第一章 第三話 新皇帝の誕生/凶兆の足音(前)

 『人の舞台』に立つ百三十二代皇帝エメリヒの背後、それはすなわち、『神の舞台』に立つ聖天司祭大師ウィンプフェリングの背後。

 そしてそれは、『穢賤の広場』に起立して整列した、何百人もの聖職者そして何百人もの貴族院の面々からは、絶対に見る事が出来ない場所。


 『神聖なるブリドドーラ』の巨塔の壁面から東西に突き出した二カ所の庇の内の東側の庇、人一人がようやく立つ事が出来る程度の狭き、手摺りも壁も何も無い、そのような庇を足場にして立つ、真っ白な無地のローブに頭の先からつま先までの全身を包む身長百六十八センチ、一人の魔術師。


 エンチャンタたるシャンタル・ドゥシエラは、彼女自身がレーベンアドレ島の上空を完全に覆うように張り巡らせた、三重の術式魔術結界の一部が破られたという、結界からの”警報”を”聞き取る”。


 「長さ二百十センチ・・・円筒太さ三十センチ。尖突貫通術式が施された『聖槍』の一種と推定。着弾地点は・・・皇帝エメリヒ。着弾まで十分未満」

 シャンタル・ドゥシエラは目を閉じて、飛来物を”目視”しながら、心の中で呟きながら其れを分析していく。


 「緊急警報!飛来物は『聖槍』一振り!方角は北!着弾まで十分未満!」

 シャンタル・ドゥシエラはメゾ・ソプラノ音域よりもやや低い、あらん限りの大声でそう叫ぶと、予め準備していた、空中に浮かぶスペルキューブを次々と割って行く。


 スペルキューブが一つ割れる度に皇帝エメリヒの全身がシャボン玉の様な光の被膜、魔術シールドに覆われ、最終的に彼女の身体は合わせて七重のシャボン玉の様な光の被膜、魔術シールドに包まれる。


 そして、シャンタル・ドゥシエラは聖天司祭大師ウィンプフェリングが立ってる『神の舞台』を見上げると、再び、あらん限りの大声で叫ぶ。

 「猊下!緊急事態!ご退避願うっ!」


 彼女の声が聞こえたのだろう、聖天司祭大師ウィンプフェリングがシャンタル・ドゥシエラに向かって杖を持っている左手を振り、北の方角の空を、鋭い目つきで見上げる。


 「衛士方々!対空防御陣形!転移術式を構築までの間、陛下を守護、願う!」

 シャンタル・ドゥシエラは今度は下方、『人の舞台』を見下ろし、またもや、あらん限りの大声で叫ぶ。


 シャンタル・ドゥシエラの声に呼応するように、『人の舞台』の下の屯所から、急ぎ足で『人の舞台』の上に駆け上がってくる衛士は、全員が鈍鉄色のフルプレートアーマーに身を包み、分厚い大型の盾を持った、総員十六名。


 彼ら、総員十六名の身体もまた、シャンタル・ドゥシエラがスペルキューブを割っていく都度、シャボン玉の様な光の被膜、魔術シールドに包まれ、順次、皇帝エメリヒの全周囲、全方位を護る、三重の円形対空防御陣形に整列すると、大盾を空に向けてピタリとその動きを止めて静止する。


 更に一人、他の十六名の衛士よりも豪華な装飾が施されたフルプレートアーマーに身を包み、一回り大きく分厚い大盾を持った衛士隊の長たる、衛士局長ローゼンハインが『人の舞台』の上に駆け上がって来る。


 其れを見つけるとシャンタル・ドゥシエラはその衛士長に声を掛ける。


 「衛士局長、悪いが貴君にデコイ・マーカー、振らせてもらう」

 そう言うと、シャンタル・ドゥシエラはその衛士長に向かって呪文を唱えながら空中で指を躍らせる。


 「飛来物・・・『聖槍』のターゲットを皇帝陛下から、貴君に変更させる。身体を貫通される可能性があるが・・・許されたし」

 間も無く、衛士長ローゼンハインの全身が一瞬、どぎつい真っ赤に染まり、直ぐに元に戻る。


 続いてシャンタル・ドゥシエラは予め準備していたスペルキューブの最後の三個を割り、衛士長の身体は三重のシャボン玉の様な光の被膜、魔術シールドに包まれる。


 「無論っ!それが小職の役目なれば至極当然。衛士、栄誉の極みである。魔術防御付与に感謝する!」

 自身の全身が魔術シールドに包まれたのを確認して、衛士長ローゼンハインはバリトン音域の豊かな深みを持った声でそう言って、首を縦に振る。


 そして彼は、一回り大きく分厚い大盾を北側の上空に向かって差し上げる。

 「『邪槍』に告ぐ!我はここに有り!我が不屈の肉体、我が不屈の魂!貫けるものなら貫いて見せよっ!」


 「後は頼んだぞ、局長」

 其処まで見届けると、聖天司祭大師ウィンプフェリングは小さく呟き、シャンタル・ドゥシエラに向かって、合図を送るように再び、シャンタル・ドゥシエラに向かって杖を持っている左手を振ると、まもなく転移術式が発動して、彼はその場から姿を消す。


 次の瞬間、彼らの頭上、北側の上空に人の身体程の長さ、そして柄の部分が真っ赤、そして禍々しい紫色の靄に包まれた、悍ましげな槍が一振り、空気を切り裂く耳障りな音を上げながら、物凄い速度で飛来してくる。


 「デコイ・マーカを素通りだと!?」

 そう叫んだ、衛士長ローゼンハインに付与されたデコイ・マーカーを無視するように、彼の横を一瞬で素通りしたその槍は一直線に、皇帝エメリヒに向かって突き進む。


 皇帝エメリヒを護るように、北側を向いて三重の”盾”となった、衛士三名分の大盾そしてフルプレートアーマー、更には鍛え上げられた分厚い胴体を易々と貫いたその槍は、最終的に、皇帝エメリヒを包む七重の魔術シールド、その一番外側、一枚目の魔術シールドを貫いてようやく止まる。


 串刺しにされた衛士三名の身体は同僚の他の衛士の手で丁寧に脇に寄せられて仮安置される。


 「次に備えよ!」

 そう言うと衛士長ローゼンハインは大盾を構え、”四枚目”の盾となるべく、隊列を組み直して構える、皇帝エメリヒを包んで護る三重の壁となった北側に位置する衛士の、更に前に立つ。

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