第五章 第一話 東岸防衛戦/ブルーナ・ルティーニ

 イメルント帝国麾下アールグレーン統治領東岸守備軍本陣、小さく区画を真っ白な陣幕で区切った、守備軍の中枢を担う数名の面々、重臣数名が集う場所、即ち陣所。


 ズザザザザッ!


 身長百九十センチを超える大柄でガタイの良い、上半身から足のつま先まで特注の黄金色のフルプレートアーマーにその身を包む中年男性クザヴェリ・フォン・ルティーニは、いきなり背後に現れた、鎖帷子に身を包む、ひょろっとした細身の小柄な男に羽交い絞めにされ、いきなりスパっと喉仏付近を切り裂かれると、声を上げる事も出来ずにその場にもんどりうって倒れ込む。


 頸動脈まで達した深い切り傷から大量の鮮血を辺り一面にまき散らし、彼のシンボルでもある、灰色の端正に揃えられた髭に覆われた口から大量の泡を吹きだし、もう既に白目となってピクリとも動かない。


 侵入者の小柄で細身の男はヒラリヒラリと、周囲を囲む屈強な男達の斬撃を躱すと、陣幕の外へと姿をくらます。


 「侵入者を追え!見つけ次第、即座に切り殺して構わん!」

 重鎮アグリ・レッサの野太い唸り声のような怒号が、辺り一面にコダマするように響き渡る。


 「父上!お気を確かに!傷は浅そう御座います!直ぐにシマネクが参りますゆえ!」


 弱冠十四、元服前の大きな瞳を持つ美麗な少女、その全身を白銀のフルプレートアーマーに身を包む、身長百三十センチにも満たない小柄で華奢な体躯のブルーナ・ルティーニは、頭部を保護する兜を急いで外して脇に投げ捨てると慌てて、彼女の父たるクザヴェリ・フォン・ルティーニの傍まで駆け寄り、彼の力無く崩れ落ちた大柄なその身体を抱き起して、彼女の膝の上に父の上半身を載せる。


 彼女は憤怒の形相をして、両手で大量の鮮血を噴き出している喉元の大きく開いた傷口を、華奢で細身の両手で塞ごうと懸命になっている。


 「御屋形様!」

 深紺のローブに身を包む小柄な女性魔術師、シマネク・シフォンが陣幕内に駆け込み、クザヴェリ・フォン・ルティーニの傍にぺたりと座り込むと、彼の筋骨隆々の右手を取って回復魔法の支度をする。


 が、間も無く、その動きがピタリと止める。


 「何をして居るのです?!急いで支度なさいっ!役割を果たしなさい!」

 ブルーナ・ルティーニはかすれた金切り声を張り上げるとシマネク・シフォンの顔を睨みつける。


 だが、シマネク・シフォンは悲しそうな表情のまま、押し黙って首を左右に振る。

 そして下を向いて、固まったように動かなくなる。


 「シマネク!シマネク!命令です!お国で一番大切な御屋形様の大切なお身体です。命を賭して回復魔法で治しなさい!出来なければ国から出て行きなさいっ!出来ぬと言うのなら即刻クビ、クビですっ!」

 大きな美しい、純粋無垢な瞳に涙を一杯に貯めて、ブルーナ・ルティーニはその右手でシマネク・シフォンの頭を力無く、何度何度も、何度も何度も叩く。


 「父上っ!父上っ!父上っ!父上っ!」

 ブルーナ・ルティーニはギュっと愛する父、クザヴェリ・フォン・ルティーニの身体を抱きしめる。


 ◇ ◇ ◇


 「父上っ!父上っ!父上っ!・・・父上っ!」

 姫様ベッドの上で、ブルーナ・ルティーニは自身の発した大声で、目を覚ます。



 「夢・・・ですか・・・」

 あれから二年、十五で元服を済ませ、身長は百七十センチを超え、十六歳となった今も、時々見る夢。


 彼女の大きな美しい、今も純粋無垢な瞳には、二年経った今でも涙が次々と溢れて一杯になって零れ落ちていく。


 昨夜はカーテンを閉めなかったらしい・・・ベッドに横たわったままでもよく見える、窓の外の東側の地平線。


 地平線の更に東に行った向こう側には、ユングバリ湖など比べものにならない程に大きな『海』と呼ばれる湖があると、父から聞いた事があるが、未だに観た事は無い。


 空はようやく夜の帳が明けて、薄っすらと明るくなり始めており、青陽がもう間も無く、その眩いばかりの姿を露わそうとしている。

 小鳥のせわしく囀り合う大合唱が、耳に心地よく聞こえてくる。


 ブルーナ・ルティーニは上半身を起こすと、牙黄色の兎耳が付いたフワフワのナイトキャップを外して、キャップから零れだした、豊かな量の深緑色の髪の毛を、腰の下付近まで垂らして軽く揺らす。


