます、マクシーネ姉様」
教室でしか話すことは殆ど無く普段は公式行事の場でしか交流はない。このマクシーネの母親の王妃ベロニクが私の母上に余計な事を言ったせいで王位継承争いに巻き込まれた。
ホントに余計な事をしてくれる。
つい二ヶ月前までこの教室内には三番目の王妃の子デミアン十六歳、五番目の王妃の子コレット十六歳、マクシーネと私の四人いたが今は二人だけとなっている。
そもそも主たる帝王学コースは王位継承のためだけでなく領地運営を学ぶ所で大領地、中領地、小領地に関わらず領主一族の者たちは強制的に取らされる。それは王家でも同じで王位継承権が何番目でも強制的に放り込まれる。
内容が領主一族とは部分的に異なるためにそれらとは別の教室で学び、兄姉達はもういないが年齢が近い四人は同じ教室内で別々の教師から一対一で教わりそれぞれの速さで単位を取得し修了となる予定だった。
コツコツと靴を響かせ一人の教師が教室へ入ってきた。
「おはようございます、マクシーネ殿下」
背の高い細身のジュディスはマクシーネの担任だ。学院の教師らしく金糸の縁取りがある黒い教師用のマントを身に着け片手に数冊の本と紙束を持ち挨拶をする。
「おはようございます、リアーナ殿下」
私にも挨拶すると早速マクシーネの方へ行き静かに授業を始めた。ジュディスから遅れること数分、私の担任のナタンがわざとらしくヨロヨロと教室へ入ってきた。ジュディスと同じく教師用のマントを着ているがなんだか若干よれて見える。
王族の帝王学コースのそれぞれの担任は殆どが自分の母親の領地から送り込まれて来た優秀な学者だ。ここでもやはり大領地の学者は研究費も多く人が集まりやすいため優秀な人物が多い。
バルバロディア領からも私のために優秀な学者が選ばれてきたはずだがどうにもこのナタンはふわふわとした掴み所のない印象の古老で話の内容もイマイチ飲み込みにくい。恐らく私が王位を継ぐ事は無いし自領の運営も早くに決められた優秀な婚約者アーネストがいるから適当でいいだろうとあてがわれたのかもしれない。
「おはようございます、リアーナ殿下。少々遅れましたかな」
ナタンがいつもの様に遅れてきた事をとやかく言うつもりはない。
「おはようございます、ナタン先生。実は明日よりバルバロディア領へ行かなければなりませんので暫く学院へは参りません」
「さようでございますか、それでいつお戻りで」
一体この呪いがいつ解けるか分からない今の時点で期間はハッキリと言えない。
「領内を視察しつつ母上からの課題も出されるようで、申し訳ありませんが私にはお答え出来ません」
ナタンは短い顎髭を撫でつつ頷く。
「相変わらず王妃様はリアーナ殿下にお厳しいようで何よりですな」
「何よりとはなんですか、私は厳しくされなくともいつも何事にも真剣に取り組んでいますわ」
ナタンはニヤけた顔で嬉しそうに手にした数枚の紙を私の机にそっと置いた。彼のやり方は独特で同じ教室の向こうでやっているジュディス先生のそれとは違う。
彼女はいつも分厚い本を広げマクシーネに見せながら読み上げると後で解説をし、最後にテストをする。マクシーネが理解できていると確認できれば次に進むというやり方で他の先生たちも同じようなやり方だがナタンは違う。
いつも私に渡される用紙には領内で起こりうる事件が書かれてありその下に私が取るべき行動を書き込みそれによってどうなっていくかも予測して次に何をすべきかを書かされる。
事件は様々で天候によって左右される農業の事、水害によって流された村の事、魔物に襲われた村の事、街で頻発する窃盗の事、大きな事件から小さな事件までどうすれば解決出来て解決後、どうなっていくかも予測していかなければいけない。
しかもそれに対してナタンは殆ど何も言わない。正解かも不正解かも言わず大体は「姫様はそうお考えですか、なるほど」と言われ授業は終わる。いつも終わったあと何の手応えもなく気持ち悪い何かが心に残る。
