第五章 第六話 東岸防衛戦/黄昏の時

 西側の大空がいつになく、美しいばかりに真っ赤に染まっていく。


 周辺一帯が完全に闇に包まれるまでは、もう少し時間が掛かる。


 ブルーナ・ルティーニ、シャンタル・ドゥシエラ、シマネク・シフォン他、騒ぎに気付いて何事かと陣幕から重い腰を上げて出てきた重臣たちと弓兵達も含めて、サマン丘陵の頂上に立っている彼らが観ている前で、トリンデ川岸の向こう側、訳も判らず大パニックとなったアメスタン国軍約千名の、整然と整列していた筈の鶴翼の陣は一瞬で崩れ去り、兵士それぞれがバラバラとなって散り散りとなり、蜘蛛の子を散らすように霧散していく。


 「弓兵隊!構え止め!弓、降ろせ!」

 ブルーナ・ルティーニの号令に、弓兵は全員が一斉に弓を降ろす。


 「闇とどさくさに紛れて、川を渡ってくる連中が居るやもしれぬ、か」

 シャンタル・ドゥシエラはそう呟くと、空中でリズミカルに両手を動かし、術式を組み始める。


 「ならば。此れか」

 そう言ってヴァルドゥル・ホイアーは更なる上位術式でシャンタル・ドゥシエラの術式を強固に補完する。



 シャンタル・ドゥシエラの組む術式は、人が習得し得る最高位の術式ばかりである。


 並の魔術師には、彼女の現出させるこれ等の術式を補完、補強する事はまず不可能である。


 しかし、ヴァルドゥル・ホイアーの組む術式はその遥か最上位の術式で、シャンタル・ドゥシエラの術式を補完、強化して発現させる。


 シャンタル・ドゥシエラは露骨に不機嫌そうな表情を見せるが、ヴァルドゥル・ホイアーは取り合おうともせず、表情も全く変えず、まるで気にする素振りが無い。



 トリンデ川に沿う様に、幾万もの強烈な光を放つ光球が中空に出現して停止し、トリンデ川の川面を煌々と照らし出す。


 「困ったもの、だ」

 ブルーナ・ルティーニとその麾下のアールグレーン統治領東岸守備軍が戦勝に慶び沸き立つ中、シャンタル・ドゥシエラは左側を向いて、其処に居る筈のヴァルドゥル・ホイアーにボソッと告げる。


 「フン」

 鼻でせせら笑うとヴァルドゥル・ホイアーは音も無く、すうぅっと姿を消す。


 ◇ ◇ ◇


 「なるほど、全てお見通しと言う訳か。此れでは・・・渡河は無理だ。止めて帰るか」


 トリンデ川の向こう岸、周囲の背の高い草むらに身を潜め、混乱に乗じて渡河するつもりで待機していたヴェントは、頭上から煌々と川面を照らす、幾千もの無数の光球の列を見上げ、ため息交じりにボソリと呟く。


 「どうやら、ボンボンのダンナも本陣も、あれでは死んだな。まあ、あのボンボンや取り巻き連中の、腐った脳みそが考える作戦では所詮、駄目だった、そう言うこった。俺にはこうなるのは見えてたさ。なあ皆、俺の周りに集まれや」


 散開して目立たぬようにしていた部下全員が、ヴェントの傍に寄ってくる。


 夕闇が更に深くなり、トリンデ川の向こう岸に在る丘陵の頂上から最早、自分達の姿が見えないのは、少人数でもある事から至極当然、ヴェントには解り切っている。


 「どうする?本国に帰るか?出奔するか?」


 「我らはずっと親方と仕事をしてきた。我が身はいつでも親方と共にありますぜ」

 ヴェントの問い掛けに、部下の一人が応える。


 周囲の部下が揃って首を縦に振る。


 「東は飽きたし、北は寒い。西に行くと殺される、か・・・南に行くか?」


 「良き案かと。南には暖かくて木々に囲まれた自然が豊かな、棲み易い国、街が有ると聞いた事が有りますぜ」

 部下がそう返事するのを聞くと、三々五々、ヴェントとその部下合わせて十名は目立たぬよう、トリンデ川の向こう岸に沿って、南を向いて歩き始める。

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