 トントントン。


 「おひいさま。よろしいでしょうか?」

 聞き慣れた執事の声、その豊かな髪はいよいよ真っ白になってきたが、包容力のある、ふくよかな体躯の中年女性、フリア・ブリトニの柔らかくて暖かい声が聞こえる。


 慌てて両目の涙を拭うと、ベッドから起き上がり、脇に備えている二人掛けの丸く白い木製のテーブルセットの椅子に座る。


 「何用か、それと・・・」

 ブルーナ・ルティーニはキチンと背を正し、キリッと表情を整え、そして低いアルト音域の声で強めの口調で応える。


 「此処に、おひいさま、なる者は此処には居らぬ、ぞ?部屋を間違えたのではないのか?」


 「そうでした。此れは失礼しました。御屋形様。火急の知らせとの事です」

 慌てる素振りをまるで見せず、そう言いながら、観音開きの紫檀製の重いドアを開けると、フリア・ブリトニがゆっくりと入ってくる。


 彼女の背後、三歩ほど離れた右側に、身軽な身なりをした伝令の中年男性が、深く頭を下げて片膝を床に付けて控えている。


 「御屋形様に至急、お伝えしたき件が御座います」

 低めのテノール音域の男声は頭を下げたまま、そういって更に深く頭を下げる。


 「頭を上げよ、許す。何か?」

 丸いテーブルセットの椅子に座ったまま、ブルーナ・ルティーニは使者を見つめてそう言う。


 いつの間に用意されたのか、切子細工が細かく施された細長い円筒形のグラスに、ターコイズブルー色の、眩いばかりの差し込む朝日に煌めく、透明の果実ジュースが注がれて、丸いテーブルの上に置かれている。


 「は」

 そう言うと使者は頭を上げる。


 「アメスタン城にて挙兵の動きあり。物見の者からの報告です。既に城内に千から千二百ほどの武装した兵の姿が見えるとの事です。サマン丘陵到着は三日後から五日後と推察」


 「分かった、ご苦労。下がって良い。その者に充分なる食事と休養、そして土産と充分、いや過ぎたる路銀を持たせよ」


 「承知いたしました」

 ブルーナ・ルティーニの命に、フリア・ブリトニは落ち着いた口調でそう応答すると、軽く頭を下げる。


 「委細、任せてよいか?」


 「大至急手配いたします。では」

 フリア・ブリトニはブルーナ・ルティーニにそう返答すると踵を返し、使者に立ち上がる様に促すと、その使者を伴って部屋を後にする。


 「アメスタン、懲りずによくもまあ何度も何度も・・・」

 其れを見届けると、ブルーナ・ルティーニは小さく呟きながら、乱暴にナイトドレスを床に脱ぎ捨てる。


 そして、部屋の片隅の一段高い場所に飾り棚に載せて安置している、一振りの細身の太刀を取り上げ、その太刀を慈しむ様に全身で包み込むように抱きかかえる。


 「父上・・・行って参ります」

 そう言いながら、彼女の両手で水平にスラリと鞘から抜かれた刃が、ギラリと鈍い光を放つ。



 間も無く、丹念に手入れされ、丁寧に磨き上げられた、白銀の質素でシンプルなデザインのフルプレートアーマーに身を包んだブルーナ・ルティーニはその右手に太刀を持ち、準備を整え終わる。


 腰まで伸ばした豊かな量の深緑色の髪の毛は、子猫の耳の様に頭の両サイドでお団子ヘアに丸めている。

 此のヘアスタイルは父、クザヴェリ・フォン・ルティーニがお気に入りだと、一番微笑んでくれたヘアスタイルである。


 ブルーナ・ルティーニより更に長身でガタイの良い四名の女性騎士、全員が鈍鉄色のフルプレートアーマーに身を包み、その中の一人は、勝利の象徴ガルダ鳥、その虹色に煌めく羽根が三本、登頂部に刺された白銀色の兜を丁寧な手つきで持ち、彼女の背後でその時を待つ。


 「死を厭う事無かれ。行くぞ」

 ブルーナ・ルティーニは低めの声で強くそう宣言すると、女性寵臣騎士四名を従えて、ゆっくりとした足取りで部屋を後にする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る