第五章 第四話 東岸防衛戦/鴻星の燦光

 時は既に夕刻、赤陽は随分と前に地平に沈み、青陽もだいぶん傾いてきた。


 そもそもアールグレーン統治領東岸守備軍は打って出る必要は無く、その名の通り、ユングバリ湖の東湖岸を守備していれば良い。


 それでも睨みあったまま夜を迎えた場合、敵軍側による闇討ち等で戦力を無駄に損耗しかねず、かと言ってサマン丘陵から安易に引く訳にも行かない。


 夜間となると、既にこの地を死地、と覚悟を決めて出てきた相手側に分がある。


 守勢側としてはたとえ一人でも二人でも、被害が出た時点である種、負けといえる。


 「ウェインライトが間に合うか、何しろ遥か彼方の帝都である。間に合ったとしても夜半を過ぎるやもしれん。已むを得ん、ハインツェル。蛇退治を任せてよいか」


 「仰せのままに」

 陣幕の外で気配を消して待機していたハインツェルはそう返答すると一瞬で、転移ではなく肉体的な超高速跳躍で一瞬にして姿を消す。


 「蛇の道は蛇、とは言うものの・・・」

 ブルーナ・ルティーニはそう呟き、思わず表情が曇る。



 その時、ブルーナ・ルティーニと参謀達が囲むその真ん中に、待ちに待っていた、見た事も無い巨大で眩いばかりの、色鮮やかな魔法陣が顕現し、間も無く人影が転移してくる。


 「ドゥシエラ様!嬉しい!」

 一際高貴で眩しい程の純白のローブにその身を包む、シャンタル・ドゥシエラの姿を転移魔法陣の中に見つけて、その辺りは未だ未だ十七の娘らしい、ついついブルーナ・ルティーニは甲高い声でそう大声で叫ぶ。


 「私の『アブソリュート・アパート』結界が破られた?」

 シマネク・シフォンだけが不服そうな、複雑な表情でシャンタル・ドゥシエラの姿を仰ぎ見る。


 「まだ日は沈んでおらぬ・・・か。ぎりぎり間に合ったな。だが、帝都より東側の地ゆえ、思った以上に日が沈んでいる」

 そう言ってシャンタル・ドゥシエラは魔術陣から出て周囲を見渡す。


 「あれか。此れは予想以上、かなり遠い」


 やや遅れて、『アブソリュート・アパート』結界の外側、陣所の外側に、シャンタル・ドゥシエラの転移魔法陣に引けを取らぬ、小さいけれども美しく大きな転移魔法陣が出現し、ウェインライトが姿を現す。


 「ひやぁ・・・転移魔法移動速度で初めて負けた・・・いや全く歯が立たんやった・・・」

 そう言って開口一番、ウェインライトは周囲に憚らず、そう大声で叫ぶが、相当に疲弊したのか、そのまま動けなくなる。


 彼の姿を見つけて陣所の外に出たシャンタル・ドゥシエラは、優しく微笑みながら、その彼の右肩を軽くポンポンと叩く。


 「帝都から此処までの超長距離、私と僅かに二十三秒差で到着とは、勇将クザヴェリ・フォン・ルティーニに見出されただけのことは有る、流石だな。大した術式と魔術量である。ご苦労様」


 「ご苦労様です、ウェインライト。誰か、ウェインライトに水と食料と気付薬を・・・」

 シャンタル・ドゥシエラを追って外に出たブルーナ・ルティーニもまた、ウェインライトの肩を数回軽く叩くと、周囲に向かって声を掛ける。


 「わたくしが」

 従軍看護師の一人がウェインライトの傍に駆け付けて、彼に肩を貸して近くの救護所に連れて行く。


 「日暮れまでそう時間が無かろう。早速参る」

 シャンタル・ドゥシエラはそう言うと、小走りで、弓兵の全員が見える場所を見つけ、大急ぎで術式を組み始める。


 後を追う様にしてブルーナ・ルティーニが指揮台に上がった頃、シャンタル・ドゥシエラは既に弓兵隊約百名の足元それぞれに、若竹色の鮮やかな魔術陣が出現させており、弓兵本人が其々、まるで大火焔に包まれたかの様に、燃え盛るような紅蓮のオーラに包まれていた。


 「弓兵隊、構え!目標!アメスタン国軍中心部!狙え!」

 ブルーナ・ルティーニがそう、号令を発すると、弓兵それぞれが思い思いの仰角、此れならば届くと確信する角度、それは三十度から四十度の角度で弓を構える。


 「さすがにこの距離は、厳しい・・・。届くか?」

 シャンタル・ドゥシエラがそう呟いた時だった。


 ブルーナ・ルティーニが見た事の無い、煤けた暗い紫色の靄に包まれた、禍々しいその姿ながら、しかし折り目正しい真っ白なシャツを着こなし、細身の真っ白なスラックスを履き、そして濡烏色のスエード調のトレンチコートを羽織り、身長がゆうに二百センチを超えてガタイの良い男性が、如何なる前触れも無くシャンタル・ドゥシエラの左側の背後に現れると、空に向けて両手を空中でリズミカルに躍らせる。


 次の瞬間、全ての弓兵が構える全ての弓と矢が煌めく黄金色に輝き、何故か、弓兵それぞれは、此れでも届くと、真っ直ぐ、その狙う先を、直接にアメスタン国軍の中央部、真っ白な陣幕に囲われた一角よりもやや左寄せに照準を合わせて静止する。


 「ヴァルドゥル・ホイアー殿・・・余計な事を」

 シャンタル・ドゥシエラは前を向いたまま不機嫌そうにそう呟いたが、その声は後ろで立っているブルーナ・ルティーニの耳の所までは届かない。



 本来なら、射程圏ギリギリの相手を狙う場合、仰角三十五度から四十五度くらいで弓を構え、ターゲット対象の頭上から矢を、雨あられの様に浴びせ掛ける様に降り注ぐのがセオリー、基本である。


 夕闇が迫る中で、遥か彼方に陣取る相手の顔も、そもそも人一人を分別する事さえままならぬ、この超長距離からでは、真っ直ぐターゲットに照準しても矢がターゲットに届く事は先ず無い。


 最悪、放たれた矢はサマン丘陵の麓に陣取る味方の剣兵隊や槍兵隊の頭上に、それこそ雨あられと降り注ぐ。



 ただ、魔術師の遣る事である。

 ブルーナ・ルティーニにはとても理解できない事だが、ここは魔術師の術式を信じるしかない。


 「放てっ!連射、任せる!」

 ブルーナ・ルティーニの号令に合わせて約百名の弓兵それぞれが一斉に、構えて引き付けていた弓の弦を離す。


 放たれた全ての矢は、目も止まらぬ速さで一直線に直接にアメスタン国軍の中央部やや左寄りに命中し、着弾地で大きな爆発を起こした。


 何度も何度も。

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