第五章 第二話 東岸防衛戦/待ちたる者の焦り

 イメルント帝国帝都クラリサから遥か東方、ユングバリ湖の東湖岸を管轄統治するアールグレーン統治領東岸守備軍は軍隊長ブルーナ・ルティーニの下、総勢約四百名が、なだらかなサマン丘陵の頂上及び周辺に陣を構える。


 サマン丘陵の東向きの麓を囲むよう馬蹄形に整列する、約百五十名の剣兵隊と約百名の槍兵隊が陣取り、頂上には約百名の弓兵隊が、己が自慢の弓を構え、”その時”に備える。


 その内側には約五十名の衛士隊によって外側を護られた、黄金色の陣幕に囲われた東西約十二メートル四方の陣所が有る。


 黄金色はブルーナ・ルティーニの父、クザヴェリ・フォン・ルティーニが着用していたフルプレートアーマーの色であり、またルティーニ家に代々伝わる『家旗』の色でも有る。


 陣所内西寄り、中央やや奥に、白銀の質素でシンプルなデザインのフルプレートアーマーに身を包んだブルーナ・ルティーニが坐し、その背後を、女性寵臣騎士四名が同じく、鈍鉄色のフルプレートアーマーに身を包み、抜剣した剣と、狭所でも小回りの利く小型の盾を構えて起立している。


 ブルーナ・ルティーニが坐する目の前には、この辺り周辺の地形を示す、質素な浅黄色の布地の地形図が置かれ、その両脇を父の代から仕える重臣八名が坐している。


 ブルーナ・ルティーニの、まだまだ幼さが残る瞳から鋭い視線を飛ばして見つめるのは、イメルント帝国を東側から脅かそうと度々、こうして進軍してくる、約千五百名ほどのアメスタン国軍の鶴翼の陣である。


 「物見より申し上げます。アメスタン国軍千五百名、鶴翼の陣のまま対岸にて、未だ動き見えず」

 陣所の最下流、東を向いた側に開け放たれた陣幕の会合部を潜って衛士が一人、入って来てそう言う。


 「ご苦労、引き続き監視を続けよ」

 一番下流に坐する重臣、真っ白になってしまったが豊かな量の髪の毛を持つ将軍ヴァラハンが応答して、衛士は頭を軽く下げて陣所から出て行く。


 ブルーナ・ルティーニの左側、彼女に最も近い場所に正座し、深紅のローブに身を包む小柄な女性魔術師、シマネク・シフォンは、途切れる事無く術式を組み続ける。


 術式『アブソリュート・アパート』は、世界で唯一、シマネク・シフォンだけが操る事の出来る特殊な術式。


 それは陣所を、陣幕を利用して物理的に内側から陣幕内を護ると同時に、魔術的にも陣幕の内側と外側とを遮断し、外部からの転移によって陣所の内側に侵入する術式を、強固に阻害する事が出来る。


 「敵軍を川面の上まで、釣り出せないか?誰か妙案、出せるものは居ないか?金十枚を与える」


 普段、愛犬ララとじゃれ合う時には未だ未だ幼い顔と表情をするブルーナ・ルティーニはしかし、守備軍の中心に有っては、身長百七十センチを超える長身の身体が、白銀のフルプレートアーマーを相まって、一際大きく見える。


 「我慢、我慢です。御屋形様。急いては事を仕損じます。わが軍は護りさえすれば良いのです。我慢比べでございます」

 ブルーナ・ルティーニの右側、彼女に一番近い位置に胡坐をかいて座る、大柄でガタイ良い、いつも笑顔を絶やさない最長老の寵臣クロウリィはいつも通り、笑みを浮かべたまま、ブルーナ・ルティーニを諭すように言って、どっこいしょ、と胡坐の両足を組み替える。


 「確かにそう。だが、相手も決意して出てきた以上、一夜でも二夜でも三夜でも、越す覚悟はしているだろう、よ」

 ブルーナ・ルティーニはそう言うと視線を真正面の敵軍に向ける。


 「夜間は守勢側、此方が不利となる・・・」


 「確かにそうですな。この様な場合では守勢側には、一人でも受ける被害を出したくない、確かにそうですな」

 クロウリィは同意するように呟く。


 「シマネク、魔術によって矢が対岸まで届くようには出来ぬか?」


 「申し訳ありませんが対岸、彼の地まで矢を届かせる事が出来る術式は、我々では適わず、申し訳ございません」

 ブルーナ・ルティーニの問い掛けに、シマネク・シフォンは術式を中断すると、そう応えて視線をブルーナ・ルティーニに向ける。


 「帝都のドゥシエラ様なら・・・或いは」


 「帝都、か。遠すぎる。連絡手段が無い」

 ブルーナ・ルティーニの顔が曇る。


 「いざとなれば居城に使者を送り、キュキュル伝書鳩を飛ばす、か」


 「私が帝都まで参ります」

 そう言って名乗りを上げたのは韋駄天の二つ名を持つ十五歳の少年、元服したての若き魔術師ウェインライトである。


 幼き頃より転移術式に好かれた様に、有り得ぬほどの距離と回数を重ねる転移術式で長距離を移動する才能を発揮し、弱冠十歳でクザヴェリ・フォン・ルティーニに見出され、陣幕内に入った魔術師である。


 「任せる」


 「御意。帝都ならば夕刻までにはお連れ致します」

 ブルーナ・ルティーニにそう応えると、会釈してウェインライトは陣幕の外側に出て即刻、転移してその場から消える。



 これまでの七度の会戦では毎度毎度、アメスタン国軍は不用心にも、彼らの行く手を遮る様に南北に流れるトリンデ川の渡河を強硬に繰り返し、急流と浅くない水深で足を取られてその度に、進撃速度が遅くなった。


 その、進撃速度が鈍ったアメスタン国軍兵士の頭上に、サマン丘陵の頂上に陣する、アールグレーン統治領東岸守備軍弓兵隊から間断なく放たれる矢の雨が無慈悲に降り注ぎ、アメスタン国軍はその都度、甚大な被害を出して壊滅的な打撃を被り、渡河に失敗して撤退を繰り返してきた。


 それ故か今度は八度目、流石に学習したのか、アメスタン国軍はトリンデ川の対岸の岸辺から遠く離れた草原に陣を張ったまま、動く気配がまるで無い。


 無情に時間だけが刻々と過ぎて行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る