第四章 第二話 フリドリフ民主王国の野望/影無き魔術師

 夜となり、”魔月”と呼ばれている、その大きな見かけの深青色の月が空に昇ると、実に夜空の四分の一が、魔月によって覆われてしまう。


 魔月には足元の大地と同じく、彼の地にも同じ様な大地が在り、其処には人や動物が住み、植物が生い茂っていると、いにしえより口伝にて、そう言われている。


 過去には各国の魔術師の内の何人か、”魔月”に行った事が有ると主張したものが居たが、何れも夢物語と一蹴され続けている。


 暦の上では”妃月”と呼ばれる、小さな見かけの美しい薄紅色の月も空に昇っている筈だが、魔月の影に隠れてしまい、観る事が出来ない。



 ツォバリア城の一角、国王執務室より一つ上の階に在する国王公室は、国王が私事に使用する部屋の一つだが、この部屋の四方の壁には常に水が流れている。


 其れはつまり、水の潺の音を利用する事で、部屋の外に会話が漏れ出ない仕組みである。



 イカフ国王はゆったりとした意匠の真っ白なバスローブ一枚を羽織り、真っ白な毛皮で覆われた大きめのソファに、身体を委ねる様に座っている。


 背後には、正装のままの執事ミハエラが姿勢良く、控えている。


 イカフ国王は目の前の”誰も居ない”空間に向かって話し掛ける。


 「状況は良くない。火急を要する。古代大火焔大御神の千年目の目覚めが、そう遠くないと我は考えておる」

 そう言って目の前のテーブルに置かれたワイングラスに右手を伸ばすと、ゆっくりと弧を描くようにゆっくりと揺らせる。


 「アレが目覚めては、国土は一瞬で焦土と化すであろう事は、この地方に伝わるいくつもの民話や神話が示すところなのだ」


 「一刻も早くイメルント帝国に攻め入り、彼の地を占領して奪い取り、国の民を移住させなければならないと考えておる」


 「アウラゼーブとマニャニには引き続き、イメルント帝国皇帝の聖槍による狙撃、これを続行させるが、厄介な事に、彼の地にシャンタル・ドゥシエラが帰還し、加えて今は完全にその気配が無いが、ヴァルドゥル・ホイアーが現れたと、観測所の報告が出ておる」


 「そこでだジュスタ・スクワール、御身には彼の地に潜り込んで貰い、『仕事』を頼みたい。彼の地の皇帝そしてドゥシエラ、更にはウィンプフェリング、三人の何れでも、三人全てでも、其れはお任せしたい」


 「なるほど。して、報酬は?」

 その声は男声とも女声とも付かない、全く揺らぎの無い、一切の感情を排した、全く表情を窺う事の出来ない、一本調子の声が部屋全体の、方向が全く分からないが、何処からか、聞こえてくる。


 「手付として、五百万ルインと金貨百枚・・・、でどうか?」

 イカフ国王は、目の前を向いてそう応える。


 「成功報酬はターゲット一人に付き十億ルインとしたい」


 「よかろう・・・だが」

 姿なき声は相変わらず同じ調子でそう応答する。


 次の瞬間、執事ミハエラの額に縦横十センチくらいの大きさの”×”印の傷が現れ、ポタポタと血が零れ始める。


 だが、執事ミハエラは微動だにせず、額から滴り落ちる血を気にする事無く、何事も無かったように起立の姿勢を崩さない。


 高価なスリーピース・スーツ、漆黒の上着とスラックス、そして真っ白なシャツと深みの強い青色のネクタイが、血で真っ赤に染まって行く。


 「これは我が、貴君と取り決めの際に”我が”警告した事柄に従って、貴君の三度目の過ちに対する、懲罰である」

 姿なき声はしかし一切の声のトーンや表情を一切変える事無く、部屋の何処からか聞こえてくる。


 「次に過ちを犯した場合、それは遂に四度目だ。取り決めに従って、次は貴君の額が割れる事になる。心されたし」


 「わかった。気を付ける」

 イカフ国王は、しくじったという渋い表情で、そう返答する。


 パン、と小さな音を立ててワイングラスが無数のガラス片となり、それが全てイカフ国王の真っ白なバスローブに降り注ぎ、バスローブはガラス片塗れ、そしてワイン塗れになる。


 「五度目は無いぞ」

 バスローブに飛び散った真っ赤なワインによって、バスローブの上に真っ赤な文字が現れる。


 そして部屋の正面の扉が、誰も居ないのにバタンと乱暴に開き、そしてバタンと乱暴に閉じる。



 「すまぬ、ミハエラ。我の過ちで怪我させた。直ぐに医者を呼ぶ」

 そう言って立ち上がろうとするイカフ国王の狼狽しきった動きを、巧みに執事ミハエラは此れを制する。


 「お身体をお動かしになりませぬよう。ガラス片でお怪我をなさいます」


 「彼の者は手心を加えておりますゆえ、わたくしは全く問題ありませぬ。しばらくお待ちくださいませ。人を呼んでまいります」

 そう言い残すと、執事ミハエラはしっかりした足取りで、部屋を出て行く。

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