今回も不祥事を起こした部下をどうするかを問われ授業中ずっと悩みながら、用紙五枚書き込んだ。最後に回収されナタンはニッコリ笑う。
「相変わらず姫様は字がお綺麗ですな」
今日の感想を述べるとナタンは去っていった。いつもの様に気持ち悪い何かが心に残った気がするがここでグズグズしているわけにはいかない。
すぐに立ち上がるとまだ解説を聞いているマクシーネの方をチラリと見たあと教室を出た。ナタンの良いところは延長が無いところだ。
廊下では既にエミリオが待っていてそのまま帰る足を止めずに早足で進む。帝王学コースの教室は学院の中でも入口から遠く他の教室の前をいくつもの通り過ぎなければここから出ることが出来ない。
「御機嫌よう、リアーナ殿下」
休憩時間のため教室から出てきた一人の生徒が私を見つけ挨拶をした事を皮切りに次々と声をかけられる。
「御機嫌よう、ロイ様」
「御機嫌よう、リアーナ殿下」
「御機嫌よう、アメリ様」
首を左右に振りつつ笑顔を向けながら立ち止まらないのはいつもの事だが今日はいつもより早い速度で通り過ぎる私に皆が少し不審な顔をしているが緩めるわけにはいかない。
急がなければ奴が来る!
学院の廊下を王女がダッシュで走るわけにもいかずもどかしい気持ちを抑えながら、次の教室へ移動する人混みを縫うようにすり抜けあと少しでゴドウィンが馬車を用意して待っている出口に近づいてきた。
なんとか顔を合わせずに済みそうね。
ホッとして最後のコーナーを曲がり開かれている大きな玄関扉を抜けた。数段ある階段を降りいつもと同じ様に正面から少し右へ行くと馬車が停めてあり、ゴドウィンが側に立っていて私に気づくとドアを開けた。
スピードを緩める事なくステップに足をかけ中へ入ろうとしてピタリと止まった。すぐに引き返そうとして冷ややかな声で遮られる。
「逃げるのか?」
その言葉にムカッとする。
なぜ私が逃げなきゃいけないの!
本来なら王女と大領地の三男、身分的には私の方が上だが婚約者という事や幼い頃一緒に過ごす事が多かったせいで公式な場以外では砕けた物言いのできる関係だが。
「逃げるつもりはありません。ただ中に誰かがいるとは思わなかったのでいきなり入るのは失礼かと思っただけです」
最近は向こうが騎士コースの指導者ということもあり何故か私は言葉遣いをやや丁寧にしてしまう。
苦しい言い訳をし動揺を悟られないように「失礼します」と声をかけ改めて優雅に見えるようにゆったりとした振る舞いで彼の前に座った。
「ドアは開けたままでよろしいですよね」
狭い馬車の中に独身の男女が二人っきりになるわけにはいかない。
「婚約しているのだから別に構わないと思うが」
アーネストはいつもの無表情で何の感慨もない様子で私を見ている。コイツを避けるために必死で歩いてきたのに先回りされていたなんて。きっと欠席届けを見た瞬間にここに来たのだろう。いつもと違う場所に馬車を停めなかった事が悔やまれる、くぅ~!
「何か御用ですか?」
悔しさを隠しながら出来るだけ冷静さを取り繕う。
「何故騎士コースを休む、体調が悪いようには見えないが?」
まさか心配して来たわけでは無いだろう。少し息を切らせている私を窺うように見ている。私はわざと遠慮がちに咳をした。
「ゴホッ、失礼しました。少し喉の調子が悪くて」
「それで休むのか?」
「いいえ、お休みするのは明日から領地へ向かうために準備が必要だからです」
欠席届けには理由も書いてある。母上からの命令で領地の視察となっているはずだ。アーネストがそこを見落とすはずは無いだろうからきっと何かがおかしいと気づいているのだ、くぅ~鋭い奴め。
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